表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/20

お酒とはほどよくつきあおう

 ジュウウウ、と食欲をそそる音が聞こえてきた。


「お待たせしました。本日のメイン、1ポンドステーキです」


 朝倉さんが持ってきたプレートには、巨大な牛肉の塊が乗っていた。この我こそが本物の肉だと言わんばかりの重厚感! 分厚いベーコンを食べたばかりにも関わらずなぜか空腹感が襲ってくる。


「タレをつけて召し上がってください」


 カップに入ったタレは淡い黄土色を呈していた。ちょっと色が薄い気がするが何だろう?


 綿式玲のことも気になったけど、ステーキの誘惑に負けてしまった。まずこっちから頂いてしまおう。ちょうど理事長もナイフとフォークで切り取りにかかってるし。私も肉を切ってみたが、すごく柔らかくてスッと切り取ることができた。


「安物の肉と全然違うな……」


 もう食べる前から「本物」との格の違いをひしひしと感じている。


 ということでタレをつけて、一口パクっとな。


「ほおお~ん!?」


 何だこの味は! 肉汁とタレとの相性が抜群じゃないか。タレは淡白そうな見た目と違って味は濃厚、しかしほんのりとした甘みがあり、うまい具合に肉汁の旨味成分と調和している。


「結唯、これはなかなかのものじゃない?」

「ニューヨークの高級ステーキハウスにひけを取らない味よね」


 お二方も太鼓判を押した。こんなレベルの食べ物を学校のお金で食べちゃっていいものなのか? 三十年の人生の中で母親の手料理除けば一番美味しいものを。星花女子学園の教員になって良かったなあ……


 いやいや、感動している場合じゃない! 綿式玲のがぶ飲みを止めに行かないと。ステーキの誘惑を振り切って立ち上がろうとしたとき、


「巨勢先生はここに勤められて結構長いわよね」


 何ともいいタイミングで、理事長に声をかけられてしまった。


「は、はい。立成十一年入職なので今年で九年目ですね」

「じゃあ、私が理事長に就任したときに入ってきたのか。前の理事長に近かった教員が私の就任に反対して一斉に辞めて、穴埋めで新規採用しようにも当時は評判が悪くなかなか集まらなかったのを覚えてるわ。新卒でよく来てくれたわね」

「実は指導教官に『星花に行ってみんか?』って言われまして。最初私も全然知らなかったんですけど、給料良さげだったんで応募しました」

「思い出した。あなたの大学まで飛び込み営業に行ったのよ。そしたらあなただけ応募してくれたのよね。あとは他大学から二人来てたわね」

「田代と川上ですね。田代は何か校風が合わないって理由で、川上は気の弱い男だったから生徒にナメられてすぐ辞めちゃったんですよねえ」


 そう。私には新卒の同期が一人もいないのである。


「もったいないなかったわよねえ。だから今は長く続けてくれそうな人を選ぶようにしてるの。あとはなるべく星花OGと非OGが半々になるようにして。外からの人材もどんどん入れてないと風通しが悪くなっちゃうからね。巨勢先生も非OGだからこそ外の目線を持っているから……」


 などなど、理事長の話は止まらない。そうしているうちに綿式玲の姿は見えなくなった。トイレにでも行ったのか、それともどこか別のテーブルにお酌をしに行ったのだろうか。いずれにせよ、止めるタイミングを完全に失ってしまった。もう仕方なしに理事長のありがたいお話を聞きつつ、料理を楽しむことにした。


 しかし、私は思い知らされることになる。楽しいことの後には辛いことが待ち受けているということを……。


 *


「それではみなさま、お先に失礼いたします」


 歓迎会終了後、七海ちゃんは理事長と副社長を車に乗せて帰っていった。


 相当食べたけれど、まだ物足りない人たちはこれから二次会に向かう。しかし私は綿式玲を運ばなければならないので遠慮せざるをえなかった。


「そういえば、綿式先生はどこですか?」


 出水先生が聞いてきたので見回すと、駐車場の街灯の下、照らし出された教職員たちの姿の中に綿式玲の姿がなかった。


「綿式先生? 綿式せんせー?」


 返事がない。


「まさか、あいつ一人で……」


 教職員の前でつい「あいつ」という三人称を使ってしまったが、とにかく連絡しないと。私はスマホを取り出し、綿式玲の番号に発信した。


『留守番電話サービスに接続します』

「うーん、歩いてたら気づかないか……」

「とにかく探しましょう!」

「そうだな。あいつ、歩くスピードがむちゃくちゃ速いから遠くに行ってしまわないうちに」


 二次会はたちまち「綿式先生を探せゲーム」と化した。しかし相当飲み食いしてしまっている教職員がほとんどで、その人たちはフラフラになりながら探し回っている。ここはシラフの私が頑張らないといけない。


「車で探した方がいいかもしんない。出水先生も来て」

「わかりました」


 私の車に出水先生を乗せようとしたとき、スマホが鳴った。綿式玲かと思いきや別の後輩教員の番号だった。


「もしもし? えっ!? 綿式先生見つかった!?」


 場所は近くにある海浜公園で、ベンチで寝そべっているところを見つけたらしかった。車で迎えに来てあげて欲しいと言われたので、私は周りに事情を説明してそのまま綿式玲を引き取って帰ることにした。


「なんだこれは、たまげたなあ……」


 綿式玲は全裸で寝転んでいた。その理由も明白だった。


 側に、ゲボにまみれたスーツと靴と靴下が脱ぎ散らかしてあったからだ。


「酒でテンション上がって私に無断で歩いて帰ろうとしたものの、途中で気分が悪くなって吐いたってところだな……」

「だけど見てください。きちんと回復体位で寝てますよ。さすが保健体育教師ですね」

「いや、そこは褒めるとこじゃないから」


 ツッコミもほどほどにして、綿式玲の頬をペチペチと叩いて起こしにかかった。


「おーい、生きてるかー」

「ううん……あ、ゆのせんせ? こんなところでするなんてだいたん」

「わーたーしーきーせんせー、生きてますかー!?」


 綿式玲の声をかき消しながら、強めに頬を叩いた。バレたらどうするんだよ。


「後は私がどうにかするから先生は元に戻って」


 後輩教師を無理やり帰して、二人きりになったところでお説教タイム開始だ。


()()なー、これで何度目だよ酒で失敗すんの!」

「はいっ!」

「はいじゃないわ! お前ペース無視してガンガン飲みまくってたろ。しかもピッチャーで」

「相手のペースに合わせてたらこうなってしまいました!」

「言い訳すんじゃない! いい年なんだからちょっとは自制しろって!」


 生徒に対してもこれ程怒った記憶はない。生徒相手だったら次から気をつけようねで済むだろうが、こいつはすでにアラサー。それなのに同じ失敗を何度も繰り返している綿式玲に対しては容赦の必要など一切ない。もっとも、私も綿式玲の鯨飲を見ていながら止め損ねたのだから責任の一端はあるのだが……。


 しかし綿式玲は事の大きさに気がついたのか、この世の終わりが来たかのような顔つきに変わって泣き出した。


「ほ、本当にすみませんでした! 許してください!」


 何と土下座をしようとしたから、それは止めた。


「そこまでせんでいいから! ほら、帰るぞ」


 私は肩を貸そうとしたが、


「ああ、ちょっと待ってください! スーツのポケットに財布とスマホが入ってます!」


 綿式玲はよろよろと歩き出し、ゲボスーツのポケットに手を突っ込んだ。私は「うええ」と口を抑えた。取り出した財布とスマホも案の定ゲボまみれだったので、綿式玲は水飲み場で洗い落とした。


「スーツと靴と靴下は使用不能だな……」


 それでも責任を持って持ち帰るべきだが、適当な入れ物がないので放置することにした。教育者にあるまじき行為。明日掃除しに来る人のことを考えると胸が痛い……。


「人が来ないうちに早く車に乗りな。今のお前は露出狂とおんなじだからな」

「はいっ!」


 私は今度こそ肩を貸して、速歩きで駐車場に向かった。幸い誰にも見られることはなかったが、全く生きた心地がしなかった。


 全裸状態でシートベルトをかける綿式玲。隣にいる私も変態みたいだ。


 キーを回し、エンジンがかかった瞬間。


「うぷっ……」


 うぷ?


「ヴオ゛えええええええっ!!!!」


 綿式玲の口から飛び出したあり得ない量のゲボが、私の車を汚染した。


 ホラー映画を見ても平気な私でも、このときばかりは恐怖と絶望にまみれた絶叫を車内に響かせたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ