同行二人 その3
私服警官の圧の前に涙目になっている綿式玲。仕方ない、ここは私がどうにかしてやろう。
「すみません。私、実はこういう者でして」
財布に入れていた教職員証を取り出して、私服警官に見せる。パニクっている綿式玲にも「ほら、お前も見せろ」と命令。
「あ、星花女子学園の先生方ですか!」
私服警官は態度をコロッと変えた。
「最近知名度が凄いことになってますよね~、この前テレビで特集やってましたし。ゆりりんにひさかべちゃんにJoKe、雨野みやび、あと人気配信者やVtuberの中の人も多数在籍しているらしいじゃないですか~。有名人に教えてるんですよね? 羨ましいなあ~……ってつい本音が出てしまいました。星花女子学園は女性の活躍を後押しする学校ですから、女性として誇りに思っています」
猫なで声で怒涛のようにまくし立てる私服警官。何か馴れ馴れしくて気色悪い。あなたの母校じゃないのに喜んでもらえて嬉しいです、という皮肉が口をついて出そうになった。
もうさっさと解放されたい。そういうことで、まだ若干バッテリーが残っていた私のスマホにある証拠画像を、カクカクシカジカと理由を説明しながら見せたのだった。
「へー、地元にもお遍路さんがあったなんて知りませんでした。いや、これは大変失礼しました。店には私から事情を説明いたします」
「つーことで綿式先生、改めて受付してきて。私、もう帰る気力も無くしたから諦めて一緒に泊まってやるわ……」
「りょーかいですっ!!」
嬉しそうにしやがって、ちくしょーめ。
その後店員さんからもお詫びをされたが、こんな格好で入ってきた私たちにも落ち度があろう。ともかく、ようやく足を休めることができる。しかし綿式玲にはもうひと働きしてもらうことにした。お前のわがままを聞いてやったんだから私の言うことも聞いてもらおう。
「コンビニで着替え買ってきて」
「はいっ!!」
半個室のペアシートに私一人だけになる。パソコンを立ち上げて、グーグルマップを開き、住職からもらった地図を参考にして松山寺から二十四番札所毘沙門堂までの距離を測ってみたが、思ったほどの距離ではなかったことに愕然とした。今日のペースで歩いたらあと二、三日はかかりそうである。
もう先のことを考えたくもなかったから、ブラウザを閉じてテレビ放送に切り替えた。ちょうどBSで野球中継をやっていた。中部ドラグーンズとラクトルスパローズの試合のようだ。私は学生時代野球部にいたとはいえ特定の球団のファンではないが、試合は0対0と引き締まった展開になっており、チャンネルをそのままにしておくことにした。
「ただいま戻りました!」
綿式玲が帰還してきた。携えているレジ袋はパンパンに膨れ上がっている。
「おおう、何買ってきたんだ……」
「着替えですよ、どうぞ!」
中身は下着一式とTシャツ、ハーフパンツ。加えて制汗剤とクールシート。着替えに関しては結局、綿式玲の分も買ってきたようだ。
「二人一緒で狭い所に寝泊まりするのだから汗臭いママだとどうかと思い直しました!」
「おー、えらいえらい」
棒読みで褒めたが、必要最低限以上のものを買ってきたのは感心だ。明日以降はどうにかなろう。
「よっしゃ、シャワー浴びて飯食おう」
「はいっ!!」
シャワーを浴びて新品の下着とTシャツハーフパンツに着替え、スッキリしたところでカレーとビールを注文した。
「頼んどいて何だけど、お遍路さんって肉食と飲酒大丈夫だっけ?」
「大丈夫です! 私もお遍路さんやってた頃はがっつり飲み食いしてました!」
「吐いて迷惑かけなかっただろうな?」
「ノーコメントです!」
これ以上聞かないことにしてやろう。
カレーは多分レトルト、ビールは単なる缶ビールなのに高級品のような美味しさだった。漫喫の食事はあまり美味しくないって言われているのに、空腹と疲労が重なったらこれまでに美味しく感じられるものなのか。感動モノだなあ。
「あー、今日一日で飯のありがたみがわかったわ」
「そうですね! ビールおかわりしますか?」
「おう、じゃあもう一杯頼もう」
「りょーかいです!」
綿式玲が内線で注文する。野球は相変わらず0対0で試合が動かず、もう七回まで進んでいた。
「あ! この選手最近CMでよく見かけますね!」
スパローズの主砲、大上宗久が打席に向かう場面が映っている。親会社の主力製品、乳酸菌飲料ラクトル1000のCMに出ているからか、野球に疎い綿式玲でも知っているようだ。
二本目の缶ビールを開けて戦況を見守る。狭い空間の中で酒を煽って野球観戦。情緒もへったくれもないが、綿式玲と二人きりで歩くかヤるか以外のことをしたのはこれが初めてだったことに気づいた。
パカーン、と小気味良い快音に実況の絶叫が続く。
「うわ、これ行ったなー」
私の言った通り、打球は神宮球場のライトスタンド上段に突き刺さった。
「ホームラン、でいいんですよね!」
「おう、文句なしのホームランよ。さすが"大神様"だなー」
悠々と一塁ベースを回る大神様こと大上宗久を見て、ひとつ話のネタを出すことにした。
「ソフトボール部の下村紀香。私、あの子に車のボンネットを凹まされたことがあるんだわ」
「え!?」
「前に教職員寮の駐車場が工事で使えなくなったときがあって、学校のグラウンド横に車を停めさせてもらってた。ちょうどその頃に下村さんが推薦入試の実技でバッティング練習やってて、大神様並のパワーで場外弾打ちやがったんだ。その打球が不幸にも私の車に直撃したってわけ」
「弁償はしてもらえたのですか!」
「故意じゃなかったからさすがに本人からは金取ってないけど、入試最中の事故ってことで学園から修理費出してくれた。でも場外弾打ったのにはびっくりしたなー」
それで下村さんは入学を果たして、当初は菊花寮待遇だったのは覚えている。諸事情で桜花寮に移ったものの、ソフトボールの活躍ぶりは凄まじく、今年はインターハイ初出場まで決めた。
「私が入職した年に情報部かソフトボール部の顧問の席が空いててどっちがいいか聞かれてさ、土日の時間取られるのイヤだから情報部にしたんだけど、ソフトボール部を選んでたらどうなってたかなあ」
と口にしつつも、自分の中で予想立ててみる。費用の管理や他校との練習試合の交渉、遠征計画は大学野球部のマネージャー時代にやってきたことだしこなせるだろう。その代わり競馬を楽しんだり歩いたりする時間もなくなっていて無味乾燥な教員生活になっていたかもしれない。
現在のソフトボール部は中等部で英語を担当している菅野先生が顧問兼監督をしているが、あの人のタフネスぶりは凄い。実業団ソフトボールを経験してるし、めちゃくちゃ凄い投手だったらしいし。その人に比べたら弱小大学野球部マネージャー上がりの私なんか虫けらに過ぎない。やっぱ顧問にならなくて良かったと結論づけた。
情報部顧問の座も今は後輩の小板橋先生に譲ったが、PCの扱いは向こうの方が長けているので、これで良かったと思う。ひょんなことから担当になったボランティア部は、なんだかんだで楽しいし。部員はいい子ばかりだし。そういう話を綿式玲に聞かせて、綿式玲も部活について熱く語ってくれた。二人きり、プライベートでこういった話をするのは今まで全く無く、新鮮な気持ちだった。
「はやくサッカー部の顧問辞めたいのにどうして学園長は聞いてくれないんでしょうかね! ぶーぶー!」
「正式にお取り潰しにならない限り誰か顧問置かなきゃいけないし……しかし人数揃ってなくてもう何年も試合してないのに同好会降格にならないのは何でだろうな」
「S県はサッカー王国だからとかいう理由でサッカー部の看板を降ろしたくないらしいです! だけど今は部室でサッカーアニメばかり見てるんですよ! もう私はサジ投げました! とっとと潰してしまえばいいんです!」
「お、おう」
軽く受け流した。綿式玲はアルコールが入っているとはいえ、熱弁ぶりが凄まじい。
「でも今は陸上部の福井先生にお願いして、長距離担当の子のコーチをしてますがね! 今度福井先生の口利きで陸上部の副顧問にしてもらうようお願いしてみるつもりです!」
「確か長距離で速い子いるよな。その子がもっと良い結果出したら、学園長も言うことを聞かざるを得ないだろう。頑張ってコーチしなよ」
「はいっ!」
野球の試合はというと、スパローズは大上宗久の一点だけで勝利を収めた。放送時間内に中継が終わってしまったが、ちょうど回りだしたアルコールが眠気を誘発しだした。
「もう寝るかあ。明日早く起きるだろ?」
「そうですね! できたら一日で海谷市にある札所をクリアしてしまいたいので!」
地図を再確認する。海谷市の札所を全部参拝した後は空の宮市に戻るが、郊外を回るので宿泊できるところがあるかどうかわからない。それならば海谷市に留まって鋭気を養ってから再出発する方がいいかもしれない。
「とりあえず明日のことは明日考えましょう! 私もちょっと限界が来てますので……」
綿式玲は大きくあくびをすると、ブランケットをかぶっておやすみも言わずに寝転んだ。すぐに寝息が聞こえてきた。
「ったく、人のこと散々かき回して……」
私は充電中のスマホのアラームをセットし、綿式玲のブランケットに潜り込んだ。一段と可愛く見える寝顔をそっと撫でてやり、目を閉じたのだった。
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