頭角これくしょん―頭これ
その日は、珍しく霧が煙る日だった。霧に沈んだファストはしかし、いつも通りの活気を失うことなく、商店街の声掛けたちは各々、めちゃくちゃな風が吹けば桶屋が儲かる理論を展開している。
今日は何の予定もなく、アマナにも何の依頼も来ていない。名無は欲しいアクセサリーがあるとかで、家を空けている。俺も一日中家にいると息が詰まるので、散歩にでも出かけようと軽い身支度を済ませた。
「どこに行くんだい?」
「さあ。気分次第。お前は着いてこないのか?」
「毎度毎度ジュンがどこにいるのか探すのにも骨が折れるからね、ちょいと魔法でジュンがどこで何をしているか分かるようにした」
プライバシーもへったくれもないのは今更なので、俺はため息を吐いてから家を出た。
窓から見て分かっていたことだが、やはり霧が深い。注意力が散漫になっていれば少し先さえも見えない。湿度も高く、この時期のファストにしては珍しい。
どこへ行くでもなくうろついていると、遠くに名無の姿が見えた。知り合いが見えて無視するのも何なので、声をかけようとしたところ、名無は誰かと話をしているようだった。
名無の知り合いは多くない。誰かと思い目を凝らすと、シガル砦でアマナとともにふざけきっていた一般兵だ。何やら焦った様子で、身振り手振りを含めて名無へ何かを必死に訴えかけている。
「見づらいなちくしょうめ」
詳細を知りたいのなら近づけばいいだけの話なのだが、俺はなぜか二人の間に割って入ろうとはしなかった。
少しして兵士が走り去って行く。今まで見えなかった名無の顔が、振り向くことで見えるようになる。
その顔は、とても青かった。
俺に気づいた名無は、手に持ったアクセサリーが入っているであろう袋を振り乱しながら、俺に駆け寄ってきた。
「どうしたんだよ、らしくない顔して」
「ジュンさん! わ、私の、家族が、村が……行かなきゃ、私、帰らないと!」
「要点を得ないな。村がどうしたんだよ」
俺の肩をすがるように力強く掴んで、名無は大粒の涙を浮かべている。
……おおよそ、この後に待ち受ける言葉は分かっていた。普段ふざけている奴が取り乱したときほど、深刻な事態はない。
「私の村が、魔王軍に襲われたんです」
震える声で、名無はそう言った。
◆
名無の話を聞いたアマナの行動は早かった。交通機関はことごとく遅延を起こしていたが、車を出す分には交通量が少なく、かえって早く砦までたどり着くことができた。今日ばかりは魔王軍の侵攻もなく、シガル砦は不気味なほどに静まりかえっている。
「……私が言うのもおかしいですけど、その、アマナさんはどうしてここまで即断即決したんですか?」
特に、城から車を借りる手配は電話一本、二三言葉を交わしただけだった。
特殊なルートで魔王の領地に車で出たアマナは、名無が抱く、当然の疑問に答える。
「私も、大切な人の死に目に会えなかったから」
アマナは元々、ローンの中級貴族だった。だが、魔王軍との戦いで父を亡くし、母も権力を争う戦いに倒れた。アマナは両親を魔族と人間の双方に殺され、その二人のどちらの死に目に会うこともできなかった。
アマナが魔族に偏見を抱かないのも、こうした環境に身を置いていたから、という理由が大きい。
「ありがとうございます」
礼を言うと、名無は黙り込んだ。故郷が同族に襲われたとあって、気が気でないのだろう。
魔王軍の領地は本来、人間が住んでいた地域なので、ほとんどの場所は利便性を重視してか、道路などが魔王に奪われた当時のまま残っている。しかし、名無の故郷はその辺境にある。ろくに整備もされていない可能性が高く、道路がなくなれば歩くことになる。
「ごめんなさい、私の勝手な事情に付き合わせてしまって」
「気にすんな。かれこれ半年近く一緒に暮らしてるじゃねえか」
途中から名無も俺を本気で殺しに来ることはなくなった。それが四か月前だ。
……こうして考えると、こいつ結構早い段階で俺を殺すのを諦めてるな。まあ、それだけ早く諦めたからこそ、俺たちと名無は仲良くなれたのかもしれない。
窓の外に広がる景色に緑が多くなってくる。それに比例して、道幅も狭くなってきている。二車線分あった道路が、もう一車線になっている。
名無曰く、シガル砦からは比較的近い場所に村はあるらしい。かなり早い段階で車を降りることになるかもしれない。
「村を襲った奴に心当たりはあるのか?」
「分かりません。確かに私たちは穏健派で、魔王軍の意向には反していますが……」
そのスタンスで今まで何事もなかったのなら、理由はそこにない。何か、魔王の気に触れることがその村で起こったのか、その村出身者にいるのか……
一瞬名無を見たが、一踏破軍がそういった告げ口をするとも思えない。あいつは良くも悪くも、言われたこと以外をしない節がある。シガル砦での件から、俺は一踏破軍の性格をそう考えている。
「その辺りも村に到着すれば分かるだろう」
アマナは車を停めた。気づけば車道はもう車では通れないほどの幅になっていた。
「ここからの案内は任せてください」
先に立った名無が案内役を買って出る。今回俺たちは地図も方角を調べる道具もないままに飛び出してきたので、その言葉はありがたかった。
メインの道から外れて、道ですらないように思える細い道に入る。足元を見れば舗装された道の名残が見えるが、周囲は草に覆われて、獣道としか思えない。
「虫とかもわいてますから気をつけてくださいね」
「ああ、虫よけの魔法を使ってるから大丈夫だよ」
本当万能だなこいつは。魔物避けならまだしも、虫避けの魔法なんて使いどころがピンポイントすぎるだろ。
「どれぐらいで着く?」
「この速さならもうすぐ着きます」
アマナのフットワークの軽さもあって、ここまで来るのに大した時間はかからなかった。シガル砦までおよそ三時間で来ることができた。魔族の襲撃が一切ないことも、理由の一つだ。魔物は避けられる魔法があるとしても、魔族は避けられない。知覚されれば、魔族側に何らかの理由がない限りは襲撃される。
運がいいのか、それとも、名無の故郷におびき寄せられているのか。情報源はあくまで噂のみで、信憑性は低い。あの一般兵が嘘を吹き込まれている可能性もある。
例え嘘だとしても、名無は気が気でないだろう。村人たちは全員家族のようなもので、知らない顔はいなかったと言う。田舎であればさして珍しくない現象だ。
嘘なら嘘で、あとであの兵士を問い詰めればいい。事実なら……
そこまで考えたところで、前を歩いていた名無が立ち止まる。村に到着したのだろう。虫や蛇に注意を払うために下げていた視線を持ち上げる。




