1 再会するとは思いませんでした
新しい連載始めます、よろしくお願いいたします。
繊細な白壁の館を背景に、黄色や赤の薔薇が咲き乱れる広い庭。
まさに貴族の庭園という光景の中心には、いくつもの白いテーブルと椅子が置かれていた。
席には色とりどりの華やかなドレスをまとった令嬢達が座っている。
彼女達を見渡せる場所に立っているのは公爵夫人だ。
公爵夫人の隣にいるのは、背の高い二十代の青年。
少し長めの白金の髪の彼は、金緑瞳を細め、やや鋭い視線で令嬢達を眺めている。
表情も固く、およそお茶会にはふさわしくない。
それでも『女性の理想が絵から服を着て出て来た』容姿の彼に、令嬢達は目を奪われていた。
身に着けた白に金糸の上着も、深い紫の装飾用だろうマントも、豪華なのに顔立ちが負けていないどころか、青年の容貌を引き立てているくらいだ。
リシーラがそっと彼から視線をそらした時、公爵夫人が青年を紹介した。
「こちらは我が甥のレジェスです。騎士としてつい数か月前の国境戦にも参加しておりましたせいか、少し無骨なところはございますけれど、よろしくお願いいたしますね」
そして紹介された青年、レジェスはむすっとした表情のまま一言。
「よろしく」
本当に素っ気ない挨拶だった。
令嬢達は想定外だったらしく、目を丸くしている。
この場に令嬢達が集められたのは、このレジェス青年の結婚相手を選ぶためだったからだ。
みんな公子が「多少なりと結婚したいという意思があるだろう」と思っていたはずだ。
ただ、ちょっとは令嬢達よりも熱量が少ないことは予想していたと思う。
容姿も良いと評判の公子なら、黙っていても結婚したがる人はいるだろうし……と。
でもここまで素っ気ないのは想定外だったに違いない。
そんな中、リシーラはなるべくうつむいていた。
とにかく彼と目を合わせないようにしたい。
「こんなところで出会うなんて……」
リシーラにとっては、『アルシオン公爵家』の公子が見知った人物だったことが想定外だった。
(まさかでしょ? 騎士だって言ってたのに、助けた相手が公子だったとか、そんなおとぎ話みたいなことあるかしら?)
それは数か月前の国境での戦いで起きた出来事。
そこでレジェスと、リシーラは出会ったのだ。
※※※
その日、がたがたという音で目を覚ました。
まだ夜明けだったみたいで、暗い。
もう一度眠り直したかったけど、今はだめだ。
(何か嫌な感じがするわ。一体何があったか確認しないと)
数日前、セレンディア王国の端にある湖水地方の避暑地へ、めずらしく同行させられた。
それは父が去年避暑に行った時に、他の貴族から『いつも娘さんは同行していないようですけど、何か悪い病気なのですか?』と嫌味を言われたからだと聞いている。
だから両親は、「娘は病気ではない、家から出たがらないだけだ」というのを見せるためだけに、リシーラを同行させたのだ。
あげく、昨日は疲れのせいなのか、母の虫の居所が悪かったらしい。
『あなたなんて本物の娘のようなふりをしているだけでしょう! 返しなさいよ娘を!』
『やめなさいナーシャ! 魔術師に頼んでまで取り戻したんだぞ!』
『騙されたのよ! わたくし達が見ていないところで、また妖精と話してたわ! このチェンジリングは!』
チェンジリング。
七歳の娘がいるはずのベッドの中を見たら、知らない妖精の子供がいたという経験をした母は、それ以来心を壊していた。
しかし魔術師を雇ってリシーラを取り戻したものの、母の猜疑心は元に戻らなかったのだ。
戻ったリシーラを疑い、追い出そうとして叩くのは日常茶飯事。
そんな経緯があるから、置いていかれるのはいつものことだけど。早朝から外出する必要などないのに。
部屋を出たリシーラが目撃したのは、エントランスに積まれた荷物と、それが運び出される様子。
さらに、多少乱れつつも外出の支度をした両親の姿だ。
「あの、お父様、一体……」
自分を置いてどこへ行くつもりなのか。
そう尋ねたとたん、母が叫んだ。
「チェンジリングがまた娘の真似をしているわ! 早く閉じ込めて!」
「わかったわかった。こっちへ来なさい」
慌てた父と従僕が、苛立った様子でリシーラの腕を掴んで引っ張る。
「何? 一体どこに……」
「黙って来なさい」
父の有無を言わさぬ物言いに、リシーラは早々に諦める。
こうなると何を言っても無駄だ。
大人しく従うリシーラを連れて、父は使用人用の通路脇にある扉の向こうへ。
そこは倉庫だった。
従僕が床の隅にある床扉を開けると、ぽっかりと穴が開いていた。
その向こうは、地下倉庫になっている。ワイン樽が二つ三つ置かれていた。
リシーラはそこに入るよう指示され、その通りにする。
父はため息まじりに言った。
「本当はこんな風にはしたくなかったが……。お母さんは、お前を連れて行くと錯乱してしまう。それでは逃げる途中で、ロヴァール国の兵士にすぐ見つかる。だから置いて行くが、地下室なら見つからずに済んで、生き残れるかもしれん」
説明ともつかない話の内容に、リシーラは目を白黒させた。
「ロヴァール国? 兵士に見つかる? どういうことですか」
「今、ロヴァールの兵が国境に攻撃を加えている。国境の砦が落ちるのも時間の問題だ。だから逃げることにした」
「なのに私を置いていくんですか!?」
「それぞれが助かる可能性を上げるためだ。お前だって大声で騒ぐお母さんと一緒では、敵兵に見つかって殺されてしまうだろう」
そう言った父の目は、路傍の石を見下ろすように冷めている。
「ここに閉じこもっていた方が、見つからずに生き延びられるかもしれない。ではな」
父の指示で、従僕が嫌そうな顔をしながら地下への扉を閉める。
一気にリシーラを暗闇が取り巻いた。
そんな中、扉の上に何か重いものが引きずっておかれた音、去っていく足音がする。
「え、私、邪魔だから置いていかれたってこと?」
理解できてくると、体に震えが走った。
「……私のことをそうと認めていなくても、『リシーラのよすが』だから殺しはしないと思っていたのに」
チェンジリングを殺すと、本当の子供は戻って来ない。
だから母は、リシーラを妖精だと思っていても、殺そうとはしなかった。家から追い出そうとはしなかった。
けれど今、そんな暗黙の了解も破られてしまった。
「死んでもいいと、思われたのね」
ちょっと悔しいが、それよりもずっと悲しいことがある。
「あと一か月だったのに……」
十八歳を過ぎたら、リシーラは家を離れられるはずだった。
お金をためて家出するのではない。
十八歳になるまで家族から受け入れられず、結婚をしていなければ、妖精の世界へ迎えてくれる約束をしているのだ。
あれはもう十一年前。
七歳のリシーラはチェンジリングで妖精の世界へ行った。
幻想的な空を魚が泳ぐ世界と、時に現実的な村や町もある不思議な場所が混在する妖精界。
そこに一人で放り出され、泣いていたリシーラは、気づいて保護してくれた女王とその配下の妖精達の優しさに、思った以上に快適に過ごせていた。
そもそも実母と実父は、それほど子供を愛情深く育てているわけではなかった。
乳母にほとんどを任せて、週に一度顔を見せるだけ。
だから妖精界の女王達はとても優しくて、幸せだったのだ。
そんな話を聞いた女王に、リシーラは言われた。
『お前が望むなら、十八歳の成人の日まであちらの世界との結びつきを強めなければ、妖精界へ迎えてあげよう。そのためには結婚はしてはならないよ』と。
元の世界に戻った後、母に受け入れられることのない日々。それどころか、疑われ、暴力を受ける度に妖精界へ行く気持ちが強くなった。
だから、優しい年上の従兄夫婦と養子縁組の誘いがあっても、断った。
――新しいつながりができると、妖精の世界へ帰れないかもしれないから。
でも死んでしまっては、元も子もない。
「どうしよう、まだ死ねないのに……」
あと一か月だけ、どうにか生き延びなければ。
そう思った時、声が聞こえた。




