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遠い銀色のトラベル  作者: バームクーヘン
第二部「七神欠片隊編」
11/11

第11話 涙

「……はっ」


 重くなったまぶたをどうにかこじ開けて、シルはゆっくりと目を覚ました。起き上がって周囲を見回すと、周囲には薄暗い洞窟の中のような風景が広がっていた。

刺々しい形の岩やどこまでも広がる闇が辺りを静かに包んでいる。かと思えば、周囲の視界は明るく確保できる不思議な空間だった。


 見覚えのない場所だが、この独特の風景は創作物などでよく地獄として形容される類のものだ。この事から察せるのは……


「なるほど、ここは地獄ですか!」


 自分の手をポンと叩いて納得する。そして、静かに意気消沈した。


「地獄ですか……地獄ですかぁ……」


 改めて、自分が地獄にいると思うと自然と膝をついて項垂れた。力なく暗闇が広がる空を見上げた。


「私地獄落ちしたんですね……そんなに酷いことしたんでしょうか。確かにイタズラはいっぱいしましたけど……はぁ」


 大きな溜息を吐いた生前の行いを後悔した。こんなことになるなら、人に迷惑をかけない生き方をするべきだったと今更ながら悔やんでしまう。


「でもまさか本当に地獄があるなんて」

「でもまさかりコックが本気でアルデンテ」




 静かに沈黙が辺りを包み込んだ。止まった思考の中でシルはゆっくりと先程聞こえた幻聴について振り返る。

この大して面白くもなくどこが笑いどころなのかも分からない中途半端なギャグ。こんな場所に自分を連れてきたあげくこんなしょうもないことを言う人物は。


 暫くしてから咄嗟に振り返ったシルの目に飛び込んできたのは、コックの衣装を其の辺に投げ捨てている師匠の姿だった。


「あらシル、リアクションとるならもっと早くお願いしますよ。無視されてるのかと思ったじゃないですか」

「な……な……」


 シルは震える足でゆっくりと師匠に向かって歩み寄る。ロンズは、そんなシルを見て軽く微笑んだ。


「お久しぶりですね、シル」

「師匠……本当に、師匠なんですね!」


 シルは勢いよく駆け出してロンズの胸に飛び込んだ。ロンズは飛び込んできたシルを、優しく受け止めた。


「おやおや、随分甘えん坊になりましたね」

「はい……でも安心しました。師匠もやっぱり地獄に落ちるような人間だったんですね」

「うるさいですね……とりあえず本題に入りましょう」


 ロンズはコホンと咳払いをして話を始めた。


「シル、あなたは自分がどうしてここに来たかは覚えていますか」

「あ、はい……その、ルドという女の子に」


 今でも鮮明に思い出せる。ルドに会えて嬉しいと思う間もなく、死の呪文に胸を貫かれて死んでしまった。

それを思うと、自然と気落ちしてしまう。俯いて力なく佇むシルにロンズは静かに告げた。


「あなたはまだ死んでいません」

「……え?」

「正確にはあなたが死ぬ寸前、魂が肉体を離れる瞬間に私が作ったこの空間に、私とあなたの意識を連れてくるように術式を組んでいました。万が一の時に備えてのものでしたが、まさか使うことになるとは思いませんでしたよ」

「はぁ……」


 とんでもない魔法だが、師匠ならそれぐらいのことはやれてもおかしくないとシルは納得した。しかし、新たな疑問が湧いてきてシルは我慢できずにロンズに問い詰める。


「あの、師匠。一体どういうつもりなんですか? 家を燃やして私を放ってきたと思えばこんな過保護なことをして……師匠の目的ってなんなんですか?」

「詳しく話したいのは山々ですが、あまりのんびりもしていられません。なにせ早くあなたの精神を元の体に戻さなければならないのですから」


 ロンズはシルに杖を向けると、シルの体が淡い光に包まれる。


「いいですかシル。今から私があなたに仕組んだプロテクトを全て解除します。どんな手を使ってでも、必ず私のもとに来なさい。私は迷宮の谷ラバレンスにいます」

「ラバレンス……? あっ、ま、待ってください師匠!」


 シルの体が空中に浮き上がり、体を包んでいた光が強く輝きを増していく。ロンズに向かって手を伸ばすも、宙に浮いた体はどんどん天に向かって飛んでいき距離が離れていく。


「あなたの無事を祈っています」

「師匠! 師匠!」


 ロンズの祈るような顔を見ながら、シルは必死でロンズに手を伸ばすがその体は光に包まれて消えてしまった。






「……はっ」


 シルの目覚めは長い眠りから目覚めるというよりも、うたた寝していたところを呼び起こされたかのような感覚だった。一瞬にして意識が戻り、周囲の状況を確認しようとする。

視界に飛び込んで来たのは、目を見開いて驚いたような顔をしたルドだった。目線を下に落とすと、ルドが自分の衣服を脱がせようとボタンを外しているのが見えて、シルは思わず黙り込んだ。


 お互いに時間が止まったかのように硬直していたが、シルは咄嗟にルドを振り払って箒を拾い空へ飛翔した。

森の上を飛んで逃げながら、シルは脱がされかけた自分の衣服を着直してぼやいた。


「な、何分ですか? 今何分経ちました? あっ、良かったまだ五分くらいしか経ってない……人様が死んで数分で何しようとしてんですかあのクソガキは!?」


 シルがそこまでぼやいたところで、背後から魔力を感じて咄嗟に振り返る。すると、ルドの操る金髪の人形が、数体で銃を構えてシルを捉えていた。

銃口から魔力弾が発射され、シルは咄嗟に森の中へと降下して身を潜める。


「くっ……」


 背後からルドが迫ってきているのが、感覚で分かったシルは逃げながらギガサンダーやギガウインドといった上級呪文を放つ。ルドも同じく攻撃を仕掛けていたらしく、大きな光弾や闇の塊が飛んでくる。互いの魔法が森林を破壊しながら森の中を駆け回り、徐々に距離が詰まっていく。

大きな光弾がシルの側にある大木に直撃して周囲が眩い光に包まれる。その瞬間、ぞっとする気配を感じたシルは咄嗟に振り返って杖を向ける。


 シルの杖とルドの杖がぶつかり、先端が向き合う形になる。


「テラフレア!」


 火の魔法の中でも特に強力な上級呪文が至近距離でぶつかり合い、爆風でシルの体は大きく吹っ飛んだ。

シルの体は地面を転がり、泥が服や頬にまとわりつく。



 天気が崩れ、曇り空にゴロゴロと雷の鈍い音が響く中、シルは顔を見上げて相手を見つめる。

ゆったりとした動きで地面に着地し、こちらを笑顔で見つめるルドを、シルは冷や汗を流しながら見つめることしかできなかった。



「ルド……一体、あなたはなにを考えているんですか」


 シルが感じていた疑問はそれだった。何故ルドが自分を殺し、そして今も攻撃してくるのかが分からない。

シルの問いに、ルドは人形の一体を抱きしめて答えた。


「好きだから」

「え?」

「私はお姉様のことが好きだから」


 ルドは人形を抱きしめる力を増して、より強く抱え込む。


「でも私知っているの……人ってすぐ変わっちゃう。お城の人も、好きだって言って次の日には浮気する人もいるし、40年経ってから心変わりする人もいる。好きなままなのに、段々変わっていって合わなくなっちゃう人もいる。皆、変わっていくの……変わるせいで、信じられなくなっちゃうの」


 だからね、とルドは続けた。


「私は変わっていくお姉様なんて見たくない……ずっと私の好きなお姉さまでいて欲しいの。だからね、お姉様には死んでほしいの」

「なにを、言っているんですか?」

「死んでしまえばもうそこから変わることはないから……だからお姉様には、ずっと私を大好きなお姉様のままで死んで欲しいの」


 頬を桜色に染めて語らうルドの姿が、シルには酷くおぞましく見えた。

昨日過ごした少女の内面に、こんな意味のわからない思考があったなどと誰が分かるだろうか。シルがなにかを言う前に、ルドの人形が襲いかかってくる。


「っ、ドラグヘッド・ファイア!」


 龍の頭が炎を纏って飛んでいき、口を開けて人形に噛み付こうとする。しかし、剣を持った人形がひと振り剣を振ると炎の龍は真っ二つに切り裂かれた。

いとも簡単に自分の魔法が破られたことにシルが動揺していると、人形が目前まで迫ってきていた。


「シェルシールド・ウッド!」


 木が絡んだ玄武の甲羅が盾となって現れるが、斧を持った人形によって甲羅が叩き割られてしまう。シルは咄嗟に広範囲を攻撃して人形を足止めしようとする。


「フェニクスウイング・アクア!」


 水しぶきとともに不死鳥の羽が周囲を覆い尽くすようにして放たれる。銃を持った人形が狙いを定めて引き金を引くと、銃弾が羽を叩き落としながら直進しシルの腹に命中する。

シルが呻き声をあげて片膝を着くと、目前まで槍を持った人形が迫る。


「あっ、た、タイガークロウ・エレキ!」


 シルの杖の動きと連動して虎の爪が電気を帯びて振るわれるが、ルドの人形が突き出した槍が虎の手を突き破ってシルの肩を掠める。

シルは痛みに顔を引きつらせながらも、後ろに後退して魔法を発動させる。


「エアロック!」


 空気の一部を硬化させて、人形の動きを封じる。見えない塊にぶつかって思うように人形が動けないのを見て、ルドはポケットに入れていた粉の薬品を取り出して杖を向ける。すると、粉が風の魔法に乗って飛んでいき、シルの魔法が固形になった空間にまとわり付く。

粉を目印に固まった空間を見極めたルドは、人形達を一斉にシルの元へ向かわせる。


 接近した人形にシルは剣や槍で傷つけられ、衣服に血が滲んでいく。


「ぐっ……」


 追い詰められながら、シルは最大術を使わなければ勝ち目がないと判断する。

そして、ルドが一歩前進してシルに近寄った瞬間、地面から魔力で作られた鎖が飛び出しルドを縛り付けた。先程後退する時に、予め自分が立っていた場所にトラップ魔法を仕掛けておいたのが作動した。両腕を縛られたルドは、弾みで杖を落としてしまっている。


(あれなら魔法も使えない……防護魔法は発動しているみたいですし、直撃しても死にはしないでしょう。悪いですけど最大術を当てて気絶してもらいますよ)


 シルは集中して魔力を練り込んでいく。術が発動できる段階まで魔力が高まると、シルは杖を勢いよくルドに向けて呪文を唱える。


「四神の龍よ。魔女シルの名のもとに命ずる。四つの力携えて、我の元に現れよ」


 シルが詠唱を始めると、周囲の空気が冷えて異様な雰囲気へと変わっていく。その光景を、ルドは興味深そうに眺めていた。


「ドラグサモン・クアドラプルエレメンツ!」


 シルが呪文の名前を唱えると、四体の龍がそれぞれの属性を身に纏って顕現した。一体一体が家一つ丸呑みに出来そうなほど大きな体躯をしていて、これだけの大きさの術を同時に、更に別の属性を纏わせて召喚するのは、才能があるの一言で済ませられるものではない。

ルドは初めて見るシルの本気の術に本気で陶酔していた。そのある種の美しさまで感じる完成度の高さに、見とれるしかなかった。


 そして、四体の龍は大きな声で吠えながら縛られたルドに襲いかかった。口を開けて牙を剥き出し、同時に噛み付いて激しい爆音が周囲に鳴り響いた。

シルはやり過ぎないように注意深くルドがいた地点を見続ける。だが、その内異変に気づいて不審に思い始める。


 ドラグサモンが直撃すれば、大爆発が起きているはずだ。なのに、四体の龍は未だに噛み付いたまま留まっている。どうなっているのかと思っていると、目に飛び込んできた光景にシルは唖然とした。



 ルドが、光を放って牙が触れる寸前で防いでいる。魔法は使えないはずなのに、何故こんなことが出来るのか。それを考えた時、シルは昔ロンズとした会話を思い出した。




「師匠ー、最強の魔法ってなんですかー?」

「なんですか薮から棒に」


 ロンズは書類に筆を走らせながらシルの問いに対して聞き返した。


「やっぱり魔女たるもの最強の魔法がなにかって気になるじゃないですか。私もそれ覚えたいです」

「最強の魔法ですか……まぁ心当たりが無いわけではないですが」

「えっ師匠知ってるんですか!?」

「これです」


 ロンズは机の上に置いてある杖を拾うと、振り向きざまに軽く振る。すると魔力の塊が飛んでいき、飾ってあった壺が割れた。

ロンズが魔法ですぐに壺を修復するのを見ながらシルは不貞腐れる。


「師匠、それ魔力飛ばしただけじゃないですか。全然魔法じゃないですよ」

「これでも割と本気ですが」

「だって師匠昔言ってたじゃないですか。魔力飛ばしは王宮魔導師でも中級魔法程度の威力にしかならないって。そんなの全然最強じゃないですよ」


 ロンズはそんなシルの文句を聞くと、暫く黙っていたが不意に口を開いた。


「逆に考えてみてください。王宮魔導師にとっては魔法使いが放つ中級呪文までは魔法を使わずとも魔力を飛ばすだけで戦えるんですよ」

「む……でも結局は中級止まりじゃないですか」

「ああ言えばこう言う子ですねあなたは」


 ロンズはそこで話を切り上げようとしたが、暫し考え込んだあとつい言葉を零した。


「でも私は思うんですよ。もし魔力飛ばしを上級呪文以上の力で放てる魔法使いがいたとしたら……」





 それは最強の魔法使いと言えるのではないでしょうか、と。

師匠のそんな言葉を脳裏に浮かべたシルの目の前で、ルドは全身から魔力を放出してシルの最大術の龍を同時に四体全て弾き飛ばした。

弾かれた龍は腹を破られ、そのまま消滅していく。消える自分の術を唖然と眺めながらシルは立ち尽くして言葉を無くしていた。


 自分の最大術が、真っ向から破られた。魔法の相性や完成度など関係ない。ただ圧倒的な力の前に正面から破れた。

その事実がシルに叩きつけられる。


 当のルドは、地面に落ちた杖を拾って土を払いながらマイペースに動いていた。そして、シルに向かって笑いかける。


「……結構魔力持って行かれちゃった。やっぱりお姉様は凄いね、もう半分近くしか魔力が残ってないよ」


 目の前の少女が何を言っているのか、シルは理解出来なかった。苦し紛れに全力で悪あがきをしたと言うなら、まだ理解できなくはない。それが、まだ彼女は半分近いスタミナを残しているという。その途方もない魔力量は、完全にシルの理解の範疇を超えていた。


 これは、少なからず今までシルが他の魔法使いに対して抱かせた印象と同じだった。今までの自分の人生で培ってきた価値観を、正面からその才能で捩じ伏せる。シルは、今まで理解出来なかった相手の気持ちを、今身を持って体感していた。



 勝てない。

私は、私の魔法は、彼女に通用しない。そんな現実を前に、シルは手から力を抜き立ち尽くすしかなかった。もう、どんな魔法もルドには通用しないと、そう理解してしまった。


 しかし、一歩ずつ迫ってくるルドを見て師匠との約束を思い出す。

何をしてでも必ず師匠のもとへたどり着くと。その為に今できることを必死で考える。そして、不意にシルは師匠の言葉を思い出した。

師匠は、私に掛けたプロテクトを全て解くと言っていた。なら、今まで使えなかった魔法を……死の呪文を唱えることだってできるはず。


 先ほどの不意打ちは、出来るだけ魔力の気配を消すために術式を読まれないプロテクトを仕掛けていなかった。つまり、シルもあの死の呪文を使えるはずだ。

ルドはこのことを知らない、だから、不意打ちで死の呪文を当てることができれば……



 シルは一瞬のチャンスを逃さないようにするため、項垂れる振りをする。確実に呪文を当てられる距離になるまで引きつける。

一歩一歩とルドが迫る事にシルの心拍数が上がっていく。


(大丈夫……やれます、やってみせます。先に殺そうとしてきたのは向こうです。だからこれは……やむを得ないことなんです)


 そう自分に必死に言い聞かせながらシルはタイミングを伺う。ルドとの距離が近くなり、確実に術を当てられる範囲に迫ってくる。

杖を力強く握り締め、タイミングが来た瞬間に素早くルド目掛けて杖を向ける。


「ノクターン……」




 術を当てた時の光景が思わず脳裏に浮かんだ。胸を貫かれて倒れるルド、それを見下ろす自分。

人を、二度と動かぬ物に変える感触。直接触れてはいないのに、魔法を使った杖を握る手に残る奇妙な感触。

これが、死なのだと。人を殺める、罪の感触。それが、否応なしに己の手に滲んでいく感覚。酷く気持ち悪かった。





「っうっ、おっ、おええ゛゛え゛え゛゛っ!!」


 術を放とうとした瞬間、ルドを殺す光景を思い浮かべた。その嫌悪感が激しい嘔吐感を催し、シルは地面に思い切り嘔吐物を吐き出した。

あの日、里に入るために貨幣を偽造しようとした時とは似て非なる感覚だった。気持ち悪い、だなんてものではない。

体の全てが、殺人という行為を忌避しているかのように、全ての器官が自分を戒めるがごとく激しい嘔吐感に襲われてシルは震えながら蹲る。


「……お姉様?」


 全身を震わせていたシルは、ルドの声を聞いて反射的に顔を上げる。もう目前にまでルドは迫って来ていた。

シルはルドに殺されそうになっていること、先程感じた吐き気を催す嫌悪感、それら全てが混ざり合い反射的に箒を掴んで跨ると勢いよく飛び出した。


「はあっ、はあっ、う゛っ、ああ……」


 ほぼ過呼吸気味になりながら、ふらつく箒で木の枝にぶつかるのも気にせずにがむしゃらに逃走を続ける。

後ろを振り向くと、ルドが追いかけて迫ってきている。それを見て、シルは半ば狂乱しながら手当たり次第に魔法を乱発する。


「ーっ、こ、来ないで! 来ないでぇぇ!!」


 怖くて、自分が情けなくて、ぐちゃぐちゃになって訳が分からなくなった。そんな必死な姿のシルを見て、ルドは思わず微笑んだ。


「お姉様……可愛い」

「っぁぁ、いやっ! いやああああ!!」


 そして、恐怖のあまり乱れた心で魔法を使おうとした瞬間、杖の先端で火の魔法が暴発し、シルの体は爆風に包まれた。吹っ飛ばされた体は、冷たい水の圧力を受けて急激に力が抜けてしまう。


 シルが叩きつけられたのは、森の中を流れる川に繋がる滝だった。そして、この時になってシルは思い出した。この森の水が、魔力を遮断する効果があることを。

魔力が使えなくなったシルは、当然飛ぶこともできずに滝に飲み込まれて川へと流されていってしまった。


 ルドが滝の前まで来た時には、シルの姿は見えなくなってしまっていた。

探索魔法を使おうにも、この水に浸っている限りは探知できないだろう。


「……しょうがないや」


 ルドは城の人間から得た知識をもとに、川の流れる先へと先回りすることにした。






「…………?」


 シルは温かい感触を感じたかと思うと、ゆっくりと目を開けて目覚めた。そして、唐突に気分が悪くなり咳き込んだ。川の水を飲みすぎてしまったのだろうか。


「おい、大丈夫か?」

「ぁ……え?」


 何者かが自分のことを覗き込んでいる。焦点の合わない目でその人物を見ていたが、やがて視界がはっきりするごとに、その人物の正体が分かった。


「退治屋……さん?」

「ああ、そうだ。おい、シルが目を覚ましたぞ!」


 そう言って雨竜は近くにいた誰かに呼びかける。一体誰に話しかけているのかと目線を動かすと、そこには更に信じられない光景が映っていた。


「僧侶さんに、学者さん……?」

「ええ、心配したんですよ」

「シルさん、温かいスープを用意しました。冷えているでしょうから、どうぞ」


 差し出されたスープと、清念とクローンを見比べる。

今まで顔を合わせた人物たちが、何故か一堂に会していた。雨竜と清念は安堵の表情を浮かべて二人で話しだした。


「水を汲みに行っていた雨竜さんが偶然シルさんを見つけましてね。いや、死んでいるんじゃないかと焦ったものです」

「まあお前はこの程度で死ぬようなタマじゃないと思ってはいたんだがな」

「でも本当にびっくりしましたよ。こんな所で倒れたシルさんを見つけるなんて想像もしていませんでしたから」


 思い思いに話し出す三人を見て、シルは不意に今まで感じたことのない安堵感に包まれた。下を見下ろすと、自分の体に毛布が掛けられていた。恐らく三人が介抱してくれたのだろう。

身の安全が確保されたことを理解したシルは、遅れて心の内から苦い感情が溢れ出てくるのを感じていた。初めて自分と同年代以下の魔法使いに敗北した。

 自分には天性の才能があって、師匠だってそれを否定はしなかった。そんな自分の魔法が、尽く破られて追い詰められて。


 そして何より、殺そうとしても出来なかった。師匠が細工をしていたりも無いはずなのに、人を手にかける事を想像しただけで気持ち悪くなって嘔吐してしまった。別に殺したかった訳ではない、でもルドや今まで戦った相手が平気でやろうとしたことを、自分が出来なかったことが情けなく思えてしまう。

 だが、なによりも今一番胸の内をしめているのは……




「っ!」


 清念と雨竜は自分たちのもとへ抱きついてきたシルを戸惑いながら受け止める。

胸の内で震えるシルは……泣いていた。


 怖かった。また死ぬかもしれない。自分の力でどうしようもない相手に殺されかけた事実が、今も胸の中で恐怖と不安として巣食っている。

だから、今側に清念達がいることで安心してしまって、感情を押し殺せずに表に出してしまった。


「うぅ……ひっ、ぁ……うぅぅー……っく、うぅ……」

「……」


 何があったかは分からない。

ただ、今は何も聞かないでおこう。そう思って清念と雨竜はシルを抱きしめて、クローンは後ろから背中をさすってやった。

三人の温もりに包まれながら、シルは生まれて初めて、人前で泣き続けるのだった。

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