03. 破られた手紙
次の日の授業終わり、アリスティア魔法学園の長い廊下には、明るい春の日差しが差し込んでいた。そこを、紺色の学生ローブを着たフェリエッタが歩く。
「はぁ……。」
その表情は暗く、どこか浮かない顔をしていた。手元に抱えている自分の課題レポートを見つめると、彼女は肩を落とす。
「今日は階段でつまづいたり、授業に遅刻したり、朝から散々だったなぁ。」
フェリエッタが机の上で目を覚ました時には、遅刻寸前の時間だった。慌てて部屋を飛び出した彼女は、小さな段差につまずいてしまう。
「……わっ、きゃあ!」
手に持っていたレポートが宙を舞い、盛大に転ぶ音が廊下に響いた。通りがかった生徒たちは、その光景を横目に見てクスクスと笑いだす。
「あれって、例の五級学徒かしら?……相変わらずなのね。」
「全く、落ちこぼれはどこでも落ちるものね。」
遠くから聞こえてくる嘲り声に、フェリエッタの顔が赤くなる。涙を必死に堪えながら、床に散らばったレポートを拾い集めたのだった。
朝の出来事を思い出したフェリエッタは、つい小言をこぼしてしまう。
「……それに、ジョシアさんもお礼、言ってくれなかったし。」
遅刻しそうなフェリエッタが、息を切らしながら完成したレポートを渡すも、ジョシアは特に感謝の言葉もなく、まるで当然のように奪い取ったのだった。
「……ホント、私が寝坊してるのが分かってたんだから、部屋に受け取りに来てくれても良かったのに――」
フェリエッタが、小さく呟きかけた時である。
「あら。あんた、授業にはちゃんと出席は出来たようね。」
突然、背後から投げかけられた声に、フェリエッタはびくりと肩を震わせた。
フェリエッタが振り向くと、そこにはジョシアが立っていた。彼女の綺麗に整えられた金色の髪が春の温かい風に揺れている。
「ジョ、ジョシアさん……!」
「まあ、あんたのことだから、どうせ遅刻でもしたんでしょうけどね。」
彼女が慌てるフェリエッタを見て冷ややかな笑みを浮かべると、その後ろにいる取り巻きたちもニタニタと薄気味の悪く笑った。
「ど、どうかされましたか……?もしかして渡した課題に何か――」
「別に課題はいいのよ。あんたとちょっと“お話”したいことがあるの。」
フェリエッタの言葉を冷たく遮ったジョシアが、ニヤリと口元を歪ませた。その笑みを見た彼女は、何か嫌な予感を感じざるをえなかったのだった。
フェリエッタが呼び出されたのは、アリスティア魔法学園の廃棄寸前の旧校舎だった。その外観は、ところどころ剥げてしまい、全体がコケに覆われている。
そこは、何とも不気味な雰囲気を纏っていた。
地下に熟練の魔法使いでも倒すのが難しいほど凶暴な魔物が、実験用に隔離されているという噂も流れているほどだ。
「こ、こんな場所に、杖を持って来いだなんて……。」
怯えた声で呟いたフェリエッタは、マザー・トマシーナから貰った大事な杖をぎゅっと抱きしめた。
恐る恐る中に足を踏み入れたフェリエッタは、ひんやりと冷えた空気がすぐ横を通り抜けていくのを感じる。
埃と湿気が充満する通路を進んでいくと、やがて重厚な扉が現れた。かつては旧校舎の広間が会ったはずの場所だが、今ではすっかり廃墟と化している。
「ここ……だよね?」
フェリエッタが喉の奥で小さく呟くと、深呼吸をして震える手で扉を押す。
――ギィィィ……
耳障りの音が響き、大広間の扉が開く。
ホールの中に入ったフェリエッタを待っていたのは、広間の中央に立つジョシアと、その取り巻きたちの姿だった。
「ふふっ、やっと来たのね。待っていたわよ。」
ジョシアの周りを取り巻きたちがクスクスと笑いながらこちらを見つめる。――それは、まるでこれから始まる“余興”を心待ちにしているようだ。
「な、何のつもりなんですか……?」
「何って、言ったでしょ?あんたと、ちょっとお話がしたいのよ。」
ジョシアは残酷な笑みを浮かべると、手に持っていた一枚の紙をひらりと広げた。
――それが何かを理解した瞬間に、フェリエッタの顔から血の気が引く。
「そ、それ、私の……手紙……?」
「そうよ、あんたの故郷から送られた“愛しいお手紙”よ。廊下に落ちていたから、拾っておいてあげたわ。なかなか面白いことが書いてあるじゃない。」
ジョシアの声には、嘲笑が滲んでいる。
「なになに?……『たくさんの友達と楽しい時間を過ごしているみたいで、私も嬉しく思います。』……ははっ!」
ジョシアは馬鹿にするように誇張した口調で手紙を読み上げると、吹き出したかのように笑い始めた。
「友達?あんたみたいな落ちこぼれに友達なんているわけがないじゃない!」
「や、やめてください……それ、返してください!」
フェリエッタは顔を赤くしながらジョシアに向かって手を伸ばすが、取り巻きたちに肩を掴まれると、そのまま地面へと押さえつけられてしまう。
「んっ……!!」
硬い床にうつ伏せに叩きつけられ、フェリエッタは身動きが取れなくなる。
「まあまあ、そんなに焦らなくても、続きを読んであげるわ。」
ジョシアは床に転がるフェリエッタを見下すと、胸の前に手紙を広げた。
「『成績も順調に伸びていると聞いて、誇らしいです。』……くだらない嘘ね。こんなのに騙されているマザー・トマシーナとやらも、哀れよね。」
取り巻きたちが冷笑する声が、フェリエッタの耳に突き刺さる。彼女には、涙をこらえながら唇を噛みしめることしかできなかった。
「や、やめて……返してください……。」
「何言っているの?ここからが一番面白いのよ。」
ジョシアはわざとらしく咳ばらいをすると、もう一度手紙に視線を落とす。
「『あなたの小さい頃からの夢だった“至高の魔術師”になれる日が、きっと訪れることを私は願っています。』……ですって!」
ジョシアが声高らかに手紙の一文を読み上げた瞬間に、彼女たちの大きな笑い声が広間の中に響き渡った。
「これを書いた奴は、あんたみたいな落ちこぼれが本当に“至高の魔術師”になれると思っているのかしら?……だとしたら滑稽よね。」
「……あっ!!」
ジョシアは冷たく笑みを浮かべると手紙をクシャリと握りつぶす。それを無造作に足元に落とすと、彼女は軽蔑するように見下ろした。
「あんたには無理なのよ。そういう“運命”だって分からないなんて、ねえ?」
フェリエッタの悲痛な声と同時に、ジョシアが床に落ちた手紙を踏みつけた。高いヒールが、彼女の手紙をグシャリと音を立てて潰していく。
「や、やめ……っ!」
フェリエッタは必死に踏みつぶされた手紙へと手を伸ばそうとするが、すぐに取り巻きたちによって両腕を押さえつけられて動けなくなってしまう。
――私だって……
涙でかすむ視界の中、フェリエッタは唇を噛みしめることしかできなかった。彼女は、無力に貶されることしかできない自分の運命を呪うのであった。