またもや歓迎会の季節
「うーん……」
私は机に向かってうなりっぱなしだった。赤ペンで○をつけたり×をつけたりしながら。
「こいつは一段とムズいな……悩むぜ悩むぜ悩んじまうぜ」
「巨勢先生」
「おお、びっくりしたー。出水先生か」
高一副担任団の出水綾香が声をかけてくるまで近くにいるのに全く気づかなかった。出水先生は机の上にあるものを見てため息をつく。
「先生、また競馬の予想ですか?」
「あはは、今度でっかいレースがあるからね」
私が○と×をつけているのは、生徒の解答用紙ではなくお馬さんの名前が書かれたスポーツ新聞だ。立て込んだ仕事が無いので空き時間に休憩がてら日曜のメインレース予想をしていたのだが、本命不在でどの馬に賭けるか悩んでいたところだった。
「それは置いといて。今度の新任教職員歓迎会ですけど、『ガーデン朝倉』に決まりました。ちょっと遠いですけど」
「ああ、あの海谷にあるステーキハウスか。いいねえ」
ちなみに綿式玲の歓迎会以降何度かお世話になっていた「しんげん」は三年前に不祥事を起こして潰れてしまった。裏メニューで特定の常連に出していた牛のレバ刺しでO157食中毒事故を引き起こしたために営業停止を喰らい、世間の指弾を受けてそのまま蘇ることなく閉店してしまったのだ。
「ガーデン朝倉」はしゃれた感じのステーキハウスで、質、量ともに一級品のステーキが味わえると評判だった。しかし懸念事項があることを思い出した。
「でも三組の朝倉さんのお家だよね? あの子店の手伝いしてるらしいけど、教師が飲食してるところを見せていいもんなの?」
「ですから、敢えてそこが選ばれたんです。生徒の前だと羽目を外せないでしょうからって」
「ちなみに店選んだの誰?」
「伊ヶ崎理事長です」
「は? もしかして理事長来んの!?」
「はい。今まで教師と交流する機会があまり無かったから、と」
「マジかよ……」
伊ヶ崎波奈理事長は複合企業、天寿のトップにして今や日本で指折りの若き女性実業家。その人の前で羽目を外すことなんかできやしない。
「あと、綿式先生にお伝えください。歩いてきちゃダメですよと。昨年一昨年みたいなことがあったら困りますからね」
「それはちゃんと言い聞かせるから……」
一昨年は出水先生たちの歓迎会の折だったが、綿式玲が場所を勘違いして本来の会場である居酒屋「十字路」と似た名前の「丁字路」という店に行ってしまうという事件が起きた。「十字路」と「丁字路」は四十キロも離れており、私が電話したら「今から全速力で向かいます!」と言い張るから、もう無茶はせず帰れと言い聞かせた。でもやってきてしまった。だが一次会は二時間程度で終わりその時間内ではさすがに綿式玲の足でも間に合うはずがなく、二次会のカラオケから合流したのだが相当急いで来たようで、無尽蔵の体力を持つ彼女でもゼーゼー息を切らしていた。
それなのに綿式玲は駆けつけ三杯と称して芋焼酎をストレートで三杯飲んでしまったのだ。体力消耗している中、しかもろくに食べてない状態でストレートの焼酎を短時間で三杯も飲んだら体が拒絶するのは当たり前で、綿式玲はたちまち便器とお友達になってしまった。大人しい出水先生をして「なんなんですかあの人」と怒り呆れさせたのは今でもはっきり覚えている。
昨年はちゃんと指定の会場に来て、一次会は特に問題は起こしていなかったのだが、二次会で入ったバーでカルーアミルクをコーヒー牛乳を飲む感覚でがぶ飲みしたのがいけなかった。それでも無事二次会も終わり、例によって家まで歩いて帰ろうとしたので引き止めようとしたが振り切られてしまった。そして翌朝、バーから二キロほど離れたところのゴミ置き場でゲボまみれになって眠っているところを警察に保護された。この事件は校長の耳にまで届いて、さすがにお目玉を頂戴することになり反省文を書かされ、私も監督不行き届きということできついお叱りを受けてしまった。
このように綿式玲は割と酒で失敗している。だから私は出水先生以外からも綿式玲をちゃんと監視しておくよう言いつけられていた。理事長の前で粗相したら懲戒処分もあり得るし、私も昨年みたいに巻き添えをくらいたくなかった。
*
「イヤです! 歩いて行きます!」
予想通りの返事だった。
「歩くのはいつでもできんじゃん……今回は理事長もいるんだし、頼むから大人しく電車使って来て欲しい。交通費も出るからさ」
「断固拒否します!」
綿式玲は首をブンブンと横に振った。子どもじゃあるまいに、このウォーキングジャンキーは……。
「仕方ない、じゃあこうしよう。当日は教員寮までなら歩いてきていい。そこから私が車で送る」
「え!? 巨勢先生、お酒は飲まれないのですか!」
「どうせ理事長同席だと美味しく飲めないからいいよ。で、歓迎会が終わったら私の部屋に帰ってそのまま泊まって、じゅうぶん体力を回復してから歩いて帰る。それでどうだ?」
「わかりました! ですがこちらからも条件があります!」
「何?」
「もうちょっと部屋を綺麗にしてください! 前お邪魔したときゴミ袋だらけで足の踏み場もなかったです!」
「うぐ」
まさかのお説教で心にグサッときた。私もどうにかしないととは思っているんだが、年取ると掃除するのが億劫になってくるんだよな……。
「わかった、ちゃんと綺麗にしとくわ……」
「約束ですよ!」
五時間目開始前の予鈴が鳴った。
「それでは、生徒たちを鍛えてきますね!」
綿式玲はビシッと敬礼ポーズをキメて、保健体育の教科書を抱えて授業に向かって行った。
「よし、私も行くか」
次の授業は二年三組で数学Ⅱ。今年度の私は一年生が主な担当だが、二年生の授業も一部担当している。
私は職員室を出て、二年の教室がある三階まで一段飛ばしで上がっていいった。ウォーキングを始める前だと歩くだけでもしんどかったのに、今では何とも感じない。生徒たちと競争しても勝てんじゃないかと思うぐらい体がめちゃくちゃ軽いのだ。
体力を授けてくれた点では、綿式玲には感謝しかなかった。
ゲストキャラ
出水綾香
考案者:楠富つかさ様
立成十九年度は高等部1-4副担任。
日本史を担当している。