5 騎士に別れを告げた後
嘘をつき続ける時間は、あまり長くは続かなかった。
数日後、地上が再び騒がしくなった。
やがて様子を見に行ったクー・シーが、セレンディア王国の軍が到着したこと、敵が撤退していくことを教えてくれた。
そこでリシーラは、まだ本調子ではないレジェスを、深く眠らせた。
精神が不安定な母親が寝付けるように、薬草師から処方されたお茶で。
そうしてぐっすりと眠ったレジェスを、セレンディア王国の軍の野営地近くに移動させた。すぐに見つけられそうな道の端に置き去りにしておけば、見逃されることはないだろう。
「……本当にいいの?」
心配して聞いてくれたのはルファだった。
「うん。私は妖精界に行くんだから、ここでお別れしないと」
真剣に求婚してくれたのは嬉しかった。
なにより、誰もが恋心を一瞬でも抱きそうな人であることは、人間界で暮らした最後の思い出としてかなり上等だと思う。
「さようなら、レジェス様」
リシーラはそう言い、ルファと一緒に先に地下へ戻る。
その途中、レジェスの存在を早く知らせるため、メギーが灯したランタンの光が、振り返った時に見えた。
さらに数日経ち、安全になったので穏やかに過ごしていたのだけど……。
「なんだかおかしいわ」
リシーラは側にいたイータに言う。
「何日待っても、妖精界に招待される気配がないのだけど、どうしてかしら」
十八歳の誕生日は、もう過ぎていた。
不安を抱えつつ、さらに二週間ほどが過ぎる。
地下で過ごし続けては体に悪いからと、少し離れた山小屋に住まいを移動していたリシーラは、ただひたすらその日を待っていた。
妖精界とは時差があるのかもしれない、と思い直したからだ。
でもセレンディア王国の軍が町を立て直し始めても、行商人や町から逃げた人が戻って来始めても、全く妖精界へ行ける気配がない。
「おかしいわ……」
クー・シー達と頭を突き合わせて考える。
「原因に思い当たることは?」
「何もしてないわ、私」
「だよねぇ」
ルファがうなずく。
「僕もリシーラと一緒にいたんだし、問題になりそうな出来事はなかったと思ってるけど。まさか、妖精界の物を食べてから時間が経ち過ぎたせいとか?」
イータが「女王様に聞いてくるべきかな」とそわそわする。
そんな中、メギーが渋い表情をしていた。
「もしかしたらなんだけど……」
「え、何か思いついた?」
「なになに?」
「教えてよメギー」
リシーラ達にうながされて、メギーは白い毛がふさふさとした手首に巻いた黄色のリボンを触りながら言う。
「結婚の……『口約束だけ』でもだめだったのではないかしら?」
「…………あ」
リシーラは愕然とする。
まさかはっきりと『結婚します』と言わなくても、なんらかのしがらみになってしまうのか?
「でもリシーラは『あなたと結婚します』なんてハッキリ言わなかったじゃないか。そんなに判定厳しかったっけ!?」
イータがリシーラの疑問を口にしてくれる。
「いや。僕ら妖精だからこそわかりにくいだけで、人間の世界と人間のつながりは、口約束だけでも強くなっちゃうのかもしれないよ」
ルファの方はメギーの言葉に納得したようだった。
「そんな……。もう会わないつもりだったけど、気の毒で言っただけだったのに……」
リシーラは頭を抱えた。
リシーラの肩を、メギーがぽんとふさふさの犬足で叩く。
「口約束だし、時間が経てば消えるかもしれないわ。後で女王様に聞いてくるから」
「そうだよね! 僕、ちょっと今から行ってくるよ!」
イータが勢いよく立ち上がり、パッと姿を消した。
妖精なら、あっという間に妖精界へ行けてしまうのだ。
入口があちこちにあるらしく、そこを通ればいいらしい。
リシーラはうらやましくなる。
人間の自分は、ただ妖精界で過ごすだけでは妖精になれないのだ。
だから我慢していたのに。
「……また、あの家に戻らなければならないのかしら」
ため息をつくリシーラを、ルファが励ます。
「それなら、ここでそのまま暮らせばいいんじゃないか?」
「ここで?」
リシーラは目をまたたく。
「そう。食料だってなんとかなる」
「でもルファ達が調達したら、盗みになるじゃない……。今までは屋敷に残ってた食料とお金でなんとかやってこれたけど」
屋敷に残されたお金を使い果たしたら、どうしよう。
とはいえ、リシーラに打開策があるわけでもなかった。
「まずは一日考えてみたら?」
メギーにそう勧められたリシーラは、少しじっくりと考えようとうなずく。
「……じゃあ、食料買ってくる」
リシーラはルファとメギーにそう言って、小屋を出た。
向かうのは少し離れた場所にある、あの攻撃された町だ。
今ではセレンディア王国軍も国境に移動しているので、復興のための人や戻って来た商人や元々住んでいた人達などが集まって、以前にも増してにぎやかだ。
リシーラは町中の、再開したばかりの食品店通りへ向かう。
そこで肉や野菜を買い、さあ戻ろうと思ったところで声をかけられた。
「リシーラ……リシーラかい!?」
振り返ったそこにいたのは、小太りの人の好さそうな三十代の男性と、護衛らしい私兵が三人ほど。
男性の顔には見覚えがあった。
「お、お兄様?」
正確には実の兄ではない。
従兄のウォルターだ。
領地へ行った時には、いつも良くしてくれて、小さな頃から面倒をみてくれたので、お兄様と呼んでいる。
しかも、もう十年も前に結婚した従兄ウォルターは、リシーラに自分達夫婦の養子にならないかと言ってくれていた。
「え、どうしてここに……」
困惑する。
従兄は良い人だけど、まさか現れると思わなかったし、ミゼル子爵家から解放されたと思ったところに出会ったから。
混乱した末に、リシーラは逃げ出そうとした。
背を向けたリシーラに、従兄のウォルターは焦ったように声をかけた。
「大丈夫だ、逃げないで話を聞いてくれ、リシーラ」
そう言われても、話がいい話か悪い話なのかわからないことが怖い。そのせいで足を止められずにいたが。
「率直に言う。君のご両親は亡くなった。先日、私が子爵家を継いだ!」
ウォルターの言葉に、リシーラは足を止めて振り返った。
「え……」
まじまじと顔を見つめるリシーラにゆっくりと近づき、従兄は微笑んだ。
「もう、家に戻っても大丈夫だ。何も心配することはない。養女にはならなくても、あの家で安心して暮らせる。だから、帰らないかい?」
亡くなったと聞いても、悲しみの感情は湧かなかった。
むしろ絶対に変わらない物が動いた、ということに驚く。
「うそ……」
リシーラはつぶやいて、しばらく呆然としてしまったのだった。