そして五年が過ぎ
綿式玲と出会ってから五年の月日が経ち今に至るわけだが、結論から言うと彼女とはセフレのような関係になってしまっていた。
私は男も女もイケるクチだが綿式玲はノンケ。ポリシーとしてノンケとは関係しないことにしていたはずなのに、今じゃ月一、二の頻度で綿式玲とウォーキングした後に抱いている。教員寮だと隣に声が聞こえてしまうリスクが高いから、今ではもっぱらラブホテルを利用している。ウォーキングの行き先近くのラブホテルに立ち寄って、それから帰るというのがお決まりの流れになっていた。
しかしここまでしておきながら、実はウォーキング以外にプライベートで二人で出かけたことが一切ないのだ。向こうから「どこか連れて行ってください!」とか言い出すこともなければ、こっちから「どこか連れて行ってやろうか?」と声をかけることもない。
向こうはどういう心づもりかは知らないが、こちらは恋人になろうとかいう気持ちは一切ない。なったところで長続きしないからだ。
今までつきあってきたヤツの中で、一番長続きしたのは大学二年生の頃に知った他大学硬式野球部の女子マネジャーだ。大学野球はリーグ戦だから、同じリーグに所属する大学と交流する機会が多く、その中で私たちは仲良くなった。
相手の子は一部リーグの強豪校に所属していて、悪い言い方をすれば野球しやって来なかったバカでも入れるような大学ではあったが、その子だけはなかなか聡明で仕事でも助けられることがあった。彼女とつきあいだすまでに何度も破局を経験していたので今度こそうまくいくとは思っていたが、ちょうど一年で唐突に別れを切り出された。なんでもドラ一候補のエースが告ってきたらしく、弱小チームのマネジャーである私と天秤にかけてあっさりと乗り換えられたのだった。
その子以降も何人かとつきあったが、全部短命に終わっている。教師になってからも同じことで、綿式玲が来るまでの三年間で三人つきあったがいずれも短命に終わり、最長でも半年しか続かなかった。そして綿式玲が来て以降は一切交際していない。おかげで恋愛に耳聡い生徒たちの間では「教育に力を注ぐあまりフリーのまま三十路に突入してしまった干物女」として通ってしまっている。
とはいえ星花女子学園は教職員や生徒の様々な生き方を許容してくれる場所だから職場で孤立しているわけでもないし、教師としてやり甲斐を感じているし、プライベートでも趣味がある。だから生き辛いと感じたことはない。敢えて言うなら教員寮の寮長から「そろそろ出ていってくれないか」と遠回しに迫られていい加減どこか物件を探さないとなと悩んでいるぐらいで。
しかし綿式玲と半分爛れた関係の方が過去のどの恋愛よりも長く続いているのは、皮肉としか言いようがなかった。
*
「じゃあ帰りますか!」
綿式玲は相変わらず元気だった。
私たちはまだ夜が明けて間もない頃にチェックアウトを済ませ、今からそれぞれ教員寮と自宅まで歩いて帰る。私はこれから約三十キロ歩くが綿式玲はその倍を歩く。
早朝の歓楽街は静まり返っているが、人気がないわけでもない。ホストクラブはキャバクラはこの時間から空いていて、客が入っているのを見かけた。日曜日なのに朝からご苦労さまである。
歓楽街を抜けて県道を歩く。県道はJR東海道本線の路線と並行しているため、このまま進んでいけば空の宮中央駅までたどり着ける。
ウォーキングを初めてから五年経ったが、効果はてきめんだった。お腹周りが凹んで学生時代に着ていたスーツが着れるようになったし、健康診断でγ-GTPの値が基準値内に収まるようになり、体脂肪率もぐんと落ちた。何より学校の階段を上り下りしてもしんどいと思わなくなった。
そして精神面でも綿式玲までとはいかなくてもポジティブになった気がする。生き辛さを感じていないのもウォーキングの成果かもしれない。多少の嫌なことは歩けばどうでもよくなった。
「風が気持ちいいですね!」
「マジ気持ちいいよなあ」
うんと背伸びして海側から吹いてくる朝風を目一杯受ける。朝のウォーキングの醍醐味のひとつだ。
ウォーキングの最中は綿式玲とは仕事以外の他愛もない会話しかしない。向こうが私のことをどう思っているか、一切聞いたこともない。ただ五年間も一緒に歩くかセックスするしかないという奇妙奇天烈な関係について何も感じたことはない、ということはないはずだ。
自分から聞いてみようという気にならないのは、今の関係に満足しているからであり、それ以上進むのに臆病になっているからに他ならなかった。
そう、これでいいんだ。
お昼前に空の宮中央駅に着いて、ここでお別れとなった。綿式玲はさらに橋立方面に向けて、競歩のような速度で歩き出した。あっという間に姿は見えなくなった。
この日はどういうわけかもっと歩いてみたい気持ちになり、電車を使わずに歩いて教員寮まで帰った。