2.旅立ち
悲しみに暮れる玉鈴公主を連れ、逃げることを決めたダリタイとボルテ・バートル。
だが、逃げる当てが無い上に、玉鈴公主の豪奢な格好で出歩くわけにもいかない。
まずは、白髪のため出身がバレづらいボルテ・バートルが、玉鈴公主の簪などを売り、それを元手に玉鈴公主の新しい服や路銀を調達することになった。
その間、都に慣れぬダリタイは、玉鈴公主と共に古井戸周辺で待つことになった。
「……俺は少しでも食える物がないか、見てくるつもりだ。あんたは、ついてくるか?それとも、井戸の中にいるか?」
髪を結い直す事もできず、ボサボサの髪の玉鈴は、頷いた。
そんな惨めな姿でも、彼女の姿勢や佇まいには、彼女が貴い者として大切に生活してきたことが染みついている。
「妾も、世話になってばかりではいられそうにないでの。悪いが、食べられるものを教えてくれるかえ。」
ダリタイは、唇を噛んだ。
彼女が気に入らないのに、彼女が嫌いになれない。
「草原の物なら、俺が知っている限りは教えてやる。……あんたはただ、命じればいい。」
「……今は、無理じゃ。」
小さくこぼす玉鈴を見て、ダリタイは突き放しすぎたと反省する。
仕方なくダリタイは、頭をガリガリ掻きながら周囲を見渡す。
季節は秋。
幸いにも、食べられるものはたくさん周囲にあった。
否、このような事態に備えて、建国当初から厳選した植物が植えられていたのだろう。
ダリタイは、木に鈴なりに生っている、赤くて可愛らしい実を見つける。
「公主。あれは何か、知っているか?」
「?……野山楂の実じゃの。日持ちはせぬだろうが、美味いぞ。木には棘があるそうじゃが」
「そうか。……」
ダリタイは草むらに分け入ると、服の裾を広げて野山楂の実をいっぱいに摘んで戻ってきた。
「あんたが教えてくれた木の実だ。美味いなら、沢山食えばいい。」
「主が摘んだ野山楂じゃ。主が先に食べよ。……命令じゃ」
また微笑む公主の顔が、胸に痛い。
初めて出会った時に浮かべた笑顔とは明らかに違う、慈しみを帯びた優しい表情──このような時ですら臣下を守ろうと闘う、王の表情だ。
「……俺は、裾を掴むのに忙しい。あんたが減らしてくれないと、自分が食えない。ん……そうか、毒味が必要だったな」
玉鈴公主はフッと笑うと、野山楂の実を一つ取って服の裏側で拭いた。
野山楂の汚れが落ち、つるりと綺麗になったのを確認すると、ダリタイの口元に持っていった。
「毒味。」
「う、おい……冗談なら……」
「だから、命令じゃ。これからは、妾のために主が毒味をせよ。」
玉鈴のニヤリと浮かべた笑顔に、ダリタイは嘆息する。
皇室を毛嫌いしていた彼さえも、今、目の前の少女に強く心を動かされ惹きつけられていた。
彼女は、強い。
「……あんた、負けないんだな。……今までの無礼は、悪かった。俺はあんたを気に入ったよ。」
「ひゃっ!」
ダリタイは、少女の指先の小さな赤い実を歯で掴むと、舌を使って自分の口の中に放り込む。
手と唇が触れかけて、思わず少女らしい悲鳴を上げる公主。
ダリタイはモグモグと野山楂を咀嚼しながら、呆気に取られた。
野山楂はよく熟していて、甘かった。
「……うまい。おい……怖がるなよ、俺は人間だ。馬に餌をやるのと比べたら、身体や口の大きさや怖さなんて、大した事ないだろう」
「え……?ふ……ふふっ、馬か。……なら答里台、主は「草原の民」で言う、妾の「馬」になれ。」
命令する口調にも関わらず、玉鈴公主は緊張した面持ちでダリタイを見つめる。
ダリタイは最早、この優しく誠実な公主に心酔してしまいそうだった。
彼女が「草原の民」の事をよく知り、尊重しようとしてくれているのはよく分かった。
何より彼女は、帝国風とはいえ、親しみ辛い異国の名前を覚え、一人一人を呼んでいるのだ。
「草原の民」は皆が野蛮だとか、知性が無いとか、無法者だとか決めつけて、乱暴に一括りにはしていない。
冷静になって彼女を見れば、むしろダリタイにとって好ましい性質の人間だ。
ダリタイは野山楂の種をプッと飛ばすと、コクッとうなずいた。
「ああ。構わない。だが、あんたの俺から一つ……頼みがある。」
「申してみよ。」
「今すぐでなくてもいい。俺を、「馬」を、正しく呼んでくれ。人前で言わなくてもいい。でも本当の名前を知って、必要な時には呼んでくれ。答里台でなく、ダリタイと」
「だ、ダリタイ……」
玉鈴公主は、小さく名前を復唱する。
「本当の名は、『キヤト・アルチ族のイェケ・ニドンの息子、カラ・ダリタイ』だけど、公主もそれだけ呼んでくれたらいい。」
「な、何じゃ?すまぬ、最後の……『カラ・ダリタイ』?しか聞き取れんかった」
真面目に謝り、「草原の民」の言葉で名前を覚えようとする公主の辿々しい発音がくすぐったくて、ダリタイは思わず笑った。
父や仲間が安否不明で、己の未来すら怪しいこの状況。
だが、公主との会話でふと癒され、不思議と安心してしまったのだ。
そう、ダリタイもまた不安だったのだ。
父を筆頭とする達の力は信じているが、この状況下では全員が無事とは思えない。
だが、戦士として再会できたならば、父の敬愛したこの優しい公主を守ったのだと、伝えたい。
「……発音は、また何度でも聞いてくれ。俺はあんたに名前を呼ばれる度に、きっと胸を張れる。喜べる。イェケ・ニドン……父達に再会するために、頑張る事ができる。」
「分かったぞ。なら、主ももっと食べて元気を出せ。のぅ、……だ、ダリタイ?か。妾に餌付けをさせよ」
「……楽しんでいるのか?」
「そうあらねばのぅ」
公主は再び二つの野山楂を拭くと、一つは自分で頬張り、一つはダリタイの口に押し込んだ。
そして、摘んだ野山楂が無くなるまで、二人で黙々と食べ続けた。
夕方、ボルテ・バートルが戦利品を手に帰ってきた。
彼を出迎えた玉鈴公主は、長い髪を三つ編みにして纏めていた。
ボルテ・バートルは、思わず固まった。
「遅かったの、ボルテ・バートル!どうじゃ?長い髪は動きにくいとダリタイに言ったら、このようにしてくれたのじゃ。」
「おぉ公主様、私の名前を……!」
「泣くほど変な発音だったかのぅ?……まぁ、これから練習するから、許せ。」
「ああ……め、滅相もありませぬ!……ダリタイ様、一体何が……」
井戸の横で火起こしをするダリタイは、三つ編み混じりに結い直した髪をパッと揺らし、顔を上げた。
「帰ったか、ボルテ・バートル!とりあえず、食えそうな物を採っておいた。そっちはどうだったんだ?」
「疲れただろう、早く食事にしようぞ。妾も手伝った故、疲れてもう空腹じゃ。話は食事をしながらにしてくれぬか」
困惑するボルテ・バートルをダリタイは手招きて呼ぶも、気恥ずかしくてボルテ・バートルから顔をそらす。
しかし、彼は何も言わず口元を緩め、火のそばに座って食事の準備を始めた。
「ほぉ、なるほど……。やはり南の「敏の地」と兄上が、共謀して妾達を襲ったのか。」
「我々「達地方」の者が挨拶しに来た時を狙ったのは、戦闘に不慣れな若者の割合が多い時だったからのようです。「敏地方」は、「草原の民」との交渉の有り難さを実感する事がありませんからな。ただ我々の存在が、疎ましかったのでしょう。皇帝と共に消すつもりだったのだろうと、市井では噂になっておりましたぞ」
「悪いが、主らの有り難みを理解している「金龍の民」は少ない。その一部は、主らを容姿・生活の違う異分子として、不満をぶつけたいだけに思える。そのことついては、今まで申し訳なく思って来た」
公主は、心から申し訳なさそうにうなだれた。
「……公主様が謝られることではありません。ですがこの状況が、公主様にとってかなり難しいものであることには違いありませぬ。西の「絡地方」の若き主・丁斗雷は、この事態に駆けつけられぬように山で足止めされている様子。東の「申地方」は、皇帝派と一孟皇子派に分裂して内乱状態だとか」
「……東は、昔から権力者の移り変わりも激しかった故、別に驚かぬ。特に……先の領主を亡くしてからは、海では一層争いが絶えぬと聞く。この帝国も、同じようにならねば良いが」
「ボルテ・バートル。「達地方」には帰れそうか?」
ダリタイの問いに、ボルテ・バートルは首を横に振る。
「都から少し離れているとはいえ、この辺りでも赤髪の兵士が多く、公主様に無事移動してもらえそうにありませんな。よく言えば、まだ我々の仲間が生き延びている可能性があるとも考えられます。が……公主様のことを考えれば、やはりすぐに北に移動するのは、得策ではありませんな」
「だから、西の「絡地方」に向かう方が、賢明かと踏んだわけだな。それで、その荷物か」
ダリタイは、ボルテ・バートルの買ってきたものを顎で指した。
帝国の庶民にとって少し上質な古着や、外套、他にも縄や多めの食料、地図などが鞄に詰められている。
つまりボルテ・バートルは西に進路を取ることで、都に向かうつもりをしていた「絡地方」の主と合流し、公主の安全を確保するのが最善と判断したようだ。
その為には、山の方に向かう必要がある。
「何度も街へ戻れぬと思い、失礼ながら独断で、揃えられるものは全て購入いたしました。公主様のお髪を飾るものを失ってしまいましたが……」
「よい。妾と、他でもない妾自身の為に雇った私兵の為に、必要不可欠なものを買っただけじゃろう?最早無用の長物となった、簪の一本や二本で補えるならば、安いものよ。そんなことよりも、主が無事に戻ってきてくれて安心した」
「勿体ないお言葉……」
下手をすれば、換金する際に足がつき、ボルテ・バートルは捕らえられてしまう可能性もあった。
だが、彼が無事だったからといって、まだ油断はできない。売った簪から、足がつく可能性もある。
なるべく早く、この場所を離れる必要があるのだ。
「まずは明朝、東の商業都市・亀城に向かうのが良さそうだな。俺達の中でも有名な商業都市で、「達地方」出身者も多い。ここよりは自然かつ自由に動き回れそうだ。」
「ふむ、分かった。それまでは、三人仲良く「金龍の民」の主従を装おうぞ。妾の事は、杜玉麗と呼べ。今は、世間知らずのワガママ家出娘といったところか?」
胸を張る公主に、ダリタイは思わず顔を引きつらせる。
「じゃあ俺達は、その家出娘に付き合う「金龍の民」の付き人か。ハァ……楽しい旅になりそうだ」
しかしその表情は、以前と違いどこか柔らかさがあった。
三人は、古井戸の中で短い眠りにつく。
そして新しい朝を迎える時には、装いを新たにして旅に出発した。
書き溜めもない上に連載するのは無理なので、これにて終了です。
気に入った設定ではあるのですが…
またご縁があればよろしくお願いします。