3 妖精が拾ってきた騎士
それから地上は一気に騒がしくなった。
外の様子が知りたいリシーラのために、家の中に小さな聞き耳が建てられる細い穴を作ってもらったので、騒ぎだけは耳に届く。
沢山の人馬の足音。
争い合う剣戟の音や怒号に悲鳴。
断末魔の声に、リシーラはさすがに聞き耳用の穴をふさいでもらった。
それからは、静かになるまでクー・シー達と一緒に固まって眠る。
そんな風にして一週間が経った頃、クー・シー達はリシーラが驚くような物を持ってきた。
「ねぇ、これどうしよう?」
血まみれの騎士だった。
血がこびりついた髪は、元は白金の美しい色をしている。土で汚れているけど、顔立ちもいい。
年齢もリシーラと数歳しか離れていなさそうだ。
どう見ても、良い家出身の青年という趣だが、着ている胸鎧や衣服はそれほど高価なものには見えないのがちぐはぐだった。
背丈もあるので、リシーラの腰ぐらいまで身長しかないクー・シー達が運んで来るのは大変だっただろう。
「えっ、えええ? どうして連れて来たの!?」
驚いたリシーラに、青年を連れて来た一人であるルファが答えた。
「うーん、妖精がついてて」
「妖精が?」
こくんとうなずくルファ。
「だから拾ってきた」
「…………なるほど」
妖精は、他の妖精のことを気にかける。
いつも一緒にいたり、全員が仲良しこよし、という行動をするわけではない。
姿かたちはそれぞれでも、ゆるく同じ『仲間』と認識しているようなのだ。
だから他の妖精が困っていると助ける。
リシーラがクー・シー達に助けてもらえるのも、妖精の仲間だと思ってもらえているからだと思っていたが。
妖精に好かれている人間は、準妖精扱いなのかもしれない。
「とりあえず綺麗にしつつ、怪我を確認しないと」
「あ、致命的なのはここよ」
すかさずメギーが青年の左肩を指し示す。
元は美しい青色だったはずの衣服も、泥と血でぐちゃぐちゃになっていたので、切り裂かれた箇所が複数に見えていたようだ。
リシーラは青年の服をクー・シー達に脱がせてもらい、清拭をして、傷口だけは水で流した。
あらかじめクー・シー達が薬などを持ってきてくれていたので、それでなんとか手当をする。
その間に、メギーがどこからか男物の衣服を見つけてきてくれた。
「あら、父の物だわ。まだあったのね」
敵国が町までやってきた時、館の中も荒らされ、金目の物は全て盗られたと思っていた。
クー・シー達とがんばって着せてみたが、青年はリシーラの父より手足が長いので、手首や足首が見えてしまっている。
それでも清潔な服を着せ、怪我に薬を塗る。
ただ肩の傷が、まだふさがっていなさそうで不安になる。傷口が広すぎるのだ。
「縫ったらどう?」
メギーに言われて、リシーラはびっくりした。
「糸と針で!?」
「だって常時くっつけておいた方が、より早く傷がくっついて血も出ていかないでしょ? だけどずっと誰かが押さえているわけにもいかないし、押し続けるのも良くなさそうだし」
「僕がやろっか?」
「イータなら器用だからいいんじゃない?」
それでイータが青年の傷口を縫うことになった。
せめてと、なるべく細い針と糸を用意して、強いアルコールに浸してから渡す。
リシーラは縫いやすいように青年を支えるため、体を起こした青年を前から抱きしめた。
イータは慎重に縫い始める。
しびれ薬を塗ったし、青年は気絶しているし、起こしてもぴくりともしなかったので大丈夫かと思ったが、ややあって、さすがに傷みで起きたようだ。
「んぐっ!」
舌を噛まないように畳んだ布を口に含ませていたので、くぐもったうめき声をあげる。
相当痛いのだと思う、とてつもない力で体を締め上げられて、リシーラも悲鳴を上げてしまう。
「治すためだから!」
イータが端的に状況を教えようとした。
「あとちょっと!」
「我慢したら治るわよ!」
ルファやメギーも青年に状況を教えつつ、リシーラが圧迫死しないように青年の腕を抱えてくれる。
痛みの中でも、クー・シー達の声は聞こえたのだろう。
青年はなんとかこらえようとしてくれたので、リシーラはあばらを折られることはなかった。
痛みを緩和できないかと、そのまま彼を抱きしめ続ける。
その時間は、さして長くはなかった。
イータは本当に手早く縫うのを終えて、少し麻痺させることで痛みをやわらげる薬を傷の周辺に追加した。おかげで、青年も落ち着いたのか腕の力を抜く。
「もういいよ、寝かせて」
イータの指示で、青年を横たわらせる。
青年も意識はあるようだったが、怪我をしたことと治療されたらしきこと以外はよくわからなかったのだろう。
「ここ、ここ、は……」
「まず先に、水を飲んで」
メギーが折よく水を持ってきてくれる。
水を飲んで青年も少し周囲に注意を向ける気持ちが出たようだ。
「ここは、どこだ? くそ、よく見えない……」
苛立たし気に、手で目を押さえる青年。
頭に怪我をしている様子はないけれど、強く打った場合も視力を失うことがある。そういう理由で見えないのかもしれない。
リシーラはほっとする。
周囲にいるのは妖精ばかりだ。その様子を見られたら、何を言われるかと思っていたので。
だから落ち着いて質問に答えることができた。
「あなたが倒れていた町の、地下室です」
「地下室……。お前は、この町の生き残りか?」
「そうです」
彼の言い方から、逃げ遅れた町の人はみんな死んでしまったのだとリシーラは悟る。
同時に、そんな町に置き去りにした父や母の、自分への憎悪を改めて感じた。
嫌いなだけではない。
あわよくばそのまま、自分以外の手でいなくなって欲しいと願ったのだ。
妖精界へ行くために、あの家での生活を我慢してきたけれど、今更ながらに怒りが湧く。
――そんな風に扱うなら、どうして私を妖精界から取り戻したの。
――嫌うのなら、いっそ妖精界へ戻してほしかった。
湧き上がる恨み言をリシーラは心の底に押し込める。
今、目の前にいる青年はリシーラの事情など知らないのだから。
「ところで、あなたは? 騎士様ですか?」
青年の素性を知っておきたいと思って尋ねると、疲れた声で応じてくれる。
「セレンディア王国の騎士、レジェスだ」
「とりあえず、このまま療養して、怪我を治してください。その間に、セレンディア王国軍が敵軍を押し返してくれるかもしれません」
せめてこの町の近くまで、セレンディア王国軍が来てくれればリシーラは脱出できる。
レジェスも、その時には外へ出られるだろう。
「ところで君は……?」
レジェスの問いに、名前を聞かれたのがわかった。
リシーラは名乗ろうとして、とっさに言葉に詰まる。
知り合うぐらいの簡単な関係なら、躊躇はしない。
だけど……。
(もし、クー・シー達のことに気づかれたら。私の名前をチェンジリングだと言って回るかもしれない)
警戒したリシーラは、ごまかすことにした。
「リーです」
平民の女性なら、こんな風に簡素な名前の人もいたはずだ。
あまり本名から遠い名前にすると、クー・シー達がリシーラを呼ぶ時に間違ったりしやすくなるし、ここが落としどころだろう。
目くばせすると、察してくれたらしいルファやイータ、メギーもうなずいてくれる。
一方のレジェスは、名前をそれで認識してくれた。
「リー。あらためて助けてくれて感謝する。しかし救援など来るものかな……」
自嘲気味な笑いをもらすレジェスの様子に、彼のいた部隊の最期が悲惨なものだったのだろうとリシーラは想像する。
「それでも、治さないと生き延びられないですから」
やや強い口調で言うと、レジェスは驚いたように口をつぐむと、うなだれたのだった。