4 求婚と嘘と
かなり傷が深かったせいもあって、レジェスはそのまま眠ってしまった。
その後一週間ぐらい、怪我が元で熱を出し、リシーラ達はその看病で気忙しくしていた。
でも苦労の甲斐あってか、ひどい怪我だったのに膿むこともなく、レジェスの熱も下がって行った。
外の状況に気が向いたのは、その後のこと。
クー・シー達が作ってくれた空気穴を通じて、外の喧騒が再び聞こえたからだ。
リシーラはすぐにみんなに確認した。
「火は?」
「今はついてないよ、リー」
「匂いがしそうなものは蓋をしてくれる?」
クー・シーにそう頼んだリシーラは、まだ熱でぼんやりしているレジェスの口を手で覆った。
「何……」
「敵兵がたぶん、この地下室近くにいるんです。空気の入り口からこちらの物音が聞こえるかもしれない。だから、黙って」
リシーラの指示に、レジェスも大人しく従う。
穴が見つかった場合、そこに人が潜んでいるからと何か火が付いた物を投げ込まれたり、煙で燻されたら死んでしまう。
気づかれないようにするしかない。
がやがやと話をしている声が聞こえる。
周囲は味方ばかりで、緊張する必要がないと思っているのだろう。
ドン。
と音がして、天井部と穴の方からパラパラと土が落ちてきた。
とっさにレジェスの上に覆いかぶさって庇ったリシーラは、音が聞こえなくなってもそのままの姿勢でいた。
視線をルファへ向ける。
ルファはうなずき、外の様子を見に行くため姿を消す。
ややあって、ルファが戻って来た。
「いなくなったよ」
「さっきの音の原因は?」
「どうやら、馬車の荷車部分をこの上周辺に置いて行ったみたい。繋いでいた馬から金具を外す時に、重たかったから振動が来たんじゃないかな」
「馬車……」
なんでそんなものを? この上は町はずれのはずだが。
疑問に思っていると、リシーラの下から申し訳なさそうな声がした。
「大変な状況のところすまないが、これは、良くない態勢ではないのか?」
気づけば、リシーラは完全にレジェスの上に抱き着くような形になっていた。
あまりに近すぎる距離のせいなのか、レジェスが珍しく頬を赤くしているように見える。
「ご、ごめんなさい」
「いや……庇ってもらったのはこちらだ」
いつもは人慣れしていない野良犬みたいだったレジェスも、今回ばかりはしっぽが垂れ下がっているように殊勝な態度だ。
「ところで馬車を置いて行ったということだが」
「ええ、何かわかります?」
彼なら、リシーラよりもこういうことに詳しいはずだ。
見解を聞きたいと思ったリシーラに、レジェスは言う。
「もしかすると、撤退をするつもりかもしれない」
「撤退……敵は、負けているのでしょうか?」
「目的を達成したのかもしれない。何かを持ち去るつもりだったとか、交渉が成功したとか。理由は色々と考えられる」
攻め込んだ国を滅ぼす以外にも、わざわざ大軍で国境を越える理由は沢山あるらしい。
「それなら、もうすぐ地上へ出られるのかもしれませんね」
「ああ」
うなずいたレジェスが、目を閉じて何かを考えこむ。
彼の目は、まだぼんやりとしか見えないらしい。
(その目では、もう騎士は続けられないかもしれない……)
だから、この先のことを考えて落ち込んだのだろうか?
なぐさめるべきだろうか、とリシーラは悩む。
リシーラの方は、気づけば待ちに待った十八歳の誕生日が間近に迫っている。
その日までしっかり生き残れそうなので、毎日心穏やかに過ごせるようになった。
看病をしているレジェスも順調に回復をしているし、地中に潜む生活が多少キツイのぐらいはなんでもない、という気分だ。
――だからだった、と思う。
少しぐらいは、レジェスにも未来に希望を持ってほしいと願ったのは。
「きっと生きて帰れば、ご親族も喜んでくださいますよ、レジェス様。目はここから出て、良いお医者様にかかれば良くなりますとも」
「いや、目のことではないんだ」
悩みはそれではなかったらしい。
「命を救ってくれた君に、どう恩を返したらいいかと」
「私はいいんです。仲間もいますし、今だってけっこう快適に暮らせていますし」
まさか妖精界へ行くなんて言えるはずもない。
適当にごまかしたリシーラだったが、レジェスは首を横に振る。
「いや、私が平気ではなくて。だから……こんなことは初めて言うんだが」
「はい?」
「私と一緒に来てくれないか?」
「え?」
よくわからず、思わず聞き返してしまう。
「一緒にって、どこへですか?」
「私の家で、一緒に……いやそうじゃなくて」
レジェスは一度深く息を吸って、それから言った。
「結婚してくれないか?」
リシーラはびっくりする。
まさかレジェスが、そんなことを考えるとは思わなかった。
(そんなに感謝しているのかしら? 恩に感じすぎて、結婚と言う形で一生を保証しようと思っているの?)
そしていつものリシーラなら、即答でお断りしていただろう。
でもリシーラはその言葉を言えなかった。
レジェスは、よく見えない目をリシーラに向けて、そうして唯一側にあることがわかったのだろうリシーラの手を握ると、祈るように握って自分の額を当てたのだ。
請い願うように。
「私は、貴族家の出身ではあるが、その立場を追われている。君を裕福に暮らさせてあげられるかわからない。私も君に助けられる前までは、戦場で命を落としてもどうでもいいと思っていたぐらいだ」
リシーラは驚く。
貴族出身なのは予想通りだが、あまり周囲の状況は良くないらしい。
「ただ、飢えさせるようなことはない。そして君がいてくれるなら、まだこの先の未来を進もうという気持ちになれる。君以上に、信じられると思った他人は今までいなかったんだ」
その言葉に、リシーラは心をぎゅっと掴まれた気がした。
君を大事にするとか、お城を用意するとか、そんな言葉よりも強くリシーラの気持ちを揺らした。
彼が『信じられる人』という存在を藁にもすがる思いで掴みたがっているからだろう。
リシーラも、ずっとそんな気持ちを持っていた。
妖精しか信じられない。
でも妖精と一緒にこの世界で生き続けるのは難しいし、リシーラを人間の世界に呼び戻した両親こそが最も嫌いな相手になってしまったために、この世界にも嫌気がさしてしまっている。
そんな中、初めてリシーラは、同族を発見した気持ちになった。
だから後ろめたい。
リシーラはもうすぐ解放される。
でもレジェスは、この先もそんな気持ちを抱えて生きなければならないのだ。
……リシーラが助けてしまったから。
「お願いだ。私と結婚してくれないか?」
あまりに気の毒で、申し訳なくて……リシーラは考えた。
決定的なことさえ言わなければいいだろうと。
「……わかりました」
「本当か! ありがとう!」
レジェスが感謝を叫びながらリシーラの手に口づける。
「その、出会ったばかりだから、ゆっくりと付き合う期間を設けてもいいと思っていたんだが、受けてくれて良かった」
レジェスは初めて、ほっとしたような素の表情を見せた。
うそをついたリシーラは、後ろめたさが増していく。
でも一度答えてしまったのなら、もう引き返せない。
レジェスを地上へ戻せる日まで、この嘘を貫こうと思った。