38 黒化
「私達も行こう」
リシーラはさらに人の流れに逆らった。
壁際を進んでも、慌てて逃げて来る人にぶつかることがおおかったが、やがてそれもなくなる。
そしてほとんど、廊下に人がいなくなる。
でも少し先の開け放たれた扉の向こうに、剣を持った兵士の姿が見えた。
「あそこだわ」
とてつもない振動で扉にしがみつき、収まるまで待ってから中を覗き込む。
想像していた以上に、不可思議な状況がそこにあった。
木が、窓と壁を壊して侵入していた。
けれど中に入ったのは、伸びて鞭のようにしなる枝と、木の頭の方だけだ。
「根は、地面から離れられないのね」
身を乗り出すようにしている木の姿に、そう判断する。
でも、じわじわと中に入り込んできていた。
根が床の基礎となっている石や床石をバキバキと壊しながら、ちょっとずつ前進していた。
そんな大木の前には、なぜかパトリアがいた。
くすんだ青のドレスを着た彼女は、血のついたナイフを持っていた。
そんなパトリアの前には、木の枝が絡みついて男女二人の中年貴族が拘束している。
パトリアは彼らをじっと見つめたまま動かずにいた。
(一体誰?)
わからないが、パトリアの表情から二人を恨んでいることだけは察せられた。
「ああ、死者の門を開こうとしてる」
ルファがつぶやいた。
「門?」
「あの子の足元を見てみなよ」
パトリアの青いドレスの裾のあたり。黒っぽい色に染めているのかと思ったら違ったようだ。
「ひっ」
気づいてリシーラは息を飲んだ。
黒い三角の帽子をかぶったような木が、十数本とうごめいている。気づかなかったのは、黒い煙のようなものがそこに滞留していたからだ。
黒い煙は、漆黒の色とともに床にひたひたと広がろうとしている。
「黒化した妖精が、死者を呼び出しているんだ」
ルファが教えてくれる。
「どうして? 妖精と死者に何の関係が……」
「死んだ時、縁があれば妖精界に行ける。けど……その縁が黒化した妖精だったら? そういった死者がいる世界があるんだ」
普通の妖精ではなく、黒化して悲しみと恨みでいっぱいになった妖精と共鳴してしまうと、死んでもまだその苦しみから抜け出せなくなるのか。
想像して、恐ろしさにリシーラは身震いしそうになった。
「そこから出て来た死者は、最初から黒化した妖精になってしまう。そして人を襲うんだ」
そんな妖精と戦ったせいか、広間の隅には怪我をした兵士が座り込んでいたリ、怪我の手当を受けている。
そんな彼らを庇うように立っている兵士達。
さらにその前に、赤髪の騎士とレジェスがいた。
パトリアの真正面で、抜身の剣を握っているレジェス。
彼はパトリアの様子を見守っているみたいだ。
そしてパトリアは、くすくすと笑い始める。
「滑稽でしょう、レジェス様。あなた様のご両親を殺した人間が、こんなにもあっけなく死んでしまって。しかも娘に殺されるなんて」
(パトリア嬢が、殺したの……?)
語りながら彼女が見るのは、木の枝に拘束されてぐったりとしている男女だ。
「この人達を合法的に始末する方法を探して、大変でしたわよね? だから私がしてさしあげましたわ」
うふふふと笑うパトリア。
でも視線は自分で殺したという両親に向けられたまま、レジェスを見てもいない。
その異常さから、刺激してはいけないと思ったのか、レジェスが落ち着いた声で尋ねる。
「君は……それで、何を望んでいる? 両親を生贄に捧げるつもりなのか?」
(レジェス様は慎重だわ。『便宜を図れというのか』とか、『公爵夫人の座を望んでいるのか』とか尋ねたりしなかった)
変に方向付けをすることで、違った場合にも、図星だった場合にも相手を逆上させることがある。
それをしないように、けれどパトリアの目的を聞き出そうとしているんだろう。
パトリアは優しく微笑んだ。
「いいえ。ただ、両親を止めるだけではダメなのです。公爵家ももろともに滅んでもいいのではないかと。私を助けてくれなかった全て。なくなってしまえばいいのですわ」
彼女がそう言うと、足元の妖精達が黒い煙の中から進み出てくる。
そして急成長していき、人の大きさになるとその枝を伸ばしてレジェスを攻撃した。
何本もの枝が、しなりながらレジェスに向かっていく。
レジェスは後退しつつ枝を切り払う。
(え、剣で枝ってあんなに斬れるの!?)
驚くような鮮やかさだった。
斬り飛ばされた枝が床に落ちる。
同じく隣にいた騎士も、横から来た枝を切り落とした。
「おい、お前らもっと下がれ!」
そして騎士は、背後の兵士達に指示していた。
手をこまねくしかなかった兵士達は、じりじりと怪我人を抱えて広間から姿を消した。
一方、それを見てレジェスが無事だったことにほっとしたリシーラは、次に自分ができることを考える。
妖精が関わっているのなら、たぶん妖精と話せる自分ぐらいしか、手伝うことはできないだろう。
その間に騎士が言う。
「お前も下がってろよ、レジェス」
「私が下がったら、君以外に戦える人間がいなくなる」
冷静かつ的確に答えたレジェスに、ケインと呼ばれた赤髪の騎士がむっとした顔をする。
「一応俺はお前に仕えてんの。だったら主家の坊ちゃんは逃がすのが当然だろうが」
「でも人手が足りていない」
「このお嬢さんがらみで、すでに何人か死んでるんだぞ!」
(もう死んでる人がいる?)
驚くリシーラは、続く言葉で理解した。
「最近何人か、立て続けに死んだ貴族達、みんなそのお嬢さんとの結婚話を受けたばかりだったらしいじゃないか。親族が訴えてきて、公爵夫人もお前も驚いていただろ」
「だから警備は十分に強めたが、まさか妖精が出てくるとは誰も予想してなかった。ケインだってそうだろう」
「そうだがな、公爵家も滅べと言われてたじゃないか。標的にされてるのはお前だよレジェス」
「わかってはいるんだが……。ここで逃げたところで妖精の気が済むとは思えない」
そこでパトリアが「ふふふ」と反応を示した。
「公爵家の人間がみんないなくなればいいんだわ」
「ほらな」
鬼の首をとったような顔をするケイン。
「そもそも婚約者になる気まんまんのお嬢さんだったんだ。結婚相手を紹介したら、気が済むかもしれ……!」
そこでもう一度、妖精達の攻撃が始まる。
固唾をのんで見守るしかなかったリシーラだったが、レジェス達は今度も乗り越えた。
「結婚、結婚、結婚……。私を結婚させようとする人間はみんな滅べばいいんだわ」
パトリアの目が吊り上がる。
「次期公爵と結婚できないからと、妻を虐待する男や老人、妻を奴隷扱いする人間に、金銭と引き換えに、私を嫁がせようとする人間ばかり……」
つぶやくようなパトリアの声が、不思議とはっきりリシーラの耳に届く。
そしてこうなった原因を理解した。
 




