メモリ・イン・メモリ
本をまとめるだけでも数時間かかった。窓越しに外を見てみれば、陽は相当傾き、空は紺とオレンジが混濁している。
そろそろ帰らないと、晩飯が間に合わなくなる。今から素材を買って、調理して、となると確実に間に合わないので、適当に出来合いのものを買う必要がある。
「流石は国立だな、有用そうな本だけでもこの量か」
「最低五〇〇頁はありそうな本ばっかりで嫌になりますよ」
「とりあえず、これを貸出申請してくるわ」
総数は一〇二冊。この量を申請するとなると、また時間と手間を食いそうだ。
「もしかして持って帰るんですか?」
「俺が十全に空間魔術を使えりゃあ持って帰れるが、無理だ。貸出申請だけして、ここに置いて帰る」
身体能力を強化すれば、無理矢理持って帰れないことはないが、いくら何でも嵩張りすぎる。重量だけの話ではない。新しいものばかりとは言え、中には重要な学術書なども混ざっている。傷がついたり破れたりすれば、責任を負う必要がある。
「これ全部申請お願いします」
「どうせ置いて行くんでしょ? 面倒だしいいよ。どうせこの時期はバカがわくから貸出少ないし」
露骨に眉根を寄せた受付は、国立の施設の職員とは思えない怠慢さを発揮する。トップがあれなので、事件が起こっても、起こってから対処する精神が国民にも染みついている。
この場合においては早く帰れるのでありがたい。受付の言葉に甘えて職員用の区域に、台車に乗った本たちを運んでいく。
「ああ、あと、新しく魔族関係の本が入荷したら教えてください」
「おっけー。明日入荷するやつの中から、あるか探しとく」
「ありがとうございます」
名前も知らない受付は気さくに了承してくれた。ここはほとんど毎日本が入荷するので、入荷情報を働いている人間から得られるのは非常に嬉しい。
名無のもとまで戻ると、名無がとある本に視線を注いでいた。
「恋する乙女の房中術」。
前半と後半の温度差!
これが人気コーナーにあることとか、名無が手を伸ばそうとしては逆の手で制しているとか、ツッコミたいところはいろいろあるがぐっと我慢。
「おい、早く帰らねえとアマナがうるさいから帰るぞ」
「えっ? あ、あっはい!」
慌てて駆け戻ってきた名無を連れて、俺は晩飯を買うために繁華街へと足を運んだ。
◆
新書を読み漁って十日目。朝から夕方まで入り浸って、最初に借りた本をようやく読み終えた。約百冊も読んだにもかかわらず、有益な情報は得られなかった。そして、この十日で入荷した分は二冊。現在時刻は午後二時。俺は二年前に鍛えられているので、二冊を読みきるなら十分に時間は足りる。
ちなみに、名無は早々に知恵熱を出してぶっ倒れた。
「異界総記」なる本を手に取る。総記と題するにしては一冊のみと、明らかに情報量が少ないか、超密度になっている印象を受ける。馬鹿みたいに文字が小さかったらキレるぞ。
しかしこのタイトル、どこかで聞いたことがあるような、ないような……
この本には作者の名前が掲載されていない。受付に尋ねてみても、「上から入れとけとしか聞いてないのよねー」との答えが返ってきただけだった。利権云々で揉めるにしても、本として刊行されているなら、作者名ぐらい載っているはずだが。
まあ、役に立たないものなら数ページも読めば分かる。ここは一旦読み始めよう。
初めの序章には魔族についての解説が掲載されている。
魔族はあらゆる世界を渡り、数多の世界を食い荒らす、世界を股にかけるシロアリとも言うべき存在。行く先々で同調した民族を取り込む性質があり、様々な種族が存在するのはそのためである。しかし、俺たちの世界では魔族に同調するものはいなかった。
世界に穴をあけ、別の世界へ移住することから、蔑称は「土竜」。
言語における学習能力と魔力の扱いにおいては人間以上に優れている。前者は他民族国家のような形であるため、後者は魔力を生成する器官が絶対的に優勢遺伝であるためだ。
「思ったよりもまともだなこの本……」
執筆者は相当な知識量を持っている人間だろう。魔族の情報を、簡潔かつ間違いのない解説にまとめている。魔族に関してをアマナの口から学んだ俺だが、当時この本があればどれだけ重宝したか。
続くは魔族の将について。将は王とは違い、軍を任された者の役職名であり、二人存在する。片方はこの前俺がぶっ殺したから、一踏破軍、もといガルアについての項は浅く読むに留める。
ここにきて、気になる点がいくつかある。魔族一個人について詳細に書かれた本は、「異界総記」以外に存在しない。それは、魔族が現れ、人類がそれの迎撃を始めてから、一度も将と激突したことがないことを示している。アマナや陛下に訊いても、魔王軍本拠地に乗り込んだ人間は史上いない。
これを書いた人間は、どうやって個人について詳細な情報をどうやって調べたのか。著者がスパイである可能性もあるが、スパイなら自軍の情報を開示する必要もない。序章とガルアの項を見る限りでは虚偽の情報を載せているわけでもない。
「……今は細かいことを気にしてる場合じゃねえか」
残る将は一人。戦闘専門のガルアと違い、諜報や情報の扱いを得意とする。魔力の扱いは魔王以上に長けているとも言われ、魔術魔道の両方を使うことができる。
特に幻術の類を得意とし、性格は非常に軽薄で快楽主義者。自己中心的な面が強く、自身の享楽のためには、裏切りに近い行動をすることもある。
外見は人間に近く戦闘能力も高くない。正面から相対すれば、ファストの一般市民でも倒せるほど。しかし前述のとおりに優れた幻術で相手を攪乱する。
「どう考えてもスパイこいつだろ」
性格からして、素直に魔王のためを思って諜報活動をしているとは思えないが、魔王軍が人間死すべし慈悲はないの意向を取っているので、魔王軍の裏切りはあっても、人間の裏切りはあり得ない。
性格の項を読むと、ガルア以上に深く書かれている。書いた奴はこいつと性格が近かったんだろうか。
「軽薄で快楽主義者。自己中心的な面が強く」で、俺は俺のよく知る、本当によく知る人物を思い出した。
アマナ・ネリン。
あいつと波長の合う奴を捜せば、この将――グロスに行き当たるんじゃないだろうか。
この本には魔王の記載はなく、残りは魔王領地の大まかな地図が描かれているのみ。これについては昔の地形を描けばおおよそ当てはまるので、この本に限ったものではない。
まだ何かに役立つかもしれないので、この本の貸出申請を済ませた俺は、さっそく調査を始める。
ローンの軍の心臓部はここにある。グロスもここにいるに違いない。
アマナを通じて得た、俺の人脈をフル活用する時が来たか。