12.娘のおば
結論から言うと、姉さんは蒼依の過去に関する情報なんて何一つ持っていなかった。
『愛一郎、あんた馬鹿なんじゃないの? 久しぶりに連絡してきたと思ったらそんなことで……。ていうか母さんからも号泣留守電入ってたんだけど。あんたがおかしくなったとかって。結局それも蒼依ちゃんの浮気を疑ってんのが原因ってわけ?』
電話越しで姉さんは深いため息をついた。
『はぁ……ないない。いや、知らんけどさ。うん、ほんと知らんのよ。蒼依ちゃんがあんたに愛想つかして浮気するかどうかなんて。あんたが言ってるみたいな、こっちで私があの子に会ったことなんて一回もないんだから。そもそもどこに住んでたのかも知らんし。あのね、東京ってあんたが思ってるよりもずっと広いのよ?』
いつも通りあっけらかんとした口調。もとより隠し事なんて苦手なタイプだし、相手を慮って優しい嘘をつくような気遣いがある人でもない。
『あー、でもそういや、蒼依ちゃんがそっちで一人暮らしするってなった時に一度だけ電話はもらったっけ。うん、そう、でもそれは知ってるっしょ?』
もちろんだ。そもそも姉さんにも挨拶しておきたいと言われて、電話番号を蒼依に教えたのは僕だ。
『は? いやマジでそん時も大した話なんてしてないって。お世話になりますとか、形式的な挨拶だけだったんじゃないかな。お世話も何も私そっちに住んでないしさー。てか、そうだ。そもそも蒼依ちゃんと話したのは最初だけで、その後は紫依さんに代わって話してたんよ。ん? いやママさんね、蒼依ちゃんの』
しよりさん……そういえばそんな名前だったか、蒼依の母親は。
少し近寄りがたい雰囲気がある人なので深い話ができたことはないけど、もちろん会ったことは何度かある。蒼依の引っ越しの際には、「蒼依のことをよろしくお願いします」と深々と頭を下げて哀願されてしまった。僕のことを娘の恋人として認めてくれているのだ。
『あーまぁ、そっか、あんたが会ったのはそーゆー時くらいだもんね。や、私はちっちゃい頃に大学生くらいの紫依さん普通に見てたからさぁ。恋人の紫依さん連れて、貞作くんが里帰りとかしてたんよ。うん、蒼依ちゃんのパパ。変な噂立つようになってからは、さっぱり来なくなっちゃったけどね。はぁ、ホンットどこ消えちゃったんだろうねー、貞作くん。怪しい研究とかしてたっぽいし、闇の組織に暗殺とかされてたりして。なははは、冗談、冗談』
クソつまんねーなこいつ、と一瞬思ったが、タイムマシンの開発に成功してしまったことを考えれば、命を狙われることくらい、荒唐無稽な話でもないのかもしれない。
『で、やっぱそのせいなのかな、紫依さんもちょっと精神的にさ、不安定な感じじゃない? 昔は蒼依ちゃんそっくりの清楚で明るい美人さんだったのに……父さん母さんも言ってたけど、何か生きるのに必死な感じってかさ、蒼依ちゃんに対しても執着してるっていうかかなり過保護なのかと思いきや、あっさり一人暮らしさせちゃったり』
確かに言われてみれば、その印象はある。
子供のころ、蒼依はいつも母親の顔を伺っていた。僕と二人きりのときはくだらないイタズラなんかで楽しんだりもしていたものだけど、母親の前では優等生の顔を崩さないよう気を張っていた。母親の方もそんな蒼依を優秀で見栄えが良くて完璧な娘だと自慢げにしていた。
さすが東京、アニメやドラマに出てくるみたいな教育ママなんだろうなぁ、なんて無邪気に思っていたけど、その割に十五歳そこそこの一人娘が自分の元を離れていくことに、あの人は心底安心しているようにも見えたのだ。まるで憑き物が落ちたかのような、長年の呪縛から解放されたかのような、安らかな顔つきをしていた。
実際あれ以来、約二年半の間、蒼依のお母さんはこの村に顔を見せていない。
『ところで父さんがEDってマジ?』
それ以上姉と話すのは時間の無駄でしかなかったので「直接自分で聞け」とだけ答えて僕は通話を切った。
要するに、肩透かしで終わった。まぁ、ある程度予想はしていたが、有益な情報は何も得られなかった。
やはり、愛朱夏の言っていたことは間違っていたのだ。
とはいえ、実際に愛朱夏の中には、蒼依に前科があるという何か確信めいたものがあるのだろう。再度あの真に迫った表情・雰囲気を思い返してみても、それを疑うことは難しい。だからこそ、そんな確信に至った理由を正直に話してくれればいいのだ。なぜ僕にそれを隠す?
とっさに誤魔化してしまったとしたって、なぜ敢えて「おばに聞いた」なんてデタラメな選択が浮かんだのか。愛朱夏のおばは、姉さんしかいないのだ。こうやって僕が直接姉に確認すればすぐバレてしまうことくらい、誰にだってわかる。
「もしかして、あいつ……僕の娘――単なるバカなのか……!?」
何かしら僕を欺くつもりなのだとしても、計画性が見えないのだ。行き当たりばったり感が拭えない。
つまりあいつは、何の法則性もなく、出たとこ勝負の嘘ばかりついてしまうただの虚言癖持ちか、何の悪気もなく、誤った思い込みばかりをまき散らしてしまうただのバカか――ということになってしまう。
「どっちだとしても最悪じゃないか……!」
いや、違うか。
最悪を、甘く見ちゃいけない。
あいつの言っていることが全て真実――それこそが、僕にとっての最悪なのだから。