デッド・ア・ライフ
異界総記を著者に印刷許可を得て地図の部分を印刷し、片手に持って森の中を進んでいく。幸い方位磁石は狂わない場所で、一切迷わずに魔王の根城、そのすぐ近くまで来ることができた。
「あのう……私が必要だって言ってくれるのはありがたいんですけど、魔王に面と向かって会うのはちょっと……」
「今更へたれるな。お前の師匠は誰だよ」
【竜の眼光】に代わる俺の切り札を使うためには、膨大な魔力を必要とする。俺とアマナの二人を合わせても足りない。そこで、魔力の塊とも言える角を持った名無の力を借りようと思って連れてきた。
こいつの魔王とは並々ならぬ因縁があるはずだ。何せ、自分が住んでいた村を丸ごと滅ぼされたのだから。
「そもそも、私の角を使うって言っても、全部ならともかく末端のみだとレイさんと同じぐらいの量にしかなりませんよ?」
「ちょっと待て、お前の角ってそんなに純度高いのか!?」
「当たり前じゃないですか。じゃないと狙われたりしませんよ」
アマナもう一人分でもあれば十分だったんだが、予想以上だ。これなら俺と名無だけで十分事足りる。
アマナは少し先を行って、魔物とモブ魔族の処理を頼んでいる。できるだけ消費をするなと言っておいたが、この分だとその心配は杞憂だった。
遺体を踏まないように進んでいると、先行しているはずのアマナが、森の出口付近で立ち止まっていた。
何故、そう思うや否や、視界を巨大な建造物が占領した。
覚えている。ここが、魔王が拠点としている場所。建造物。かつて最も栄えていたと言われる土地に、堂々と在るその建造物の前に、
「……そろそろ、頃合いだと思っていたぞ」
「……魔王」
圧倒的存在感を放つ男が、その建造物を守るか如く腕を組んで仁王立ちしていた。
魔王。名をボード。その称号の通り魔族の王にして、その名の通り魔族の基盤。曰く、数千年生きていると言われ、ボードが存在し続ける限り、魔族は存在し続ける。魔族の象徴。
七年前に相見えた存在が、再びそこにいる。
「死んでも蘇るとは奇特な男だ。そこまでして復讐を遂げたいか」
「今と昔を同一視すんじゃねえ。こいつは復讐じゃなく、決着だ」
そう、決着。俺がアマナの手により蘇生されたことで、ボードの勝利は掻き消え、七年前の戦いの結果は失われた。だからこそ、決着。しかしまあ、復讐心がないと言えば嘘にはなる。
俺から視線をずらし、ボードは名無を一瞥する。名無は小さく悲鳴を上げてアマナの後ろへと隠れた。名無の怯えようとは裏腹に、ボードは名無に大して興味がないのか、瞼を下して鼻を鳴らす。
「俺たちが世界を渡るには、お前たちが想像も出来ないほどに莫大な魔力を必要とする。二つの世界を穿孔し、先に至るための道を確保するためだ」
ボードの身長はさして高くはない。人間と比べても遜色ない。しかし、それでも見下ろしていると錯覚させる眼差しで、名無を再び視界に捉えた。
「俺たちは群体。全にして一。皆で先に至らなければならない。しかし、それを乱す者は必要ない。お前も魔族の端くれなら分かっているだろう」
一族が滅んだ責任はお前にある。そう言わんばかりの視線で、名無を睨めつける。
「元々、この世界に最早興味はなかった。人間は俺たちが想定する以上の抵抗を見せ、数百年、千年以上をかけようと絶滅はできなかった。潮時だったのだ。
故に奴らは滅びた。群体を乱す者は必要ない。しかし奴らは最期に、有益な燃料となってくれた。俺たちから、生き残ったお前に、礼を言わせてもらおう」
そう言って、ボードは名無に向けて深々と頭を下げた。
当の名無は自身の家族が掃き捨てられた事実を受け、膝から崩れ落ちた。アマナのローブを握る手にも力が入っていない。
群体を乱せば同族ではない。その信念は狂気の域に達している。昨日まで家族だった者たちを、ボードは一切の容赦も慈悲も悲哀もなく、ただ感謝のみを伝えて滅ぼした。
アマナがいる手前、俺はその怒りを抑え込む。二度もこいつの目の前で死ぬわけにはいかない。
しかし、アマナには限界が来ていた。
「……命は、消耗品じゃないんだぞ……っ!!」
アマナが手を翳す。するとボードの足元に複雑怪奇な紋様が描かれた陣が現れ、眩い輝きを放ち始める。魔道でも魔術でもない。出会って一番に、恐らく超威力の魔法を放った。
発動までに若干のタイムラグがあるとはいえ、ボードは一貫して腕を組んだまま微動だにしない。
「……俺が魔王と呼ばれる所以を知らないとみた」
呆れたように呟いたボードが踵で軽く陣を小突くと、その魔法陣は音もなく砕け散る。
何か魔術を発動した様子もない。本当にただ、陣を突いただけ。それだけでアマナの魔法は無効化された。
「ど、どうなって……!」
この事実に最も狼狽えているのはもちろんアマナだ。自身の才能、その結晶にして最終地点である魔法を、こうも簡単に打ち砕かれたのだから。
アマナが俺を再戦に向かわせたのも、いざとなれば自身が魔法で手短くことを済ませばいいと考えていたこともあるに違いない。
腕を解いたボードは視界の先にアマナを捉えた。
「俺は魔族の王ではない。そも、魔族とはお前たちが勝手に生み出した俺たちの呼称だ。魔王の原義は魔術の王。魔術の全を統べる者。俺の前で、魔術は意味を成さないと知れ」
茫然自失。魔法を破られたアマナは完全に我を失っていた。今しがた破られた理由を教えてもらったにもかかわらず、「どうして」と呟き続けている。
ため息を吐いたボードはぐっと拳を握った。
「停滞は悪だ。ここで去ね」
声が後方から聞こえた。振り返ると、拳を引き絞ったボードがアマナの眼前に立っていた。
無宣言で【「ドラゴンクロウ」】を発動して二人の間に割り込む。距離が近いことが幸いして、俺の指先がボードの拳に触れその軌道が逸れる。アマナの頬を掠めた拳は空間を唸らせた。
「お前は下がって頭冷やせッ!!」
俺の怒号を聞いて漸く我に返ったアマナは、眉間に皴を寄せながらも頷いた。そして未だ腰が抜けている名無を抱えて大きく後退する。
「七年前とは逆だな。内面が成長したのはお前だけだったか」
「相変わらず舌がよく回る!」
伸びきった左腕をボードの顔に肉薄させる。注意をそちらへ向けさせられたボードは、俺の誘導通りに眼球をスライドさせた。
その隙に、死角になった右腕をボードの脇腹に伸ばす。魔力以外のすべてを貫く五指が、ボードの肉に沈んでいく。ボードは血が噴き出してから自身の傷に気づいた。
しかしもう遅い。俺の手はもう手首まで沈んでいる。俺が手を抜いた後に魔術によって回復しようにも、失血は免れない。
真の意味での、俺からボードへの初撃。その一撃で、俺は確かに致命傷を与えた。