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松山寺

 大きな混乱や事故もなく目的地に到達した。


「ここから奇数の組はまず松山寺から、偶数の組は水の科学館から行きます」


 主任の指示で奇数組と偶数組に分かれる。私の担当、一組が先陣を切って寺にお邪魔すると、住職が出迎えてくれた。


「みなさん、おはようございます」

「「「おはようございます!!」」」


 おー、みんな良い返事だ。


「それでは境内を周りながら、松山寺について説明していきましょう」


 生徒たちがぞろぞろと住職の後をついていく。綿式玲は……よし、ちゃんといるな。


「こちらが弘法大師様をお祀りする大師堂です」


 松山寺は真言宗のお寺、というのは遠足の下調べのときに初めて知った。しかし私にはお寺の宗派の違いがよくわからないし、実家がお世話になっているお寺の宗派すら把握していないぐらい仏教に疎いのだが、弘法大師こと空海が真言宗を開いた、ということだけは歴史の授業で覚えている。「高野豆腐の真空パック」の語呂合わせで。


 大師堂は弘法大師を祀る場所だけあって、シンプルだが重厚な造りになっている。住職曰く平安時代に建立されたものの一時廃れ、江戸時代中期の頃に再建されたそうである。仏教建築の良し悪しも全くわからない身ではあるけれど、紆余曲折の歴史が込められている特別なものというのはわかる。


「それでは本堂をご案内しましょう」


 一番大きな建物である本堂に生徒たちが上がっていくが、みんないい子にしてくれていてこちらが指示するまでもなく、終始整然としていた。


 祀られている本尊の仏像は見事な金色で、目に悪いぐらい輝いている。


「すごい金ピカ!」


 綿式玲が小声ではしゃぎやがったから、小突いて注意した。


「でも何だかご利益が凄そうじゃありませんか?」

「綺麗だからってそうとは限らんだろう」


 むしろ仏像を作るのにどれだけのお布施を使ったんだろう、などという意地悪な考えが頭をよぎる。さっきの大師堂の方がまだ神聖な感じがする。


「でも私はこの仏様にすがってみたいです!」


 何だか今日の綿式玲は変なことを言う。仏頼みするぐらい困っていることはないだろうに。


 住職によるお寺の由緒と弘法大師についての説明があり、それから新入生に対する心構えを説いてくれた。その中で数学についてお話があって、微分積分なんか学んだところで役に立たないというのは思い違いであると言われた。実際に微分積分はエアコンの温度調整機能に応用されているし、建物の強度計算をするのにも微分積分が使われている。我々が当たり前に使っているものの礎には微分積分を含んだ複雑な計算があり、もしもニュートンやライプニッツが微分積分を発見していなかったら我々の生活はもっと不便なものになっていただろう。先人の努力の上に今の生活が成り立っている、それを知るのが学校の勉強だと。


 金ピカ仏像はともかく、住職の言うことはもっともだ。今後二年生の授業で微分積分をやるけれど、資料に住職のお話を追加しとくかな。


 松山寺見学が終わるとちょうど昼食の時間で、水の博物館とは反対側の隣にある公園で弁当を広げることになった。弁当は学園のカフェテリアのスタッフが作ってくれたもので、栄養を考えて作られたものではあるがボリュームもそこそこある。自宅通学組の中には親が作ってくれた弁当を食べたいって子もいたが、そこは申し訳ないがお断りとなった。寮暮らしや家庭の事情がある生徒に配慮しろというのではなく、まだ旧体制だった頃に豪奢な弁当を持ち込んで家柄自慢をしていた生徒がいたためだ。そういう経緯があったために新体制、私が入職した年からは伊ヶ崎理事長の指示で弁当は全員一律となった次第だ。


 私たち教員陣は公園の隅っこの方で生徒を見守りつつ弁当を頂く。


「この唐揚げなかなか美味しいな。ビール欲しいぐらいだ」

「飲んじゃだめですよ!」

 

 とか抜かす綿式玲。多分人の目がなかったら「お前が言うな」とチョップをかましていたに違いない。


「弘法大師さまのお話はなかなか良かったですね! さて悠乃先生、弘法大師さまといえば四国八十八ヶ所のお遍路さんですよね!」

「あー、あの四国一周するやつ……もしかして綿式先生、行ったことある?」

「学生時代は毎年行きました!」

「やっぱり」


 このウォーキングジャンキーならお遍路ぐらいやるわなと思っていたが、綿式玲の口から語られた内容はもっと壮絶なものだった。まず下宿先から歩きで和歌山の高野山までお参りし、高野山を下りてフェリーで徳島に上陸し一番札所の霊山寺に向かってそこからお遍路。帰りももちろんフェリーと歩き。総距離で計算したらもうどれだけかわからないが、綿式玲は決してウソをついていない。五年間こいつと一緒に歩いてきたからわかる。


「自然豊かな風景を楽しんだり、お接待で現地の人々の温かさに触れたり、何よりも心身を鍛えられる。どうでしょう、お遍路さんを授業に取り入れるべきではないでしょうか?」

「却下」


 私はソッコーで否定した。綿式玲に合わせていたら生徒が潰れてしまう。


 昼食の後は今度は水の博物館に行って、空の宮市の水がなぜ日本で一番美味しいと言われているのか、その理由をたっぷりとお勉強して、帰り道をまた歩くのだった。


 *


 それから月日が流れて、気がつけば七月中旬で期末考査も終わった頃。私は職員室で数学Iの採点をしていた。


「んー、やべえな……」

「何がやべえんですか?」


 綿式玲が後ろから声をかけてきた。


「いや、大問4の完解率がめっちゃ低くてなあ……問題文ちゃんと読んだら難しいもんじゃないのに」


 数学ではそもそも問題文が理解できなかったり、誤読したりしてミスることがよくある。だからあえて大問4は出題の意図を読み取れれば簡単で、それができなければ難問になるという我ながら絶妙な問題を出した。しかし悲しいことに完解できたのがたった十人足らず、部分点すら取れなかったのは半数以上にものぼってしまった。


「これ平均点だいぶ下がるだろうなあ。教員会議で何か言われそう。やだなー」

「私も悠乃先生のテストをやってみましたが、大問1からさっぱりでした! 数学は全然苦手です!」

「おいおい、仮にも国立大だろ? センター試験で数学使わないといけないのにどうやって入ったのよ?」

「センターはボロボロでしたが二次の実技と面接で逆転しました! 保健体育専攻だと筆記が無いんですよ!」

「なるほど、納得したわ」

「あっ、本題を忘れるところでした! 悠乃先生、そろそろ夏休みですね。ということで、気合を入れるために行きませんか!」

「どこに?」

「ほら、前に言っていたスペシャルコース散策ですよ!」

「あー、あれな」


 炎天下の中を歩くのは昔の私じゃ考えられないことだったが、歩けば歩くほど体力がつき、健康になっていくのが目に見えてわかった今は違う。健康診断の結果も歩き出してからみるみるγ-GTP値やらコレステロール値やらが減っていき、最近は何一つ異常が出ていない。


「で、どこに行くんだ?」

「松山寺です!」

「松山寺? 前に遠足で行ったところじゃん」


 しかも徒歩二時間だと綿式玲の感覚だと散歩にもならないだろうに。


「お楽しみは松山寺に着いた後です!」


 私は首をかしげるしかなかった。


 ああそうか。こいつ金ピカ仏像をえらく気に入っていたからな。歩きがてらじっくりお参りしたいってことだろうな。


 ……などとこのときの私は、多分期末考査明けで気が抜けていたのだろうか、綿式玲を甘く見すぎていたのだった。


 *


 夏休み初めの夏期講習も終わり、ボランティア部の活動も二学期まで無く、教員研修も入っていない。つまり暇ができたため、有給休暇をがっつり申請した。そのうち一日を綿式玲のスペシャルコース散策に当てるつもりでいたが……。


 その日、私は綿式玲との打ち合わせ通り午前七時に松山寺に現地集合した。いつもならあいつは教員寮にやって来てそれから私と一緒に歩き出すのだが、今日に限って珍しく現地集合と言い出したものだから、私は横着して朝イチのバスを使った。まだ比較的暑さが和らいでいる朝なので歩いて行っても良かったが、この日は予想最高気温が36℃となかなかトチ狂った数字が出ており、日中り歩きに備えてなるべく体力を使いたくないという自己防衛本能が働いたのである。


 松山寺に到着してしばらくすると綿式玲がやはり歩いてきた。もう汗だくになっていた。


「おはようございます! あれ、悠乃先生汗あんまかいてない! ズルしましたね!」

「なんのこったよ」

「汗を味見してウソついているかどうか調べてやります! ブ○ャラティみたいに!」

「やらんでいい!」


 綿式玲が汗まみれの顔を近づけてきやがったから必死に押し戻す。するとそこへ住職がやってきた。


「おお、綿式先生に巨勢先生。朝早くからよくぞ来られましたな。お待ちしていましたぞ」

「い、いえ。この前はご多忙中にも関わらずウチの生徒たちを受け入れてくださりありがとうございました。しかし私たちが今日来るのをまるで知っていたみたいですが……」

「はい! 私が連絡しました!」


 綿式玲が手を上げた。


「綿式先生? これはどういうこと……?」

「巨勢先生はご存知ないようですな。とりあえずお茶でも召し上がりながらお聞きなされ」


 住職に促されるまま、私たちは中に通されたのだが……。


 その半時間後、私は上から下まで白装束に着替えさせられていた。お遍路さんのスタイルである。何でこんな格好をさせられているのか、住職の説明を聞いた後も全く理解できなかった。


 この地に空海八十八ヶ所巡りという、四国八十八ヶ所巡りを真似た巡礼が存在して、今から私が巡礼させられるのだということも。

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