筋力王者! 脳キング!
「今の動きは見えたかな?」
股間を押さえて、過呼吸になっている陛下を気に留めることなく、名無に問いかける。名無はその問いに、首を横に振ることで答えた。
名無の戦闘スタイルは知らない(毎回違う手で襲ってくるからだ)が、今の動きが捉えられないようなら、俺に勝つなど夢のまた夢だ。
「それじゃあまずは、動体視力と反射神経からだね。ほら、起きろよ」
死にかけている陛下に追い打ちで蹴る。威力は低いにしても、人の股間を思い切り蹴り上げた数十秒後に放つものではない。台詞も行動も。
「お、俺は……いいって言ってねえぞ……!」
「まったく、強情な奴」
やれやれと言った風なジェスチャーを行ったアマナは、しゃがみ込んで何やら陛下に耳打ちした。すると、一瞬のうちに陛下の表情が、やる気に満ち溢れたものに変わった。
「よーし名前も知らねえ魔族の女! 俺が鍛えるからには安心しろ! 俺が船だ!」
勢いよく立ち上がった陛下は、胸をどんと叩いてそう言った。
絶対に沈まないだろうが、その例えはどうなんだ。
「はいっ! 師匠!」
「何をするにも、とりあえず体力が必要になる。まずはこの城の外周を魔力なしに十周だ! 着いてこい!」
「アイサー!」
名無本人はともかく、陛下までやる気たっぷりに、部屋から走り去っていった。城の外周と言えば、おおよそ十キロはあったと思うんだが、大丈夫だろうか。
いや、そもそも、さっきまで面倒くさがっていた陛下が、なぜあんなにもやる気をだしているんだ。
「お前、陛下に何言ったんだよ」
「『チラリズム』、たったそれだけの、簡単な言葉さ」
「お前も陛下も最低だな」
さて、陛下が本格的に名無を鍛えるなら、俺もちょっとは修行なり鍛錬なりをしておかねえと、マジでやられかねない。久しぶりに本腰入れて頑張るか。
◆
名無が陛下に弟子入りして早二週間。俺の方が一息ついたので、様子を見に来てみた。この二週間、名無は一度もうちに帰らず、城に籠りきりだった。スイッチが入った陛下は本物の脳筋なので、貞操的な意味では名無を心配する必要はない。
城の地下にあるトレーニング場。陛下の趣味全開で造られたここは、様々なトレーニング器具や実践のための広場などがある。
早朝なので、アマナは置いてきた。あいつを起こして、連れ出すとなると一時間はかかるだろう。
警備員に挨拶をしながら実践場へ向かう。俺単体では、まだまともな人間だと思ってもらえているようで何よりだ。
「おお、やってるやってる」
実践場では陛下と名無が素手で戦っていた。もっとも名無は身体強化込みだ。名無も本気でやっているだろうに、それをあしらえている生身の陛下の異常性が際立つ。アマナに完封されたとはいえ、流石戦闘民族の長だ。
「そろそろ来る頃だと思っとったよ、ジュン」
「大臣もいらっしゃるんですか」
「呼びつけられたんよ。監督役を任せたっつってな。仕事ほっぽり出して敵方の育成とか、あいつ頭おかしい」
壁に背を預け、屈みこんで二人の戦いを見守るガイ大臣は、口ではそう言いつつも楽しそうにしている。立場がある今では純粋に楽しめないのだろう。
大臣の隣で陛下と名無の戦いを俺も見守る。互角のように見える戦いは、明らかに陛下が手を抜いている。男女と言う性差、経験値の量、この二つがあると言えど、やっぱり生身で身体強化についていき、なおかつ手を抜けるのはおかしい。
名無の攻撃のすべてを見切り、反撃を加える。名無も回避だけなら上手くなっている。陛下の攻撃を、多少乱暴ながらも回避し続けている。顔面に右ストレートが迫る。それを左手でいなし、一歩踏み込んだ陛下は右の拳をぐっと握り、それを振り上げる。名無の顎に触れる寸前でピタリと動きを止めた拳は、名無の髪を揺らした。
「いったん休憩! 三〇分後に身体強化について座学やるから小教室に集合!」
「はいっ!」
体育会系な雰囲気も板についてきた名無は、大きく返事をすると座り込んだ。
余裕綽々な陛下はこっちに来ると、ガイ大臣のそばに置いていた清涼飲料水をがぶ飲みした。
「お疲れ様です陛下」
「おうジュン。いい加減敬語外したらどうだ?」
「俺はそこまで顔が厚くないので」
「上下関係とか気にする必要ねえんだけどなあ……」
空になった五〇〇ミリリットルのペットボトルを、ガイ大臣に向けて放り投げる。大臣はそれを、舌打ちしながら受け取った。
遅れてやってきた名無は地を這っている。下半身が動かなくなったゾンビのようだ。
「うううぅ……ジュンさぁん、この人滅茶苦茶ですぅ……」
「滅茶苦茶なのは、この国の上層部特有のもんだ」
「でも、強くなってる実感はあるんです。私がどれだけ未熟だったかを自覚しました」
魔力と才能にものを言わせて、無理矢理な戦法が多かったからな。陛下も脳筋とはいえ、脳筋なりの技術力はある。その技術を一部分でも盗むことができれば、名無の実力は飛躍的に上がっていくだろう。
休憩中にすら筋トレをしている陛下は流石としか言いようがない。体力無限なのか。
「ジュンさんの方はどうですか? 私がいなくて寂しかったりしませんか?」
「何馬鹿なこと言ってんだお前。爆音が騒音になった程度だ」
「ロックがジャズになったぐらいですか?」
「双方に謝れ!」
音楽をなんだと思ってるんだこいつ。
ガイ大臣から陛下が飲んだものと同じ種類の飲料水を受け取り、同じくがぶ飲みした名無は、生中の一口目を飲んだおっさんのごとく息を吐いた。スポーツウェアなだけ、そのおっさん感は減衰している。
飲料水を飲み終わった名無は、俺とガイ大臣の間に入って腰を下ろした。
「私は寂しいです」
急にマジなトーンで話し始めた名無の声を聞いた俺は、ガイ大臣に助け舟を仰ぎたく、視線を送った。しかし、大臣も何か面倒を察知したのか、筋肉が上下に揺れているところを見ているだけだった。
ふざけんなよ。自分の時は権力振りかざして招集するくせに。
「故郷から出てきて、ジュンさんを殺すのに失敗して、お世話になることになって……アマナさんとジュンさんは、初めて故郷を出た私にとって第二の家族みたいなものなんです」
殺したい相手に向かって「第二の家族」とか、頭おかしいんじゃねえの。
「ですので、その、できればジュンさんを殺さずに名前を取り戻す方法はないか、考えてるんです」
その方法は名無の故郷に帰って、俺が名無をボコボコにすればいい。それはそれで後々報復が来そうで怖い。そもそも魔族の領地に乗り込む行為自体がイカレている。
「……まあ、名前は大事だわな」
名無の本名が何かは皆目見当もつかない。この名前だって、その場のノリでアマナがテキトーにつけたもので、由来もクソもない。そんな名前よりも、本名の方が大事に決まっている。俺だって、どんな由来があるかも分からない自分の名前でも、失いたくはない。
「だから、私がジュンさんよりも強くなる前に、私と一緒に来てくれませんか?」
「は? お前調子乗るのも大概にしろよ。突貫で鍛えた奴に負けるほど俺はヤワじゃねえ」
「む。鍛えてないほど伸び代があるんですよ。なんならここで一戦交えてみますか?」
「いや、今は休憩時間なんだから、休息に使えよ」
この後に待っているのがいくら座学でも、疲れ果ててしまえば頭に入らなくなる。
陛下にも同意を求めようと視線を動かす。
「今はテメーの時間なんだから、テメーの好きなように使いな」
上腕二頭筋を伸縮させながら、陛下が言った。
本っ当に、この脳筋は……!