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席替えで隣になった好きな子に尻尾が生えているんだが……

作者: 塩本

 休み時間、次の授業の準備をする真面目な生徒や、友達との雑談に熱中する生徒達。

 たった数分間の短い時間に詰められた喧騒の中で、僕はぼーっと教室の一角に視線を向ける。

 その視線の先には、1人の女の子がいる。

 すると突然、背後から小突かれた。


「おい悠斗(ゆうと)。まーたお前は狛野(こまの)さんを見てたのか?」

「ち、違うよ! た、ただぼーっとしてただけだから!」


 揶揄うような友人の指摘に、僕は顔が熱くなるのを感じながら必死に否定する。


「本当か? お前の目ハートになってたぞ?」

「そんなわけないでしょ! 気持ち悪いこと言うなよ!」


 僕はなおも疑惑の眼差しを向けてくる友人を片手でシッシッと追いやる。

 友人に言われたからだろうか。僕の鼓動はいつもより早くなってしまっていた。


 僕には好きな人がいる。

 その人の名前は狛野結衣(こまのゆい)さん。


 狛野さんはとても真面目な人で、クラス委員をやっている。それに凄く優しい人で誰に対してもにこやかな笑顔で話をしてくれる。


 僕は積極的にコミュニケーションを取るのが苦手で、学校で話をするような友人は片手で数える程度しかいないし、もちろんクラスでは目立たない存在だ。

 そんな僕にも、狛野さんはニコニコしながら話しかけてくれる。といっても、話す内容は単なる連絡事項でしかないんだけど……。

 それでも僕は、狛野さんの笑顔に自然と胸が高鳴ってしまう。その笑顔がただの愛想笑いだとわかっていてもだ。


「あんまし凝視してるとキモいって嫌われるから気を付けろよ」

「だから違うって言ってるだろ! それに、狛野さんはそんなこと言う人じゃないよ……」

「なんだ、やっぱ狛野さんを見てたんじゃないかよ」

「う、うるさいな! もう休み時間終わるから自分の席に戻れよ!」


 僕は友人を追い返し、恥ずかしさから自分の机に突っ伏した。


 友人から指摘されてしまうほどに、僕は狛野さんを好きになってしまっている。でも、その友人の数が少ないから周りに気付かれてはいないし、話題にもならない。

 

 こういう時ばっかりは、自分が目立たない存在で良かったなって思う。それと同時に、自分がもう少し積極的な性格だったら、今よりも狛野さんと仲良くなれるのかなって思ったりもする。

 

 恋人……なんて高望みはしないけど、せめてもう少し普通に会話を交わせるくらいにはなれたかもなって。


 そんな一方的な片思いが続く日々を過ごす僕に、二学期を過ぎた頃、最大の幸運が訪れた。

 なんと、席替えで狛野さんと隣同士になれたのだ。

 しかも自分の席は1番後ろの窓際という、最高の一等地だった。

 もしかしたら僕は、この席替えで高校生活全ての運を使い果たしたのかもしれない。

 僕はまだ一年生だけど、でもこの幸運には高校生活全ての幸運を捧げる価値があるかもしれない。


 僕は高揚する気持ちを抑えながら、自分の席を新しい場所に移動させた。

 その後、狛野さんも自分の席を移動させてきた。そして、僕を見るとニコッと笑いかけてくれる。


「三雲君が隣だったんだね。よろしくね」

「あ、う、うん。よ、よろしく狛野さん」


 うぅ、上手く話せない……。僕、ダサいな……。

 いや! でもこれからは席が隣なんだし、狛野さんと話す機会は沢山あるはず! 少しずつ慣れていこう。


 そんな決意を胸に、僕は今までと景色が変わった学校生活に挑む。

 ……と、思ってたんだけど、せっかく狛野さんが隣の席になったのに、僕は彼女とまったく話をすることが出来なかった。

 というのも、狛野さんの隣の席は僕だけど、もう片方の隣は狛野さんと仲の良い友人で、休み時間になると彼女は僕に背を向けて、その友人との会話に夢中になってしまう。


 このままじゃ、せっかくの幸運が台無しになってしまう。高校生活全ての幸運を使って掴んだチャンスなのに……。


 そんな危機感を抱いた僕は、狛野さんと少しでも会話ができるように、朝早くに学校へ行くことにした。

 狛野さんはクラス委員だから、他の生徒よりも早く学校に来てる。

 クラスメイトが少ない朝に、僕も学校へ行って狛野さんに話しかけてみるという作戦だ。


 その作戦を実行する日の朝。

 僕は緊張からか、だいぶ早く目覚めてしまった。いつもじゃありえない時間に食卓につく僕の姿に、母さんも父さんもビックリしている。

 僕は両親の驚きの視線を極力無視しながら、早朝の空の下に駆け出した。


 ふぅ……緊張する。

 狛野さんに会ったら、まずは『おはよう』って挨拶しよう。それから『いつも朝早く来て凄いね』って狛野さんに言って、それから――。


 僕は狛野さんとの会話を何度も頭の中でイメージする。

 でも、それをやってると緊張もドンドンと高まってしまう。

 その緊張を少しでもほぐそうと、僕は家のすぐ近くにある神社に向かった。

 その神社の名前は『三雲神社』っていって、僕の苗字と同じ名前だ。

 最初はただの偶然かと思っていたけど、昔不思議に思ってお祖母ちゃんに聞いてみたら、どうやら僕のご先祖さまと何かしらの縁があるらしい。詳しいことは分からないけど。

 とりあえず僕は、神社のお賽銭箱に十円玉と五円玉を投げ入れる。

 小さい頃にお祖母ちゃんから聞いたけど、お賽銭の金額は『充分にご縁がありますように』って意味を込めて十五円にするのが良いみたい。

 その話を聞いた時、駄洒落かよって思ったけど、今の僕は少しでも神様の助けを借りたい気持ちで、心から真剣に祈った。


 狛野さんと、ちゃんとコミュニケーションが取れますように……。


 神社で神頼みした僕は、そのまま学校に向かう。

 気のせいか、神社に寄って少し気持ちが落ち着いたような気がする。やっぱり神社には神聖な力があるのかな?

 ちょっと不思議な気持ちになりながら、僕はまだ生徒が少ない学校の廊下を歩き、自分の教室の扉を開いた。


 そこには、狛野さんが1人だけいた。

 彼女は教室の扉を開いた僕を見ると、少し驚いたみたいに目を見開いた。


「あれ? 三雲君? 今日は早いんだね」

「あ、う、うん。たまたま、ちょっと、その、早起きしちゃって」

「そうなんだ。おはよう」

「おお、おは、おはよう」


 ふわっと笑いながら挨拶をしてくれる狛野さんが可愛すぎて、僕は盛大に言葉に詰まりながら挨拶を返した。


 うぅ、やっぱり狛野さん本人を目の前にすると緊張しちゃって全然上手く喋れない……。


 最初から失敗してしまった僕は、落ち込んで俯きながら自分の席につく。

 でも、せっかく朝早くに来たんだ。一度の失敗でめげずに、ちゃんと狛野さんと話せるように頑張ろう。


 僕は下に向けていた視線を持ち上げて、隣の席に座っている狛野さんの方を向いた。


「狛野さんはいつも早く学校に来てすごっ!?」


 言葉の途中で、僕は自分の視界に飛び込んできた驚きの光景に仰天した。


 こ、こここ、狛野さんのお尻から、し、しし、しっぽ、尻尾が生えてるっ!?


 まるで犬のような、ふさふさもふもふの尻尾が……。

 え!? なんで!? コスプレ!? え!? えッ!?


 あまりにも予想外の出来事すぎて、パニックになって思考が完全にフリーズする。

 そんな僕を見て、狛野さんは面白そうに笑った。


「ふふっ。すごってそんなに驚くこと? ただ少し早く学校に来てるだけだよ?」

「あ、いや、その……しし、しししぽぽぽ」

「シッシッポッポ? 急に機関車のモノマネ? 三雲君って面白いね」


 驚愕して上手く話せない僕の言葉を聞いて、狛野さんは口元に手を当てて笑う。

 その鈴を転がすような綺麗な笑い声に、僕は顔が熱くなるのを感じる。

 僕を混乱に陥れている原因である彼女の尻尾は、上を向きながらゆっくりと左右に揺れている。


 動いてる……ということは、コスプレじゃなくて本物?

 もしかして、今のコスプレ用とかは動くやつもあるの?


 コスプレについての知識が皆無である僕は、ただただ呆然と狛野さんを見つめる。


 さっきから混乱して挙動不審になっている僕の様子に、今まで楽しげだった狛野さんが、心配そうに僕のことを覗き込んできた。

 彼女の尻尾も、感情を反映しているように少し垂れている。


「三雲君、大丈夫? もしかして体調悪いの?」

「え!? あ、いや! 大丈夫! 体調全然、大丈夫です!」

「本当に?」


 心配してくれる狛野さんが可愛すぎて、僕は自分の顔がさらに熱くなるのを感じる。

 ちょ、か、顔が近い。鼓動が早くなりすぎて胸が苦しい。


「ほ、本当に大丈夫だから!」


 僕は耐えきれなくなって狛野さんから顔を逸らす。

 その後も、狛野さんは僕のことを心配げに見つめてきていたけど、もう一度目を合わせる勇気が僕にはなかった。


 そこに、教室の扉が開いて一人のクラスメイトが入ってきた。


「あ! こまちゃんおはよーー!」

「みっちゃん、おはよう」


 やってきたのは、狛野さんと仲の良い友人だった。ちょうど僕と反対側の狛野さんの隣の席の子だ。


「あれ? 三雲君もいるんだ? おはよう」

「お、おはよう」


 僕は顔が赤いのがバレないように、彼女から目を逸らしたまま挨拶を返した。

 そんな僕のことを不思議そうに見つめてくる狛野さんの友人。少しの間だけその視線を感じていたけど、すぐに僕への興味を無くしたみたいで、その視線を狛野さんに向けた。


「こまちゃん、一緒に事務室に来てくれない? 親になんか書類を頼まれちゃって」

「うん、いいよ」


 二人はそんな会話をしながら、教室から出ていった。

 その後ろ姿を見て僕は思う。


 尻尾があるのは狛野さんだけか……。


 彼女の友人に尻尾は付いていなかった。

 つまり、女子たちの間で尻尾のコスプレが流行っている、というわけではなさそう。

 じゃあなんで狛野さんに尻尾が付いてるんだ? 意味がわからない……。


 僕は早朝の教室でひとり頭を抱えた。

 

 その日、僕は狛野さんの尻尾が気になり過ぎてずっと上の空だった。

 

 昨日までは無かった彼女の尻尾。

 隣の席でゆらゆらと揺れるもふもふの尻尾。


 狛野さんの尻尾について、僕はいくつか気付いたことがある。

 まず、彼女の尻尾の存在に気付いているのは、どうやら僕だけみたいだ。

 彼女の周りの友人達の反応を窺っても、尻尾について気にしている気配は全くないし、視線が尻尾に向いている様子もない。

 それと、狛野さんの尻尾は彼女の感情を表しているみたい。嬉しい時は大きく左右に揺れているし、授業で集中している時はピタッと止まっている。昼休憩の直前は、お腹が空いて元気がないのか、尻尾もへにゃっと垂れたりしてる。


 狛野さんは常にニコニコと友人達とコミュニケーションを取っているけど、彼女の尻尾はとても感情豊かに動いている。


 なんで僕にだけ狛野さんの尻尾が見えているんだ?

 そもそも、あの尻尾はなんなんだ?

 そんな疑問が僕の頭の中をグルグルと巡る。


 狛野さんの尻尾が見えるようになってから一週間が過ぎたとき、いつも通り彼女の尻尾についてボーッと考えながら朝食を食べる僕に、母さんが申し訳なさそうに手を合わせてきた。


「ごめんね悠斗。今日お弁当作る時間がなくて、これでお昼ご飯を買ってくれる?」


 そう言いながら、母さんはお昼ご飯のお金を僕に渡してきた。


「わかった」


 素直にお金を受け取る僕に、母さんはまた「ごめんね」って謝ってくる。

 母さんは毎日早く起きて美味しいお弁当を作ってくれているから、感謝しかない。たまには休んでくれてもいいのにって思っている僕は、笑いながら母さんに言う。


「気にしないでよ母さん。お昼ご飯のお金ありがとう。じゃあ行ってくるよ」


 僕は背中に母さんの「いってらっしゃい。気を付けねて」の言葉を受けながら学校に向かう。

 そして、登校途中にあるコンビニに寄って、今日のお昼を吟味する。


「う〜ん、今日なんとなくパンの気分だなぁ」


 普段お米を食べることが多いからか、こういう時はパンを無性に食べたくなる。

 僕は、焼きそばパンとメンチカツサンドを手に取ってレジに向かう。

 飲み物は学校の自販機で買えばいいかな。

 そう思いながらレジに立つ僕は、ふとレジ横に陳列されているチョコチップメロンパンが目に入った。


 レジ横にこうやって置くの止めてくれないかなぁ……。


 そんなボヤキを心の中で吐き出しながら、僕はおもむろにチョコチップメロンパンを手に取って、焼きそばパンの横に置いた。どうやら今だけ三十円引きらしい……。

 レジ打ちする店員の「ありがとうございます」という笑顔に敗北感を感じながら、昼ご飯の調達を終えた僕はコンビニを後にした。


 教室に入った僕は、いつも通り一直線に自分の席に向かう。

 いそいそと机に座って、教科書を机に入れたりコンビニ袋をカバンに入れたりと時間を潰す。

 そこに、教室の外に出かけていた狛野さんが、僕の隣の席に戻ってきた。


「三雲君おはよう」

「あ、狛野さんおは……よう?」


 僕は狛野さんの方を向いて、一瞬言葉に詰まってしまった。

 いつも通りにこやかな笑顔で挨拶をしてくれる狛野さん。でも、彼女の尻尾は今までにないくらいにへにゃっと元気なく垂れてしまっていた。


 見た目の狛野さんはいつも通りだけど、尻尾が物凄く落ち込んでる……何かあったのかな?


 彼女の尻尾に気を取られていた僕に、狛野さんが不思議そうに首を傾げた。


「三雲君?」

「あの、狛野さん……何か困ってることある?」

「え?」


 狛野さんは少し驚いたように、綺麗な二重の目を大きく見開く。その反応がとても可愛くて、僕はさっと視線を俯かせてしまう。


「いや、その……少し狛野さんが元気なさそうに見えたから……」

「私、そんなふうに見えちゃってた?」

「……うん。少しだけ」

「そっか……心配してくれてありがとう三雲君。でも大丈夫、今日はみっちゃんが休みだから、ちょっと寂しいなぁって思ってただけだよ」


 狛野さんはすぐにニコッと笑う。

 僕はそれ以上会話を続けることができなくて「そうなんだ……」とだけ返して、自分のスマホに集中するフリをした。

『みっちゃん』は、彼女の隣の席の友人だ。狛野さんに言われるまで僕はそのみっちゃんが休みだということに全く気が付かなかった。


 友人が一人休んだだけで、ここまで落ち込むものなのかな?


 狛野さんが友達想いなのは知っているけど、それにしてもあの尻尾の垂れようは、相当落ち込んでいる感じだけど……。


 けど、僕は狛野さんに踏み込んだ話をする勇気が出なくて、隣の席で表面上はいつも通りに過ごす彼女を横目で見ることしかできなかった。


 そして昼休み、僕はコンビニ袋を手に持って教室を出る。

 普段は友人と一緒にお昼を食べているんだけど、今日はその友人が休みだった。だから一人でお昼ご飯を食べないといけないんだけど、教室で一人飯をする程の強メンタルを持ち合わせていない僕は、人気の少ない場所を探した。

 でもたくさんの生徒がいる学校で、人気のない場所というのはなかなか見つからない。


 トイレで食べたくはないなぁ……。


 僕の頭の中に思い浮かぶ、絶対に一人になれる場所。でも、そこは最終候補地とし、他に人気の少ない場所を探す。

 その時ふと気付いた。今日はあまり天気が良くない。雨はまだ降ってないけど、どんよりとした雲が空を覆っている。ということは、屋上は人が少ないかもしれない。

 天気がいい日の屋上は、そこそこ人気な昼食スポットだけど、今日は穴場になっているはず。


 そう思いながら、僕は階段を駆け上がって屋上に続く扉を開いた。


「やった。予想通り誰もいな……」

「三雲君?」

「狛野さん!?」


 誰もいないと思っていた屋上。

 でもそこには先客がいた。

 屋上に設置されているベンチに腰掛けながら、狛野さんがおどろいた表情で僕を見てくる。


「三雲君、どうして屋上に?」

「あ、えと、て、天気がいいから屋上でご飯を食べようかなって!」

「天気……いい?」


 僕の言葉に、狛野さんは戸惑うような顔でねずみ色の空を見上げた。

 どど、どうしよ!? とっさに喋ったら意味不明なとこを言ってしまった! り、リカバリーしないと!


「く、曇りって僕好きなんだよね! ほら、日光が強いと紫外線でお肌がダメージを受けちゃうし」

「お肌……ふふ、やっぱり三雲君って面白いね」


 口元に手を当ててクスッと笑う狛野さん。

 うぅ……顔から火が出そう……。


「えっと……こ、狛野さんはどうして屋上に?」

「私? 私も……天気がいいから屋上で過ごそうかなって」


 ニコって笑いながら言う彼女。

 でも、その尻尾に元気はない。へにゃりと垂れたままだ。

 きっと、何か落ち込むことがあって、一人になりたくって屋上に来たんだろうな……。

 狛野さんの尻尾から、彼女の内心を察した僕はそう予想する。

 ここは、僕が屋上から立ち去って狛野さんを一人にしてあげるのが良いんだろうけど、でも……。


「あの、狛野さん!」

「うん? どうしたの三雲君?」


 僕は彼女との距離を縮めたくて勇気を振り絞った。


「よ、よよ、良かったら僕と、一緒にお昼ご飯を食べない?」

「え?」


 一世一代のお誘いをした僕に、狛野さんはまた驚いて目を見開く。

 なんとなくだけど、朝からずっと尻尾が垂れて元気がない狛野さんを屋上で一人にしておくことが良い事だとは、僕は思えなかった。


 胸が痛くなるくらいに、激しくなっている鼓動を感じながら、僕は狛野さんの返答を待つ。

 とても長い時間に感じた空白の後、彼女はゆっくりと口を開いた。


「……ごめんね三雲君。私、もうお昼ご飯食べ終わっちゃった」

「あ……そ、そうなんだ……それは、そっか……」


 頭の中が真っ白になる。恥ずかしさで視界がフラフラする。


「じ、じゃあ、僕は屋上から立ち去るね。バイバイ……」

「あ、三雲君!」


 僕はあまりの恥ずかしさで、今すぐこの場を立ち去りたくて狛野さんの呼びかけを無視して屋上から去ろうとした。

 その時。僕の耳に「ぐぅ〜〜」というお腹の鳴る音が聞こえてきた。

 僕のお腹じゃない。そして、この屋上には僕と狛野さんしかいない。


 僕はゆっくりと振り返ってみる。

 そこには、耳まで真っ赤に染めた狛野さんが「うぅ」と俯いていた。


「狛野さん……お昼ごはんた――」

「違うのっ! こ、これは違くて、その……」


 僕の言葉を遮って、狛野さんは何かを訴えかけてくる。けど、その言葉は続かなくて、すぐに俯いてしまった。

 そんな彼女に、僕はどう反応して良いのかわからなくて、その場に立ち尽くす。

 すると、狛野さんはとても小さな声でポツポツと言う。


「実は……今日お弁当を忘れちゃって……」

「あぁ……なるほど」


 だから朝から狛野さんの尻尾が垂れてたのか。

 確かに、普段からお昼前の彼女の尻尾は空腹で垂れがちだもんね。

 狛野さんって、食べるのが好きな子なんだなぁ。


 そんな事を思いながら、僕はふと疑問に思う。

 お弁当を忘れたのなら、購買で買えば良いのではと。確かに購買の競争は激しいから、尻込みはしてしまうけど。


 そんな僕の考えが顔に出ていたのか、狛野さんは相変わらず消え入りそうな声で呟くように言う。


「お財布も忘れちゃって……」

「あれま……」


 どうやら、今日の狛野さんはとことんついていない日みたいだ。


「それで……みんながご飯食べてる姿を見てると、辛くなっちゃうから、一人になれる場所で、空腹を紛らわそうかなって」


 そう言った瞬間、タイミングよく狛野さんのお腹が再び「ぐぅ〜〜〜っ」と鳴る。心なしかさっきよりも音が大きくなってる気がする。


「うぅ……」


 狛野さんは恥ずかしさと空腹からか、僕から完全に顔が見えなくなるくらい、お腹を抱えて俯いてしまう。


 なんか、しっかり者の狛野さんからは想像出来ない可愛いギャップだ。

 ……て、今はそんな事を考えてる場合じゃないよね。


「あの……狛野さん。良かったら僕のご飯分けてあげようか?」


 そう言った瞬間、狛野さんの尻尾がピクッと反応する。

 けど、彼女自身はとても申し訳なさそうな表情で首を振る。


「ありがとう三雲君。でも、大丈夫だよ。三雲君のご飯が減っちゃうから」

「いや、えっと、僕はそんなにたくさん食べる方じゃないから、狛野さんに分けても全然足りるよ」


 そう言って、僕は手に持っているコンビニ袋を彼女に見せる。


「て言っても、実は僕も今日はお弁当じゃなくて、コンビニで買ってきたやつなんだけど。それでもよければ」

「で、でも……」


 遠慮する狛野さん。でも、僕はここで引くわけにはいかないと、コンビニで買ってきたパンを彼女に見せる。


「狛野さんは何を食べたい? 焼きそばパンとメンチカツサンド、それにチョコチップメロンパンがあるんだけど」


 僕が一つ一つパンを見せていくと、ちょうどチョコチップメロンパンのところで彼女の尻尾がピコンと立った。

 でも、狛野さんは申し訳なさそうな表情を崩さない。


「やっぱり貰えないよ。申し訳ないもん」

「本当に気にしなくて大丈夫だから」


 僕はそう言いながら、チョコチップメロンパンをさりげなく彼女の目線に持ち上げる。すると狛野さんの尻尾は小さくワサワサと揺れだした。けど、表情はまだ崩れない。

 僕はもうひと押しだと思って、チョコチップメロンパンを手に持って軽く彼女に差し出す。


「これさ、本当は買う予定じゃなかったんだけど、レジ横に置いてあって、しかも割引されてて思わず買っちゃったんだよね」


 僕はチョコチップメロンパンを買った経緯を説明する。


「それに、空腹で苦しんでる狛野さんを放っておいて、自分だけっていうのは、罪悪感が凄くて食事を楽しめないしね」

「そ、そう……?」

「うん。だから、僕のためにもこのチョコチップメロンパンを食べてくれないかな?」


 そう言って、僕はチョコチップメロンパンを狛野さんに差し出す。

 彼女は少しの間、葛藤するようにジッと僕が手に持つパンを見つめた。そして、ゆっくりとチョコチップメロンパンを受け取ってくれた。


「じゃあ、貰うね。ありがとう三雲君」

「どういたしまして」


 丁寧に頭を下げてくる狛野さんに、僕は嬉しさと照れ臭さで顔が熱くなるのを感じる。

 狛野さんに無事パンをあげれたけど、僕はどうしようかな……。やっぱり屋上からいなくなった方がいいのかな?

 狛野さんが座っているベンチをちらっと見たあと、僕は立ち去ろうかどうか迷う。

 すると、狛野さんがスッと横にスライドして手招きしてくれた。


「ごめんね三雲君。立ちっぱなしだったね」

「えと……隣座っていいの?」

「もちろん。一緒に食べよ?」


 とても魅力的な可愛い笑顔で誘ってくれる狛野さんに、僕は思わず口元がニヤけてしまいそうになるのを必死に堪えながら、おずおずと彼女の隣に座った。


「じゃあ、ありがとうね三雲君。いただきます」

「どうぞ」


 もう一度僕に頭を下げた狛野さんはパクッと一口小さく食べる。途端、彼女の尻尾がブンブンと素早く振られる。


「三雲君のくれたパン、凄く美味しい」

「あははは、ただのコンビニパンだけどね」

「私にとっては救済のパンだよ。本当にありがとう三雲君」


 そう言って、狛野さんはニコニコと笑顔でチョコチップメロンパンを食べる。

 僕はその笑顔に見惚れてしまって、屋上に来る途中で買った緑茶パックのストローを口に加えたまま、ぼーっと狛野さんの笑顔を眺める。


「うふふ、おいし」


 パクパクと幸せそうにパンを食べる狛野さん。その姿が可愛すぎて僕の思考は完全に停止する。

 とその時、急に狛野さんが咳き込んだ。


「こほっ! うっ、こほっ!」

「狛野さん大丈夫!?」


 どうやらメロンパンをのどにつまらせちゃったみたい。

 僕は慌てて手に持っていたお茶を狛野さんに差し出した。


「狛野さん! これお茶飲んで!」

「こほっ! う、うん、ありがとう……」


 狛野さんは咳き込みながらも、なんとかお茶を飲む。


「ふー、ありがとう三雲君。助かったよ」

「うん……あっ」


 僕は狛野さんからは返してもらった緑茶パックのストローを見てフリーズした。

 

 これ……僕がさっきまで口に入れてたやつだ……。

 それを何も考えずに狛野さんに差し出しちゃった……。


 僕は自分がやってしまったことに気まずさと申し訳なさを感じて、恐る恐る狛野さんの方を見た。

 すると、狛野さんも僕の反応で察したらしく、サッと頬を赤くした。


「ご、ごめん狛野さん……僕、気が回らなくて……」

「み、三雲君は悪くないよ! 謝らないで!」


 狛野さんは、謝罪を遮るように両手を振る。それと連動するように、彼女の尻尾もふりふりと左右に揺れてる。

 僕は、どう反応をすればいいのか、どんな話をすればいいのか分からなくて、黙って緑茶パックを握りしめる。

 そこに、頬をほんのり赤くしたままの狛野さんが、ポツリと僕に囁いた。


「間接キス……しちゃったね」

「ッ!?」


 直接狛野さんの口から発せられた言葉に、僕は心停止しそうなほど、鼓動が高鳴ってしまった。

 チラッと見えた彼女の尻尾は、そんな僕の反応を楽しむように、愉快にユラユラと揺れている気がした。


 狛野さんと一緒にお昼を食べた日の夜。

 

 僕は彼女の言葉が忘れられなくて、ベッドの上でゴロゴロと何度も寝返りを打つ。


『間接キス……しちゃったね』


 その言葉と、それを言った時の狛野さんの表情がずっと僕の頭から離れない。


「ぐぅ……可愛すぎる……」


 少し恥ずかしそうな笑顔に混ざる、ちょっと悪戯をしちゃったような、ふんわりと揶揄うような笑み。

 それに加えて、彼女の内心を表すかのように楽しげに揺れる尻尾。


「狛野さんって、もしかして僕のこと……」


 自分に都合のいい妄想が、頭の中で勝手に作られていく。それを僕は、頭を振って必死に掻き消す。


「ないないない! それはない!」


 変に期待して、もし違っていたらショックがあまりにも大きすぎる。僕はそれに耐えられそうにない。

 

 でも……。


 僕の心は希望と疑念で大きく揺れ動く。

 狛野さんの表情や態度だけなら、僕はここまで希望を持たなかったと思う。

 

 でも、僕には何故だか彼女の尻尾が見える……。

 その尻尾が、僕の心をかき乱す。

 彼女の心の内を素直に表している、もふもふの尻尾……。


 というか、なんで狛野さんに尻尾が生えてるんだろ?

 なんで僕にしか見えないんだろ?


 そんな疑問がずっと僕の頭の中でグルグルと回り続けた。


 翌日、僕は寝不足で重くなった瞼を必死にこじ開けながら学校に行く。

 狛野さんのことを考えていたら、気が付いたら夜明けになっていた。

 睡魔と戦いながら、僕は自分の教室に向かう。


「あ、おはよう三雲君」

「お、おはよう狛野さん」


 僕が席に座ると、隣の友人と楽しげに話をしていた狛野さんが、会話を一旦切り上げて僕に挨拶をしてくれた。


「昨日はありがとう三雲君、助かったし嬉しかったよ」

「う、うん」


 僕は昨日の出来事を意識し過ぎて、ニコニコと笑いながら話しかけてくれる彼女とまともに顔を合わせられない。

 そこに、狛野さんの友人が不思議そうに会話に加わってきた。


「なになに? こまちゃんと三雲君、何かあったの?」

「昨日ね、私がお弁当を忘れたら三雲君がお昼を分けてくれたの」

「あらら~こまちゃんお弁当忘れちゃったの? 私がいたら分けてあげたのに」

「だって、みっちゃんはきのう休んでたでしょ?」

「ごめんよ。親友の窮地に駆けつけてあげられなくってさ」


 狛野さんの友人はおどけたように言ったあと、僕の方に顔を向ける。


「で、私の代わりに三雲君がこまちゃんを助けたってわけね」

「うん。あ、三雲君。昨日のパンとお茶のお金、返すね」


 狛野さんは思い出したように自分の財布を取り出すと、五百円玉を僕の方に差し出してきた。


「いや、これは多いし、受け取れないよ!」

「でも、お茶も結局私が一人で飲んじゃったし、本当に昨日は助かったから、その気持ちも込めて」

「それでも、この金額はもらえないよ。それに……」


 僕は一旦口を閉じてから、唾を飲み込んで一気に言葉を吐き出した。


「こ、狛野さんと一緒にご飯を食べられて僕も凄く楽しかったし嬉しかったから、だから……お金はいらない!」

「え? で、でも……」


 僕の言葉に、狛野さんは困った表情を浮かべてる。ふと、彼女の尻尾を見てみると、ピンと上を向いて軽く振っていた。

 

 こ、この尻尾の動きはどんな感情だろう? というか、僕はなにを言っているんだ!? 狛野さんと一緒にいられて嬉しくて楽しいって、これって……これってもう告白じゃないかな!? 違うかな!?


 僕が一人でアタフタと慌てていると、狛野さんの友人がニヤッとした笑顔で狛野さんに言う。


「こまちゃん。三雲君はお金なんかじゃなくて、もっと誠意のあるお返しを御所望だよ?」

「もっと誠意のある……」


 友人の言葉に、狛野さんは真剣な表情で考え込んでる。


「ち、違うよ狛野さん! 僕は別にお返しなんかいらないから! 本当に気にしなくてもいいから!」

「うん、わかった……確かに感謝のお返しを簡単にお金で済まそうとするのは誠意が足りないよね」


 狛野さん全然わかってない!

 その後も僕は『お返し不要!』と何度も狛野さんに訴えかけたけど、彼女がそれを聞き入れてくれたのかどうかは凄く怪しかった。


 そしてまた次の日。

 僕は、狛野さんに『一緒にいられて嬉しかったし楽しかった』は告白になるのか悶々と悩み続けた結果、2日連続の寝不足となり。遅刻ギリギリの時間になんとか自分の教室に辿り着いた。

 ぼーっとする頭で、遅刻を回避できた安堵を感じながら自分の席に向かうと、隣の狛野さんの周りに軽い人だかりができていた。


「さすがこまちゃん、お菓子作りも上手だね」

「ありがとう」

「このクッキー最高!」

「狛野さん、今度お菓子作り教えてよ」

「私でよかったらいつでも教えるよ」


 僕は自分の席につきながら、ちょっと隣の方に耳を傾けると、そんな会話が聞こえてきた。

 どうやら狛野さんがクッキーを焼いてきて、それをクラスメイトに配ってるみたいだ。


 ぼくはチラッと隣を見て、狛野さんが持っている袋に視線を向ける。


 いいな……僕も食べたいな……。


 そんな願望が心の中に湧き上がる。狛野さんの焼いたクッキーは絶品らしく、あっという間に彼女の手に持っている袋の中のクッキーは無くなってしまった。

 クッキーを食べ終えたクラスメイトたちは、授業も始まるため自分達の席に戻っていく。

 人混みが解散した狛野さんの席の方を横目に見ながら、僕は少しだけションボリする。

 一枚だけでも食べたかったな……。

 そんな事を思いながら、一時限目の授業の準備をしていると、不意に肩をチョンチョンと叩かれた。


「ん? ど、どうしたの狛野さん?」


 突然肩を叩いてきた狛野さんに、僕はドキッと鼓動が高鳴るのを感じつつ、慌てて彼女の方を向く。

 すると狛野さんは、カバンからさっきとは違う袋を取り出して、僕の方に差し出してきた。


「これ、三雲君のためにクッキー焼いてきたの。貰ってくれるかな?」

「え!? もちろん! あ、ありがとう」


 予想外の出来事に、僕はビックリしながら狛野さんからクッキーが入った袋を受け取った。

 さっき手に持っていた袋とは違って、ちゃんとラッピングされたものだった。


 僕は嬉しさのあまり、その袋をジッと見つめる。

 すると、狛野さんがちょっと顔を近づけてきて、小さな声で囁いた。


「このクッキーは、三雲君への感謝の気持ちをたっくさん込めて作った、特別なクッキーだよ」

「ッ!?」

「えへへ……なんちゃって。食べたら感想聞かせてね」


 恥ずかしさを誤魔化すようにはにかむ彼女の笑顔に、僕は固まってしまった。


 学校が終わって家に帰った僕は、狛野さんから貰ったクッキーの袋を机の上に置いて、それを眺める。


「狛野さんが、僕のために……」


 どうしよう、幻じゃないよねこれ?

 僕は綺麗にラッピングされた袋を手に持って目の高さまで持ち上げる。


「幻じゃない、消えない……」


 狛野さんが僕のために焼いてくれたクッキー……。

 どうしよう、顔が勝手にニヤけてくる。人生で最高の幸福感が胸の中に溢れ出てくる。


 僕は一生クッキーの入った袋を眺めていたい衝動に駆られる。だけど、このまま食べない訳にはいかない。

 このクッキーを食べて、ちゃんと狛野さんに感想を言わないと。

 僕はゆっくりと袋のリボンをほどいて、クッキーを一枚取り出す。


「いただきます」


 作ってくれた狛野さんに対する感謝をしっかりと込めて言った僕は、端っこを少しだけかじってじっくりと味わう。


「美味しすぎる……」


 幸福そのものを食べている気がする。きっと幸せってこういう味なんだろうな。

 僕は涙が込み上げてくるくらい美味しいクッキーを時間をかけて味わった。


 狛野さんのクッキーを食べた次の日。

 僕はいつもよりも早い時間に家を出て、学校に向かう。

 その途中でコンビニに寄った。


「どれにしようかな?」


 僕はお菓子が陳列されている棚の前で「うーむ」と悩む。

 

 クッキーをくれた狛野さんに、そのお礼のお菓子をあげたいけど、なにがいいかな?


 初めはクッキーのお返しをするか凄く悩んだ。きっと狛野さんが僕にお菓子をくれたのは、お昼ご飯の件のお礼だと思う。だから、お礼に対してのお礼をするのは、狛野さんを困らせてしまうと思った。

 でも、僕はどうしてもお返しがしたかった。

 あんなに美味しいクッキーをくれたのに『美味しかったよ』の一言だけで済ますのは、僕にはどうしてもできなかった。


「チョコチップメロンパンを美味しそうに食べていたから、チョコ系のお菓子にしようかな」


 僕はそう思って、よく二大派閥で論争が起きるお菓子を手に取ってレジに向かった。

 普通にクッキーのお礼と言ってお菓子を渡すと狛野さんを困らせてしまう。だから僕は、さり気なくお菓子をお裾分けする作戦でいくことにした。


 僕はコンビニで買ったお菓子を手に持って、意気揚々と教室に向かう。

 予想通り朝早い教室には狛野さんしかいなかった。


「あ、おはよう三雲君。今日も早いんだね」

「うん、おはよう狛野さん」


 僕は少し緊張しながら狛野さんの隣の自分の席に座る。


「あの! ……昨日はクッキーありがとう」

「いえいえ。美味しかったかな?」

「うん! すっごく美味しかったよ! 人生で一番美味しいクッキーだった!」

「本当? うふふ、嬉しい。ありがとう」


 僕の言葉を聞いて狛野さんが嬉しそうに笑った。彼女の尻尾も楽し気にゆっくりと揺れてる。

 今日の狛野さんは機嫌が良いのかな?

 尻尾の動きをチラッと見て僕はそんな予想をする。


「三雲君はどうして今日こんなに早く学校に来たの?」

「え? あ、えと、たまたま早くに目が覚めちゃって、それで、早く学校に行って勉強をしようかなって思って」

「そうなんだ。偉いね三雲君」

「あ、ありがとう」


 その会話を交わした後、狛野さんは僕が来るまで読んでいた本を再び読み始めてしまった。

 どうしよう……どうやってお菓子をお裾分けする流れにしよう……。

 僕は頭を悩ませながら、さっき彼女に言った手前、勉強をしない訳にはいかなくて、机の上に勉強道具を広げる。

 すると、狛野さんが本から視線を上げて話し掛けてくれた。


「朝の勉強って、凄く集中できるよね。私もこの時間が好きなんだ」

「そうなんだね。えと、僕もこの時間は好きだよ」

「一緒だね」

「そ、そうだね」


 ヤバイ、心臓がドキドキし過ぎて凄くうるさい。狛野さんに聞かれてないかな?

 そんな不安を感じつつ、僕はこの会話の流れがチャンスだと思って、思い切って口を開く。


「狛野さん!」

「うん? なあに?」

「その……実は勉強するのにお菓子も買ってきたんだけど、狛野さんも一緒にど、どうかな?」

「え? 本当に!? いいの?」

「うん、これを買ってきたんだけど……」


 そう言って、僕はコンビニで買ってきたお菓子を狛野さんに見せた。


「あ! それ私大好き! でもそっか、三雲君はそっち派なんだね?」

「え? あ、あぁ……うん。狛野さんはもう片方の方が好きだった?」


 そう尋ねると、狛野さんはニッコリと魅力的な笑顔を僕に向けてきた。


「うん。そっかぁ……じゃあ、今度三雲君をこっち派閥に勧誘しないとダメだね」


 尻尾をユラユラと揺らしながらそう言う狛野さん。

 もう、勧誘されちゃってます……。僕は狛野さんのイエスマンです……。


 その後、僕は狛野さんと一緒にお菓子を食べながら、とても幸せな朝の時間を過ごした。

 

 その日を境に、僕は狛野さんと少しづつ距離を縮めることができた。席が隣同士というのもあって、朝はよく話をするようになった。

 昼休みとかでも、狛野さんから時々話し掛けられるようになった。

 いままで、どこか味気ない高校生活を送っていた僕は、席替えで狛野さんと隣同士になったことで一変した。


 そんな胸が高鳴る日々を過ごす僕は、今日も朝早くに学校へ行く。

 いつも通り、早い時間の教室には狛野さんしかいない。


「おはよう狛野さん」

「おはよう三雲君」


 いつも通り挨拶をした僕は、ふと狛野さんの尻尾がいつもより垂れていることに気が付いた。


「……狛野さん、もしかして何か落ち込むことあった?」

「え!? な、なんでわかったの?」

「それは……えっと、何となく狛野さんの元気がないように見えたから、かな?」


 狛野さんはとても驚いた様子で僕を見てくる。けど、尻尾が元気がなさそうだったから、とは言えず曖昧な返答で僕は誤魔化す。

 すると、狛野さんは「そっかぁ……」て小さく呟いた。


「僕で良かったら話聞くよ? 役に立つかはわからないけど。あ、でも話したくないなら、無理に言わなくても大丈夫だから!」

「……三雲君って本当に優しいね。それに、君と話してるとなんだか落ち着く。とっても楽になる気がする」

「そ、そうなの?」

「うん。なんか、気持ちを汲んでくれるっていうか、洞察力が凄いなって……私のことを見てくれているなって気がするの」


 そういう狛野さんは、少し恥ずかしがっているのかほんのりと頬が赤くなっている気がする。それに釣られて僕も顔が赤くなっちゃってるがした。


「そ、そうなのかな?」

「うん……三雲君っていい人なだって最近よく思うんだ」


 はにかんだ笑顔で恥ずかしげに言う狛野さん。

 彼女のそんな笑顔に、僕の胸がチクリと痛んだ。

 僕が狛野さんの感情をある程度読み取れるのは、尻尾が見えているからだ。

 彼女の尻尾の動きが見えているから、僕はそこから狛野さんの気持ちを汲み取って対応できている。

 でも、これって狛野さんの心の中を盗み見ていることになるんじゃないのかな? 逆の立場だとしたら、僕は嫌だ。知らないうちに一方的に心の中を覗かれるなんて気分が悪い。


 やっぱり、狛野さんに伝えるべきだよね。

 僕には、あなたの尻尾が見えていますって。


 言ったらどうなるかな? 狛野さんに嫌われちゃうかな? 何でいままで隠していたんだって……。

 せっかくここまで仲良くなれたのに、嫌われたくないな……。


 ……でも! 今の状態はフェアじゃない! 言おう! 尻尾のことを狛野さんに伝えよう!


 僕は決心して狛野さんを見詰めた。


「狛野さん!」

「ん? どうしたの三雲君、そんな真面目な顔をして」

「じ、実はね。えーっと、これからちょっと変な話をしちゃうかもしれないんだけど……」


 そう前置きをしてから、僕は一旦唾を飲み込んでから口を開いた。


「実はね、僕……尻尾が、狛野さんについているのが――」

「ッ!?!?!?」


 僕の言葉を途中まで聴いていた狛野さんの表情が急に青ざめた。

 いままで見たことがない程に動揺して、そこには恐怖すら混ざっているような気がした。

 そんな彼女の反応を見て、僕は察した。

 尻尾の話はしちゃ駄目だと。尻尾について触れるのは狛野さんのタブーなんだと。

 そう思った瞬間、僕は話の内容を無理矢理180度方向転換した。


「狛野さんに尻尾が付いてたら、凄く可愛いと思うんだ!」

「えッ!?」

「そう! 僕ね、尻尾の付いている女の子が好きなんだよ! ほらこの画像を見てみてよ!」


 僕は必死にスマホで画像検索して、出てきた二次元の女の子の画像を狛野さんに見せた。


「ほ、ほら! こんな感じで尻尾の生えている女の子が僕凄く好きでさ! もし狛野さんに尻尾が生えてたら、最高だなって思ったんだよね!」


 あぁ……僕はなにを言っているんだ……。

 好きな女の子の目の前で、二次元の女の子の画像を見せて……。

 さらば僕の青春……。さらば夢の高校生活……。

 でも、あの狛野さんの反応を見たら、あんな青ざめた顔をされたら、本当のことなんて言えないよ……。


 はぁ……きっと狛野さんはドン引きだろうな。

 それならまだマシかも。もしかしたら、とても冷たい目で僕を見てるかも。


 彼女の表情を窺うことに僕は恐怖しながらも、ゆっくりを視線を狛野さんの顔に向けた。

 そして、僕の視界には顔を真っ赤に染めた狛野さんが映った。


 へ? 怒って顔が赤いわけじゃない、よね? もしかして……照れてる?


 まったく予想外な反応をしている狛野さんに、逆に僕が混乱する?


「こ、狛野さん?」

「はっ! あ、や、え、そ、その……三雲君って……尻尾、好きなの?」


 動揺しまくってる狛野さんが、真っ赤な顔のまま僕に質問してくる。


「あ、う、うん……」


 なんて返事をするのが正解なのか分らない僕は、思考がまとまらないまま頷く。

 それを見て、狛野さんの頬が更に一段階赤くなった気がした。


「そ、そうなんだ……あっ、わ、私……ちょっと用事思い出したから職員室行ってくる!!」


 そう言うと、狛野さんは慌てた様子で教室から出ていってしまった。


「……どゆこと?」


 何が起きたのかわからない僕は、教室で一人ポカンと固まった。


 その日はずっと狛野さんの様子が変だった。

 いつもは時々僕に話し掛けてくれるのに、今日は全然話をしてくれない。それどころかこっちを向いてくれない。ずっと僕に背を向けて、反対の隣の友人と話をしてる。

 狛野さんが僕に背中を向けているせいで、彼女の尻尾が丸見えになってしまっている。

 

 そして、その尻尾はこれまでに見たことがない動きをしていた。


 くるんと上を向いて丸まって、いままでにない超高速で振れていた。

 それこそブンッ! ブンッ! ブンッ!! って聞こえてきそうな勢いで左右に揺れている。


 な、なんだこの尻尾は……。

 で、でも……尻尾について狛野さんに話をするのは禁忌っぽいし……。

 どうしよう……。


 僕を無視してくる狛野さん。

 そして、これまでで一番激しい動きをしている彼女の尻尾。

 これについて考えすぎた僕は、再び寝不足になってしまって、翌日の登校はいつもよりもだいぶ遅い時間になってしまった。


 眠気と戦って教室に入った僕は、そのまま自分の席に座る。

 すると、隣から声が掛かる。


「おはよう三雲君」

「お、おはよう狛野さん」


 今日は無視されずにいつも通り挨拶をしてくれたことに、僕はホッと安堵する。


「今日は朝に三雲君がいなかったから、お休みなのかなって思っちゃった」

「昨日ちょっと夜更かししちゃって朝起きれなかったんだよね」

「そうなんだ。じゃあ今は寝不足?」

「うん、そうかも」

「あまり生活のリズムを崩しちゃダメだよ?」

「はい、気を付けます」


 普段通りの狛野さんに戻って、いつものような会話が出来たことに僕はついつい嬉しくなってしまう。

 それと同時に、僕の視線は彼女の尻尾に吸い寄せられた。


 ブンッ! ブンッ! ブンッ! ブンッ! ブンッ!!


 見た目の狛野さんは普段通りに戻ったけど、尻尾は昨日のままだ……。


 激しく振られている彼女の尻尾。

 でも、そのことを狛野さんに話すわけにはいかず、僕は一時限目の授業の準備をしようと鞄に手を伸ばす。


「あっ……」

「どうしたの三雲君?」

「英語の教科書忘れた……」


 寝不足でボーとしてたから、教科書を忘れてしまった。

 どうしよ……友達に借りたいけど、僕は友達が少ないから……。


「じゃあ、私の教科書を見せてあげる。机くっつけよ?」

「え!?」


 狛野さんの提案に僕が驚いている間に、彼女は僕の机に自分の机をくっ付けた。


「寝不足だから忘れちゃったの?」

「う、うん。そうだと思う……」

「他にも教科書忘れてるかもだね」

「そうじゃないことを祈るよ……」

「もし忘れてたら私が見せてあげるよ?」

「あ、ありがとう」


 机がくっ付いているから、いつもよりも狛野さんが近い。

 それに、彼女の尻尾が……。


 ブンッブンッブンッブンッブンッブンッ!!


 さっきよりも早くなっている気が……。


 どうして?

 なんで僕には狛野さんの尻尾が見えてるんだ?

 なんで狛野さんには尻尾が生えてるの?


 まさか、僕がこんな悩みを抱えることになるなんて、夢にも思わなかった。


 

 席替えで隣になった好きな子に尻尾が生えているだなんて……。

最後までお読み下さりありがとうございます。

面白かったと思って頂けたら幸いです。

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