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第一章 宝石の王都 (1)

 ヨークでは、村を三つ越えた先のパーバディンの街が、一番の華やかな場所で、月に一度、博士は買い出しのためにエプィヌを連れてヴィーヴェランの丘を降りて行ったものだった。その度に、市場の活気や人の多さに圧倒されていたというのに、王都エンドラッドの下街は、その上の上を行くにぎわいなのだ。

西の市に入ると、大通りの両脇に軒を連ねる商店は、家紋を染め抜いた色とりどりの暖簾とともに、競い合うように花飾りを店先にぶら下げていたし、鮮やかな菓子や、串焼きなどの軽食を並べる簡素な屋台もある。威勢のいい売り買いの声が、練り歩く楽士たちの演奏の手にかかれば、調子のよい音楽に聴こえてくるのが不思議だった。

「今日は何かのお祭りなんですか?」

幅の広い道だが、こんな騒ぎなので、人波をかきわせる馬車は、とても窮屈そうだった。対面する馬車もあるので、窓から顔を出すと危ない。ぎりぎりまで窓側に身を寄せると、エプィヌは目をみはった。

「いえいえ。祭になりますと、にぎやかさはこの比ではありませぬ」

 ノルドはにこやかに答える。

「主もわたくしめも、はじめてエンドラッドに足を踏み入れた時には、あなたさまのように仰天いたしました」

 彼は、なんとなく語ったのだろうが、あらためてその横顔を見つめて、エプィヌははっと息を飲んだ。ノルドの瞳は、とても深い青をたたえていたのだ。

(不思議な色だわ………)

「――ノルドさんの故郷は、どんなところですか?」

「わしの、故郷ですかい?」

 そのようなことを尋ねられるなど、思いもよらなかったというように、老人は目を瞬かせた。エプィヌとて、このような問いが口をついて出たことに、わずかに驚いていた。

「はい、ノルドさんの故郷のお話です」

「そうですの……」

 あごひげの先をゆっくりとなでながら、彼は少し思案する。

「ここよりずっと東にある、田舎の小さな街ですよ。街、と言って良いものか。とても、静かな土地でした。雲の峰(スフ・マリス)から冷たい風が吹きおろし、雪に閉ざされることもしばしばですがの」

「そうですか」

 エプィヌは、ノルドの瞳を見つめながら、ぼんやりと返事をした。初めて見る、瞳の色だったのだ。それは、同じく珍しい瞳の色を持つエプィヌにとって、親しみを感じる瞳であり、妙に、何かをくすぐられるような瞳でもあった。

「もう、ずいぶん昔のことですよ、そこを出て王都に住み着いたのは。以来、一度も故郷の土は踏んでおりません。年寄の足には、訪ねようとも、もう難しいことです」

 老人は、エプィヌの視線を何事もないように受け流すと、故郷への思い出に浸る様子もなく、淡々と語って、朗らかに笑みを浮かべた。

「さあ、主の館は、市を抜けた先にございますよ。ここは町人の住む場所なのです」

 その言葉通り、極彩色に連なる暖簾が急に途切れたかと思うと、エプィヌの眼前は、さっと赤土の色に埋め尽くされた。賑わいに染まったかのような高い壁と馬車の間を吹き抜ける風は、強かに、上気した頬を打つ。その中に微かな芳香を嗅ぎ取ったエプィヌは、ふいに幻想に囚われた。――薔薇の咲き乱れる花園に立つ、美しい魔女。彼女は、妖のような微笑みを浮かべて、エプィヌを手招きする。その姿は、母親のようでもあり、姉のようでもあり……。

(ユディト女史……どんな人なのだろう)

 博士は、死期を自ら悟っていたのだろうか。そして、彼女に自分を託そうと、以前から準備をしていたのだろうか。そうでなければ、急に見ず知らずの相手から、王都に招かれようはずがない。

 様々に考えを巡らせるエプィヌは、永久に続くかに思われた赤土の壁の先に、アーチ型の門が現れたのを見とめて、深く息を吸った。そうしなければ、心臓が暴馬のように跳ね回って、いてもたってもいられない気がするからだ。

「エプィヌさま、到着でございます」

 がたがたと揺れる馬車は、ノルドの声をかき消しながら減速すると、左に旋回し、門前の石畳に乗り上げる。それを合図に、庭園への扉が内側に開かれた。

 淡い紫の花弁を、ドレスのように纏った小ぶりの薔薇が散りばめられた茂みが、小径の脇から、しばらく奥に続いている。よく見ると、薄紅や白の蕾が混じっており、本格的な春を迎えて次に咲く花々が、順番を待って眠っているのだった。

 まるで、おとぎ話の森に迷い込んだかのような景色。この庭のどこを切り取っても、きっと一枚の絵画になってしまうのだろう。そんなことを思った時、エプィヌは薔薇の中に佇む人影を見つけて、目を奪われた。


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