第4話
「じゃあ私は新しい窓ガラスの手配をしとくから司と彩菜はコンビニで適当にお昼ご飯買ってきてちょうだい」
犬飼さんがスマホ片手に俺と鬼頭さんに指示を出す。
「別にいいですけど」
「はい、わかりました」
俺たちは事務所を出て近場のコンビニへと向かうことにした。
その道中、
「鬼頭さん、本当にうちで働くんですか? こんなこと言いたくないですけど犬飼さんって自己中心的というか、ちょっと変わってるんですよ。コンビニとかで普通にバイトした方がよくないですか?」
俺はよかれと思い隣を歩く鬼頭さんにそれとなく他の仕事先を勧めてみる。
だが、
「え? いい人じゃないですか犬飼さん。初対面のわたしの話も疑わずに信じてくれましたし、お金のないわたしを雇ってくれたりして……わたしとても感謝しているんですよ。だからわたし恩返しじゃないですけど犬飼さんのお役に立ちたいんです」
鬼頭さんの決意は揺るぎそうにない。
「うーん、いい人、ですか……?」
果たして犬飼さんはいい人なのだろうか?
俺にはよくわからない。
「あの、ところで司さんっておいくつですか?」
首をひねっていると鬼頭さんが訊ねてきた。
「俺ですか? 十七歳ですけど」
「あ、じゃあ司さんの方が年上なので敬語はいいですよ。わたしは十六歳ですから」
「そう? うん、じゃあそうするけど」
同い年だと踏んでいたが年下だったか。
するとその時行き交う人たちの視線がこちらに向いていることに気付いた。
スーツを着た男性もOL風の女性も揃ってこちらを見ている。
そういえば犬飼さんと街を歩いていた時も通行人にやたらとじろじろ見られていたが、それは犬飼さんが日本人離れしたスタイルと類いまれなる美貌の持ち主だからだと思っていた。
しかしながらよくよく観察してみると、どうやら周りの人たちの視線は俺に集中しているようだった。
そこで俺はハッとなる。
ああそうか、俺は今右腕がないんだったな。
犬飼さんがくれた洋服はよりにもよって半袖だったので余計に人目を引いてしまっていたらしい。
「なんかごめんね、鬼頭さん。俺のせいで目立っちゃって」
「え? なんのことですか?」
「いや、俺右腕がないからさ……」
「? あー、そういえばそうですよね。どうしたんですかその腕?」
意外にも鬼頭さんは俺の右腕について直球で質問してきた。
普通はそういうことはためらいそうなものだが。
……もしかして天然なのかな?
「えっと、これは説明が難しいんだけどちょっと事故に巻き込まれてね」
「そうだったんですか~」
と何度も首を縦に振りうなずいてみせる鬼頭さん。
異能者については話せないので咄嗟に嘘をついてしまったが、鬼頭さんはそれで納得してくれたみたいだ。
それからコンビニに着くまでの間、通りすがる人たちの奇異の目に晒されたが、鬼頭さんは特段気にも留めていない様子だったので俺も気にしないことにした。
「何買って行ったらいいですかね~? 犬飼さんの好きな食べ物ってなんですか?」
コンビニのお弁当の棚の前で鬼頭さんが話しかけてくる。
「さあなんだろう、俺犬飼さんと今日会ったばかりだからわからないな」
「え、そうなんですかっ? わたしてっきりお二人は長い付き合いなのかと思ってました」
何を見てそう感じたのかはわからないが鬼頭さんは驚きの表情を見せた。
「違う違う。あの事務所で働き始めたのも今日からだから鬼頭さんと俺はほとんど立場は同じだよ」
「そうだったんですね~。でも司さんがわたしにとって先輩なのは変わりませんよ。あらためてこれからよろしくお願いしますね、先輩っ」
と俺の顔を覗き込みながら可愛らしく言う鬼頭さん。
その距離の近さに思わずドキッとしてしまう。
「あ、ああ。よろしく」
照れ隠しもあって突き放すような口調になってしまったが鬼頭さんはそんなことは気にせず、棚にあったおにぎりを手に取ると「犬飼さんってツナマヨとか食べますかね~?」と楽しげに訊いてきた。
事務所で初めて会った時より明るい印象なのはやはり悪霊がいなくなったことが関係しているのだろうか。
犬飼さんの好みがわからなかったので、好きな物を食べてもらえるようにタマゴサンドと唐揚げ弁当とミートソースパスタを選んだ俺たちはレジカウンターに出来ていた列に並んだ。
とそこで、
「あっ!」
俺は大事なことを思い出す。
「司さん、どうかしましたか?」
「ごめん、俺お金持ってない……」
そうなのだ。
病院で目覚めてから犬飼さんのくれた服に着替えたままの俺はスマホも財布も手元にないのだった。
「あ、それなら大丈夫ですよ。犬飼さんが財布貸してくれましたから」
「え、そうなの?」
「はい」
あの犬飼さんがそんな気の利いたことをしてくれるとは……まったくもって予想外だ。
俺はもしかしたらあの人のことを誤解していたのかもしれないな。
「事務所を出る時にこれで払いなさいって持たせてくれたんです」
「ふーん……ってえっ!?」
鬼頭さんが見せた財布は俺の財布にとてもよく似ていた。
というか間違いなく俺の財布だ。
俺の大ファンのバスケットボール選手のテレホンカードがちらちら見え隠れしているのが何よりの証拠だ。
「それを犬飼さんが鬼頭さんに渡したの?」
「? そうですよ」
その財布が俺のものだとは知らないのだろう、目をぱちくりさせながら答える鬼頭さん。
何を考えているんだ犬飼さんは……。
俺のお金を無断で使おうとしていたなんて……やっぱりあの人はどうかしている。
「ただいま帰りました~」
「はーい、お帰りー」
事務所に戻ると椅子に座ったままの犬飼さんが振り返る。
「お帰りー、じゃないですよ。何勝手に俺の財布鬼頭さんに渡してるんですか」
「んー? 別にいいじゃないの」
「よくないですよ。おかげでお昼ご飯代全部俺が払ったんですからね」
俺はまだ十七歳、誰彼構わず食事をおごれるほど経済的な余裕はない。
「すみません司さん、やっぱりわたし自分の分はお金出しますっ」
鬼頭さんが肩にかけたバッグからごそごそと自分の財布を取り出そうとするが、
「いや、鬼頭さんはいいんだよごめん。気にしないで」
一度おごると決めた以上今更お金を受け取るつもりはない。
それが可愛らしい年下の女子なら尚更だ。
「あら、私と彩菜とで態度がずいぶん違うじゃない」
「そりゃあ犬飼さんは大人ですからね、態度が違って当然でしょう」
大人に食事をおごるなんて初めてだ。
普通は逆だろ。
「まあ、今回はもういいですけど次からは自分の分は自分で払ってくださいよ」
「司、あんたモテないでしょ」
「ほっといてください」
俺はコンビニ袋の中からお弁当を出して犬飼さんの前に並べていく。
「好き嫌いがわからなかったので三種類のお弁当を買ってきました。犬飼さん、好きなのを選んでください。わたしたちは残ったものをいただきますから」
と鬼頭さん。
「ふ~ん、どれどれ……」
言いながら犬飼さんは目の前のテーブルの上に置かれた三つのお弁当を吟味していった。
「あ~、私タマゴってあんまり好きじゃないのよね~」
犬飼さんはタマゴサンドを端にどけると「唐揚げ弁当はダイエットしてるからパス」と唐揚げ弁当も横にはじく。
残ったミートソースパスタを手に取って、
「今はミートソースって気分じゃないのよね~。どうせならペペロンチーノがいいわ、取り替えて来てくれない?」
俺を見て言った。
「王様ですかあなた。嫌に決まってるでしょう、好き嫌いしないで食べてください」
俺は犬飼さんの部下にはなったが家来になった覚えはない。
すると、
「わたし取り替えてきましょうか?」
真面目な鬼頭さんが口を開く。
「ほんと? 彩菜はいい子ね~」
「えへへ~」
頭を撫でられ顔がほころぶ鬼頭さん。
犬飼さんのことが好きなようなので褒められてよほど嬉しいのだろう。
「じゃあわたしちょっと行ってきますねっ」
言うと鬼頭さんはミートソースパスタとレシートを持ってせわしなく出ていってしまう。
それを見て、
「あー、彩菜を雇ってよかったわ」
犬飼さんはこれみよがしに声を大にしてひとりごちた。
「はいはい、俺はいい子じゃないですよ……そんなことより鬼頭さんを雇って本当によかったんですか?」
「どういうこと?」
「異能者の存在って秘密なんですよね。それなのにこんな近くにいてバレたりしませんかね」
「大丈夫よ。バレたら超能力者だとか言ってごまかせばいいわ。それにあの子しっかりしてそうに見えて意外と天然みたいだし」
「はあ……」
犬飼さんがそれでいいのなら俺はこれ以上言うことはないが。
十分後、鬼頭さんが事務所に戻ってきた。
だが手に持っていたのはペペロンチーノではなくカルボナーラだった。
やはり鬼頭さんは犬飼さんの読み通り少し天然なのかもしれない。