1.禁中陥落、或いは物語の始まり
金龍帝国。
近隣の様々な民を従え、大きく大陸に横たう巨大な国。
中央の都を囲むように、北には遊牧民の統治する「達地方」が、西には山の民が統治する「絡地方」が、南には平原の民が統治する「敏地方」が、東には海の民が統治する「申地方」がある。
都では、各地方からの使者や挨拶に来た役人などが集まり、他では見られない賑わいを見せている。
「達地方」を統治する、遊牧民──「草原の民」であるキヤト・アルチ族の長、イェケ・ニドンとその息子もまた、禁中へとやってきていた。
「ダリタイ様、もう間も無く父上様も戻られる頃でしょう。」
老齢の男の言葉に、漆黒に近い青い髪を結った少年が、頷く。
「分かった。……初めて都に来たが、草原や「達地方」とは違うしきたりや掟ばかりで難しいな。皇帝のものとはいえただの棲家に入るだけで、こんなに時間がかかるものと思わなかった。」
「そのうち慣れますでしょう。それに、今回は若いのを他にも連れてきましたから、皆で共に慣れるように頑張るのが良いかと」
「……そのうち慣れる、か」
ダリタイが深くため息をついた時、ふと視線を感じたのでそちらを見てみる。
豊かな茶髪──否、深い金色の髪を持つ利発そうな少女が、窓からこちらを覗いていたのだ。
「あの貴族は……?」
「玉鈴公主です。皇帝の実の姪御様ですが、皇帝に「王の資質有り」とされた方です。のちに南の地方からお越しになり、皇帝陛下の養女となられました。……礼をしましょう」
「い……っ!わかった、わかったボルテ・バートル!」
老齢の男ボルテ・バートルに、無理矢理後ろから押されたダリタイは、仕方なく公主に向かって礼をした。
公主はパッと顔を輝かせ、にこやかにひらひらと手を振った。
ダリタイは、その可憐で親しげな公主の様子すら、気に入らない。
「貴方様が、「草原の民」から我ら「キヤト・アルチ族」を切り離し帝国に呑み込んだ皇族の方々に、色々と思う所があるのはわかります。が……長であり我らの地・「達」の領主である父上様が、不利になるようなことはどうかなさいますな。それに我らには今や、「金龍の民」の血も混ざっています。もはや「草原の民」として完全に元に戻ることは、できぬのですよ」
「……分かってる。悪かった。」
小声だが、吐き捨てるように言うダリタイ。
遊牧民としての誇りが強い彼には、かつて自分の氏族が金龍帝国に破れ、遊牧民としての生活を捨てて帝国の一部に組み込まれた事が、許せないことだった。
長の息子であるにも関わらず、だ。
しかしその気持ちは、都に来てから一層膨らんでいく。
都の者は皆、草原を失って戦闘力が落ちた彼らを「帝国に敗れて生き恥を晒している惨めな者達」だと馬鹿にしてきたからだ。
「何より、公主は我らを見て、嬉しそうでしたでしょう。父上様が謁見している皇帝陛下も、そのようなお人でいらっしゃります。金龍の王族は、国の成立よりずっと、我らを親しい友としてきたのですよ」
ダリタイは、窓から見えた少女の笑顔を思い出し、口を引き結んだ。
ボルテ・バートルの言う事は分かるが、それだけで気持ちは変われない。
(大体、あれはどう言う意味の笑顔なのか。俺が皇族を嫌っているのは、親父の話じゃ向こうも知っているはずだ。この格好から、俺がイェケ・ニドンの息子だと気づかなかったのか?まあ、相手にしたら「草原の民」の違いなど分からんか。それとも……他に何か理由が……)
「何を考えておるのじゃ。」
考えごとをしていたダリタイに、玉鈴公主が近づいていた。
ダリタイは内心慌てながらも、サッと臣下の礼をするボルテ・バートルに倣う。
「礼はもうよい。妾は、主らに興味があったのじゃ。話し相手になっておくれ。主らの長……也客你敦は、いつも忙しそうじゃからの。」
「……イェケ・ニドン。」
ダリタイは、つい公主にムッとしてしまう。
「草原の民」の言葉を、当然のように自分達の言いやすいように言いなおし、それでも尚通じるだろうと気にしない傲慢さ。
それが、ダリタイの怒りを増幅させた。
「?」
公主は、キョトンとして首を傾げた。
「おお、公主様!お久しぶりでございます。お元気でしたでしょうか」
「孛児帖巴托、久しいの。今日は見ない顔をよく見るじゃないか。也客你敦も、知らぬ男を連れていた。」
「今回は、成長して立派に戦士となった者も、多数連れて参りました。若者達にも都に慣れてもらわなくてはなりませんからな。……こちらは、長の息子のダリタイです。答里台とお呼びください。若くてぶっきらぼうで、融通が利かず礼儀知らずな所もございます故、謁見には連れて行きませんでした。しかし、若者の中でも特に優れた戦士です。」
ダリタイは、不満顔を隠すように礼をする。
「面を上げい」
ダリタイは無表情を装うと、顔を上げる。
豪奢な刺繍の衣の裾から、よく手入れされた絹の髪としゃらりと揺れる髪飾りが、視界に次々と入ってくる。
そして、面白そうに目を輝かせる少女の顔に、一瞬目が釘付けになる。
「ふむ、よい顔つきだな。狼のように鋭い目だ。だが、馬のように知性にあふれてもいる。きっと気高い戦士なのだろうな。ふふっ……妾も主に認められるとよいがのぉ」
「……!」
「畏れ多いことで……!」
冷や汗をかきながら、二人は畏まる。
ダリタイはこの一瞬で、彼女を侮りすぎていたことを認めざるを得なかった。
「よい。妾は、主らのように腹芸をせぬ者の方が良いのだ。……」
公主がどこか悲しそうに呟いた、その時。
宮殿の奥の方から、悲鳴が聞こえた。
「何っ……?!」
「敵襲!敵襲ーーッ!!!」
ダリタイとボルテ・バートルは、サッと剣を抜くと公主を背に警戒する。
「……まさか、義兄上……?!」
怒声が弾け、宮殿の奥で炎の柱が上がる。
そして兵士達の声が、こちらに近づいてくる。
「チッ……あいつらか。おい、皇帝には父達が付いている!それより一度逃げるべきだ、公主!」
ダリタイの脳裏に、達地方と険悪な敏地方の貴族の名前が浮かぶ。
彼女の義兄は、彼らと強い繋がりがあった。
「公主様、お早く……!こちらからならば、囲まれづらいでしょう」
「あ、ああ……。」
皇帝を気にしながらも、公主は先を急ぐ。
だが、背後から「いたぞ!」という叫びと足音が追ってきた。
「ボルテ・バートル!宮殿に詳しいお前が、公主を連れて先へ行け!俺はこの兵士達を倒して追いかける!」
「頼みます!さ、公主!」
「そんな、無茶な……!」
「行け!!!」
ダリタイは、公主に一喝すると、腰に下げたもう一本の短剣を抜いて構える。
敵は、赤みがかった髪の兵士。
槍を構え、ダリタイに突撃してくる。
(赤毛に槍……やはり南方の敏地方の兵士か。動きからして、実戦経験は少ないだろう。馬に乗っているような偉い兵士が襲ってきていたなら、俺が奪ってしまったんだが。運が悪い)
ダリタイは地面を蹴ると、一気に敵との距離を縮める。
そして右端の兵士の傍から、剣で派手に切り付けた。
「ぐああああ!!!」
(まず一人行動不能)
敵に致命傷は与えていないものの、これですぐに戦いには復帰できないだろう。一刻一秒を争う今は、これでもう充分だ。
ダリタイは、狼狽えて槍を振り回す他の兵士を置いて、逃げ始めた兵士に向かって短剣を投げつけた。
(これで二人)
もう一人、逃げ始めた兵士がいる。
ダリタイは横目で彼を追いながら、勇敢にも立ち向かってくる兵士の槍を剣で受け流し、強靭な脚で蹴り倒す。
(三人)
もう一人、槍を振り回してくる兵士がいる。
先程蹴り倒した兵士をもう一度蹴り付け、一緒に薙ぎ倒す。
(四人)
「ひいい……っ!」
逃げていく兵士を追い、ダリタイは剣を構える。
脚が震えた新兵など、恐るるに足らない。
(これで五人……!)
「ぐわあっ!!!」
ダリタイは兵士の背中を袈裟斬りにして、ピッと血を払う。
そして倒れて呻く兵士から、短剣を容赦なく引き抜くと、ボルテ・バートルと玉鈴公主の後を追った。
(戦いの音、か……?!)
ダリタイが先を急ぐと、公主を守りながら戦うボルテ・バートルの姿があった。
丁度彼は、敵の最後の一人を地面に転がした所だったようだ。
「遅かったですな、ダリタイ様」
「流石"蒼き英雄"。あんたも、無事なようだな。公主」
ボルテ・バートルがダリタイを嗜めようと口を開くのを、青ざめた顔の公主が制す。
「……ああ。主のお陰じゃ。……この先にある龍の神殿に、抜け道があるはずじゃ。そこから脱出したい故、手を貸しておくれ。答里台」
ニコリと健気に笑顔を作る公主に、ダリタイは胸が締め付けられる。
やはり皇族は、気に入らない。
しかし、急に起こった危機に動じず、父親の命の危険にも取り乱さず、彼女は真っ直ぐ自分に助けを請うた。
公主を嫌う自分を、権力で押さえつけることなく。
「……どう足掻いても、俺の主はあんたなんだろ。ならただ、命じればいい。行くぞ!」
(そうだ。ただ命じれば、良いものを……!)
二人が先行する後ろで、ボルテ・バートルが頭を抱えながら続く。
そうこうして神官と襲撃者の争いが始まった龍の神殿の裏側に忍び込むと、植木に隠され蓋をされた古井戸が見つかった。
「……ここは、そんなに深くないのじゃ。だから……逃げることが、できる」
喧騒の中、公主はさらに青い顔をして言った。
逃げる、と言う声が震えていた。
「……行きましょう。」
ボルテ・バートルの言葉に、公主は頷く。
ダリタイは、ヒラリと古井戸の中に入ると、公主に手を伸ばした。
「ありがとう。」
公主はダリタイの手を握ると、古井戸の中に恐る恐る入っていった。
そしてその後ろを、蓋を持ったボルテ・バートルが続く。
「流石に暗いな。火打ち石はあるが、燃やすものが無い」
仕方なく、ダリタイは左手で壁に手をついて歩くことにした。
辺りの様子は見えないが、風の流れがある。
出口は確実に存在するのだ。
「公主。仕方がないから、あんたは俺の肩に手を置いて付いてきてくれ。俺が先を行く。」
「……分かった。気をつけよ」
三人は無言で、長い暗闇の中を歩いていく。
途中石に蹴躓きながらも、確実に前に進んでいた。
「……光が………!」
暗闇の中に差す、天からの一条の光。
同時に、通路の石の感覚も、ゴツゴツしたものから整ったすべすべした感触にかわっていた。
出口となる古井戸に、辿り着いたのだ。
「公主、少し下がっていてくれ。ボルテ・バートル、物音がしないし先に俺が出て、外を確認してみる。」
「頼みますぞ。ダリタイ様」
ダリタイは、剣で天を軽く突く。
やはり蓋がしてあったらしく、ズレた所から光が広がって空が見える。
ダリタイは剣を腰に下げると、よじ登って辺りを見回す。
敵どころか、人気が全く無い。
「出られそうだ。公主、手を。」
ダリタイが手を貸し、公主を引っ張り上げる。
その時、公主の着ていた美しい着物が、土で汚れて悲惨なことになっていることに彼は気がついた。
しかし彼女の目は、そんなものを写していない。
初めての禁中の外に、オロオロと忙しく目を向けている。
「妙な場所に出たようですな。……これは」
古井戸から出てきたボルテ・バートルは、遠くの景色を見て息を呑んだ。
燃えるように色づいた木々。
その生い茂る向こう側は、丘になっていた。
そこから、更に激しく燃え盛る宮殿が見える。
急に強い風が吹いて、木々がざわめいた。
「あ……」
気丈にも皇女らしく振る舞っていた玉鈴の目から、涙がこぼれ落ちた。
「ああ……!なんで、なんで……!お父様……っ!!」
玉鈴はその場に崩れ落ち、涙を流す。
ダリタイも、禁中から目を離すことができなかった。
(ああ、皆……無事でいてくれ……!)
それから、禁中は一日中燃え続けたという。
炎が消えたその時には、禁中の主は新しい皇帝のものに成り代わっていた。
玉鈴の義兄、一孟によって。
明日21時に続きを更新します。
【髪色と地域について】
五行をなるべく当てはめてます。
東は緑、西は銀(五行では白)南は赤、北は青(五行では黒)っぽい毛色です。都の人はスタンダードな黒ですが、皇族は髪色が黄色味があります。
なぜ派手髪にしていないかというと、「やっぱりアジア人は黒っぽい髪色のほうが似合う気がする」という、私の個人的見解によります。
【発音について】
主人公はやたら気にしてますが、そもそもダリタイという表記はモンゴル語に忠実ではありません。
ダーリタイよりダリタイの方が自分のイメージの遊牧民の名前っぽいと思ったので、後者を採用しました。