第9話 王都アクアリウム
曇り空に太陽の光が遮られ、薄暗い明かりの中をシルは箒に腰掛けた体勢で飛行し海の上を快調に進んでいた。
師匠ロンズが水の国にいるという情報を手に入れたシルは、風の国ウィンズから水の国ウォルタを目指している最中だった。
風の国の領域に含まれる離島で一夜を過ごし早朝に出発したが、既に夕方近い時刻になろうとしていた。だが、シルの視界にはようやく水の国の本土が映っていた。
暗くなり始めた空間の中、街の光が怪しく目を引きつける。そして、シルはとうとう海の上から大地の上へと到達する。
初めて訪れた水の国、その王都アクアリウムの門は噴水が湧き上がり水の迫力がその存在をより強く引き立てていた。
街の入口に到達したシルだが、門番に行方を遮られてしまった。
「王都には自国民以外は入場許可が必要だ」
「流水の魔女アビスさんに紹介されました、風の国の魔女シルです」
「……なに? アビスから?」
門番は怪訝な顔をしていたが、シルが差し出した紹介状を確認してそれが本物であると認める。
「確かに本物のようだな。すると、お前はアビスが認めた魔女ということか?」
「認められたかどうかは知りませんが……才能溢れる魔女です」
「ふむ……少し待て」
そう言うと、門番は携帯袋から水晶を取り出し誰かと会話をし始めた。
会話の内容は聞こえないが、シルとしてはさっさと街の中に入れて欲しいのが本音だった。暫くすると門番はシルに向かって振り返り、軽く咳払いをする。
「話がついた。入っても良い、だが条件がある」
「条件ですか?」
「うむ。我らが王都アクアリウムは、今一人の魔女に国の発展に繋がる技術協力をして貰っている」
門番の発言に、シルは首を傾げた。
「王宮魔導師とは違うんですか?」
「正式な階級を得られる王宮魔導師とは違う。その存在は公にはしていないからな」
「……今私に話してるじゃないですか」
シルがそう尋ねると、まるで待っていたとでも言いたげに門番は目を光らせる。
「条件とはそのことだ。ここ数ヶ月、そいつは何の成果も見せていない。恐らくはスランプにでも陥っているのだろう……同じ魔法使いとしてなにか刺激になるような経験をさせてやれ。それがお前を王都に迎える条件だ」
「えー……」
シルは露骨に嫌な顔をした。いくら王都とは言えそんな使い走りのようなことをしなければ入場できないとは、あまりに理不尽だ。
とはいえ、王都を追い出されるという事態は出来るなら避けたいのが本音だ。下手をすると他の街にすら入れないように王都から根回しされるかもしれない。
(まー偉い人のご機嫌取っておくくらいいいですかね)
渋々ながらシルは首を縦に振った。
そして、シルは門を開けてもらい、王宮から来た遣いの兵士に案内されて街の中へと入っていった。
街の中は、シルが見てきた中でも一番の美しさを誇ると言っても過言ではなかった。整備の整った造りの街に、淡い光に包まれた水が至るところを流れまるで光の中に包まれているような気分になる。
王宮にたどり着くと、奥まで連れて行かれそこから地下へ続く階段を通っていく。
「えっと、その魔法使いってこんな地下にいるんですか?」
「普段はいつも地下深くで研究をしている。その方が集中できると言ってな」
こんな地下深くで好き好んで一人で研究するとは、余程偏屈な人なのだとシルは思った。
気難しい人だったら嫌だなぁとシルは憂鬱になる。
そしていよいよ目的の魔法使いがいる部屋へとたどり着いた。
シルは面倒な人に難癖付けられないといいなぁと面倒に思っていた。兵士が扉を叩いて中にいる人に呼びかける。
「ルド、客人を連れて来た。入るぞ」
ルド、というのがこの先にいる魔法使いの名前らしい。
扉を開け、中に入ったシルは部屋の中を見回した。
そこには部屋の至るところに剥製や人形が飾られ、大量の本や魔法瓶なども散らかっていた。
いかにも陰気な魔法使いの研究室っぽいなぁとシルは肩が重くなる気がした。そして、兵士が部屋の主に声を掛ける。
「こちらが風の国から来た魔女だ。話を聞いてみると気分転換にもなるだろう」
兵士が動いてシルから部屋の主が見えるようになる。
世界が、止まったかのように思えた。
偏屈な年を取った老人や、気難しい男性を想像していた。しかし、今目の前にいるのは、幼い少女だった。
金髪のウェーブのかかった髪が微かに揺れる度に視線が惹きつけられ、丸く可愛らしい熊の耳が付いたフードもより幼さを助長して見せる。何よりも、銀色の淡い瞳と柔らかく繊細な肌でできた顔に、シルは目が離せなくなった。
兵士がなにか話しているが、全く耳に入ってこない。ただ、ルドという少女にシルは釘付けになり他の全てが目に入らなくなってしまった。
胸が熱い。ドクンドクンと煩いほどに高鳴り、その熱が全身から顔へと伝わり頬も赤く変色していく。
ルドの見上げるような視線も、その佇まいも、全てが可愛らしくて愛おしくて仕方がない。無限にも思える程の時間が、シルの中で過ぎていっているような気がした。
「……おい、おい」
兵士に肩を叩かれて、ようやくシルは正気を取り戻した。自分が黙り込んでいたことに気がついたシルは、慌ててルドの前に出た。
「えっと、初めまして。魔女の、シルで……」
前に出て、改めて近くでルドを見る。そのせいで、また緊張してしまった。
一体自分はどうしてしまったのか。胸が高鳴りを止めないし、体温は上昇しっぱなしで、言葉すらまともに出てこない。
「……ルド。よろしく」
「よ、よろしく、です」
震える手をゆっくりと伸ばしてルドと握手を交わす。手を握ると、その感触に全身を電流が走ったのかと錯覚するくらい衝撃を受けた。
柔らかい、そして温かい。なにより、一瞬聞こえた声も劇薬のようだった。
兵士はシルに任せると告げると部屋を出ていってしまった。二人きりになり、シルはどうしようかと考えるがルドは一人でノートに向かって何かを書き続けていた。
ひとまずはここに連れられてきた目的を果たそうとシルはルドに問い掛ける。
「あの、今は一体なにをしているんでしょうか。数ヶ月成果が出ていないと聞いたのですが」
「それはもう終わってる」
「はい?」
シルは聞き間違いかと思った。しかし、ルドは黙々と資料を見比べながら言葉を続ける。
「課題を終わらせるとすぐに別の仕事を押し付けてくる。だからギリギリまで引っ張ることにしてる。その間に自分の研究をした方が楽しいもん」
「はぁ」
どうやら国はルドがスランプに陥っているから進展が遅いのだと解釈していたが、実際はルドが自分の研究を優先させているだけだったようだ。
なんという呆気ない結末。これだと自分がすることはないなとシルは溜息を吐いた。
報告すべきかどうか悩んだが、こんな女の子に国の発展のための研究を押し付ける方が変な話だとシルは思い、黙っておくことにした。
やることがなくなってしまい、どうしたものかとシルは途方にくれていたが部屋を見ているとあるものが目を引いた。
人形が数体、研究資料や小道具を運んでいる。それ自体は魔法で動かしているのだと理解できたが、単調な動きではなくまるで自分の意志を持っているかのような動き方をしていることにシルは気がついた。
「このお人形さん達はどんな魔法で動かしているんですか? こういうのって単調な動きしかできないと思っていたのですが」
「私の専門がネクロマンシーだからその応用。命のないものに生きているものと同じように自律で動かすことが出来るの」
「へー、結構な高等魔法ですね」
シルは早速試したくなって、杖を取り出すと動いていない人形に向けて魔法を描けた。魔法を掛けられた人形はひとりでに動き始め、床に散らばっていた書類を拾い始める。
「へー、こんな感じなんですね」
「……」
それまでずっと自分の作業を黙々と続けていたルドが、シルに目を向けた。自分と同じ魔法を使ったことに、僅かながら表情に驚きが出る。
「……お姉さんは操作魔法が得意なの?」
「いえ、初めてやりました。私、一度見た魔法は大体すぐに覚えられますので」
「……」
シルの話を聞いて、ルドは暫く考え込んでいたがやがて机に置いてあった杖を取ってシルの隣へと移動する。
「見てて」
一言だけシルに告げると、ルドは杖を机に置いてある薬品に向けて振った。すると、二つの瓶の中に入っていた薬品がそれぞれ半分浮き上がり、空中で一つに纏まる。そして球体の形になったかと思うと突然鉱物に変わって床にゴトンと音を立てて落ちた。
「物質操作と変化を同時にする魔法。お姉さん、やったことある?」
「いえ、流石に同時にこんなに変えるのはやってませんね……全然違う物質になってるじゃないですか」
物質変化も、銅を金に変えるなど鉱物を別種の鉱物に変えるなどある程度同種の物ならばやったことあるが、鉱物と関係のない薬品を混ぜ合わせた上で鉱物にするなど、やったことがない。
「やってみて」
「はい」
面白そうだと思ってシルは同じ魔法を試そうとする。しかし、シルは初めての事態に直面した。
ルドが魔法を使うところを見ていたはずなのに、どうすれば出来るのか見当がつかない。今までこんなことはなかったのに、魔法の使い方が分からない。
シルが悩んでいると、ルドが小さな声で呟いた。
「成功」
「え?」
「私の魔法が盗まれないようにプロテクトを掛ける術式を試してた。お姉さん相手に通用するなら機密性は高水準と見て良さそう」
ルドは心なしか嬉しそうにしながらノートに向かって今の結果を書き記し始める。
シルが魔法をコピーできるのを知って、それが出来るか否かで自分の魔法が完成したかどうかをテストしたらしい。
研究熱心というかなんというか、手段を選ばない子ですねとシルは苦笑する。
ルドは今の結果を書き終えると人形の一体を胸の前でギュッと抱きしめる。そして、シルと向かい合って上目遣いで見上げてくる。
シルがその仕草にドキっとしていると、ルドはまた小さな声でシルに話しかける。
「……見せて」
「はい?」
「次は、お姉さんの魔法……見せて」
自分が魔法を披露したのだから、今度はシルの魔法が見たいのだと言っている。ルドは、最初と違ってシルに興味を示していた。
それが分かると、何故か無性に嬉しくなった。シルは二つ返事で了承した。
そして、二人は普王宮の魔法使いが使用する訓練場に移動してお互いの魔法を見せ合った。
短い間だったが、見たことのない魔法を次々に見られてシルは久々に魔法を学ぶ気分を思い出した。未知の魔法を目の当たりにする興奮は、何度味わっても飽きが来ない。
なにより、お互いが学び教えあう時間が、ルドとの距離が縮まっていく気がして心地よかった。
最初は冷たかったルドだが、今ではなんの抵抗もなくシルと話をして、側に寄ってくれる。
ふと目が合うと、心が暖かくなるのを感じて二人で揃って笑みを浮かべたりした。
「……お別れですね」
「……うん」
夜の10時を目前にして、シルは城の兵士から今日は街の宿を取っておいたから一度帰るように伝えられた。
また明日になって会えばいいとは分かってはいるが、多少は寂しい気持ちが沸き上がってくる。
シルは、ふと気になってルドに尋ねた。
「あの……ルドは一人なんですか? ご両親は一体どこにいるんですか?」
「いない」
「それって……」
「私は親に捨てられてた所を拾われた。孤児院にいて、偶然アビス様が私のことを見つけて王都に斡旋してくれたの」
「そうだったんですか」
シルは、ルドの話を聞いて悪いと思いながらもどこか親近感を感じずにはいられなかった。
「私も同じようなものです。物心着いた頃には両親はいなくて、師匠に育てられて来ました」
「……お姉さんも、親が誰か分からないの?」
「はい」
シルが話し終えると、ルドと二人でお互いを見つめ合う。
ずっと二人でいたいと思っていたが、兵士に催促されてシルは渋々城の外へと向かう。最後に振り返ると、ルドの寂しそうな顔が目に焼き付いた。
宿へと向かう道中、シルはずっとルドのことを考えていた。
私と同じで両親を知らないルド。でも、正確には違う。私は、どうして親がそばにいないのか分からない。でも彼女は、明確に捨てられたのだと知っています。
そして、私には師匠がいます。師匠からは、少なからず大切にされてきた思い出があります。でも、彼女にはきっとそれがない。あの城で、愛情に包まれて暮らしていたとは、あの顔を見る限り思えません。
シルの頭に浮かぶのは、別れ際のルドの寂しそうな顔だった。
そして、シルは立ち止まり箒に腰掛けると逆方向へと飛んでいった。
暗い自室の中でルドは明かりもつけずに座り込んでいた。
今まで、あんな人にあったことはなかった。内に秘めた才能も、ルドが王宮で見たどの魔法使いよりも優れている。秘密がいっぱいあって、もっともっと知りたいと思える。
でも、夜になったらお別れだ。普通の子供たちは、夜になっても大好きなお母さんやお父さんと一緒の家にいる。
「……私は、夜になったら一人ぼっち」
本当は、いつでも一人だ。この広い城の、大勢の人がいるこの城の中で、私は一人だ。
私のことを分かってくれる人なんてここには一人もいない。誰も、私がなにを考えているのかなんて知ろうともしない。
現にこの数ヶ月、私になにがあったのか聞きに来る人は一人もいなかった。私に近いところに来てくれたのは、たった一人。
通りすがりの、銀色の魔女だけだ。
その時、突然ドアをノックする音が響いた。
こんな時間に誰だろうと思って扉を開けると、そこにはボロボロの人形が浮かんでいた。自分の私物ではない人形の登場にルドは不審に思いつつも、まるで自分を導くかのように移動する人形の後をルドは追いかける。
もしかして、もしかして……そう思って城の上階まで来たところに、彼女はいた。ガラス越しに浮いている姿が見えた瞬間、ルドは窓に魔法をかけてガラスを消し去った。そして、空に浮かぶ彼女を近くで見上げる。
「こんばんは、お嬢さん」
月の光に照らされて見えるシルの笑顔は、ルドにとってこの世の何よりも美しく見えた。
シルは苦笑いしながらルドに話しかける。
「ごめんなさい、どうしても会いたくなってしまって」
「私も、会いたかった」
「……ルド、見てください」
シルは杖を街に向ける。その瞬間、淡い水色に光っていた夜景が、一瞬にして七色に彩られる。
口を開けて呆然とするルドに、シルは側に寄って話しかける。
「街の至る所にある光源の魔力に少し細工をしました。これで光源は魔力に触れるたびに色を変えるようになるんです」
「この街は水に乗って魔力が流れるから、それを利用して光が次々に色を変えていくんだね」
「ええ、驚きました?」
シルの質問に、ルドは頷いて肯定した。
シルは、そんなルドを見て微笑む。そして静かに告げた。
「ルド、私は師匠を探さなければなりません。だからここにはずっといる訳には行きません。だから、覚えておいて欲しかったんです」
「え……?」
「私は旅に出て、少しですが変われた気がします。知っていたはずのことでも、実際に見てみると全く違って見えたりもしました。だから……いつか、あなたにもそんな日が来ることを祈っています」
例え今はこの城に一人でも、外にはまだあなたの知らない世界があると。
あなたの知らない世界には、きっとあなたが大好きになれるものが、あなたを好きになってくれる人がいっぱいいると、シルはそう伝えたかった。
「すぐじゃなくても構いません。いつか……外に出て、色んな物を一緒に見ましょう。それができる日を楽しみにしています」
「……ありがとう」
ルドが感謝の言葉を伝えると、城内の騒ぎが大きくなってきた。
早く逃げないと見つかりそうだと考えていると、ルドがシルに話しかける。
「私が城の人を足止めするから……その間に逃げて」
「ありがとうございます……また、会う日まで」
「うん」
シルは、ルドとまた会う約束をすると全速力で王都から外に向かって飛んでいった。
ルドがその後ろ姿を眺めていると、警備の兵士がルドを見つけた。
「ルド? こんなところで一体何をしている。それより、今街が……」
兵士がそこまで言いかけた所で、ルドはパチンと指を鳴らした。
その瞬間、その場にいた兵士だけでなく、城内にいた者が全員意識を失った。城内だけでなく、王都の民も次々と気絶していく。そして、気絶した者の頭から魔力で形成された小さな虫が這い出てくる。
こんな時の為に、寄生虫を仕込んでおいて良かったとルドは安堵した。
虫を回収して自分の魔力として取り込みながら、寄生していた宿主の知識から必要なものを抜き出して一緒に吸収する。
さて、早く荷物を纏めて出発の準備をしなければいけないとルドは早足で自室へと向かった。急がなければずっと遠くへと行ってしまうかもしれない。そうなると、土地勘があっても追いかけるのに苦労してしまう。
そうなる前に、さっさと出発して再会しようとルドは決めていた。
「待っててね。シル……お姉さま♥」
そう呟いたルドは、今までで一番の笑みを頬を紅潮させながら浮かべていた。