第7話 勇気の家
「あっ、たっ、あっ」
箒に乗って空を飛ぶシルは、崩れそうになるバランスをどうにか維持しながら移動していた。
少し前から、突然上手く飛べなくなってしまっていたのだ。理由はさっぱり分からないが、箒に乗っての飛行という初歩中の初歩の魔法ができなくなるなどシルにとっては考えられないことだった。
いつもの箒に腰掛けるスタイルで飛ぶ余裕など全くなく、王道の跨って乗る方法でなければ今にも地面に叩きつけられてしまいそうだ。
「なんなんですか一体……おや」
ふと下を見下ろすと、一台の馬車が見えた。そして、一人のお婆さんが場車に乗ろうとしている。今の自分なら、箒で飛ぶよりもあの馬車の方が楽なんだろうなぁと羨ましく思う。
その瞬間、うっかりバランスを崩したシルは地面に向かって急降下してしまう。
「あっ!」
同時に、お婆さんの方も躓いて後ろに倒れ掛かってしまった。地面に倒れるかと思った瞬間、偶然にもシルがその場へと落ちていった。
「だ、大丈夫ですか……」
「あ、ああ……あんたも平気かい?」
何とか右手で箒を地面に突き刺して地面に叩きつけられるのを防ぎ、左手で老婆の腰を支えて倒れないようにした。プルプル震える腕で持ちこたえるシルを、一人の少年が支える。
「大丈夫ですか?」
「ええ、なんとか……ん?」
シルは地面に足をついてどうにか立ち上がると、自分を支えてくれた少年に視線を向ける。どこかで聞いたような声だったような気がしたのだ。
そして、その少年は柔らかな笑みでシルを見つめた。
「お久しぶりです、シルさん」
白い修道服を着た緑髪の少年、クローンは再会の挨拶をシルに告げた。
「まさかこんなところで学者さんに会えるとは思いませんでしたよ」
「僕も驚きました」
お婆さんを助けたお礼にシルも馬車に乗せてもらえることになり、車内でシルはクローンと話をしていた。
「スパを実家のある街まで送り届けた後、神器について調べる旅をしていたんです。その道中でこの方達に偶然出会って、ご一緒させて頂くことになったんです」
クローンが紹介すると、体格のいい男性と先程倒れそうになったお婆さんが自己紹介を始める。
「カインと言います。先程は母をありがとうございます」
「モースだよ。本当にありがとねぇ」
男の方がカイン、お婆さんの方がモースというらしい。挨拶を済ませるとクローンはシルに問い掛ける。
「でも本当にシルさんって凄いですね。こんなところで空を飛べるなんて」
「……どういうことでしょうか」
「……? もしかしてシルさん、知らないんですか?」
意外そうにしながらクローンは話を続ける。
「この森の周辺は、特殊な気候になっていて魔法が使えないんです」
「あー、だから上手く飛べなかったんですか。でもなんでですか?」
「一説によると、かつての戦争の影響で精霊が寄り付かなくなったと言われていますね。だから精霊の力を借りる魔法は使えず、本人の魔力も乱されるらしいです」
そんな土地があるのかとシルは感心して話を聞いていた。
しかし、魔法が好きに使えないというのはなんとも落ち着かない気持ちになる。シルがそうもどかしく思っていると馬車が止まってしまった。
一体何事かと外を見ると、地面が酷く荒れていた。深く抉れたりぬかるんだりしていて馬車が通るのは難しい。
「こりゃ昨日の大雨でやられたかな」
「魔物が暴れたのかも知れないねぇ。最近はそんな被害も多いらしいの」
カインとモースが困っていると、シルは杖を取り出して地面に向けた。
いつもと違って集中して魔力を練らなければ発動すらままならない。しかし、いけると確信したシルはそのまま魔法を発動した。
シルの魔法により、地面がボコボコと音を立てて形を変え風が吹き地面を更地にしていく。やがて、先程までの光景が嘘のように地面が平らに整った。
「流石に疲れますね」
「……本当に凄いですね、シルさん。今のは土と風の魔法を両方使ったんですか?」
「ええ。こうして地面を整えるのは師匠がよくやっていたので」
昔ワンストーン町付近の道を整備する為に、ロンズが魔法で獣道や荒れていた土地を人が使えるようにしていたのをよく見ていた。
ロンズはそういった空間を自分の思い通りに整える魔法に優れていると言っていた。
「本来生まれ持った資質の一つの属性以外は初歩的な魔法しか扱えないのが魔法使いの常識と聞いたことがあります。そう言えばシルさんは以前も風と木の魔法を使っていましたね。やっぱり様々な属性の魔法が使えるんですか?」
「え、ええ。特に不得意な属性はありませんが……」
知りませんでした。皆一つの属性しか伸びないものだったんですね、とシルは心の中で驚いた。
一方でモースはシルの魔法に関心している様子だった。
「はぁー……凄いもんだねぇ魔女っていうのは」
「ああ、君には助けられてばかりだ」
「いやぁー、それほどでもありますよぉ」
ストレートに褒められて、シルは露骨に機嫌を良くする。
その後もシルは魔法を使って馬車に近寄る魔物を撃退したり、雨を防いだりした。
その後、馬車は目的のモースの別荘へとたどり着いた。
家に上がると、エプロンを着た女性がカイン達を迎え入れた。
「おかえりなさい、あなた」
「ああ、ただいまマリー。トミーはどうしたんだい?」
「まだ街で遊びたいんですって。一応兵士さんに護衛をお願いしたからその内帰ってくると思うわ……あの、そちらの方たちは?」
マリーと呼ばれたカインの妻がシル達について尋ねる。カインとモースはシルとクローンの紹介をして、シルの魔法に助けられたことを熱心に語った。
「本当に凄かったんだよ、この子。実際目にしてみると魔女っていうのは凄いんだねぇ」
「任せてください。私の魔法に不可能はありません」
シルは胸を張ってモース達の羨望の眼差しに応える。すっかり天狗になったシルを、クローンは苦笑いしながら見守るのだった。
そして暫く時間が過ぎて、夕食の時間が迫ってきた。天気も崩れ始めてマリーが不安そうに外の様子を窓から見つめる。
「トミー、まだ帰ってこないのかしら」
「ああ、心配だな」
夫婦揃って息子のトミーの心配をしていた。
今日は久しぶりにモースの息子夫婦であるカイン一家が別荘に集まる日のようで、モースは孫であるトミーに会えるのを心待ちにしていたという。
話を聞くと、どうやらトミーとモースは喧嘩別れしたらしく今日まで中々会おうとしなかったらしい。だから、今日を仲直りの機会にするつもりのようだ。
「しかし荒れてきたわねぇ。こんな天気になるなら無理にでも連れて来るべきだったかしら」
マリーが昼にトミーを街に残してきたことを後悔する。
その時、使用人の女性が外から扉を勢いよく開けて飛び込んできた。
「奥様! 大変です、橋が……外の橋が!」
「こりゃ酷いな……」
カインは崩れ落ちた橋を見て落胆した。荒れ狂う台風の影響でこの別荘地に繋がる唯一の橋が崩れ落ちてしまっていた。
これでは、街に残っていたトミーがこちらに来ることができない。
「折角今日は家族みんなで集まれると思っていたのに……」
「母さんになんて言えばいいんだ……」
すっかり落胆した様子のカイン夫妻を見て、シルは杖を取り出して前に出た。
「私に任せてください」
シルが魔力を込めて魔法を発動すると、地面の土が移動して橋の続きを補填していく。
「これで向こうまで行けば解決しますよ」
「ちょっと待って下さい」
自信満々で進もうとしたシルを、クローンが引き止めた。
「なんですか?」
「シルさん。一旦魔力を抑えてください」
不審に思いつつも魔力を止める。すると、先程出来た地面がボロボロと崩れ落ちていってしまった。
シルが驚いているとクローンが話を続ける。
「ここは魔法が使いづらい場所です。シルさんが魔力を込め続けないと魔法で作った道は維持できないんです」
「……じゃあ、私が橋を維持しながら向こうまで行ってきますよ」
「この橋は対岸まで3kmあります。その間ずっと魔力を込め続けるつもりですか? ここはただでさえ集中できなくて魔力の消費量だって多いはずですよ」
クローンに諭され、シルは他の魔法が使えないか模索する。しかし、どの方法も魔法が制限されるこの地では出来そうにない。
俯いたまま考え続けるシルに、クローンは申し訳ないという気持ちを押し殺して静かに告げる。
「戻りましょう。僕達に出来ることはありません」
別荘に戻ると、重い空気がシル達を包み込んだ。
モースは目を瞑って俯き、項垂れたまま動かなかった。
「……そうかい、駄目だったんだね。これも、バチが当たったってことなんだろうねぇ。トミーの我が儘一つ聞いてやれなかった」
「母さん」
「仕方ないさ、ずっと会えない訳じゃないんだ」
モースは使用人に支えられて自室へと戻る。
シルの顔を見ると、そっと微笑んで気にしないように告げる。
「気にしないどくれ。アンタにはここまでいっぱいお世話になったんだ。ありがとうね」
そう言って部屋に戻るモースの顔には、隠せない悲しみの色が現れていた。
シルはそんなモースとすれ違って、拳を握り締めて震える。そして、用意された自室へと駆け込んだ。
シルが逃げるようにして去った後を眺めながら、カインが重い溜息を吐いた。
「彼女にも悪いことをしたね。善意でやってくれたのに……」
「ご馳走を用意しましょう」
期待してシルに重圧を掛けてしまったと夫妻は反省し、気分を切り替えようと提案する。
クローンはシルを心配に思いつつも夫妻を手伝うことにした。
シルはベッドの上でうつ伏せになったまま寝込んでいた。
自分の魔法なら出来ないことはないと思っていた。それが、ちょっと特殊な場所に来ただけでこれだ。
それでも、仕方が無かったんだと自分に言い聞かせる。魔法が使えない場所なら、魔女である自分に出来る事がないのは当然だ。
そうだ、私は悪くありません。そう思ったところで、脳裏に浮かんだのはモースの悲しみに満ちた顔だった。
「…………」
シルはゆっくり起き上がると、深く被っていた三角帽を投げ捨てた。
「あの……魔女様は部屋から出られたのでしょうか?」
食事の時間になってシルを呼びに行った使用人が、いくら呼んでも出てこないのでクローンやカイン達に部屋から出ていないか尋ねた。
しかし、誰もシルを見たものはいない。
いたたまれなくなって出て行ったのだろうか? しかし、いくらなんでもこんな台風の中を外に飛び出しはしないだろうと考える。
不思議に思っていると、クローンがなにかに気がついた。
「なにか、聞こえませんか?」
黙って耳を澄ませると、確かにどこかから物音が聞こえる。
音のする方へ全員で移動すると、そこは玄関だった。風の音だろうか? そう思いつつも、扉の先に人の気配がするような気がして、無視できない。
「……」
カインは扉のノブに手をかけ、そして静かに扉を開いた。
「パパー! お婆ちゃん!!!」
「と、トミー!?」
外から飛び込んできたのは、カインの息子のトミーだった。待ち望んだ孫の登場に、モースは呆気にとられる。
誰もが唖然としていると、トミーが泣きじゃくりながら外を指差した。
「お、お姉ちゃんが! 魔女のお姉ちゃんがー!」
「え?」
カイン達が首を傾げて不思議がる。クローンはまさかと思って扉の外に出る。
すると、別荘の柱にもたれ掛かったシルが座ったまま項垂れていた。
「シルさん!」
クローンが駆け寄ると、シルは無理しつつも笑ってみせる。
「ああ、学者さんですか……どうですか? やってみせましたよ」
「シルさん……」
明らかに疲労困憊した様子のシルを見て、クローンはシルに向けて手をかざす。すると、シルの体を淡い光が包み込み、少しだが体が楽になる。
そして、クローンは別荘の使用人を呼んで急いでシルをベッドに寝かせるように頼んだ。
シルを個室のベッドに寝かせると、カイン達はトミーに一体何があったのか聞くことにした。
「橋を渡ろうとして行ったらね、もう崩れちゃってたの。兵士の人と橋の近くで待ってたんだけど、どうにもなんなくて……でも、そんな時に魔女のお姉ちゃんが来たんだ」
兵士にもうテントに戻るように言われながらも雨の中橋の前で立ち尽くしていたトミー。すると、大雨と強風に打たれながらも、箒に跨ったシルが向こうから飛んできたのだ。
シルは倒れるようにして地面に降りると、泥だらけになりながらもトミーを睨みつけるようにして見つめた。そして、問い掛ける。
「一つだけ聞きます。何が何でもお婆ちゃんに会いたいですか? 滅茶苦茶無理して我慢できますか?」
「……す、する。お婆ちゃんに会って、仲直りするんだ」
トミーは、怖いと思いつつも決して引くことなくシルの問いに答えた。
「それで、箒で飛ぶお姉ちゃんの手を掴んで崩れた橋を渡りきったんだ。その後もお姉ちゃん、僕が風で飛ばされないようにずっと手を握ってくれてて」
空を飛んでいる間どころか、その後別荘までの道のりの間も、シルはトミーの手を握って走り続けたという。
ただでさえ空を飛ぶのも不安定になるのに、その間ずっとトミーの手を握って連れてきたのだという。
クローンはトミーの手を治癒術で治療しながら、シルは相当腕に負担を掛けたに違いないと確信する。
「……しかし、どうして魔女さんはトミーを箒に乗せなかったんだろう。そっちの方が手を引くよりも楽なのに」
「……出来なかったんだと思います。魔女にとって、自分の箒に乗せるということは、生涯のパートナーになるということと同義ですから」
クローンはトミーの手の腫れが治ったのを確認すると、シルの様子を見るために部屋へと向かう。クローンが去ったあと、トミーはモースの元へ向かう。
「ごめんねお婆ちゃん、我が儘言って」
「……」
「でもやっぱり僕、魔法の勉強がしたい。いっぱい勉強して……あのお姉ちゃんみたいに、困ってる人を助けるんだ!」
「……そうだね、ああ……そうなれたらいいね」
孫の決意を前にして、モースは静かに頷いた。
「無茶する人ですね、シルさん」
クローンは呆れた様子でシルの治癒をしていた。案の定腕に疲労が溜まっていて、クローンは溜息を吐く。
シルは苦笑いしながら目を逸らした。
「それよりどうですかやっぱり私の魔法に不可能はありませんでしたよ。私の勝ちですよ」
「何の勝負ですか一体」
クローンはシルの強がりを流して、クスクスと笑みを浮かべる。
「皆分かっていますよ」
「なにをですか」
「シルさんは自分の魔法を見せびらかしたかった訳じゃありません。嫌だったんでしょう? モースさんが悲しい顔をしているのが。そんな顔をさせたくなくて……それで、こんな無茶したんでしょう?」
クローンの言葉に、シルは何も答えない。
「黙ってても、皆シルさんのことお人好しだって分かっていますよ」
「……なんですか、それ。勝手に言わないでください。不愉快です」
シルは布団を被って閉じこもってしまった。クローンは呆れつつも、もう体調は大丈夫だろうと思い部屋を出ることにした。
「あの、やっぱり魔女様がいないのですが……」
翌朝、朝食の時間になってシルを呼びに行くと、またしてももぬけの殻になっていたので、使用人がシルの行方を尋ねる。
皆シルの姿は見ていないと不思議がっている。
「もしかしてもう出て行ったのか?」
「あら……お礼もまだ全然言えていないのに」
「また会いたいもんだねぇ、優しい魔女さんに」
シルがいないことを残念がる家族を見て、クローンはなんとなくシルが挨拶もなしに出て行った理由を察した。
きっと、正面から感謝されるのが今度は恥ずかしくなったんだろうなぁと、そんな理由で一人で出て行ったシルのことをクローンは照れ屋な人だと改めて認識した。
「はっくしょん!」
小雨が降り続ける中、箒で飛んでいたシルは盛大なくしゃみをした。そして、そのせいでバランスを崩しかけて大きく傾く。
「あーもう、こんな場所二度と来ないですからね!」
シルはふらふらと飛び続けながら、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすように、大声で叫んだ。