11 レジェスの事情1
その日、レジェスは朝から不機嫌だった。
最近ようやく彼を見て頬を染めなくなった若いメイドは、びくびくしつつお茶を出すと逃げていく。
従僕達も距離をとっている有様だ。
そんな中、平然と一緒にお茶を楽しんでいるのはつい先日、公爵家の騎士になったばかりのケイン・ザーラントだけだった。
「いやぁ、やっぱり公爵家の騎士になって良かったなぁ。おいしい紅茶を毎日楽しめるし、仕事している最中に飲めるのが最高だ」
「…………」
「お前が公爵家で雇うと言ってくれて良かったよ。すっごく感謝してる。おかげでわけのわからん王宮の人間関係の間に挟まれて、俺の小鳩のような心臓がきゅうきゅうと締められることもなくなったしな」
ケインが感謝しているのは本当だろう。
レジェスが怪我をして寝込んでいる間、敵軍と戦った軍の中で功績を上げたケインは、騎士として最高の称号を得た結果、王宮騎士としての立場を打診されていた。
しかしケインは、王宮の全ての行事に出席の義務があったり、謁見に限らず常に国王の側について回る仕事を心底嫌がっていたのだ。
自由人気質のケインには、とんでもない苦行に思えたのだろう。
泣きつかれ、レジェスが公爵家の騎士にと招き、ケインはこれ幸いと飛びついたのだ。
「…………」
そんなケインだからこそ、レジェスの叔母の願いを聞いて、レジェスの気分を盛り上げようとしているのはわかっている。
だが、差し向かいに座るレジェスは、話すのもおっくうだった。
ケインがためいきをつく。
「お茶会に出席するって決めたのはお前だろう、レジェス。だから会場に近いここで時間まで待機してるんだろうが。諦めて不機嫌になるのはよせよ」
「……諦めてはいない」
「は?」
お茶会に参加するのが嫌で、しかめ面をしていると思っていたらしいケインは驚く。
そんな彼に、レジェスは今考えていたことを告白する。
「私は今、お前を生贄にして逃げる方法はないかと考えている」
「諦めが悪すぎだっての……お・ま・え・の・パーティーだろ!」
「望んでいない」
「だぁって、お前、結婚しないと後継げないだろうが!」
結婚し伴侶がいる者が、貴族家の跡取りになれるという慣習。
病で貴族家が減ったことなどから、各家が自然と跡継ぎを儲けられる人間を選ぶようになって以来、根付いた物だ。
今でもその考えが根強いこともあって、レジェスも結婚そのものには反対していなかったのだが。
レジェスはきっぱりと言う。
「結婚する相手は決めている」
「でも見つからないだろ」
指摘されて、レジェスは思わずむっとした顔になった。
「……探しているんだ。約束したから」
「だってよー。あんな小さな町。三か月もしらみつぶしにしたのに見つからないんだろ? どこかへ行ったんだろうし。そもそもお前、捨てられたんだろ」
ズバズバ言ってしまうケインに、ますます不機嫌になるレジェス。
「でも、実在するんだ。そしてたぶん、貴族の娘だと思う」
「お前の叔母さん……公爵夫人が、それ聞いて人を集めて捜索してくれただろうが」
「だが、移動したのかもしれない。それに貴族家にあちこち聞いて回れるのも、公爵家とつながりがある家の人間ばかりだ。それでは見つからないだろう」
「まーそれでもさ。一応、この婚約者選びの中で一人は選んで体裁をつくろっとけよ。公爵夫人の顔も立つ。出席した令嬢の家の面目も立つ。だけど改めて一対一で付き合ってみたものの、相手の家にもっと良い結婚相手が現れた……ってことにした方が、丸く収まるだろ。……時間を稼ぎたいならな」
そう言われて、レジェスはため息をついた。
わかってはいるのだ。だからお茶会への参加を了承したのだから。
その時、扉を叩く音がした。
時間ですというメイドの声がする。
しぶしぶながらも立ち上がったレジェスは、部屋の外にいた従僕とケインを連れて庭へ出る。
やがて女性達が集まる会場が見えてくる。
「可愛らしい子ばっかりじゃないか。女の子が沢山いるのは、華やかで見ているだけでも目に優しいな」
ケインには花々が笑いさざめていているように映るらしいのだが、レジェスはやっぱり気が乗らない。そして断る気満々なのだから、つまらなさそうな顔を隠す気もしなかった。
「レジェス、あの子なんてどうだ? けっこう綺麗じゃないか」
騎士の同僚として、見習いの時から長い付き合いがあるケインは、雇い主であろうとレジェスを呼び捨てにする。
それができるように、公爵家のお抱え騎士として雇ったのだから、レジェスもそれでいいのだが。
「分家の娘だな。本家を乗っ取るために結婚相手を選べとせっついてきたのが、あの娘の父親だ。叔母様はなぜあの娘を参加させたのか……」
黒髪の令嬢は……確か名前がパトリアといったか。
公爵家の館で暮らすことができた幼少期は、彼女と仲良さそうにしてはいたが。
(彼女の親が、敵だからと思っただけだ……)
自分の両親を、そして自分自身を敵視しているのは感じていた。
だからこそ、寄ってくるパトリアを拒否しきれなかった。
娘が好いているのなら、彼女の親はレジェスに危害を加えにくいだろうと思って。
しかし十年も過ぎた今になってもまだ、あれが純粋なレジェスの好意だと思っているパトリアを選べるわけもない。
公爵夫人としての役目だけで選ぶにしても、盲目になり過ぎては使えない。
そうレジェスは判断していた。
ケインの方はめげずに他の令嬢を勧めてくる。
「あっちの子は? 華やかな感じだし、裕福そうだし、公爵家に金の無心はしなさそう」
「上辺だけとりつくろっているだけだ。夫人の浪費で火の車になっている家だから、結婚後に我が家に無心してくるのが目に見えている」
教えてやると、ケインは「あー」とうめく。
それでも彼はくじけない。
「じゃああっちの子は? 質素みたいだし、主張も強くなさそうだし、でもそこそこ可愛い」
指さした先にいたのは、薄茶色の髪の女性だった。
髪も上半分だけ結って、ささやかな黄水晶の花の髪飾りをつけている。ドレスの色も、赤やピンクに黄色のドレスの令嬢達の中では目立ちにくい、うす黄色と茶のチェック柄のドレスだ。
招待されたお茶会に失礼のない程度には華やかに思えながらも、目立つ気がないとわかる色の選び方だ。公爵家と取引きがある家の娘だろう。
「人数合わせで叔母上に呼ばれたんだろう。そもそも……彼女ではない」
言い切るレジェスに、ケインがため息をつく。
「まぁ、見つかるといいよな。俺だってそうは思ってるんだよ。だがな……次善の策のために、相手になるかもしれない人物の人となりを、今から把握してもいいだろう?」
レジェスは自分の表情が渋くなっていくのを感じた。
見つからないと思いたくないからだ。
「割り切れよ。公爵家を継ぐって決めたんだろう? たとえ命の危険を回避するためだったとしても」
「…………」
無言のままのレジェスだったが、ため息をつく。
招待してしまったのだから、後継者として礼儀だけは守らなければならない。
それはわかっている。自ら公爵家の状況を悪くしたいわけでもない。
「婚約はしないが、その伝手で彼女が見つかるかもしれないからな」
理由を付け加えて、納得することにした。
ケインがにかっと笑って背中を叩いた。
「ほら、行ってこい。一応一言ずつは返事をしろ」
見送るケインは、気の毒そうな表情をしていた。
レジェスが嫌がっているとわかっていても、送り出すのが正しいからだろう。
公爵家の後継者としてここは避けて通れないし、レジェスの身を守ることになるから。
レジェスも理解はしていたが、どうしても気持ちが動かないのだ。




