23 助けてくれたのは……
「なんでこんなところに!」
リシーラは慌てて走る。
イータが側にいてくれたので、妖精の力で助けてくれるけど、それでも少し足が速い人になった程度だ。
「妖精じゃないから、こんな時にも逃げられないなんて!」
もしリシーラがすでに妖精になっていたら、空間を移動して一瞬で逃げられたはずだった。
だけど人である以上、筋肉が悲鳴を上げても、息が切れそうになっても、重たい肉体を動かして必死に逃げるしかない。
そうしてなんとか対岸の山の中に駆け込んだ。
けれど襲撃者もかなり訓練された人間なのだろう。
走っても走ってもまだ追いかけてくる。
「うそ、なんで私なんかを!?」
「恨んでるみたいだ」
リシーラの横にぴったりとくっついて並走するイータが言う。
「恨んでいる気持ちが見えるよ」
「仲間を倒したから? そもそも人を殺す依頼なんて受けなければいいのに!」
ただ走って逃げる間に、急に雨が降って来た。
それだけでも疲れていた足には不利だった、踏み込んだ土が滑る。
「あっ!」
転んで倒れ込んでしまった。
走るのに邪魔だったから弓は捨ててしまっていた。リシーラの力では、あんな重たい物を持っていたら全力で走れないからだ。
でも疲れきって、足に力が入らない。
襲撃者はどれくらい離れているだろう。
もう少し時間があればと思って振り返れば、もうすぐそこで、剣を振りかぶっていた。
枯草色の布を巻き付けた襲撃者の顔で、唯一露出している目が物を見るようにリシーラへ向けられている。
頭の中が真っ白になった気がした、その瞬間だった。
横殴りの黒い風に、襲撃者が吹き飛ばされたように見えた。
視界から消えた襲撃者を追いかけて、風のように走り込んできた人がいた。
彼は不意をついた襲撃者を、そのまま剣で貫く。
それきり、襲撃者は動かなくなった。
一方の襲撃者を倒した彼は、剣を引き抜いて血を相手の服で拭ってから鞘に納め、リシーラの方を振り返る。
「リシーラ……ミゼル子爵令嬢、ですね」
助けてくれたのは、レジェスだった。
目の前にいることが信じられず、自分が助かったことも夢の中のことみたいで、リシーラは返事もできずに呆然とする。
さやさやと本降りになり始めた雨の中、レジェスの白金の髪が濡れて額にはりついている。
それでも濃青の上着に黒のマントを羽織ったレジェスの美麗さは、一つも損なわれていなかった。
「大丈夫ですか? どこかお怪我を?」
レジェスが近寄り、リシーラの側に膝をついた。
「打ち身などがありましたか? よろしければ、お運びしても?」
「あの、はい……」
どう言っていいのかわからず、リシーラは返事だけはした。
するとレジェスは自分のマントにくるむようにして、リシーラを抱えあげる。
「え、あの、歩けます!」
驚いたリシーラだったが、レジェスは離す気はないようだった。
「足元が悪いですから」
そう言ってレジェスは歩き出してしまう。
力強い腕に支えられながらも、自分の足で立つのとは違う感覚に、リシーラは思わず怯える。
体を縮こまらせたせいだろう。
「どこか痛みますか?」
レジェスに気遣われて、自分の状態の説明もしていなかったと思い出した。
「痛くは……ないです」
意図せず、ガラガラとした声になっていた。
緊張で息をするのも忘れていたからかもしれない。でもリシーラの声はごまかせただろう。そこだけは良かった。
館へと戻る道の途中、リシーラは周囲を見回す。
いつの間にかイータの姿はなかった。
姿を消しているだけだろうかと思っていると、レジェスが話しかけて来た。
「あなたは勇敢な方ですね」
「いえ、そんな……」
「でも、わざわざ私を、弓で助けてくれました」
(あの行動を、見られていたのね)
気づかないと思っていたのに、悔しいとリシーラは思ってしまう。
さてどうごまかそう。リシーラは悩みつつ応じた。
「ええと。まぐれです。たまたま川辺まで怖くて逃げてきたら、そこに弓があって、離れた場所でレジェス様が襲われていて……」
三つもこんな事象が重なると、さすがに作り話っぽくなってしまった。
でもレジェスは追及しなかった。
「そうだったのですね。でも、弓で加勢してくださったのは確かなことですし、感謝しているのも間違いありませんから」
助けてくれたことだけに、注目してくれたようだ。
良かった……と思いつつ、リシーラはぼそぼそ声で謙虚にしてみせる。
「以前、お話してくださった、レジェス様が求婚された方ほどではございません。私だったら、戦乱の中で人を助けたりできるかどうか」
さりげなく別人ですよと、釘を刺しておく。
するとレジェスが言った。
「求婚した相手も、偶然私を助けたのでしょう。初めの頃は怪我人を拾ってしまったから、仕方なく面倒を看てやったというのがわかる対応でしたし。私の方も、助けてもらったことが最初はわからず、ひどい反応をしましたから仕方ないのですが……」
彼の視点からの話に、リシーラは今更ながらに(それは、心に残っても仕方ない)と納得してしまう。
でもリシーラは名乗ることができない。
「早くその方が、見つかるといいですね」
他人事のように反応しなければと思ってそう言ったのに、なんだか心が痛い。
そんな風に、自分を賞賛してくれる見ず知らずの異性に、出会ったことがないからかもしれない。
だから惜しいだけかもと自分に言い聞かせたのに……。
「でも、もっと良い人を見つけたかもしれません」
レジェスがそう言って、リシーラの頬に触れる。
「え、あの」
もっといいって、まさか。
真っ青になるリシーラに対し、レジェスは少し寂しそうな表情をして、急に話題を変える。
「ああ、館が見えてきました」
言われて見てみると、遠く、木立の間に館と、こちらへ走って来る兵士の姿があった。
ややあって館へ帰りついたリシーラは、それ以上何かをレジェスに問うこともできないまま、家へ帰ったのだった。




