バカ・ホライズン
名無によってめちゃくちゃになった我が家は、アマナの時間魔法によりあるべき姿へ回帰する。欠伸をしながら発動したせいで、一回ただの木と珪砂にまで戻った。
とりあえず、名無の扱いはアマナ個人の捕虜という体になった。アマナは国から特殊な権力を授けられているので、その辺りは言い包められるだろう。
もうすっかり陽も赤くなり、地平線に触れ始めている。名無が降ってきたのは午後二時頃で――
「あっ」
俺がそれを思い出したのと、我が家の呼び鈴が鳴らされたのは同時だった。
「どうしてくれるんですか! このことがもし村のみんなにばれたら、死ぬより辛い目に遭わされるんですよ!?」
「ばれなきゃいいだけの話じゃないか。それにもしばれても、その村を滅ぼせば解決だ」
「ちょっとこの人物騒すぎるんですけど!」
「お前が言うな!」
こいつらの馬鹿騒ぎに付き合っている暇はない。顔に掌を当てて、必死に謝罪の内容を考える。事実を述べたところで、先方を待たせている事実は変わらない。なら、どんな言葉で相手の気を紛らわせるかだ。
俺には一切の責任がないのに、俺は何をしているんだろうな。
そんなこと考えていても、当人たちが謝ってくれるはずもないので、俺は鉛のような足を引きずって玄関へ向かう。
「…………」
「……すまん」
玄関先には、俺とそう変わらない歳の騎士が微妙な顔をしていた。
「大臣が呆れている」
「そうだろうなあ……レオンも損な役だな」
「それはお互い様だ」
騎士見習いのレオンは、面倒と厄介の塊であるアマナへの伝達、ようするに使いっぱしりを任せられることが多い。普段は城の門番をしている。
この国では二〇歳になるまで騎士になることはできない。既にそこらの騎士より優れた腕を持つレオンでも、アマナほど並外れてはいない。
「ちょっとだけ待っててくれ、今いろいろとごたついててな」
「アマナが落ち着いている時があったか?」
「寝てる時ぐらいだな」
そう言って、俺は二人が騒いでいるリビングへ戻る。さっき片付けたはずのリビングは、しっちゃかめっちゃかになっている。風や水、雷が飛び交い、ここで嵐が起こっているかのようだ。
「おいアマナ、城行くぞ。レオンが迎えに来た」
「もう少しで片が付く。それまで待っててくれ」
「そうです! この女を殺して、名前を付けられたという事実をなかったことにするんです!」
俺にすら勝てなかったはずの名無が、手加減しているとはいえアマナと魔道を撃ちあっている。名前を付けられたことが、こいつにとってはそれだけ重大なことだったんだろう。
そんなこと、俺には関係ない。
「あっちがどれだけ待ってると思ってんだ」
「まったく、政治家は融通が利かなくてダメだね。私みたいに、もっとゆるーく生きれば楽しいのに」
「うるせえ半ニート!」
アマナのフードを掴んで引きずっていく。すると当然、名無は相手がいなくなるわけで俺につっかかってくる。
「ちょっと待ってください! ここを通るなら、私を倒してからに――!」
名無が台詞を言い切る前に、風が吹いた。
魔道によるものではない。単純な物理的運動によって生じたものだ。
風が凪いでから、名無はその正体に気づく。
「えっと、なんですかこれ……」
「見て分からないのか。剣だ」
「なんでです?」
「お前が魔族だからに決まっているだろう。何の目的があってここに来た」
流石天才剣士と呼ばれるだけのことはある。技術や才能が魔道寄りの俺でも、今の動きは並外れたものだと分かる。いつかアマナが言っていた。真の天才とは、凡才貧才にもその非才さが理解できるものだと。
一切の油断なく名無の首筋に剣を当てている。これがアマナなら全力で油断して、何かしらの一矢を報いられているところだ。
名無は身じろぎしないことで抵抗の意がないことを示す。この状況から切り返すには、相当の実力が必要になる。名無にはレオンの刃を退けるだけの技量も実力もないようだ。
「レオン君。この魔族は私たちのものだ。扱いは私たちに任せてもらおうか」
「……分かりました」
アマナがそう言うと、レオンは素直に剣を元鞘に納める。俺でもない奴が下手に逆らうと、面倒なことになると知っているからだ。
一応助けられた体になった名無は半泣きになりながらアマナに礼を繰り返している。一方のアマナは非常にウザそうだ。
「名前は名無ってことになってる。俺の監視下に置いとくから大丈夫だ」
「お前がそう言うなら安心だ」
アマナのお守りをしている俺は、こういった状況に強い。自分自身では大してそうは思わないが、俺はどうやら面倒見がいいらしい。主にアマナからよく言われる。
「まあ、こういうごたごたがあってな。遅くなって悪い」
「大臣は、今日中は無理だろうと言っていた。来るだけ御の字だ」
前例が前例だからな、そう思われるのも仕方ない。
俺がアマナを引きずり、アマナに名無が引きずられ、漸く家を出ると、家先にはご丁寧に車が用意されていた。科学が魔道に代わって久しいが、移動手段は相変わらず科学がメジャーだ。
アマナを高そうな車に放り込むと、つられて名無も転がり込む。続いて後部座席に俺が座ると、助手席にレオンが座った。
「出してくれ」
陽が完全に落ちてから、俺たちは城へ向かい始めた。