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綿式玲が歩くワケ

「おはようございますっ!」


 一番乗りで出勤したかと思ったら、綿式玲がもう職員室で私を待ち構えていた。


「一昨日も昨日もいろいろとありがとうございましたっ!」


 一昨日、のところだけ発音がやたら力強かったが気のせいだろうか。


「お、おう。おはよう……月曜なのに元気だなー」

「はいっ! それが一番の取り柄ですから!」


 自宅から歩いてきているはずなのに、疲れている様子を全く見せない。


「家から何時間かかるの?」

「だいたい二時間半です!」


 私は地図アプリで星花女子学園から橋立市西端の適当な場所の距離を測ったが、だいたい三十キロといったところだった。ということは時速十二キロで歩いていることになる。この数字が女子競歩選手と比較してどうなのかはわからないが、一般的な自転車の速度と同じだ。


 しかしなぜ自動車や電車という交通手段を取らないのだろうか。


「何で歩きにこだわるの?」


 と、尋ねてみた。すると綿式玲は待ってました、とばかりに前のめりになってきた。


「それでは、私のアイデンティティに関わるところなのでしっかり聞いてください!」

「お、おう」

「私、一人っ子なんで両親に甘やかされて育てられたんです! 欲しい物は何でも与えてくれました! だけど同時このままじゃてずれダメ人間になる、と危機感を持ったのです! そこで!」


 綿式玲が手を腰に当てた。


「自分の努力でしか手に入らないものを手に入れようとしたのです! それが体力だったのです!」

「おー……」


 気圧されながらも素直に感心している自分がいた。


「私が出会ったのはウォーキングでした! まずは家の周りを歩きました! 今まで見過ごしていた風景を再発見しながら歩くのはとても楽しかったです! いつも出かけるときはお母さんに車に乗せてもらっていましたから!」

「車からだとよく見えなかったものが歩いたらよく見えたってことか」

「はい! その通りです! それからは歩くのが大好きになりました! 今じゃ歩き以外の交通手段は考えられません!」


 だからといって三十キロを歩いて通勤するのはやりすぎだと思うが……。


「そうだ! 巨勢先生も歩きませんか!」

「え!?」

「ウォーキングデートですよ!」

「しっ!」


 私は指で唇を抑えた。


「だから声が大きいって! 聞かれたらどうすんの!」

「私たち一緒に寝た仲だから何ら恥じることはありません!」


 ガララッとドアが開いて心臓が口から飛び出そうになった。


「おはようございます。おや、二人とも今日はお早いですねえ」

「お、おはようございます本田先生。いやー、やっぱこういうのは若手が早く来ないと。あはは」


 本田先生は御年七十六歳の国語の非常勤講師で耳がかなり遠い。本田先生以外だったらさっきの綿式玲の言葉は丸聞こえだったはずだ。助かった……。


「……まあ、さっきの話しは後で。とりあえず朝のSHRは綿式先生にやってもらうから準備しといて」

「はい!」


 *


 綿式玲は私に、女に抱かれたというのに、あっけらかんとしているところが怖かった。先輩に「お持ち帰り」されて何とも感じてない節があるし、むしろ仲が進展したと勘違いしているかもしれない。それは困る。


 私が仮に綿式玲とつきあったところで、どうせ破局することは目に見えている。Aと破局した。Bとも破局した。Cとも破局した。Dとも破局した。Eとも破局した。ゆえに綿式玲とも破局する。簡単な帰納法だ。


「深入りしすぎないのが吉だな」


 そう独り言をうっかり漏らしたら、「先生何かおっしゃいました?」と、黒板に解答を書き込んでいる教え子に言われた。


「あ、ああごめん。何でもない。えっと、これが答えだな。じゃあ解説していきましょー」


 私が出題した問題はごく簡単な文章題だが、解答に至るまでのプロセスを丁寧に説明した。数学は基本をしっかり抑えておかないと必ずつまづく。


「まだ時間があるな。じゃあもう一問。資料の問4を解いてくださーい。ちょっと複雑そうに見えるけど解き方は一緒だからね。制限時間は五分」


 私は授業でほとんど教科書を使わない。教科書の解説は親切に書かれていないから、私が手間ひまかけて作った資料で授業を進めている。教師独自の裁量が許されるのは私立校ならではだが、私のような若手教員にも裁量を与えてくれるのはありがたかった。


 みんなが一所懸命手を動かしている間、私はグラウンドの方を見やった。体育の授業でサッカーをやっていたが、試合ではなくドリブルの練習をしていた。生徒たちがボールを転がしながらマーカーコーンの間を右、左とせわしなくすり抜けている。


 教えているのは綿式玲だった。遠目からでもポニーテールはよく目立つ。その綿式玲も手本とばかりに自らもドリブルを初めた。生徒たちよりもスピードが早い。体の軸がぶれてないし、ヒザを上手く使っているというのが素人目にもわかる。その辺はやはり体育教師、ただ歩くだけではない。


 しかし生徒たちと比較すると、なかなかいい体格をしている。その体を楽しんだんだよな……って授業中に何考えてんだ私は。


 ちょうど五分経過、教壇に戻って授業に集中し直した。


「はい、じゃあ解けた人手を挙げて。それじゃ小島さん解答お願いしまーす」


 *


「あー、しんど……」


 午前中の授業を終えて職員室に戻った後、つい弱音が漏れてしまった。


 立成十四年度において私は二年生の担当だったが、三年生の数学Ⅲの授業も担当していた。月曜日は二時間目と三時間目に二年生の授業を行い、四時間目に三年生の授業を行っていた。


 星花女子学園では数学Ⅲは選択科目になっていて、主に理系学部進学希望者が選択するがその人数はごくわずかしかいない。全員進学希望者だから入試対策も兼ねた私の資料が活きてくるし、受験生相手とはいえ授業そのものは苦ではなかった。


 しんどいのは体力面の方だ。三年生の教室は四階にあり、一階の職員室から上がるだけでもなかなか体力を使う。新人教師の頃は全然平気だったのに、運動することがほとんどなくなり二十代半ばに差し掛かったところで体力の衰えをモロに痛感しだした。


 しかもこの日は資料の一部を職員室に置き忘れてしまい、慌てて取りに戻ったから余計に体力を使ってしまったのだ。


「はあ……体力の衰え具合がやべーことになってる。これで三十代になったらどうなるんだ……」

「だったら一緒に歩きましょう!!」

「わっ!」


 いつの間にか綿式玲がいた。


「体力は歩けば今からでも簡単に手に入れられます!」


 綿式玲はダブルバイセップスのポーズを取った。まだ夏でもないのに半袖ポロシャツだったから盛り上がった筋肉がよく見える。


「本当に体力つくの?」

「はいっ! 百キロぐらい歩いても息切れしなくなります!」

「いやそれは言い過ぎな気が……」


 しないでもなかった。三十キロを二時間半で歩いて通勤した直後でも平然とした顔してたし。


「ということで、歩きましょう!」


 ぐいっと迫る綿式玲。


「お、おう」


 私はつい、うなずいてしまった。


「じゃあ、まずは軽く十キロからですね!」

「じゅっきろ……?」


 それは私にとっては拷問に近い距離だった。

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