第1話
「……ぅん……」
目覚めた俺が最初に視界にとらえたのは真っ白い天井だった。
すると、
「意識を取り戻したみたいね」
凛とした女性の声が左隣から降ってくる。
顔を横に向けるとそこには、黒いコートを羽織った二十代半ばほどの長身の美女が立っていた。
「え……あなたは……ここは……?」
「私は犬飼。ここは病院よ」
涼しい顔で俺の問いに答える犬飼と名乗った見知らぬ女性。
病院……?
「次は私からの質問。あなたどこまで憶えてる?」
「えっと、どこまで……?」
犬飼さんの話している意味がよくわからない。
そんな表情を察してか犬飼さんは質問を変え再度訊いてくる。
「あなたの名前は神宮司。年は十七歳、両親と妹の四人家族。それは間違いない?」
「は、はい」
「家族四人で旅行に行ったことは憶えてる?」
「旅行……はい、行きました。大分県に」
「じゃあそこで何があったか思い出してみて」
「何があったか……」
俺は犬飼さんに言われるまま記憶を手繰り寄せた。
そう、確かあれは父さんの発案だった。
ゴールデンウィークを前にして父さんがいきなり九州に温泉旅行に行こうと言い出したのだ。
温泉好きな母さんと旅行好きな中学三年生のクミは大喜びしていた。
そうだ。おぼろげだが思い出してきたぞ。
九州の温泉地を巡った三泊四日の旅行の最終日のことだった。
夜遅くに露天風呂を満喫した俺と父さんが部屋に戻ると、辺りは一面血の海になっていたんだ。
畳の上には仲居さんと母さんが倒れていて、そのすぐそばにはクミがうつむき加減で立っていた。
倒れていた母さんに急いで駆け寄った父さんの背中をクミが腕で貫いた。
その時のクミの腕はまるで刃物のように変形していた。
そのあとクミが俺を見て笑ったのを憶えている。
いつものクミとは似ても似つかない鬼のような形相だった。
そして俺のもとに向かってくると俺めがけて振り上げた腕を――そこで記憶は途切れている。
「お、俺の父さんと母さんはっ? クミはどこにいるんですかっ?」
「ふーん、少しは思い出したようだけど肝心な部分はまだみたいね。まあいいわ、あとは私が教えてあげる。まずあなたの両親だけど死んだわ。あなたの妹が殺した」
「え……」
「それからあなたの妹は重警備のとある施設に隔離されているわ」
「父さんと母さんが死んだ……? クミが殺した……?」
訳が分からない。
どうしてそんなことに……。
「これから話すことは限られた人間しか知らないことだけど、どうしてもあなたには話しておかなくちゃいけないの」
そう前置きすると犬飼さんは動揺している俺の心情など気にする様子もなく語り出す。
「この世にはごく稀に突然異能の力を発現する者がいるわ。異能の力を手にした者の中にはその反動で正気を失ってしまう者も少なからずいるんだけど、あなたの妹がまさにそれね。正気を失ったあなたの妹は旅館の仲居とあなたの両親を殺して、あなたまでも手にかけようとした。でもあなたは妹に右腕を斬り落とされながらも返り討ちにして、すんでのところで命を取り留めたってわけ」
「え……右腕を斬り落とされた……?」
その言葉を聞いて俺はかけられていた毛布をどかして自分の右腕を確認する。
「っ!?」
そこにはあるはずの、あって当たり前の俺の右腕がなかった。
目に映るのは申し訳程度に肩から生えている小さな肌色の物体だけだった。
「そ、そんな……」
あまりのショックからか俺は吐き気を催してしまった。
とっさに横に置かれていた洗面器を手に取りそこへ戻す。
「おえぇっ……」
「大丈夫? 話を続けるわよ」
そんな俺を見て顔色一つ変えず犬飼さんは言う。
「あなたの妹のような異能の力を身につけた者を異能者って呼ぶんだけど、異能者の存在はもちろん公には知られてはいないわ。だから罪を犯した異能者は刑務所とは別の施設に隔離されるの」
「……じゃ、じゃあ、クミは今その施設にいるんですか?」
「ええ」
「クミに会えますか?」
「それは無理ね」
犬飼さんは淡々と答えた。
「さっき、俺が妹を返り討ちにしたって言いましたけどどうやって……?」
クミが異能者とやらになってしまったのなら俺はそんなクミをどのようにして制したのだろう。
すると犬飼さんが俺を見下ろす。
「異能者の攻撃を受けるとその衝撃で異能の力に目覚める者がいるのよ。あなたがそう」
「え、俺が……?」
「あなたは右腕を斬り落とされた瞬間異能の力が覚醒してその力で妹を気絶させたの」
「俺も異能者……? で、でもなんでそんな詳しくわかるんですか? あの場には他に誰もいなかったのに……」
「それはね、私も異能者だからよ」
「犬飼さんも異能者、なんですか?」
「ええ。私の異能はサイコメトリーっていうんだけど知ってるかしら?」
「えっと……」
昔テレビドラマで観たことがある。
確か――
「……物に触ってその物の記憶を読み取れるって力ですよね?」
「まあそんなところね」
「あの……俺も異能者なんですよね。これから俺はどうなるんですか?」
クミと同じように重警備の施設に隔離されるのだろうか。
「あなたはどうしたい?」
「どうって言われても……そりゃあ出来れば前のように暮らしたいですけど」
そう言いながらも父さんと母さんが死んでしまってクミも施設に入れられている以上、元通りの生活が出来ないであろうことはわかりきっていた。
「それは無理ね」
予想通りの答えが返ってくる。
「異能者をみつけた場合の対処法は隔離するか、殺すか、仲間にするかしかないから。つまりあなたに残された選択肢は三つだけってこと。どれを選ぶのもあなたの自由だけどね」
犬飼さんは退屈そうに俺を見る。
三択と言いつつ実質一択じゃないか。
「……俺、右腕ないんですけど犬飼さんたちの役に立てますか?」
「さあどうだろう。あなた次第じゃない」
つっけんどんに言い放つ犬飼さん。
「えっと……」
隔離されるのも殺されるのも御免だ。
クミの様子だってもっと知りたい。
「……じゃあ、仲間になります」
「そう。だったらこれに着替えなさい」
言うと犬飼さんは持っていた袋を俺に投げてよこした。
見ると中には洋服が入っている。
「私は外で待ってるから」
「あ、ちょっと待ってください。今日って何日ですか?」
「五月十三日よ。あなたは六日間眠っていたからね」
「六日間。そうですか……」
犬飼さんは病室のドアを強めに閉めて出ていった。
俺は片方の腕だけで四苦八苦しながら洋服に着替えると犬飼さんのあとを追った。
病院の外に出ると犬飼さんが腕組みをして待ち構えていた。
ヒールの高い靴を履いているせいもあり百八十センチある俺と背丈はほぼ変わらない。
「すみません、お待たせしました」
「はいはい。さ、行きましょうか」
「あ、あのっ」
俺は犬飼さんを呼び止める。
「何?」
「ちゃんと挨拶していなかったので……俺、神宮司です。これからよろしくお願いします」
右腕がないので利き手とは反対の左手を差し出して言った。
「私は犬飼桃子、よろしく」
犬飼さんは俺と握手を交わしてからまた颯爽と歩き出す。
予想外に可愛らしい名前だったことに虚を突かれていると、
「何してるの? 置いてくわよ」
振り返った犬飼さんに急かされてしまう。
「はい、今行きますっ」