第10話
思いのほか仕事が早く終わったので俺は犬飼さんに断ってからデパートに向かった。
そこで俺はなるべく安い服を数着とタオルや歯ブラシなど生活必需品を購入した。
手持ちの資金は三万円弱。
給料が出るまでのご飯代もある程度残しておかなければいけないのでこの際質には目をつぶった。
犬飼さんは利息付きでお金を貸してやると言ってくれたがその手には乗らない。
ただでさえ雇用主と雇われ人という俺からしてみれば圧倒的に弱い立場なのに、これ以上ものが言えなくなるような関係になることは避けたい。
出来ることなら早いとこ住む場所もみつけて自立したいところだが、懐が寂しいので今はまだ犬飼さんの事務所で寝泊まりさせてもらうしかない。
「はぁ~、我ながら情けない……」
買い物袋を左手に持った俺はデパートから事務所までの道のりを歩いていた。
電車で大体一駅分の距離だったのでそれくらいならと運動不足解消も兼ねて歩を進める。
すると線路の高架下付近に差し掛かった時だった。
そこにたむろしていた若い男女四人組が俺に気付いて声をかけてきた。
「おいお前、どしたんその腕っ?」
「家に忘れてきたんだろっ」
ロン毛の男と鼻にピアスをした男が首を揺らしながら近付いてくる。
俺は一瞬足を止めかけるが、無視して歩き去ることを選んだ。
だが、
「ちょっと待ちなよっ」
「無視するなんていい度胸じゃん」
金髪の女と緑のカラコンをした女に道を塞がれる。
ヤバい……変な奴らに絡まれてしまった。
「な、なんですか?」
俺は仕方なく口を開く。
「なんですかじゃねぇよっ。その腕どうしたんだって訊いてんだろうがっ」
「馬鹿なのかてめぇ」
気付けば前には女二人、後ろには男二人の計四人に囲まれてしまっていた。
「いや、これはちょっと事故で……」
「ふ~ん、事故で無くしちゃったんだぁ」
「やっぱ痛かった?」
「痛ぇに決まってんだろ、おめぇ馬鹿かよ」
「きゃははっ、ちょーウケるっ」
俺と大して変わらない年の見知らぬ男女が俺を取り囲んで高笑いしている。
……この世の中にはデリカシーの欠片もない奴らがいるんだな。
俺は苦笑いを浮かべつつ女たちの顔を見返した。
「何にらんでんの、あんた?」
「なんか文句あるわけっ」
「あん? どうした?」
「おいこら、俺の彼女にらんでんじゃねぇよっ」
にらんだつもりはないのだが、無意識のうちに感情が表に出てしまっていたのかもしれない。
俺は後ろにいた鼻ピアスの男に肩を掴まれ振り向かされる。
「いや、ちょっと放してくださいって……」
「彼女に謝れやっ」
理不尽にも謝罪を要求された。
だがまあ、謝ってこの場をやり過ごせるのならばそれでもいいか。
そう思い俺は「すいませんでした」と金髪の女に向かって頭を下げる。
しかし、
「土下座だ、土下座っ」
鼻ピアスの男はなおも続けた。
「えっ……?」
「そりゃいいぜ」
「あたしも土下座見た~い」
「土下座しなよっ」
したくもない謝罪までしたのにその上さらに俺に土下座をしろと?
マジか、こいつら……。
「いやあ、土下座はさすがにちょっと……」
と返す俺。
そもそも謝る必要などこれっぽっちもない俺がなぜ土下座をしないといけないんだ。
だが頭の回路がおかしい四人組は俺が歯向かったことが気に入らなかったようで声を荒げる。
「おいてめぇ、何へらへら笑ってんだよっ!」
「障がい者だからって見逃してもらえると思うなよ、こらっ!」
男二人に胸ぐらを掴まれてしまった。
「別に笑ってなんてないですよっ……」
「あんたムカつくんだよっ」
「いいから土下座しろやっ」
右手はなく左手には買い物袋を持っている俺が抵抗できないのをいいことに、女二人が俺の足を蹴飛ばしてくる。
「ちょっ、蹴らないでくださいって……」
言いながら俺は四人組にだけではなく、ここまでされてもまだ敬語を使っている自分にさえも腹が立ってきた。
「なんだてめぇ、その顔はっ! 文句があるなら言ってみろやっ!」
「ねぇヒデキ、もうこいつぶっ飛ばしちゃってよっ」
……体の奥底からふつふつと怒りの感情が湧き上がってくるのを感じる。
と同時にどす黒い得体の知れない何かが今にも殻を破って出てきそうな感覚を覚えた。
「これが最後だぜ、オレたちに土下座しろっ! しねぇならぶち殺すっ!」
「……断る」
その言葉が自然と口をついて出た。
すると俺の返答の直後、
「そうかよっ!」
言って鼻ピアスの男が俺のお腹に拳をめり込ませた。
「ぐふぅっ……!」
その瞬間だった――俺の意識は彼方へ飛んだ。
「……けてください、お願いしますっ! あたしたちが悪かったですっ!」
「ほ、ほんとにごめんなさいっ……!」
気がつくと女二人が泣きながら俺に助けを求め懇願していた。
「ん? 何が……」
何が一体どうなっているんだ……?
俺の足元には鼻ピアスの男とロン毛の男が転がっている。
そして目の前には金髪の女と緑のカラコンの女が壁に背をつけて恐怖に満ちた顔を俺に向けていた。
緑のカラコンの女の方はよく見ると太ももを黄色い液体が伝っている。
そこで俺はハッとなりあることに思い至る。
俺の中の別人格とやらが顔を出して何かしでかしたのか……?
「えっと、なあ……?」
「ひぃっ、ごめんなさいっ……!」
「お願いだから乱暴しないでっ……!」
俺が左手を伸ばすと女たちは悲鳴にも似た声を上げた。
「別に何もしないって。それより俺はこの二人に何をしたんだ?」
「ち、近寄らないでっ……!」
「だ、誰か助けてーっ……!」
ひどく怯える女たち。
駄目だ、会話にならない。
とそこへ女たちの声を聞きつけたのか向こうの方から数人の男たちがやってくるのが見えた。
まずい。
事情を知らない人がこの状況を見たら間違いなく俺の方が悪人にされてしまう。
下手したら警察行きだ。
「……ったく」
仕方なく俺は地面に落ちていた買い物袋を急いで拾い上げると、何も悪くないのに逃げるようにその場を離れた。
「あっ、お帰りなさい司さん」
犬飼探偵事務所に戻ると俺を出迎えてくれたのは犬飼さんではなく制服姿の鬼頭さんだった。
「あれ? 鬼頭さん学校は?」
「もう終わりましたよ。今日は短縮授業で早かったんです」
「そうなんだ」
「犬飼さんに電話したら学校帰りに寄るように言われまして」
「へー」
嬉しそうに話す鬼頭さん越しに犬飼さんがソファに腰かけ煙草を吸っている。
俺は買い物袋をテーブルの上に置くと犬飼さんに顔を向けた。
「犬飼さん、今日の仕事はもう終わったんじゃなかったんですか?」
「んー? 終わったわよ」
「だったらどうして鬼頭さんを呼んだんですか? わざわざ学校帰りに」
俺も鬼頭さんも時給千円で犬飼さんに雇ってもらっている。
仕事があるのならば給料が発生するがないのなら一円にもならない。
「今日の仕事は終わったけどまた別の依頼が入ったのよ。それには彩菜が必要だから呼んだわけ」
煙を吐きながらけだるそうに答える犬飼さん。
煙たいので俺は事務所の窓を開けた。
「それってどんな依頼なんですか?」
「わたしも気になります」
鬼頭さんは俺に同調して口を開く。
どうやら鬼頭さんもまだ聞かされていないらしい。
「あんたたち、リヴェイラ女学院高校って知ってる?」
「さあ? 初耳です」
「わたしは聞いたことありますよ。確か名門のお嬢様学校ですよね」
両手を小さくぱんと叩いて鬼頭さんが答えた。
「そう。お金持ちのお嬢様ばっかりが通う私立の女子高よ」
「その女子高がどうかしたんですか?」
「そこの理事長からさっき依頼があってね、今年の一年生のクラスでいじめがあるって噂が出回っているみたいなのよ。だから本当にいじめがあるのかどうか内々に調べてほしいんだってさ」
と犬飼さん。
「いじめですか……」
「犬飼さん、わたしが必要っていうのはどういうことですか?」
「それはね彩菜、あんたにそのリヴェイラ女学院高校に転入してもらってクラスの生徒たちと仲良くなっていじめがあるかを探ってきてほしいのよ」
「えぇー、わたしがですかっ?」
「あんた以外に誰がいるって言うの」
犬飼さんは淡々と続ける。
「こういうのは内部から探らないと真実は見えないものなのよ。司は男だから無理だし私は女子大生ならいけるけど女子高生になり切るのはちょっと難しいでしょ」
犬飼さんに女子高生役はちょっとというよりだいぶ厳しいと思うが……。
仮に転入できたところでクラスに馴染めず孤立する姿が目に浮かぶ。
「それとも司に女装させてみる?」
俺の心を読んだかのように犬飼さんは鋭い視線を浴びせてきた。
「いやいや、勘弁してくださいよ」
俺が女装して女子高に潜り込んだらあっという間にバレて警察の厄介になってしまうだろう。
「理事長が噂のあるクラスへの転入の手続きとかその他もろもろの準備はしてくれるって言うから、とりあえずこれから彩菜の顔写真を撮りに行きましょ。撮ったらそれを理事長のとこへ送るわ」
「あ、あの~、ちょっと待ってください。わたしがリヴェイラ女学院高校に転入したら今通っている学校はどうなるんですか?」
「辞めるのよ、当然でしょ」
「えぇっ!? そ、そんなぁ……わたし今の学校の友達と離れたくないです~」
目を潤ませる鬼頭さん。
「そ、それにお母さんになんて説明したらいいか……」
鬼頭さんは肩を落としてしゅんとなってしまった。
そんな鬼頭さんが哀れに思えたので俺は援護射撃を放つ。
「犬飼さん。さすがに依頼のために転校するのはやりすぎなんじゃないですか? 転校しないで上手くやれませんか?」
すると犬飼さんは意外にも俺の意見を聞き入れてくれた。
考え込んで、
「う~ん、そうね~……じゃあ転校はなし」
「えっ、本当ですかっ?」
「ええ。その代わり私と司も一緒に潜入するわ」
提案する。
「はい? 犬飼さん、それってどういう――」
「彩菜、あんたは明日の火曜日から四日間だけ今の学校を休みなさい。それくらいなら問題ないでしょ」
俺の言葉を遮って犬飼さん。
「え、四日間ですか? え、ええっと、そうですね、四日間休むだけならなんとか……」
「私と司も理事長に頼んで学校内に入り込むわ。あとは三人がかりで徹底的にいじめの有無の調査をするのよ。四日間でなんとしてでも見極めるわ、それでいいわねっ」
「は、はい。わたしは犬飼さんと司さんが一緒なら心強いですっ」
鬼頭さんは両方の手をきゅっと握って可愛らしくガッツポーズをしてみせた。
「ちょっと犬飼さん、よくわからないんですけど……」
犬飼さんは何がしたいのだろう?
四日間と区切ったはいいがそれで本当にいじめの有無が調べられるのだろうか?
もし四日経っても調べきれなかったら?
大体犬飼さんと俺が学校内に入る意味はあるのか?
というかそもそも犬飼さんと俺は学校内に入れるのか?
理解に苦しむ俺の顔を見て犬飼さんは手袋をした右手を鬼頭さんには見えないようにひらひらと動かす。
ん? あー、そういうことか。
犬飼さんはいざとなったらサイコメトリー能力を使うつもりなんだな。
だから自分も入り込むと言い出したのか。
っていや、待て待て。
そうなると犬飼さんはともかくとして俺はやはり必要ないのでは……?
鬼頭さんの手前異能の力を前提とした話し合いが出来ないことにやきもきしている俺をよそに、
「ってわけだから彩菜、しっかりやるのよ」
「はい、頑張りますっ」
鬼頭さんは今回の依頼に一人やる気をみなぎらせていた。
「リヴェイラ女学院高校の理事長と話はつけたわ。私は清掃員、司は用務員として学校内に入る許可を貰ったから」
スマホをミニスカートのポケットにしまうと犬飼さんは俺と鬼頭さんに目をやった。
「本当ですかっ? やったぁ、これで三人で仕事が出来ますね」
「用務員……」
俺を置き去りにして話が勝手に進んでいく。
いつの間にやら俺は明日からの四日間、リヴェイラ女学院高校という女子高で用務員として働きながらいじめの有無の調査をする羽目になっていた。
「さてと、じゃあ私たちは彩菜の顔写真とってくるから司は留守番してなさい」
「はあ……わかりました」
鬼頭さんを連れて事務所を出ていく犬飼さん。
一人になった俺は椅子に座ると、ついさっき買ってきたばかりの買い物袋の中から紙とペンを取り出して左手で文字を書く練習を始めるのだった。




