新人歓迎会
綿式玲との出会いは立成十四年にまでさかのぼる。
この頃は星花女子学園の過渡期であり、立成十一年から新たに天寿の社長が理事長になってからの三年間にいろいろあって教師の入れ替わりが激しかった折に、綿式玲が入職してきた。
「体育を担当する綿式玲です! よろしくお願いします!」
綿式玲の声はとてつもなく大きかった。胸も大きいしポニーテールも大きし、背丈も私と同じぐらい大きかった。当時の学年主任だった教師が、
「前に説明した通り、巨勢先生は一年間綿式先生の教育を担当してもらいます。新人とはいえ副担任ですから、責任と自信を持てるよう教育してあげください」
「はい、わかりました」
「ちなみに綿式先生は巨勢先生と同じく三河教育大学の出身だそうですよ」
「へー、そうなの?」
「はいっ!」
綿式玲は私が四年生の頃に入学したという。しかし学年が三つも違う上に学科も違うから接点は全くといっていいほどなかった。それでも星花女子OGが多い教職員の中で、私と同じく非星花女子出身でかつ大学の後輩というだけで親近感を抱いたものだ。
いろいろ指導してあげたときの返事の声が元気よく体育会系らしいなと思ったが、休み時間中に何かスポーツをやっていたかと聞いたところ意外な答えが返ってきた。
「散歩同好会に入っていました!」
「散歩同好会?」
「はい! 読んで字のごとし! とにかくいろんなところをお散歩するサークルです!」
そんなサークルがあった記憶はないが、大学ともなると高校と比べて規模の大小問わず部活、サークル数が段違いに増えるから把握していなかっただけかもしれない。
「例えばどこ歩いたの?」
「そーですね。例えば諏訪湖一周とかしましたよ!」
「おー、諏訪湖ね。あの御神渡りで有名な。楽しそうじゃん」
「巨勢先生は何の部活をされてましたか!」
元気よく気持ちのいいはっきりとした大声で聞いてきた。
「硬式野球部でマネージャーやってたよ」
「おお、マネージャーですか!」
「チームは弱かったけどね」
国立大学ゆえにスポーツ推薦はないし、野球の弱い高校出身の選手か、そこそこ強い高校でも三年間でレギュラーを取れなかった選手しか集まって来なかった。だから四年間ずっと三部リーグから上がることはなかったけど、それでも部活はまあまあ楽しかった。
二年四組、当時私が担当していたクラスでホームルームがあったので綿式玲も連れて行った。教室に入るとまだ前の授業の社会科教師が質問を受け付けていたようで、教壇に立っていた。私を見るなり生徒たちに「続きは後でね」と断って出ていこうとしたが、「ちょっといいですか」と私たちに手招きしたからいったん外に出た。
「今度の土曜日の新任教師歓迎会、『しんげん』でやることになったから」
「ショッピングモール近くにできた新しい居酒屋ですよね。前から行きたかったんですよ~」
「珍しいメニューがあるから面白いわよ。綿式先生も楽しめると思う」
「はいっ! 楽しみにしています!」
綿式玲よりも私の方が楽しみにしていた。なにせ右も左も分からぬ教員との親睦を深めるという名目で酒が飲めるのだ。しかも金の出どころは飛ぶ鳥を落とす勢いの天寿だ。同じく教員になった同級生の中には自分の歓迎会なのに参加費を取られた、というのもいたが、私がタダ酒を飲んでいると知ったらどんな顔をしただろうか。
*
綿式玲は居酒屋「しんげん」に一番乗りをして、出入り口の前で先輩たちを待っていた。服装は自由ということになっていたが、ポロシャツにジャージのザ・体育教師という出で立ちだった。
「お疲れさまです!」
体育会系的なお辞儀をした。教頭先生からは何とできた子かしらと感心され、定刻通りに来た他の新任教師はとてもバツが悪そうにしていた。
「どうやって来たの?」
私が聞いたら、
「はい! 歩いてきました!」
「はい?」
綿式玲は教員寮ではなく、橋立市の西端にある実家で暮らしている。そこから「しんげん」まで行こうものならJRと私鉄を乗り継いで50分といったところだ。みんなジョークと受け止めて笑ったが、私も一足先に酒飲んで酔っ払ってんじゃないかと思って受け流した。
教頭先生の挨拶で歓迎会が始まると、お固い職業柄ゆえに人と飲む機会が少ない教員勢の中で酒豪と呼ばれる者たちはどんどん酒を入れ始めた。もちろんその中には私もいる。
「すみませーん! ハイボールメガジョッキおかわりくださーい!」
「巨勢先生、それで四杯目なのに全然顔に出てませんね……」
教師の一人があからさまにドン引きしていたが、これが私の本気だ。
「綿式の玲ちゃん、飲んでるう?」
先生という敬称を省いて、隣に座っていた綿式玲に絡む。
「はい! 飲んでます! 巨勢先生がおっさんみたいになって面白いです!」
「ぎゃはははは!! 言うねえ!!」
店員がハイボールメガジョッキと、肉料理を持ってきた。
「お待たせしました、ハイボールメガジョッキとぴょんぴょんステーキです」
おおお、と慄く声がした。
ぴょんぴょんステーキというふざけた名前の肉料理の正体は、ウサギ肉とカエル肉のステーキセットである。ウサギはともかく、カエルは脚の部分の名残がくっきりと残っていてグロテスクだが香りはいい。「しんげん」はこのようにゲテモノ料理をウリにしていた。
「酒の勢いで頼んじゃったけど、チャレンジするかい玲ちゃん?」
「はい! 綿式玲、ありがたくいただきます!」
と宣言するなりウサギ肉とカエル肉に同時にかぶりついた。勢いよく美味しそうに食べていて、ゲテモノでも美味しく見えてしまう程だった。
「どう?」
「味は鶏肉に似てますが、心がぴょんぴょんするぐらい美味しいです!」
「じゃあ私も一口」
確かにウサギ肉は鶏肉っぽかった。カエル肉の方はさすがに丸かぶりするのはためらわれたので箸で肉片を少しだけ削っていただいが、こっちも鶏肉に似ていた。それで酒にもよく合った。
散々飲み食いしたがこれで終わりではなく、二次会へとなだれ込むことになった。定番のカラオケだ。
「玲ちゃん何歌うん?」
「はい! 特撮ソング大好きです!」
「あーいいねえ、よーし私も椎名●檎を……」
と、そのとき、ベロンベロンに酔っ払った男性教師が綿式玲に倒れかかってきた。
「わわっ!?」
「ああ、ごめんよ綿式先生……」
「いえ! そちらこそ大丈夫で……ウッ!?」
綿式玲の顔面が一気に真っ青になり、がハムスターみたいに膨らんだかと思うと、男性教師の頭の上に飲み食いしたものを豪快にぶちまけた。当然、ウサギ肉もカエル肉も。その噴射具合たるや、まるでゴジラが熱線を吐いているかのようだった。
空の宮市の一角が阿鼻叫喚の地獄と化した瞬間でもあった。あのときの私は酒が相当入っていた上に恐ろしく汚い光景を目の当たりにしたせいで、そこからの記憶がだいぶあやふやになってしまっているが、とにかく二次会どころではなくなり、綿式玲は強制送還させられることになった。
私も気がついたらいつの間にか教員寮の自分の部屋で真っ裸で寝ていたという有様だった。しかし何かがおかしかった。グーグー、というもう一つの寝息がはっきりと聞こえてきたからだ。
それでふと隣を見たら、なんと家に帰っていたはずの綿式玲が寝ていたのだ。しかも私と同じく真っ裸で。