02. 異世界の魔女
初投稿です。楽しんでいただければ幸いです。
多元宇宙理論――
それは、我々の観測する宇宙とは別の宇宙を仮定する、論理物理学の論説の一つである。宇宙は可能性により分岐し、無限の数だけ存在すると論じられている。
時には並行世界、異世界とも称されるそれらは、個々に独立しており、互いに干渉することは本来ありえないはずだ。……そう、“本来は”ありえないのである。
宇宙とは、それを知るものの前で、常に凡庸ではいられないのだ。
『親愛なるフェリエッタへ
素敵なお手紙を送ってくれて、本当にありがとう。あなたがアリスティア魔法学園に入学してからもうそろそろ1年になるなんて、私には今でも夢のようです。
あっという間の時間だったけど、その間に成長して、たくさんの友達と楽しい時間を過ごしているみたいで、私も嬉しく思います。
成績も順調に伸びていると聞いて、誇らしいです。成績上位の一級学徒の授業は、難しくて大変だと思うけど、あなたならきっと乗り越えていけると信じています。
あなたの小さい頃からの夢だった“至高の魔術師”になれる日が、きっと訪れることを私は願っています。
何があっても、私はあなたを愛していますよ。 マザー・トマシーナより』
故郷の孤児院から返ってきた手紙を読み終えた一人の少女、フェリエッタ・ウィリアムズ。彼女は手紙を握りしめたまま、勉強机に力なく突っ伏す。
「……やり過ぎちゃったなぁ。」
育ての母であるマザー・トマシーナを安心させようと、つい見栄を張った内容ばかり送り続けた結果、手紙にはまるで別人となった自分の姿が書かれていた。
その人物像の盛られ具合は、彼女自身も呆れてしまうほどだ。
「どうしよ……。」
嘘がばれてしまう前に、本当のことを手紙を書こうとも思った。しかし、その度に孤児院にいる皆の笑顔が、脳裏に浮かんでしまうのだ。
「……やっぱり無理だよ。」
彼らの期待を裏切るようなことが書けない彼女は、今日もペンを机に置いてうずくまってしまうのだ。
フェリエッタが青い光沢を帯びた白い髪をかき上げながら、机の上を見る。
そこには、明日の授業で提出しないといけない課題の山も積まれていた。彼女が机に置かれた課題に手を伸ばそうとした、その時だった。
――カツ、カツ
学生寮の廊下の向こうから、ハイヒールの甲高い足音が近づいてくる。
ガチャリと部屋の扉が勢いよく開き、外から入ってきたのは、金糸の刺繍が施された豪華な衣服に身を包んだ一人の女学生だった。
彼女は部屋の中を軽く見回すと、嘲笑うような口調で話しかけた。
「本当、あんたの部屋っていつも埃っぽくて汚いわよね。」
それはフェリエッタの同級生でもあるジョシア・ユイットだった。
ジョシアの後ろには、彼女の取り巻きたちたちがニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、フェリエッタの部屋の中を覗き見ている。
「ジョ、ジョシアさん!……ど、どうかされたんですか?」
予期せぬ来訪者に、フェリエッタが驚いた声を上げた。それを聞いたジョシアは、フェリエッタを一瞥すると、彼女の方へと近づく。
「あんたに、頼みたいことがあってきたの。」
「え……?」
呆然とするフェリエッタをよそに、ジョシアは手に持っていたレポートの束を、彼女の机の上に乱暴に放り投げた。
「これ、あんたがやっておいてよ。明日までに。」
山のように積み上げられた課題の量に、フェリエッタは目を丸くする。
「こ、これ全部、ジョシアさんたちの……ですよね?」
「私たちは、これからパーティに行かないといけないのよ。忙しくて、こんなのやっていられないわよ。あんた、どうせ暇でしょ。」
「で、でも……。」
おどおどとするフェリエッタの姿を見て、ジョシアは大きくため息を吐いた。彼女の言葉を遮るように、ジョシアの声が響く。
「あのね、“一級学徒”の私が、やれって言っているのよ。落ちこぼれの“五級学徒”ごときのあんたが、この私に口答えする気なのかしら?」
その高圧的で冷たい態度を見て、フェリエッタは思わず言葉を詰まらせた。胸の奥で悔しさを押さえながら顔を伏せると、小さく頷く。
「……分かりました。」
「うん、それでいいのよ。」
フェリエッタが弱弱しく答えたのを聞いて、ジョシアは不敵に笑みを浮かべた。
「いくらお勉強が出来ても、落ちこぼれのあんたには無意味なのも。せいぜい、“至高の魔術師”候補である私に、役に立つところを見せてちょうだい。」
そう言い残すと、ジョシアは煌びやかな宝石のネックレスを揺らしながら、フェリエッタの部屋から出ていくのだった。
部屋に一人残されたフェリエッタは、擦り切れてしまった自分の服の裾を、握りしめることしかできなかった。
至高の魔術師――
それは、彼女たちの暮らす国において、最も優秀な魔法使いに与えられる称号であった。すべての魔法使いたちが、夢見る称号といっても過言ではないだろう。
そして、それはフェリエッタも例外ではなかった。
貧しい村落に生まれたフェリエッタ・ウィリアムズは幼い頃に両親を亡くし、近くの教会に住む修道女マザー・トマシーナに預けられる。
彼女から魔法の基礎を教わり、その才能を見出されたフェリエッタは村で一番の魔法使いとして成長することになる。
やがて15歳になったフェリエッタは、トマシーナの推薦と村中の期待を背負いながら、故郷を遠く離れたアリスティア魔法学園へと進学したのだった。
――だが、そこで彼女を待っていたのは悲しい現実だった。
アリスティア魔法学園には、支配者階級にあたる魔法使いの血筋の生徒たちばかりが集まっていた。彼らには、その血族から受け継いだ強力な”魔力”があった。
それは、ただの村民生まれのフェリエッタにとって、大きな壁だった。
劣等生の烙印である第五級学徒に割り振られてしまうと、周りからの冷たい視線や嘲笑に耐えながら、カースト上位のジョシアたちにいびられる毎日が続いていた。
そこに、彼女が夢見ていたような生活はない。
夜も更けた深夜の部屋で、机を照らすランプの灯りが揺らいでいる。
「はぁ……やっと終わった~。」
フェリエッタは書き終えたばかりの数人分のレポートを、その豊満な胸の前に掲げながら大きく伸びをする。
彼女の青みがかった白い髪が、ふわりと揺れる。その視線が、ふと机の端に置かれた故郷からの手紙に止まった。
「……私、何やってるんだろ。」
魔力が少ない自分がどれほど頑張っても、結果は変わらない。周りの視線や期待、ここにあるすべてから逃げ出したい、そんな思いが不意に込み上げてくる。
静まり返った部屋の中で、彼女は机の上に散乱している物をすべて端に押しやると、うつ伏せになったまましばらく動けずにいた。
課題レポートでまとめた古代魔法の歴史本には、”原初の四大魔法“や”異世界にまつわる魔法“など、今より強力な魔法がいくつもあったことが書いてあった。
(もし、今の私がそれを使えたら、どうなんだろう……。)
そんなことをぼんやりと考えながら、フェリエッタは静かに眠りにつく。レポートの山の中に埋もれた彼女の手紙は、ひっそりと埃をかぶっていたのであった。