正義感が強い人=ルールを絶対遵守、という考え方に抱く違和感
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結論から言えば、形通りのルールを守るだけのことはなんにも偉くないし、
そのどこが正義なんだ?と個人的には考えている。
ルール違反した人間に厳しく接するというのもそうだ。集団の規律を守るため?
なにか履き違えてない?と、私は思ってしまう。
リーダーに向いているのだという向きもある。
それは、ルールを「統治機構に利用する」、朱子学的な発想かなとは思う。
正義感という部分では違和感を感じてしまう。
そもそも、ルールを絶対視している時点で、その人の内心の善悪の判断基準というものを私は疑ってしまうのだ。
ルールこそ正しい。
ルール違反は過ち。
……なんだその思考回路。
すべてのルールには、それが成立した背景がある。なにかを守るため、何かを避けるため、そういう「理由」がある。
引っくるめて、法律でいうならば「制度趣旨」とか、「保護法益」と呼ばれるやつだ。
この考えはものすごく大事なことで、ルールをそのまま当てはめると不適切なことが出る場合。簡単に言えば、「いくらなんでも、それはひどいだろ!?ルールが絶対正しいのかよ、え!?」と問い返したくなるようなケースを、できるだけ穏当にまとめるための論理的テクニックでもある(これは司法試験の論述問題などで問われたりする。条文をそのまま適用すれば答が出るようなことは問われない。論点を指摘し、自分がどういう考えに則って問題を解釈するか、反駁も想定しつつ書き進めることが求められる試験だ。堀田は挫折してるけど。)
ともかく、だ。
ルールや、常識を、そのまんま丸ごと鵜呑みにして、違反した人間にやたら厳しい。そのどこが、正義?
ルールが不適切だった場合は、どうするんだよ(不適切なルールが制定されていたことなんてざらだろう)?
すべてのルールが正しいと考えるんだとすれば、世間を知らなさ過ぎるだろ。というか、
歴史の授業でなに習ってきたのかな?と思う。
歴史とか道徳の授業のなかで何を学んできたわけ?ただ事実だけ暗記しましたじゃつまらないぞ?と
堀田は厳しく言いたくなる。
もっとも、これは教えた教師サイドにも問題があると言わざるを得ない。
……道徳の授業は難しいのだ。
教師本人が、その大切さを、難しさを理解していないのに子どもに教えられるわけがない。
厳しく書いているが――教師も人間だと理解している。というか、堀田の両親も祖父も教員なのだ。なので、余計にそう思うのだ。
堀田は時々ものすごく汚い言葉遣いも使っているし(いや、べつに、上品できれいな言葉で喋ってくださいと言われたらできないことはありませんよ。小説書いてるくらいだし。お上品なかたとして振る舞う程度のことは、難しくないですよ。
でも、こういう批判をするときは特に、ブロークンでいたいというか。形ばかりで、イメージ先行で、決められる風潮に。逆らってみたくなることもあるんですよね。
人が上品か下品かを、形ばかりのマナーとか、育ちが良いとか悪いとか、本人の責任ばかりでないところに求めて――人に貴賤をもうけることそのものが、私は好きじゃないのです。
どんだけ荒っぽくても下品でも、身なりが汚くて臭かろうと、サラッと、当然のように弱い人を庇って動ける、何事もなかったかのように去っていく、そんなオッサンがいたら、カッコいいって思いますしね。
教養の有無とか、そんなことよりも、私はそういう部分にぐっとくるし、そういうことを大事にして生きている人を、品がないとは、私は感じないんですよ。――逆もまた然りですね。)
――とまぁ、堀田は斜に構えた考えもしている。社会矛盾に腹を立てて、けっ、と思っている面もあるし……
このルールはほんとうに正しいのかと感じたらスルーすることもある。
ローカルルールや慣習法には、微妙なものも多い気がするから特に。間違っているというつもりもないけれども。
ついでに、法律違反だろうと、堀田は堀田の基準のなかでアウトでなければ、見て見ぬふりをすることもけっこうある……。
儚げな印象の、不法滞在のおねーさんを、心配することはあっても、法に背く存在だからと通報したりしない。
弱い立場の人が搾取される。違法行為に手を染めなければ生きていけない、社会のあり方にも問題があるんじゃないのかと考える。
私が具体的に人を攻撃したくなるのは、その存在が明らかに誰かを傷つけ始めたり、特に弱い相手を踏みにじったりしはじめたときだ。
逆に言えば、いかに「ルールに背いた」とか「法律違反だ」としても、その人そのものはたいして人を傷つけたわけでもないのに、
あるいはその親やきょうだいが罪を犯したからという理由で、その人が「村八分」とか、
「正義を振りかざした者たち」によって、社会的にぼこぼこにされたり、生きる場所を奪われたり、傷つけられたりすることは、
堀田にとっては「許せないこと」にあたる。
正義を振りかざし、ルールに違反したものには厳しく。
――そのどこが正義漢のやることか。
正義、って、なんだ。
ルールを守ることがすべてだと?
そのルールはなんのために存在する。
社会秩序のためなんて曖昧な答じゃ私は納得しない。正義を振りかざし自分は正しいものとして人を攻撃するんだ。
さあ――答えてみたらどうだ、と。
正義感が強い人間は、論理的思考が得意なんだろ?じゃあ、論理的に答えてみたらどうだ。
ルールにないことは思考停止、だって?
それは考えが甘いってことなんだ。そんなんでよくもまあ、ルールに違反した人間に厳しく接してこれたものだな。
正義感が強い人間が、ほんとうに正しくあり続けるつもりなら、誰よりも自分に問い続けなきゃいけないんだよ!
社会秩序のため?そのために誰かを傷つけるのなら、その痛みを知っておかなきゃいけない。
やがて矛盾に行き着くだろう。
社会ってそういうものだ。ルールってそういうものだ。色んな人にはそれぞれの立場があり、時に二つの価値観がぶつかり合うんだ。
自由と平等が、ときに対立してしまうように。
正しいものは常に正しく、人や社会にあるべき姿を提示してくれるとは限らないんだ。
そのせめぎあいのなかで、何を基準に選択していくのか問われるんだよ。
正義をもって人を裁くつもりなら、
そういう部分までちゃんと学んでからにしたらどうだ。
ほんとうに正義感が強い人間は、ルールに違反した者には厳しく なんて、きっとできなくなるだろう。
私はそう考えている。