第8話 道標の港
「はぁー……」
シルは目の前に広がる海を見て感嘆の声をあげる。ワンストーン町から北に向かって出発した旅は、国境近くから東に向かいとうとう東の端までたどり着いた。ワンストーン町は風の国の南西に位置しているので、一応国の殆どを突っ切ったことになる。
最も、まだ訪れていない街や地域はいっぱいある。しかし、住んでいた場所から国のほぼ反対側まで来たという事実はシルにある程度の充足感を与えた。
「来るところまで来た感じがしますねぇ」
師匠を探して続いた旅も、一つの節目を迎えようとしている。シルはそう感じていた。
とはいえ、未だ師匠ロンズに関する手がかりは見つかっていないのだ。気持ちを切り替えて街の探索をしようとした時だった。
なにやら大声が聞こえてくる。
「ジョンソーン! 必ず、必ず帰って来てねー!」
「約束するよジェニファー! 僕は、必ず愛する街と君に幸せを持ち帰ってくる!」
防波堤に立つ女性が、なにやら海に向かって大声で叫んでいる。シルが女性の向いている方向を見ると、生みの上に浮かぶイカダが見えた。
どうやら、それに乗っている男性に呼びかけていたらしい。
「はぁ……カップルの茶番でしたか」
あんなイカダでは沖に行くことすら困難だろうに、一体何をしようというのだろうか。
シルはバカップルの遊びには付き合いきれないと、さっさとその場を離れようとした。その瞬間、海中から黒い触手のような物がイカダを突き破り、男性を海へと吹っ飛ばした。
「ジョーンソーン!!!」
「知らない人ー!!!」
ジェニファーとシルの大声が港に響き渡った。
「ごふっごふっ……ありがとう、キュートな魔女さん」
「いえ、別に」
シルは箒で飛んで海に放り出されたジョンソンを回収し、恋人のジェニファーの元まで連れ戻した。海水で濡れたスカートを絞って水気を落とし、魔法で濡れた衣服を瞬時に乾かした。
「本当にありがとうキュートな魔女さん。もう少し君の胸が大きければ君の虜になってしまっていたよ」
「本当にありがとうビューティーな魔女さん。もう少しあなたの胸が大きければジョンソンを盗られていたわ」
「なるほど、喧嘩売ってるんですね」
シルが青筋を立てて怒りをなんとか堪えつつ、肩を抱き合って笑い合う二人に尋ねる。
「……それで? 一体なんであんなイカダに乗って海に行こうとしたりしたんですか。それにあの黒いのは一体なんなんですか?」
「そうだね、その説明をするにはちょっと移動したほうが分かり易いかもしれないね」
シルはジョンソンとジェニファーに連れられて、港の泊地にやって来た。そこにあったのは、ボロボロになった大量の船とその修理に追われる作業員だった。
「殆ど全滅じゃないですか」
「そうなんだよ。最近あの黒い触手が港から出ようとする船を手当たり次第に襲うせいで、全然漁も運搬もできなくなっちゃったんだ」
「そのせいで最近は全然皆仕事できなくて……早く何とかしないと仕事がなくなっちゃうかもしれないの」
近頃突然現れたあの触手のせいで、この港はすっかり仕事が出来なくなってしまったらしい。ジョンソンとジェニファーの両親も船を破壊され、困り果てていたという。
「それで僕が勇気を出してあの触手を倒そうとしたのさ。結果は魔女さんの見たとおりだったけど」
「なるほど、そういうことでしたか。王都から救援は来てないんですか?」
「まだあれが現れて一週間も経ってないからなぁ、最初に知らせを飛ばした時は被害も小さい船がちょっと破損した程度だったから、あんまり大事だと思ってくれてないのかも」
「あーあ、あの人がいてくれたらなぁ」
ジェニファーが残念そうに呟いた。その内容が気になってシルは質問をした。
「あの人とは?」
「水の国から来た魔女なんだけど、この港に常駐しててね。揉め事とかあったら全部解決してくれてたの。たまたま水の国に戻った時にこの騒ぎが起きて……あの人がいたらこんな騒動すぐに解決するのに」
「なるほど、そんな魔女がいたんですね…………ん?」
シルがジェニファーの話を聞いていると、ふと視線を感じた。
辺りを見回してみると、漁師や作業員の視線が自分に集まっていた。シルは思わず後ずさりする。が、すぐにジェニファーが手を素早く掴んで引き止める。
「そんな訳で、ここの人は皆魔女を頼りにしてるのよ」
「うんうん、きっと魔女っていうのは優しくて強くて頼りになるんだろうなぁ」
「そうだそうだ」
「あー、頼りになる魔女様がいてくれたらなぁ」
ジョンソンとジェニファーに続き、その場にいた人物全員がシルをちらちら見ながらわざとらしく大声で独り言を零す。
シルは盛大に溜息を吐いて頭を抱えた。
「……はいはい、やりますよ。やればいいんでしょう? やれば」
「うおおおおおおおおおおおおおおお!」
渋々了承すると、漁師と作業員、野次馬の住人達全員が湧き上がって歓喜し始めた。
シルは早くこの街離れたいと切に願うのだった。
そして、漁師達にもう使い物にならない程壊れた小さい船を借りたシルは、魔法を使ってゆっくりと船を動かし始めた。
ジェニファーは驚いて口をあんぐり開けた。
「凄いわ! あれ直ってるの?」
「いいえ、魔法で無理やり前進させてるだけです。でも囮にはあれで充分ですよ」
シルは涼しい顔で船を操作し前進させる。すると、また黒い触手が現れて船を底から貫いて壊した。
その瞬間、シルは船から触手へと魔法の光を移す。黒い触手はすぐさま海中へと引っ込んで姿を消してしまった。
ジョンソンが不安げに尋ねる。
「もしかして、逃げられたのかい?」
「いえ、今のはマーキングをしただけです。これで気兼ねなく追いかけられますよ」
シルは触手に付けた魔力の反応を追って、杖の指す方向に向かって歩き始めた。暫く歩いていると、そこには下水道の入口があった。
シルは溜息を吐いて下水道の続く先を見つめる。
「ここですか……この先にいかないといけないんですか……」
「へー、海に魔物でも潜んでるのかと思ったけど、この中に隠れてたんだね」
「そうねー、てっきり沖の向こうとか海底にいるのかと思ってたわ」
シルの憂鬱をよそに、ジョンソンとジェニファーは気楽なものだった。
シルは二人に言いつけた。
「とりあえず、私はこの先を調べます。おふたりは港で大人しくしててください」
「分かったよ」
「頑張ってね魔女さん」
二人に見送られながら、シルは下水道の奥へと箒に腰掛けて飛んでいった。奥に進むにつれて、明かりがなくなって暗くなっていく。
杖の先端に光を灯し、それを光源に奥への探索を続ける。
すると突然、水道の中から魚の様な形をした魔物が飛びかかってきた。
「シェルシールド・エレキ」
シルが杖を向けた先に亀の甲羅の様な形状の盾が現れる。盾は魚の突進からシルを守り、甲羅の中から蛇が現れて魚達を絡めて縛り付ける。そして電撃が発生し、魚達は一瞬の内に消滅していく。
「……天然物じゃありませんね、コレ」
自然の魔物ではなく、明らかに人が作り出した生物だとシルは見抜いた。ということは、間違いなくこの奥にこれを作った人物が潜んでいる。
「どうやら無駄足にはならなさそうですね」
早めに終わりそうで何よりだと、シルは飛行の速度を上げて突っ切っていく。
「大丈夫かなー、魔女さん」
「心配ねー」
ジョンソンとジェニファーは二人仲良く体育座りをしてシルを待っていた。
すると、二人の背後に人の影が出来た。一体誰が来たのかと振り返ると、二人は驚愕の表情を浮かべる。
「あ、あなたは!?」
「もしもーし、出てきてくれませんかー?」
下水道の奥深く、少し開けた空間にたどり着いたシルはそこにいるであろう人物に呼びかけた。ここだけうっすら明かりが付いていて明らかに人の出入りの跡がある。
人がいるに違いないというシルの読み通り、その人物は奥の暗闇から姿を現した。
薄汚れた白衣に牛乳瓶の底みたいなレンズの眼鏡をかけたヒョロヒョロの男性が、クククと笑い始める。
「ようこそ、僕のラボへ」
「ここをラボと言い張りますか」
「僕の研究の偉大さは分かってくれるだろう? 僅か一週間足らずでこの港を壊滅状態に追い込みつつある。これが完成すれば高く売れるぞぉ、こいつは……」
男は自分の研究に酷く酔いしれているようだった。こんな大人にはなりたくないなぁと思いながら、シルは男に杖を向ける。
「大人しくお縄になってください。今なら多分街の人に半殺しで済みますよ」
「お断りだね……行け! ハムラクラーケン!!」
男の呼びかけに応え、黒い体表のイカのような魔物が水の中から現れ低く鈍重な雄叫びを上げる。
シルは魔物を睨みつけながら杖を向ける。
「これが黒い触手の正体ですか……しかしクラーケンはともかくハムラとは……?」
「僕の名前だけど」
「……」
思わずずっこけかけたシルだが、なんとか持ちこたえる。
落ち着きましょう、自分の名前をつけたがるのはよくあることです。シルは自分にそう言い聞かせてなんとか笑いを堪える。
「悪いですけど、さっさと仕留めさせて貰いますよ。フェニクスウイング・エレキ!」
シルが杖をひと振りすると、大量の電気を帯びた羽が発射される。それらは全てクラーケンに命中した。
しかし、意外にもクラーケンは平気そうな様子だった。怪訝な顔をしたシルを見て、ハムラは高らかに大笑いした。
「ふはははははは! 皆水の魔物を見ると電気属性の魔法ばっかり使う! だから僕はそれに対抗できる魔物を作り出すことにしたのさ! 電気に耐性のあるミグメフロッグをクラーケンに融合させた! これにより、電気に耐性のある最強の水属性の魔物が出来上がったんだ!!」
「……」
ハムラの話を流し聞きしていたシルは、構わずクラーケンに向けて杖を向けた。それを見たハムラは鼻で笑った。
「ミグメフロッグは水で濡れると自らの電気に感電する。それを狙っても無駄だよ、このクラーケンは水を吸収する変異体だからね。水と電気、どちらにも耐性のある最強の魔物なんだよ、ハムラクラーケンは!」
「ドラグヘッド・ツインアクアエレキ!」
シルの杖から放たれた二匹の龍が、クラーケンに噛み付いた。水の龍の攻撃をクラーケンは吸収し、そこへ電気の龍の攻撃がフロッグの感電と合わさって強力な電撃と化し、クラーケンは呻き声をあげて倒れた。
余裕の顔をしていたハムラだが、目を見開いてシルを震える手で指差した。
「お、お前なにしてんだぁー!?」
「いえ、水と電気両方ぶつけただけですけど……なんか最近よくこれ驚かれるんですけどそんなに凄いですかコレ?」
シルが複数の属性を使えることを伝えると、ハムラは頭をぐしゃぐしゃと掻き毟って大声で叫んだ。
「お前! お前みたいな変異種が! 突然生えてきた特例の変異種のせいで僕の偉大な研究が霞んじまうんだよぉ! 駄目だろう!! お前みたいな自然の摂理に反した変種はいちゃダメだろおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
「……なんか色々好き勝手言ってくれますね」
半ば呆れ果てたシルを他所にハムラはクラーケンに泣きながらしがみついた。
「可哀想に僕の可愛いクラーケン……今すぐ逃げようね」
すると、クラーケンは下水の中に潜り込みあっという間にその場を離脱してしまった。
入り組んだ下水道だが、ハムラは出口へと最短ルートを知っている。こればかりはひたすら下水道に篭りきりだった自分だけの特権だ。初めて見る顔のあの魔女は脱出にも手間取るはず。そう読んでハムラは一目散に逃げ出した。
やがて外の海へとたどり着いたハムラはクラーケンから降りて港へと降り立った。
「よしよし、とりあえず急いで荷物を纏めて出発の準備をしようか。他所の街で落ち着いてクラーケンの更なる強化の研究を進めよう」
「あ、お疲れ様でーす」
「うん、お疲れ様」
思わず返事をしたハムラだが、嫌な予感がして振り返る。
そこには箒に腰掛けて笑っているシルがいた。口をあんぐり開けてシルを指差した。
「お、お前、なんで!?」
「私師匠ほどじゃないけどワープも出来ますから。入口にマーキング付けておいたんですよ」
箒から降りてシルは改めてハムラに杖を向ける。
「さあ、終わりにしましょうか」
「……舐めるなよ魔女。ここは海、クラーケンの本気が出せる環境だ! やってしまえ!」
ハムラが命令した瞬間、海の水が鋭い槍の形になり、クラーケンの足を全て削ぎ落とした。
「……え?」
ハムラが呆気に取られた顔をしてクラーケンを見つめる。
シルも何事かと思っていると、シルの後ろから一人の女性が現れた。長い金髪と蒼の瞳、鋭い目つきはまるで不良のように思わず縮こまってしまう程だ。
シルが不思議がっていると、ジョンソンとジェニファーが後ろから現れて笑顔で呼びかけてくる。
「もう大丈夫だよ、アビスさんが来てくれたからね!」
「アビス……?」
「水の国から来たこの街を取り仕切る大魔女……流水の魔女アビス!」
ではこの人が街の人から頼りにされていた例の魔女でしょうかと、シルは思い出す。
こちらに近寄ってくるアビスをシルはじっと眺めていたが、アビスに帽子の上から撫でられる。
「よくやったな」
「……あ、はい」
突然褒められてシルは唖然とする。
アビスは前に出てハムラを睨みつける。その眼光に怯えながら、ハムラはアビスに文句を言い始める。
「お、お前……よくも僕のクラーケンを! こいつを作るのに僕がどれだけ」
「うぜぇ」
アビスが杖を適当に振ると、海水の水が目にも止まらぬ高速の速さでハムラの顔面に叩きつけられる。水とはいえ、これ程の速度で叩きつけられればコンクリートがぶつかるのと変わりはない。ハムラは気絶して地面に仰向けに倒れ込んだ。
これで終わったかと思ったが、足を全てもがれたクラーケンが唸り声を上げて怒りを露にする。まだクラーケンが生きていたことに驚くシルの横で、アビスはクラーケンに杖を向けた。
「アクアクラック」
アビスが簡易詠唱をすると、クラーケンは真っ逆さまに落下して地面に叩きつけられる。それは、海水がクラーケンを中心に真っ二つに割れたから起きた現象だった。そして、割れた海の壁がまた高速で動き、クラーケンを挟むようにしてぶつかりあった。
激しい波しぶきが巻き起こり、地面に海水が音を立てて大量に溢れ始める。
シルはこの光景を呆然と眺めていた。
海を割り、ここまで自在に操る魔法を簡易詠唱で使うなど常識では考えられない。常識に疎いシルでも、それだけははっきりと分かった。
こうして、アビスの手によってハムラは捕まり、然るべきところへ引き渡すこととなった。
後のことを街の住民に引き継ぐと、アビスはシルの元へとやって来た。
「悪いな長引いて」
「いえ……凄いですね、あんな魔法が使えるなんて」
「オレが極めてんのは水魔法だけだ。複数の属性を高水準で扱えるお前の方が伸びていくだろうさ」
シルはアビスの言葉を聞いて、不審に思った。どうして初対面のはずのこの人が自分の魔法について知っているのだろう。
そんなシルの内心を読み取っているのか、アビスは煙草を吸い、煙を吐き出してシルを見つめた。
「……お前、ロンズの弟子のシルだろ」
「っ、師匠を知っているんですか!?」
シルは身を乗り出してアビスに尋ねる。
アビスはそんなシルの顔を見て、どこか呆然としているように見えた。まるで何かを懐かしむような目をしていたアビスだが、一度目を逸らした後シルを真っ直ぐ見つめてはっきり告げた。
「あいつは水の国にいる」
「師匠が……水の国に」
「水の国ウォルタ、始まりの魔法使いが生まれたとされる国だ。あいつはそこに行くとオレに言って発って行った。今どこにいるかまでは知らねーが、他の国には行ってねーだろ」
シルは衝撃を受けた気分だった。行方の知れなかった師匠の居場所が、明らかになった。
アビスはそんなシルを見て、何か書類を書き始めた。
「水の国に行くなら、最初に王都アクアリウムに行け。あそこなら色んな情報が手に入るだろ」
「ありがとうございます」
シルはアビスが紹介状を書いている間に、遠い海の向こうを見つめた。
いずれ会える師匠の事を思って、シルは目の前が晴れていく気がした。
「では、お世話になりました」
「ああ、行ってこい」
シルはアビスに別れを告げると、箒に腰掛けて海の上を飛んでいく。
港を旅立つシルの後ろ姿を、ジョンソンやジェニファー、街の漁師達が見送った。
「ありがとー!」
「頑張ってこいよー!」
港の人々の見送りの声を受けながら、シルは新たなる国、水の国への旅に思いを馳せるのだった。
-こうして、私は生まれ育った風の国から、新たなる大地、水の国へと旅立つのでした。
そして、この時の私はまだ知りませんでした。世界の異常に関する出来事に巻き込まれることを。
-そして、私の人生の中で最も大切な出会いがあることを。私は、まだ知りませんでした。