今日から名無し
それは爆音と共に我が家へ着地(墜落)した。俺とアマナはアマナが発動した魔法により無傷だったが、部屋の中はもう大変なことになった。
あと、どさくさに紛れてアマナにキスされそうになった。
窓は熱と衝撃により歪み、床は地面が見えている。窓から離れている玄関の戸も吹き飛んでいることから、それの勢いが推し量れる。
「おい馬鹿、さっさと離れろっ!」
「このまま寝ない?」
「あんま馬鹿言ってると動物園に放り込むぞ!」
埃が晴れてくる。不時着しやがった迷惑野郎に、罵声のひとつでも浴びせてやろうと目を凝らす。
人型の何かが刺さっていた。角らしきものが地面に刺さって抜けないのか、間抜けな姿を晒している。俺がその少女を見て何とも言えない顔をする中、アマナは寝息を立て始めた。こいつの神経図太すぎるだろ。
「お、おい、お前何してんだよ」
角があるならこの少女は魔族だろう。相手が魔族なら、うちが襲撃されるいわれもある。何のアクションも起こしていなくとも、あちらからすればアマナは人間の最高戦力、一人で人間と魔族の双方を相手取れると言われている女だ。
俺はアマナほど強くないし、まさに寝首を掻く絶好のチャンスだな。
「その声はジュン・ネリンですね!」
「そうだが……」
一瞬震えた少女は振り乱していた青い頭を一旦止め、堂々とした口調で俺の名を呼ぶ。依然として角は地面に刺さっており、見ようによらずともシュールな絵面だ。
「私の名は――! ああ、名乗れないの忘れてました」
「何がしたいんだよお前!」
「私の目的は私の名前を取り戻すことです! そのために貴方には死んでもらいます!」
いやもうわけ分からん。登場も素性も現状も分からん。どうなってるんだよこれ。
理解できそうなアマナは呑気に寝てるし、俺がどうにかできる範囲をオーバーランどころかコースアウトしてるぞ。
「私の村では、一五歳になると名を奪われ、占いによって選ばれた人間相手を殺すという通過儀礼があります」
なんか急に訊ねてもいない自分語りが始まった。
話してる間はなんの動きもなさそうだし、それなら俺もこいつを撃退するための準備をさせてもらおう。
アマナからのそりと抜けた俺は片膝をつきながら少女の話を話半分に聞く。
「名を返されるのは、その相手を殺し、首を持ち帰ったその時。その瞬間まで、名乗ることはできません」
「そりゃあ大変なことで」
「ですので、ちょっと抜くの手伝ってください。私一人ではどうも抜けそうになくて……」
今から殺そうという相手に、何を情けない頼み事してるんだこいつ。
まあ、俺も動けない相手を一方的に嬲る趣味はない。「しょうがない」と言葉を返して、少女の頭に手をかけた。
「そっと! そっとですよ! 角にもちゃんと神経通ってるんですからね!」
「知るかよ! お前らの常識を持ち出すな!」
「いっせーのーせっ! ですよ! 『せっ』で行きますからね!」
「ふんっ!」
「あああああああああああっ!!」
腹が立ったので、一気に引き抜くと、少女は悲痛な悲鳴を上げた。
二本ある角は、どちらも返しのように中ほどで枝分かれしていた。どういう埋まり方をしていたのか俺には知る由もないが、角に走った激痛だけは少しだけ共感した。
股間のあれみたいなもんだろ。多分。
「……うっ、ひっ、痛い、痛い……神経通ってるって言ったのに……私ちゃんと言ったのに……」
相手が魔族とはいえ、(体は)年下の少女相手にやりすぎたかもしれない。目立った外傷こそないが、泣き声が俺の罪悪感を煽って仕方がない。
少女のすすり泣く声が俺の胸を叩く。角の様子を問う声をかけつつ、少女に歩み寄る。
ある程度まで近づくと、少女の目が光った。涙ではなく、比喩的な意味で。
「かかりましたね! この瞬間を待っていましたっ!! タイフーンミキサーッ!!」
勢いよく起き上がった少女は、高らかに声を上げながら角に暴風をまとう。左の角は右回転、右の角は左回転。そのふたつの角の間に生じる真空状態の圧倒的破壊空間云々が俺に襲い掛かる。
が。俺は前述のとおりに、こいつを撃退するための準備を整えている。確かに不意は突かれた、距離も策略によって詰められた、無防備にこれを受けた際のダメージは計り知れない。何せ歯車的暴風の小宇宙だ。
「【裂空「異次元開口」】」
俺の声に呼応して、空間の裂け目が俺とタイフーンミキサーとやらの間に割り込む。
密着していない限り、空間はすべてを隔てる。それが口を開けた異空間、異次元、異世界なら、向かうものを問答無用で呑み込む。
十秒を待たずに、俺を襲わんと迫っていた嵐は凪となる。
「ちょっとそれ強すぎません?」
「それは俺を設計した奴に言うんだな」
そう言って俺はボロボロになった床で、規則正しく息を立てるアマナを指差した。
今使った魔道は空間魔道だが、俺が使ったのは空間魔道ではない。
ありとあらゆるものを穿孔する。それが、俺が持つ魔道特性。今のは空間を抉って擬似的に空間魔道を再現したに過ぎない。
「もしかして、私とジュンさんの相性って……最悪?」
「かもな」
不意を突いて、おそらく最高火力を叩きこんでこのざまなら、この少女は俺と相性が非常に悪い。風は、というか放出系の魔道は基本的に俺のカモだ。
「じゃあちょっと出直させてもらいますねー……」
「させるかよ」
「あふん」
自分でぶっ壊した窓からそそくさと退散しようとする少女の首を掴む。少女は変な声を出した。
「魔族を見つけてただで返すわけねえだろ」
「人間に喧嘩ふっかけてるのは過激派です! ひっそりと暮らしてる私たちと一緒にしないでください!」
「冗談を言える状況だと思ってんのか?」
「馬鹿にしないでください。冗談ならジュンさんが笑い死ぬレベルのものを言いますよ」
真顔で何言ってんだこいつ。
俺は脱走には向いていても、捕縛には決して向いていないので、アマナに救援を求めよう。アマナなら魔力封じぐらいは片手間にできる。
「おいアマナ。こいつを縛っといてくれ」
「しょうがないにゃあ」
「お、起きてたんですか!?」
俺が声をかけるなり、ノータイムで起き上がったアマナを見た少女は驚愕の声を上げる。
まあ、こいつの狸寝入りは相当観察するか慣れないと気づけない。たまにそのまま寝る時もあるが、俺の身に何らかの危険が及んでいる時は絶対に起きている。
「可愛い可愛いジュンが怪我でもしたら大変だからね。じゃあ早速緊縛ショーといこうか」
「誰が未成年規制をかけろっつった!」
「えっ、捕虜ってそういうものでしょ。『くっ、殺せ!』からの即落ちが芸術なんだよ」
こいつの審美眼はどうなってんだ。エロ方面に振り切ってるのか?
ぶつくさ文句を言いながらも、少女の両手両足を縛ったアマナは、急に唸りだす。
「どうしたんだよ」
「いやね、名前がないと何かと不便だと思って」
「なっ、なんて恐ろしいことを! 名前を与えられるぐらいなら死んだほうがマシです! いっそ殺してください!」
こいつもノリノリじゃねえか!
アマナもスイッチが入ったのか、下品な笑みを顔に張り付けている。こいつらの演技力には脱帽するばかりだ。
「名前がないのなら、それ相応にいろいろと考えはあるんだよ」
「な、何を……っ!」
「名無しの君の名前はたった今から名無だ!」
「南無三!」
「お前ら裏で打ち合わせしてたんじゃねえだろうな!!」
あまりにも用意されたかのような流れに、俺はツッコまざるを得なかった。