17 パトリア嬢の異変
妖精だから多少は姿を変化させられるので、今は本物の犬らしい状態だ。
離れた場所にいたら、イータだと気づけなかったかもしれないぐらいに。
(あ、ばれちゃった。リシーラがどんなことしてるのか気になっちゃって。犬がいっぱいいたから混ざってみたんだけど)
リシーラの保護者のつもりでいてくれるクー・シー達は、たまにこうしてリシーラの様子を見守りに来てくれる。
「ちょっとあの黒髪の子を、驚かせてくれる?」
あんなことをしているパトリアだが、彼女も大きい犬には慣れていないようだ。
転んだ赤毛の令嬢の心の傷に見合うのは、犬に驚く姿をさらしてしまうことだろう。
(いいよ)
一つ返事でイータはパトリアに駆け寄る。
「あらワンちゃん。ちょっとそんなにはしゃがないで?」
イータにじゃれつかれたパトリアは、ひきつった笑みを浮かべながらもパトリアは余裕そうなふりをする。
犬はそれほど好きじゃないのかもしれない。
だけど公爵夫人に犬嫌いだとは思われたくなくて、笑顔を保とうとしているんだろう。
じわじわとイータから逃げようとして、近くのテーブルにぶつかり、ティーカップを落として、中のお茶がかかってしまう。
「あっ」
熱くはなかったようだが、袖が濡れてしまってお茶が染みて変色している。
もちろんティーカップは落ちて、割れる音が鳴り響いた。
「何事ですか?」
もちろんすぐにやってくる公爵夫人。
犬にびっくりしたとは言えないパトリアは、なんとかごまかそうとしていた。
「すみません。少しよろけてしまって」
おほほほと笑うパトリアに、公爵夫人は「お気をつけてね」と言って遠ざかることにしたようだ。
メイドが集まって来て、割れたカップを片付け始める。
そんな中、リシーラは袖を隠すようにして、拭く布も要求しないことを不思議に思った。
濡れたままでは嫌だろうと、ハンカチを取り出して、じりじりとテーブルから離れていくパトリアを追いかけた。
「濡れていらっしゃいますよ。ハンカチをお貸ししましょう」
「えっ、ちょっ、気にしないで!」
「でもお茶が滴ってスカート部分も……」
袖がかなりお茶をかぶったのか、ぽつぽつと雫が落ちている。
「い、いいわ。絞れば……」
パトリアは慌てたように袖を絞ろうとした。
そうすると手首から上が見えてしまうのだが……。
傷が見えた。
「鞭の痕?」
見覚えのある傷に、思わずつぶやいてしまった。
はっとしたように、パトリアがリシーラから離れる。
「こ、このことは他言無用でしてよ!」
怒ってそう言うと、パトリアはリシーラから離れて逃げて行った。
残されたリシーラは呆然とする。
思わず脳裏に、両親から鞭打たれた時の記憶が蘇ってしまったからだ。
「……貴族令嬢って、あんな風に鞭打ちされるもの?」
従兄のウォルターは、リシーラから鞭打ちの話を聞いて、自分の父からリシーラの父に抗議させていた。
その時の会話を聞いていたのだが、貴族令嬢が鞭の痕などつけていたら、他家の人間からどう思われるか、と言っていた。
子爵家は娘を家畜のように扱っていると噂されてしまう、と。
ウォルターの父がそのことを気にしたわけではないようだが。見栄を気にするリシーラの父は、それで鞭打ちを禁止してくれた。
だから、貴族令嬢が傷を残しているのは良くないことだと思っていたのに。
(大丈夫……?)
呆然としていたせいだろう。近くにいたイータが、心配して寄り添ってくれる。
そんなイータをしゃがんで抱きしめ、リシーラは驚いた理由を話した。
「今の令嬢、腕に鞭の痕があったの。貴族令嬢にあんなことをするなんて、家族か家庭教師ぐらいしかいないんじゃないかしら。他の使用人がそんなことをしたら、発覚した時に解雇どころではなくなるもの」
(リシーラは、昔の自分みたいにいじめられていないか心配になったんだね?)
イータに言われてうなずく。
(じゃあ、あの娘にくっついてた妖精に聞いてきてあげるよ。リシーラと同じような目にあった子なのかどうか)
イータはそう言って、ぱっと離れていく。
その後、リシーラはなんとなくパトリアのことを気にしつつすごした。
パトリアの方も、鞭の痕のことを話されていないか気になったのだろう、時折リシーラを横目で確認しているようだった。
そしてお茶会が終わる頃、イータがリシーラの元に戻って来た。
(あの子は、父親に鞭で打たれたみたいだ)
やはり、とリシーラは思った。




