卵一つとっても(三十と一夜の短篇第54回)
外国に行ったことのある先輩が自慢気に向こうでの苦労話をしてくれた。
「アメリカ式っていうの? 客の好みに叶うようにって、何でも訊いてくるじゃない? ああいうのって始めは面白いと答えているんだけど、何回も訊かれるとしつこいって嫌んなってくる。
例えばさ、朝飯食う時にホテルの食堂で、ウェイトレスがグッモー、ハワユーと言いながら席に案内してくれる訳。座ったら、何を食べる? ブレッドオアシリアル? で、ブレッドって答えると今度はソーセージ? エッグ? で、エッグと言うと、スクランブル? オムレツ? ポーチ? フライド? ボイルド? って続く続く。こっちは生でなければ何でもいいよの気分だよ。次は飲み物を決めなきゃいけない。ますます腹が減ってくる。自分の好きになるのはいいけど、なんでも決めて相手に伝えなきゃならないのは疲れるよ」
幾らでも喋ってていいよ、どうせ点けっぱなしのテレビやラジオとおんなじだと周は思った。一体何時海外に行った時のことなんだろう、アメリカ式合理主義なら一覧表に丸を付けて渡すようにしていればいいのに、いやイマドキデジタル入力注文で済むじゃないか、相槌を打ちつつ、周は胸の内で呟いた。
帰宅して、ルームシェアしている雷太に先輩からの長話にうんざりしたと、愚痴を漏らした。
「はああ? 黙って聞いてやる必要ある?」
常に雷太はクールだ。
「いや、そこは付き合いというものがあるからさ」
「どこでも付き合いを無視できないね、お気の毒様」
周は素っ気無いながら細かく気遣いをしてくれる雷太を信頼している。つっけんどんな口を聞いても、遅くなった周に水を汲んで渡してくれる。
「朝飯に卵を添えるだけでも色々あるんだと感心する」
「卵かけご飯で充分な人間には、選択肢が多すぎてびっくりだよ」
「卵かけご飯は外国じゃゲテモノだよ。海外で生卵は食べない」
「食べないんじゃなくて、食べられないんだろう?
あ、明日朝飯は卵にしよう」
周が言うと、雷太はしなを作ってふざけてみせた。
「スクランブル? オムレツ? ボイル? ポーチ?」
「目玉焼きがいい」
雷太は伝票にメモをするウェイトレスふうにまた続けた。
「黄身は半熟? それともひっくり返してしっかり火を通す?」
「雷太はどっちが好き?」
「う~ん、俺は半熟」
「俺は完熟」
男二人で笑い転げた。
「バターたっぷり溶かしたオムレツにも憧れるけど、俺は目玉焼きの黄身がアツアツでとろりとしたのが好き。二個の内の一つを潰して、ソースみたいに白身にまぶして食べる」
「お~、なかなか貴族的な表現するじゃないか。
しかし、朝から卵二個は多くね?」
雷太は周と暮らすようになってから朝食を摂るようになった。一人暮らしをしていた時は飛び起きたら即出勤だった。今でも朝はあまり食べない。
「そんなことないさ。大の男が一日の始まりにがっつり食べて何が悪い」
「そーかー? そんなに朝から食う気にならねえなあ」
「そこが俺と雷太の違うとこだし、まあ、日にもよるさ」
議論を尽くす内容でもなく、夜遅いので二人は会話を切り上げ、床に就いた。
翌朝、周が目を覚ますと、先に雷太が起きていたようだ。今朝は自分が食事当番なのに台所で物音がすると、慌てて部屋から飛び出した。
「おお、お早う。先に目が覚めたから、寝床でゴロゴロしているよりいいかと思って飯作ったわ。貸しにしとく」
「ああ、判った、サンキュ」
半ば出来上がった朝食の内容を見て、周は目を瞬いた。
「目玉焼き……。すげー。雷太、卵二個使ってくれたんだ。優しいなあ」
「いんや」
「え?」
「卵を割ったらたまたま黄身が二個入ってたわ。朝から縁起がいいよ、おめでとう」
周は食卓に向かって思わず両手を合わせた。