4
15
「ね。あたくしへのプロポーズでよろしいんですわよね」
「え?」
階段を降り切りエントランスを横切ったハノスは瞬きしてアディトを振り返った。
「何がだ」
「先程、結婚して欲しいとおっしゃったわ」
「……え?」
ハノスはしばらくして、「ああ、あれは」と言った。
「そういう意味では無い。屋敷へ来なさいという言葉はこちらに移り住むなり、養子にするなりし」
アディトは俯き、走って行ってしまった。
玄関扉横の厨房へ入って行き、その中へ消え見えなくなった。
ハノスは項をさすり、溜息をついて厨房方向へ歩いて行った。中を見渡し、アディトが調理台の上に何かを丁度置いた所だった。
どこかから出したのだろうか。棚には調理本が並んでいるが、引き抜いた気配も無い。
彼女はその革張りのメニュー表のような物に指を当てたまま、タイルの調理台に腰をつけ、俯いていた。
「あたくし……」
彼女は顔を上げ、ハノスの胸に駈けより抱きついた。彼はいきなりの事にバランスを崩し、義足側の足を滑らせた。咄嗟に右側のステンレスの棚に手を掛けたたが、肩に激痛を走らせ危うく女の体を叩き払いそうになったが片腕で肩を抱いた。アディトが棚に彼の背を落ち着かせ、彼女は目を開いて彼の横顔を見たが、彼はいつもの涼しげな顔を歪め俯いていた。
「ちょっと、悪いね」
そう言い、肩を離させて腰を曲げ膝を手で押え外れそうになった器具を正した。
「……あなた、義足でいらっしゃるの?」
腰を伸ばしたハノスは、小さく微笑んだだけだった。彼女は相槌を打ち、全く気付かなかった。
「悪かったわ。知らなくて飛び込んだりして」
「……」
彼女の咄嗟の装わない口調は、余りにも彼女を魅力的にさせた。
「つい、結婚を申し込んでくれたのだとばかり思って、嬉しくなって一人で悦んでたりして、あたくし、誤解しなんかして……」
視線を落としたアディトは瞳を閉じ顔が見えなくなった。
彼女の腕を引き抱き寄せた。
自分が彼女に完全に惑わされえいる事など分かっていた。だが、何かしらの怪しい人物に傾くわけにはいかない。
「あたくし……」
アディトは肩に頬をうずめ、自分が今から愛するダリーをおとしめるという事を、しようとしている事に堅く目を閉じながら、罪悪感で心がざわつき続ける中を言った。
「警察官のあなたに見て頂きたい物があるの」
ハノスは目を開き、しめたと思い彼女をそっと離して首を傾げる事で先を促した。
だがアディトは言い迷った。完全にガルドを裏切る事になるからだ。だが、本当はそんな事などしたくはない。ガルドを愛しているのだ。
それでも、幻想さえ抱くほどのハノスの紳士的優しさと男性的安心感を自分は求めていた。そんな事など、今まで1度足りとも無かったというのに。
「あたし達は、ガルドチームの仲間なの」
「……、」
彼女の言葉に耳を疑った。それが大きな打撃となって耳に入った事だったからだ。彼女は顔を上げ、ハノスの顔を見て繰り返した。
「今に切り捨てられるって分かってる。きっと口封じの為にあたし達を始末に掛かる筈だわ。今までそういう姿を間近で見て来た。だから、救ってもらいたいのよ。姉もそう。彼女はダリーの一番の側近だからもしかしたら生かされつづけるかもしれないけれど、でもあたしは……」
『ダリー』
ガルドと親しい間柄の女でなければ使う事の無い呼称だ。
ハノスは彼女をスツールに座らせ落ち着かせてから尋ねた。
「何故君は仲間を裏切ろうと?」
「違うわ裏切りじゃ無い。命を救ってもらいたいの。今まで彼等と共に強盗をして来た事を白状するわ。関わって来た人間の事も言う。でもその分罪を償った後の命を守って頂きたいの。お願い、父もきっと危険だわ。今日パパは彼に命を狙われるに決まっている、」
「リーダー格を裏切って仲間を救おうと言うのか?君の父親が彼にどう関わっている」
「きっと、脅迫されていたのよ。造船の事を承諾したのだって。あたし達が彼の仲間だから、世間には当然知られたらまずい事実でしょう?」
彼女の心理恐怖と密接してか、彼女の頬に射す窓からの月光が青白く横顔を照らし、それは共に恐いほどの無表情になったハノスの冷たい横顔をも照らした。彼女は視線を泳がせ、潤んだ目元を青い光が差し込んでは、それでも月の力でその艶は妖しくも見えた。
彼女の中の、一時に見せた不安などでは覆えはしない、彼女本来の住み着く魔物の心を浮き立たせるかの様に。
銀行強盗の映像。その中の男達と女達の映像が頭をよぎる。
炎と闇をくっきりと、目元を際立たせたエメラルドの瞳とライオンの様な乱雑な髪。彼から機関銃を奪い取り牙を剥き乱射したスキンヘッド女の蜘蛛の顔面タトゥー。さらりと翻った艶の黒ボブとレッドの唇と猫の様なしなやかな動き。長いエレガントパーマが迫力あるグラマラスな背に翻り落ちた黒蝶スパンコールアイマスクの長身女。コヨーテの毛皮に胸とケツを包ませたゴールドメッシュビキニの肉感的な体つきの艶めかしい女。全身にのたうつ蛇を入れたシャープな水色の瞳。そして……不敵に微笑むダークレッドの分厚い唇、アイマスクのボブパーマ女。
格子前まで来て目元にあの黒アゲハの仮面を着けたハードな黒のハーフビンテージと膝中心まで隠す鋭利な革ブーツの大女が機関銃を肩に担ぎ激しく機械を打ち付け進み入り、監視カメラに気付き微笑した。ガルドが金庫のハッチに向けバズーカを発射し吹っ飛んだ風に煽られ一瞬頭に填めた黒バンダナの尾で隠れた顔からあの目を覗かせ黒アゲハ女から機関銃を奪いカメラを乱射した。
アディトの顔の輪郭をなぞった。
艶やかな顔を囲むパーマかかるエレガントボブは純金の様で、その綺麗な形の顎の上のふっくらした唇の左下に、ほくろがある。狭い肩。長い首。細い足首。
それは、映像の中、闇と炎を背に引き連れ立つ彼等の中の女に間違い無かった。
仁王立つ網タイツ。鋭い鉄が尖るハイヒールブーツ。スパンコールで目の周りを赤蝶を象った艶やかな色っぽい目元。赤革のハードボンテージをグラマラスな肢体に装着しては蝶の様にゆらりとゆらめき、女は黒革のロンググローブの手に、長い鞭を持ちビシッと床に叩きつけ、悦とし質悪く微笑んだ。
赤蝶の鞭女。目の前の女だ。
黒アゲハがその姉だ。
まさか彼が犯罪にまさか3丁目の富豪令嬢を直接関わらせていたとは。女はガルドの出生の秘密と実情をまさか知って?ガルドも当初富豪の娘と分かって引き入れたのか。
ガルドが本当は誰の息子であるのかなど、誰も知りえないのだから。
ハノスは彼女の背中に腕を回させその手首にがチャッと手錠を填めた。女は目を見開いた。
「……ちょっと、離して痛いじゃない!」
「罪を償ってもらう。望み通り仲間と揃って刑務所に入ってもらおうか。ガルド君以外の仲間達の正体が掴めなく困っていたからな」
いきなりどこから持ち出したのか、柱の裏側だ。鞭がしなってハノスの頬を激しく打ちつけたのだ。
鞭女は彼を鋭く上目で睨み、手錠の後ろで構えた鞭を床にビシッと叩き付け口元を怒りで歪ませた。
頬に激痛だけ残り皮膚自体はなんとも無いが、焼きゴテを突き付けられた様に頬が痛み熱を持った。
吹っ飛んだ床に肘を立て半身を起こし熱い頬に一度触れ、女が立ち上がりまた体をしならせ鞭を振ろうとしたのをその肩を掴んで、背後から後ろに回された両腕を上に引き上げ、鞭女は激しい激痛で叫んだ。
女の鞭を奪い取りそれを遠くへ投げ捨て彼女の両肩の関節を外し激しく泣き叫ぶのを戻してやり、顔を歪め泣き叫ぶ顔から流れる大粒の涙を拭った。彼女は床に座り込み床に額を付けて涙を滴らせ、赤い唇で真っ白な歯を剥き声に出し激しく泣き続けた。
「女性に手荒な真似をしてすまない。だが、君は紛れも無い犯罪者だ。君の仲間も刑務所に入ればこれ所では無くなる地獄が待っているんだぞ。何故犯罪になど荷担して……」
彼女を抱え起こしてやり、彼女は熱い涙をぼろぼろこぼして肩に額を乗せた。
「ダリーは、女に絶対、こんな事しないのに、」
「だが犯罪に荷担させた事は暴力よりも」
彼女は身を返しハーヒールを鳴らせ走り逃げて行った。
「アディト!」
彼女は手錠を填めたままつまづきそうになったのを肩で扉に突っ込み、その場に崩れて芝生に膝を着き叫んだ。
「ダリー!ダリー!!!」
白鳥達が一気にざわめき飛び立ち、森の野鳥全てが黒い影を持ち飛び立って行った。
「逃げて!!!」
まるで悲痛に叫ぶ怪我をした鳥の様にくずおれ高い声が天に響いた。
ゾッとするような鞭女の金切り声が鳴り響き渡り、別荘会場にいたランジェリー娼婦は頭上を激しく飛び交った黒の影に目を見開き大きな胸騒ぎに掻きたてられた。一体、どうしたというの?
ハノスは彼女の口を押え引き立たせ、通信機に一斉号令を出す。
警察側もレガントのスキャンダルに繋がり、リカーの逆鱗に触れるような方法を、わざわざガルドが派手な行動として取りつづける事を黙認し続けて来た仲間達には生きていてもらっては困る所だったのだ。
もしもガルドがレガントの何らかの関係する子供であると仲間内に探られれば、レガントの人間の強盗などは直接的なこの街切っての権力者の巨大スキャンダルだ。ガルドは凶悪犯に他ならない。何故レガントの人間の筈がハイセントルに捨てられたのかは皆目見当つかなかろうが、彼女達がリカーを脅迫しないとも言い切れない。
富豪息子のキャリライと薬狂いのガルドの事だけでも手を回す分野が増えている物を、そうとなれば今捜査を進めている事項の邪魔にもなる。
今レガントのじゃじゃ馬問題児、チームリーダーを警察組織内の監視下に置いた中、主要20名の、決定的な犯罪、闇金融に手を貸してきた人間達には事実が知られる前には隔離させて貰わなければ。
「ひっ、く……、」
彼女は泣きつづけ、それをあやしながら背を撫でて林を見回す。彼女の髪を見下ろし、自然と艶に濡れる瞳と目が合った。頬は涙で濡れ顔は哀しみに歪み、ベストを掴む拳は痛みに震え涙の伝う唇の端に引き寄せられるようにキスをした。彼女は哀しそうに泣き声を震わせ、目元が涙で歪み優しくキスを交わしその背を互いに抱き寄せ頬を包んだ。
彼女は泣きそぼり肩に額を付け涙を流し続け、背のベストを震える小さな手で掴み、声に出して泣きじゃくった。
愛する者を裏切ったからだろう。そして大きな支柱を欠き、仲間達を自分が裏切ったからだ。自分の心が揺らぎ、警察組織の人間に傾いてしまった事が哀しくて。
彼女の背を優しくなだめ続け、小さくなだめ囁き続けた。
共に、複雑な気持ちにもなったのは確かだ。ガルドはこうなる事を本当に分かってアディトに行かせたのだろうか。余程信頼をして一任した筈だが、所詮女の心は強い男に惹かれては危機を常に感じてもいるものだ。それを分からないようでは、まだガルドはその部分が10代の少年に他ならない。
それを、女性達まで引き連れ活動していたのだから。DDが女を引き入れない性質なのは女の心の揺らぎを充分分かっているからだろう。女は守るべきものだ。
結局はそれらの余りの強さによる恐怖心がこうやって可愛がりつづけた女の一生を壊し傷つける結果になるのだから。
だが、犯罪を犯した以上は正当な処罰が必要だ。
共にこれからガルドを徹底的に悪巧みから遠ざけさせなければならない。何をしようとも、彼自身は数々の犯罪を主犯にしてきた危険因子に他ならないのだから。ガルドのあの雰囲気と言動、性格を見ても、後々DDに加わる線はまず無いと見ていいだろう。
巧妙すぎるほどに組み込まれた市場の権利に一切の窺えないガルドの影は、逆に好都合でもある事だ。
これからの捜査を続けていく内にもし浮上するならばそれは潜入捜査としての正当な汚れない捜査に仕向ける様にこちら側も手を回す必要がある。ダイラン=G=レガントが地主リカーからの指示でデスタントを壊滅的に破滅させるために網を張った事にもできる。そうすればあからさまな地主側の汚い手は隠せ、FBI内部だけで取り締まりリカーの捜査に繋ぐ事が出来る。
DDにしてもまだ影で蠢き、大きく動き出した今の内から打開策を保持しておかなければ。
きっと、ガルド自身が全ての罪をDDに着せる為に市場から退き、デスタントに権利を渡したのだろう。全く、誰に似てそんな考えを企て始めたのやら。相当の怨みが個人的にあってこその逆襲のようだ。された事を同じ事で返すなどとは。
16
キャリライはメイズン=レナーザから離れずにいたのを辺りを見回し、警察官誰もがキャリライに視線を送った。
カトマイヤー警部からメイズン=レナーザを拘束しろとの命令が下ったのだ。
謎の多いレガントの事を探るために彼と共にいたメイズンだったが、キャリライは彼女の腰をすっと引き寄せ微笑んだ。
「こんな人ごみからは離れた所で話をしないか」
そう言い促し歩き出した。
ガルドはイヤホンを渡されていなかったのだが、キャリライが鞭女の姉を物陰に連れ出そうとしたから止めようと追いかけた。
がだ、そのガルドの肩を引いた人間がいた。七色のソースまみれのジョンだった。まみれていながらもやはりガルドはなんともつかない顔をし、ソースの匂いにまみれ醸し出され混合し、もはや悪臭ともつかない甘い香りに着きあの薬草の混ざり合う匂いはガルドはやはり耐え切れなかった。
ジョンはガルドを肩を基点にぐるんと投げ飛ばし、誰もが振り返ってガルドは長い足を振り回転させ地面に片手を着き身を起こしジョンを睨み付け手を払い、ジョンの額に銃口を突きつけ睨め付けた。
「またそう喧嘩っ早くなるなダイラン。ったくどうしたってんだお前は」
マスターは彼の首根っこを持って銃を持つ腕を下げさせ、ガルドは憮然と口をつぐんで、肩越しに彼より一回り背の高いマスターの恐い造りの顔を見てからジョンを睨み見た。
辺りに視線を這わせ、マスターが止めるのも聞かずに走った。
一斉に今まで優雅な態を装っていた警官達がグラスを放って走り出した。
警官達を片腕でなぎ倒し走って行き、待ち構え取り押さえようとした警官達はガルドに気迫に気おされそれを腕で払われ転がり他の者達も走って行くが、実際は手を欠ける前に後じさりし、この男は殴らずとも素手で人を殺せるのだから。警官達が多くそうなって来ていた。しり込みし鋭い視線で睨み付け、ガルドは背を伸ばし一瞬辺りを視線だけで見回し間をなぎ倒し走って行った。警官達は胸元の拳銃に手を掛け追いかける。
何やら騒がしい。リカーが屋内から窓の外を見下ろすと、警察の犬共が荒だたしく視線を鋭利に這わせていた。
メイズンとキャリライは迎賓館のサイドを湖畔沿いに歩き、屋根付きの回廊の柱を越えて中庭に来た。どこの庭も同じ様に、純白の石で出来上がった空間は芝生の緑とのコントラストをみせる。この中庭の中央の噴水だけが昼の太陽を浴びれば黄金のドーム型透かしフェンスとそれを囲う女神達の衣とヴェールを翻し舞う白石の銅像を明るく輝かせた。
今はスポットライトを中庭全体に当てられ、石のベンチには各々が語り合っては、そこで成されているジャズは軽やかなスイングだった。
その庭を歩き、本館へ入って行く。
人気の無くなった中、キャリライは彼女の腰に手を回し会話をしながら廊下を進んで行く。一つの部屋に入り、彼女にキスをしベッドに押し倒したと共に彼女の体をうつぶせにさせ手錠を填めた。
その瞬間だ。メイズンは足を振り回転し強烈なハイヒール回し蹴りを顔に食らいそうになってキャリライは咄嗟に避けた。
グレー掛かる純白のシルクから黒のレッグアームと編みタイツが尚もキャリライを蹴り付けようとするのを、黒のシルクロンググローブの腕を取りベッドの支柱に彼女の首を覆い胸元をがっちり飾るプラチナと黒ダイヤの豪華なネックレスがガチッと音を立てた。
肩越しにキャリライを睨み、彼は彼女の後ろ向きの綺麗な体にそそられたがきつく言った。
「メイズン=レナーザ。強盗容疑で逮捕する」
「外しなさいよ。あんた、いきなり何の真似かしら。淑女に失礼じゃんじゃない?おばあ様に言うわよ。それに、礼状はどこだというのかしら?」
一体何故?何故ばれたの?なんて事。
黒シルクの腕を引き、彼女の長い睫の上のシルバーアイホールと吊り上がった黒アイラインの瞼に、キャリライの血が飛んだのは彼女が彼に頭突きをしたからだった。彼女はシャープに背後に流させたエレガントなパーマ髪を首を振り背後に流す。メイズンの美しい顔横を、大振のブラックダイヤのイヤリングが鋭い光を纏い、揺れた。
キャリライは舌を噛み額目元を抑えゆっくり立ち上がり、彼女の分厚い睫の強い眼差しに観念する事だなと言った。
応援の警官達が駆けつけたのを、メイズンは思い切り体毎返し回し蹴りし、長い足が鮮やかにキャリライの顔面に入り彼は回転し飛んでいき、警官達が慌てて引き起こしに駆けつけた。メイズンは足を綺麗な振り上げ3人を蹴り倒したが、拳銃を警官に向けられ、肩を取り押さえられた。
キャリライは低く唸り片目を押え、血が片目から涙の様に流れ開けることが出来なかった。
メイズンはフン、と冷たく背筋を伸ばし彼を見下ろし、警官達を鋭い視線だけで払いのけそのまま部屋から颯爽と歩き警官が後に走り続いた。
何故キャリライが始めから自分に狙いを定めていたのかが分からなかった。
ジャーレムは歯の奥を噛み締めジェレアネルに今すぐ逃げてと連絡を入れ、ジェレアネルは男を上から押し退けてパピヨンドッグを抱え込んで自分のハレムから外に走り出た。
ジェレー=ネラは今は自宅にいるらしいズィラードへの連絡は出来なかった。港の様子を伺わせている拷問女GBWに連絡を入れる。逃げてと。
口を封じられその上から黒皮マスクで覆われている彼女は他の男達に何も言う事が出来ずにそのままふらつくように持ち場から離れ歩いていき寄り道をして、そのままリーイン精神病院へ入って行った。
ジェレーネラは荷物を詰め込んで犬を片腕に、追って来る壮年男を放って逃げ出したが、犬がいきなり彼女の手を噛んで逃げていってしまった。そんな姿を見ていた広場のパフォーマンサー3人は顔を見合わせ、猫や黒豹の様な顔で再び芸を始めた。
ジャーレムはそっと会場を後にし、ジェレー=ネラと一度落ち合う事を決め街を離れ様子を窺わなければならなく逃げて行ったが、焦っていきなり会場から出た為に不振かられ彼女は刑事達に取り押さえられてしまった。
ジェレー=ネラは逃げた犬を諦めて逃げるべくアヴァンゾン・ラーティカへ向って行った。
犬はきゃんきゃん尻尾を振りながらいつもの様に6丁目交番へ走って行った。
野外会場。マゼイルは静かに睨み合うガルドとジョンを交互に見た。
どうせ造船に関わってZe-nの顔を知るレナーザの社長は始末するつもりでいた。だが、男達10人をそのまま街に残しデスタントを張らせ、女達は海外へ高飛びさせ本格的にライナスとミリアナス達に加わらせZe-nの活動をさせる計画は1年前に立てていた。
リカーは窓の下を見下ろしながら細い腕を組み、表情を固くした。会場内の警官達の様子が明らかにおかしい。やけに緊迫しているからだ。何があった?一体何があったんだ。
パーティー会場を囮にし、突如として切り替わったガルドチームの一斉取締りの一網打尽作戦を、ここに終結させなければならなかった。
ジョンは背後の警官達に手を上げ拳銃を下げさせ、ガルドの肩を叩き歩いてその場を離れていき、警官達もばらばらに移動して行った。
ジョンの腕を払い退けて睨んだ。両サイドの庭園から見える野外会場は煌びやかに徐々に戻り始めて行く。
豪華な庭園は巨大な噴水を中心に真っ白で視覚的にも華やかで綺麗だ。
「お前のお仲間なあ……」
一粒一粒が丸くくり貫かれたダイヤモンドの様な滴を見つめながらジョンはレイバンを出して掛け、その眩しさを避けては、照らされ黄金色に反射する水面が映っているガルドの顔を振り返る。
ガルドはその透明な水が下から巨大スポットライトに照らされ、揺らされる噴水の滑らかな水面から、エメラルドの瞳を静かに煌かせ、噴水の輝きの様に滑らかに映しては、まるで疫病神の様に黒いくたびれた一張羅の切り抜きの様なジョンに視線を移し睨んだ。
「一部捕まえたぞ。綺麗な蝶々共をな」
「あ?」
「これから一気にカトマイヤーが一網打尽にするそうだ」
仲間の情報は一切探らせていない筈だ。何故だ?
「それに、あの蛇の姉ちゃんも既に昨日の内に檻に捕獲させてもらったからなあ。俺が脅したら鞭の姉ちゃんが薬やってた事その医者に隠させて嘘の診断書出した事ばらしたぜ。留守にしすぎた様だなファッキンルシフェル」
ガルドは目を伏せジョンを顔を見据えた。
ジョンはその場にガルドを残し歩き去って行った。
ガルドは噴水の湧き上がる踊りを睨み、パンツポケットの中のナイフを怒りで握り締め血が噴出した。
鞭女だ。所詮女が。そう栄紗な宮殿を睨みきびすを返した。
だがまあいい。これから動ける手はある。裏切り者は消えたなら死んだも同然。デスタントを探らせる手駒が減っただけの話だ。
元からそうさせる筈だったのだろう。難なく料理店での約束を破って来たわけだ。
血で真っ赤になった手で強く項に爪を立て目を固く瞑り俯き、豪華絢爛な会場のステージはパンチと力があるパワフルなジャズが彼の気分を昂ぶらせ心を掻き乱した。
17
レオンは彼の手にハンカチをあてがったが、警官に離れさせられ2人の監視付きでパトカーに乗せられ会場を後にした。
ダイランが誰かしらと絶対に連絡を取り合う筈だ。
その為、部屋から出る事はおろか、寮内での単独行動も許されなかった。
色鮮やかな紫と黒のみと青の部屋でダイランはソファーに寝転がり、背後に立ち鋭い顔で達赤紫に染まる肌の刑事の顔を伏せ気味に睨んで、斜め前に立つスレンダーな黒人の刑事を睨んでから雑誌に目を落とした。
腕を伸ばし曲を掛け、欠伸をすると曲が騒々しいから消せと言われた。
雑誌を放って聞かずにブロックから透明のジンを飲んでから足をぶらつかせた。
暇だ。
「おいお前らストリップして楽しませろ。お前から先にや」
ジャキッ
「勝手な口はつつしめ」
額に銃口を突きつけられダイランはべーっと舌を出し適当に本を抜き取って開いた。白の紙が紫に染まり、黒いしおりが挟まれている。それを掲げて読んだ。
これは拷問女の破壊的文字だ。
カトマイヤー義足。デスタント麻薬王ビレッジ買収成功。豪華客船元オーナー死亡情報に付き安泰と見る。
男10名デスタントに寝返る確率2割。タチウオ女逃亡成功。スキン女不明。
GBWからダイモン
ハノスが義足?信じられない程気付かなかった。
彼女は逃げる途中、一度寄ったのだ。彼女は20名の盗聴も役目でガルドへの文書伝達も担っていた。
ドアからきゅんきゅんか細く言う声が聞こえ、ドアがガリガリ爪立てられきゃんきゃん言った。
交番に行ったのにダイランがいなかったからだ。
刑事が開けると勢い良く小犬が飛び込んで来てダイランの腹に乗り尻尾をフルフル振って、意地悪そうな顔でンとクの間の声で唸り、ダイランの頬をぺろぺろ舐めまわした。
「お前の犬か」
「……」
ダイランは横に首を振った。きっと、ジェレアネルが捨てて行ったのだろう。こいつはきゃんきゃんうるさいから……。
犬の頭を撫でてやって、ンとクの間の声ででかい目と口を閉じ気分良さそうにキュアーと鳴く犬に黒の冷蔵庫から常に10本の牛乳を買い置きしそれとサラダしか入っていない中から黒の皿に牛乳を注ぎ紫タイルのテーブルに置いた。
犬が駈け乗ってミルクをばしゃばしゃにしながら飲み終えるとダイランの足を柱にまた間違え、きっとわざとなのだろう小便を引っ掛けようとしたのをまた蹴り付けられきゃんきゃん言って部屋中を駆け回った。
「黙らせろ」
そう言う間に犬はミルクのついたままの口で赤紫のビーズクッションに丸まり眠りについた。犬はダイランを完全に馬鹿にしているから自分が一番の王様だと思っているのだ。ダイランそっくりだった。
「レガント氏はお前のお仲間のせいで片目の視力が0.01に著しく落ちたんだそうだ。その事で地主のミセスリカーはご立腹だぞ」
ダイランは舌を出しフンと言って雑誌を再びめくり飽きてソファーに寝転がり眠りに入った。
刑事2人は起きれて息を吐き後ろで手を組みドア横に並んだ。
ズィーラード、マゼイル、ジャーレムが監獄送りになり、エリッサ刑務所へ突っ込まれた。アディトとメイズンだけが父親の他州移転と共に権力も味方しまだましな状況の女子刑務所へ送られた。父親が移転となった理由はキャリライに娘が障害を与え、リカーの逆鱗に触れたからだ。
男達10名はデスタントに買収された。だが、内心傾かない事だろう。ガルドはまだ健在だ。今回の事位で黙る男では無い事位分かっていた。
パフォーマンサー3人はレキュードの置かれるアヴァンゾンの広場横華美妖麗なサーカステントへ戻って行った。
ガルドチームはそれを持って姿を消し去る事となった。
6丁目交番。ガルドの元チームメンバーに加わっていた少女が、女警官の元納まっていた椅子に座り、金やすりを持ち出し歯を牙のように神経ギリギリに研いでいた。少女はそれをミラーで確認しながら削っていた。少女は自分を17才のリムと名乗っている。
「ガルドさんさあ。ハイセントルに戻ればいいんじゃん?もう駄々こね始めて3週間よ3週間。マゼイル姐御達もぱくられちゃったしさあ」
そう、いつもの様に後ろ手を組み交番斜め前に立つ背に言った。その交番開口部両端にはあの刑事2人が立っていた。
「居場所なくなる前に元鞘に戻っておいて損は無いよ。あたしさあ、今日呼ばれたから来てみなって」
「そんなものたかが知れてるってもんだ。俺は戻るつもりはさらさらねえんだよ」
「そうなんだ」
女は口から歯の欠片を吐き捨て巨漢に睨まれた。
「これからどうなるよ。一度は顔見せようよ」
少女は浅黒い肌でミニマムだが、色っぽい体つきを胸元と腰周りを黒で包ませ、ボリュームある黒髪から金の大きな平らピアスが覗いている。首とレッグアームも金の大振で、人間味溢れるが冷めた猫の様に可愛らしい。
「ゼロね。じゃあ」
彼女はそう言うと交番から歩いて行った。
勤務時間も終わって、ガルドはエリッサ署に入って行く。
階段と向かいのエレベータからキャリライが降りて来た所だった。彼は片目にガーゼと眼帯を填め、ガルドを見ると再び口を付きそうになった言葉を切り、玄関口に丁度流れ込んだリムジンの方向へ向った。
「おい」
キャリライはガルドの背を振り返り、きつい目で見てから「なんだ」と言った。
警備員達がキャリライの前に立ち、ガルドを鋭く睨んだ。ガルドは振り返り感情も無いままキャリライの目を見下ろし、パンツポケットから手を出した事で警官は身構えキャリライを背後に行かせたが、何も持っていなかった。
「彼に何の用事だちんぴら風情が」
「お前に話掛けてるんじゃねえんだよ。おいお前」
またキャリライに目を移して言った。
「お前、何でメイズンの事ずっと張ってやがった」
「彼はレガントの御曹司だ。気安くお前呼ばわりはするな」
「何かお前、知ってたのか?」
キャリライは口端を上げ、一度他所を見たからガルドをカチンとさせた。
「どうやらお前の女だったらしいな。なんであんないい女を小汚い地べたで育ったちんびら風情に傾いたんだか、そうかと思えばどうやらレナーザ一族もお前のせいで随分と格調を落とされたようだな。あの女も随分と落ち」
警官が間に入って2人まとめて吹っ飛んでいき、背後に立っていたキャリライは彼等を見下ろし、一歩下がり被害を免れたのを軽くパンツポケットに入れていた手を出し、殺気立ったガルドの方に一枚の写真を投げ捨てた。
それをガルドは視線だけで見下ろし見て、顔を険しくしキャリライを見た。
こいつは密会の会合の筈の料理店での席をしっている。何故だ。その写真はヴィクトレーラから出てきたガルドの写真だった。
「一体何を隠し立てしているのかは知らないが、警官でいたいなら態度を改める事だな」
そう言うと身を返し自動ドアを潜って行った。誰もが白い目でガルドを見ていて、彼は舌を打ってその写真をびりびりに破り捨て踵を返し歩いて行った。
署から出てバイクに乗り込み、ドカンッとリムジンに思い切り突っ込んでリアガラスを蹴り割った。
「くっそガキ、」
キャリライは頭をおさえ片目で肩越しに睨み上げ、バイクは屋根上とボンネットをへこませ降り立つと蛇の様に目を剥き中指を立て親指で首を掻っ切る仕草をしてバイクは走り去って行った。キャリライはその乱雑なバイクの背を睨み付け、視線を外し道を進めさせて行った。
確かにリカーはダイランを嫌い避けている。レガントの異端児の息子らしい彼を自分の地位をおびやかす悪魔だと思っている。だが彼女は4年に一度必ず彼を屋敷まで来させる事を言った。
あの男には確実に他を引っ張って行く力があるのだ。何らかを動かせる程の力があいつにはあるのだ。
レガントの長男だった前地主に引き続き、その弟であった娘のリカーが引き継いだ後は、キャリライの兄レイブルも死んだ今次期後継者はリカーの孫の自分であると誰もが思っている。
あんな道楽ばかりだった兄と自分は違う。どうせリカーの会社の仕事も遊びの副業としてやっていたのだろう。それを今度はあのころころ煩かっただけの小僧が出てきたのだ。もし何らかのきっかけで自分を差し置いてあの小僧が地主になるような事があってはならない。レガントに入り後継者になるなど、認めさせるわけにはいかない。
それに自分がいち早く地主になるだけで組織内でどれ程の地位が上がることか。奴の事は警察に入って来た事で幾らでも制御できる。後はあの今顔をでかくしている余所者のユダヤンと異国人のガキ共を追い払うのみだ。
ガルドは今に黙るだろう。何せ、仲間を全て失い、一部は既に監獄の中。あいつの味方は居なくなる。徐々に。誰一人として。
18
ガルドは今の髪型も飽きたために変えるべく、気分治しのためにサロンオーナーを呼びレオンの工場に来ていた。
恋人は2人の刑事を背後に従え、椅子の背に両腕をのせ跨り乗りガルドを見ていた。4人がかりでコーンロウとドレッドを解いて行き、元からまとまられた黒髪だけは毛先の紅までは狐の尻尾の様に広がりドレッドはヘアスタイルを変えた2日後に解かれていた。両側頭部の緑蛇コーンロイだけを残し、全て解き終えた。ガルドは大口を開けて眠りこけていた。
全体的に毛先の紅以外を黒に染め上げ、頭上までをコーンロイで細かく編み込んでいき、頭上部から背に垂れ下がる残った長い髪を、4本の編み込みで絞ると簪で留め、垂れ下がる部分からそのままの髪と数本の編み込みを混合させた。
ガルドの肩を叩き起こし、彼は欠伸をして体内に酸素を取り入れると2人に掲げられた大きな装飾ブロンズミラーで左右の緑蛇、黒のコーンロウ、背後の編み込みとそのままの黒髪、毛先の紅を見回してから立ち上がった。
レオンはにっこり立ち上がり、彼にキスをしてから微笑み、ガルドはオーナー達に札を払った。オーナー達は車両に乗り込み、ガルドは工場内を歩き回り刑事2人がそれを視線で追う中を、一気に出口から走り出しオープンカーに飛び乗ると走り去って行った。
刑事達は発砲したが、闇に閃光が飲み込まれていった。そのままハイセントルまでジーンを突っ切り、刑事達は悪態を叫んで車両に乗り込み追いかけたが、既に遅く奴等は警官の足の踏み入れられない危険地帯へと消えて行った。
サロン前で降り、ガルドは4人に手を振りハイセントル奥地へと歩いて行った。
歩いて行くと暖色の照明がスラブ建ての各々からぼうっと照らし出される中、歩いて行く。夜闇も深いわけではない。翳っていた月灯りは全て煌々としたそれらのライトに染み付いては、ハイセントルの独特の空気はまだこの肌に馴染んだ。
ただ違うのは、奴等の目だった。今までとは様変わりしている。当然の裏切り者、ハイセントルの異端。それでも誰もが彼に手を出してくる事は出来ずに見ているだけだ。どんな返り討ちをされるかをよく分かっている。下手に手を出せば殴り殺され兼ねない。デイズは奴に下手な手を下すなと言う。今の内だけは。
剣呑とした視線の中を進んで行き、広場方向へ進むとデイズがジーン中心で5,6人の男共と話していた。デイズはキースに肩を叩かれ背後を振り返り、ガルドを見ると一斉に誰もが黙り込み余所者を見る目を冷たくした。
「世の中のお勉強は済んだのか?ルシフェル野郎。ようやく帰って来たんだろう」
キースはそう言い、微笑した。
確かに、今強烈にハイセントルに戻りたい気分だった。警察に味方はいない。そして力も制限された。
「来ただけだ」
ハーネスはせせら笑い首を振り両手を開いた。デイズはドラム缶に腰掛け煙を吐き煌々とその場を照らすハロゲンランプに目を移し横顔を可笑しそうに笑わせ呆れ首を振った。ハーネスはガルドの前まで来て言った。
「ハッ、おいおい。ここはお前の故郷だぜ?何いつまで分け分からねえ事言ってる。デイズだってお前、許してやるって言ってんだぜ。今ここでお前が俺等の前で土下座すればなあ警官の犬ッコロ」
デイズは立ち上がり、ハーネスを手の甲で横に退けてガルドを見下ろした。
「帰って来る気が無いなら出て行きなアメ公。ここは警官の犬が来て気分良く帰れる様なテーマパークじゃ無いんでね」
「ああよく分かってるぜ。腐った場所だ」
「だが、その腐った肥溜めもお前の街でもある」
「こっちに来い」
ガルドはデイズをジーンの端に呼び、彼は汚れた壁に背を付けた。デイズはそこまで歩き、奴等は横目で様子を窺い話に戻った。ここからは声が届かないが、口の動きはガルドチームの牢獄行きになった面子の内容についてだ。
「チームの連中売った人間に覚えねえか」
「それは手前自身の内部告発だろうが」
「ヘレスと繋がる人間を言えって言ってるんだよ」
デイズはガルドの目を見下ろし、そのガルドの肩をドンッと拳甲でどついた。
「ほざくんじゃねえよ。俺等があのデカに何か手を貸したって言いてえのか?あの女は尻拭い自身でしただけだぜ。フン、都合良かったじゃねえか勝手に消えてくれて。女共なんかに頼るからこういう目に遭うんだよ」
デイズは一度他所を見て口端を上げ挑発的にガルドに視線を戻した。
「今でもお前に着いて行こうって人間は多いんだぜ。そいつ等は俺等には加わるつもりはさらさらねえんだとよ。お前にはここに居場所があるんだぜ」
「冗談じゃねえ」
だがガルドの他所を睨んだ目は確実に居場所を求めていた。今の居場所は自分では無い事も分かっていたが、自分の決めた事だ。
「俺はファミリーを立ち上げた。まだ日は浅いがこれから力を幾らでも付ける。警察なんざ、いくらでも掻い潜れるんでね。お前は何時から馬鹿になっちまったんだか、その警察なんかになって宣戦布告なんかしてやがる」
「警察官としての俺を貫くまでだ」
デイズは首を振って横の積み上げられた木箱に腰を降ろした。
「俺と手を結べ。警察の状況を細かく俺に流すんだよ。その為にお前はハイセントル見切ってまで家出した以上には認めねえ」
「いい気になるなよ」
「お前はそんな俺に口答え出きる程の口か?」
そう口端を上げ壁にもたれるガルドを横目で見上げた。
いつでも不敵に余裕ぶった笑みを浮かべ、完璧に弱みは見せ無い男だ。
「お前も何になりてえんだ?ガルド。俺はこんな狭い世界で留まるつもりは当然の事、さらさらねえ。お前は市警のまま終わるつもりらしいが、広い世界を見つづけて来た癖が抜ける様には思えねえな。ハーネスの言った事も当然じゃねえか。お前、何を正義なんか柄にも無く気取ってやがる。ひれ伏せば折角戻ってこさせてやるって言ってるんだぜ」
「お前の悪趣味が奴等にも移ったようだな」
「お前、何故来た?警官として来たのか?」
正直迷っている。こいつに加わり金融を動かす手は確かにZe-n的にも得な話だ。だがこいつの悪い所はとことん信頼を本気で築き、そして結局は利用し尽くす事だ。こいつはガキ時代からそうだった。全ての罪着せを他にうまく着せる事がうまかった。自分は全く爪も表面に現さずに、いきなり心臓を抉って来る。
しかも可愛げのかけらも無い程全くの素直じゃ無い。えらく捻くれて心が形成されているのだ。寡黙な質で、考え症の質でもあった。際目付けにガルド以上の気紛れ屋でその分、考えが誰も一切探れない。
一切弱音を吐かない事は考えも独自に考えて行き着くために方向を変えていきなり牙を剥く。普段冷静な分質悪い。しかもそのくせ一切の表裏も無いとくる。一つの考えの元を支柱にし、形成されてもいるからだ。そこらへんは変な意味で素直過ぎる点もあるが、だからと言え扱いきれなく面倒だ。自分を使う人間を許さないからだ。
「警官としてだ。情報を集めてるからな」
「この俺に捜査協力させろってのか?賄賂の一つや二つ位持って来るんだな」
請合わずガルドは続けた。
「ぐだぐだ言わずに聞けよ。お前、まさかROGUESTARと関わり持ってんじゃねえだろうな」
「ローガー?知らねえな」
こいつがもし手を組んでるなら元オーナーと共に自分を始末させる為に仕向けた筈だが、それでもどう考えてもあの2人の殺し屋はデイズとの関わりは無いと見える。
Ze-nの正体を名前すらまだ知らない点もあるし、デイズが知らせなかったとしても愛情サド女はガルドが警官になった事をしらなかった。そしてそれなら手を下す事は無いと言った。
ROGUESTARはどこの何かは知らないが、Ze-nを知っているという事だ。だからもう手を下さないと判断した。それが元オーナーの口から聞いた事以上の問題で奴等は動いていたという事だ。
「本当だろうな」
「お前、何を探ってる。どうせ、そこと繋がる連中引っ張るつもりだろうが知らねえ物は知らねえなあ」
「一人の女を知ってる」
「女?警察組織内にその情報が回ってるっていうのか?」
「俺側の調べだ。そこは暗殺を請け負ってる契約会社で世界中に人員積のらせてる。会社規模は知らねえが、小さい範囲じゃねえって事だ。お前も、部下共が怪しい繋がりもたねえように見張ってるんだな。それとも、探り入れろよ」
「買収にはのらねえ」
「命令してるんだよ。俺はハイセントルにはいずらくなる身でね」
「ハッ、お前に使われる言われはねえ」
「探れ」
「誰に言ってるんだ?」
「お前にだ」
「いい加減、その横柄な態度治すんだな」
「お前が言えた口じゃねえだろうが。今の内ならいくらでもお前を検挙出来るんだぜ。それ見逃してやろうっていう好意なんだろうが」
「糞食らえだね」
デイズは鼻で息を付くと立ち上がった。
「さっさと出て行きな。警官に助け求めた負け犬野郎」
「おいてめえ、ジジイに手出ししたらお前を殺しに来る。これは絶対だ」
デイズは街並みを見据えていたのを、珍しく溜息を吐き出した。
「あのじいさん、何者だ?」
「は?」
「俺はあのじいさんはこの街が出身で昔から根を張っていた人間だと思ったが、ハイセントルやレガントの街が出じゃねえ。昔どこからともなく現れた流れ者だ」
ガルドはそんな事考えた事もなかった。普通にハイセントルの古株だと思って来ていた。極自然に。誰もがマスターを慕ってはジーンの酒屋の主人達も彼を親父の様に尊敬している。昔からいて何でも知っていて博識で頼りになっていざという時に手をさしのべてくれるマスターだ。
「移住者時代に他の移民達と流れて、オリジンタイムス開いては医院のじいさんと共に昼は昔流行った疫病の患者の看病の為にソルマンデに向っていた男だ。何人かも不明で出身の国も不明の酒屋店主。それ以外は調べがつかねえ。だが、一癖も二癖もある独特な雰囲気はお前も重々分かってる筈だぜ。お前、一体誰に育てられて来たんだ?」
「そのマスターだ。悪いかよ」
「俺は調べが一切つけられねえような怪しい人物には手はださねえ主義なんでね。本当は何の繋がりがあるかなんて分かったもんじゃねえ。どこのハイセントルの古株とも繋がって、他にもリーデルライゾン中にはそういうマスターの連れが多い。お前を無情に棄てたレガントにさえ単独のじいさんは敵視してるんだぜ。それはただの面倒見の良い人柄だけと思えるか?ウィストマを引き取って育ててお前も引き取ってリサも引き取ったんだぜ」
「不信感植え付けてんじゃねえよ。俺はジジイの身内だぜ。その俺に喧嘩売るつもりか?」
「さあ。どうだろうな。人間には穴がどこかしらにあるってのにあのじいさんには一切それが無いって言ってるだけだ。過去の無い人間なんかあり得ねえからなあ。あの変わり者だったブラディスじいさんとも即刻馴染んだくらいの男だ」
「変わり者の部分を一番に引き継いでるお前が言うな」
「うるせえ」
ジーン側に身を向け腕を組んでいたのを肩越しにガルドを睨み、向き直って言った。
「チビ時代から俺達にまで手厳しく説教して来たくらいだ。お前が頭あがらねえ存在を押えておくのも手だろう」
そう言い、デイズは歩いて行った。
奴等はガルドを鋭く睨め付け、デイズに着いて歩いて行った。
ガルドは背を浮かせ、歩いて行った。
教会へ向い、そこは誰一人いない闇が月光で金の装飾の十字架などを照らし浮かせていた。
彼は長椅子にどっしり座り、ぼうっと十字架を眺めた。
「……」
何も考えは浮かばなかった。何も頭に入って来なかった。これからの行く末も不安だった。何をやるべきか、太刀打ちできるのか、どうすればいいのか。
荘厳なパイプオルガンが鎮座し、天を突き刺すパイプは鈍く月光を受けていた。
キリストはうつろな顔で十字架に垂れ下がり、マリアは美しい顔で瞼を閉じていた。
ガルドは瞼を閉じうな垂れて顔を両手で覆った。
黒髪が紅を長し垂れ下がって腕に当たり、まるで心情の様に闇色だった。ガルドは顔を上げ白い顔の中の切り抜かれた様なでかい目が黒の端から覗き、ケツポケットから覚せい剤の注射器を出して腕を返した。
もう独り。味方も無い。居場所も無くなった。全てを消した。あいつ等もいない。全て消えた。
終わりだ。
血管に打ち込んだ。手が一度震え空が地面に落ち、彷徨った目はカプセルの中の5本の透明な液を続けざまに打ち込んで行った。
彼はどっさり長椅子の背に倒れ込み頭を抱えてガタガタ肩が痙攣し、震える手で長椅子に転がった注射器を手に乱暴に取った。震える手で硬く目を閉じる端に嫌な汗が伝うのを、注射器を構え腕に射そうとした。
教会の扉が開けられ、デイズは弾こうとしたパイプオルガンの方向から怪訝な顔をしガルドの背を見つけた。
「やめろよ」
大きな手がガルドから空気を注入させ自殺し様とした注射器を奪い地面に投げ割ってガルドの腕を掴んだ。
「離せよ!!!」
また空の注射器を取ろうとしたのを座席に叩き付けた。
「犬死にか?んな事許されると思ってんのかよ。あ?」
ガルドは頭を抱えて歯を剥いた。
「警官なんかにまでなってそんなに俺が憎いってのかよ。じゃあここで俺だけ殺せばいいだろうが」
ガルドはガタガタ痙攣し、目の前で鈍く光った銀色のナイフを見て、それを奪い取り、グサッとデイズの腹に突き立てた。
デイズは顔を歪めヘブライで小さくうわずり、ガルドはどさっと落ちのたれた犬の様に痙攣した。
突き立ったナイフをデイズは抜き取り地面に投げ捨て、血の噴出した腹に手を当て歯の間から深く息を吸い吐き、地面に転がったガルドを見下ろした。
「これで二度と奴等に手を出すんじゃねえ。俺の大事な仲間だ。肩荷狭い思いしながら生きて来たのがてめえだけだと勘違いしてんじゃねえよ」
車の停車した音が響いた。
「ボス」
パロが呼びかけ、長椅子の背もたれに座ったデイズは扉を振り返りまた頭を抱えるガルドを見た。
「薬から抜けろ。俺が知ってる他州の医者に話つける。いいな」
そう言い、パロに首をしゃくり腹を押えながら教会を颯爽と後にした。
彼は車両に乗り込み、ハーネスに進めさ港へ向かわせた。
「どうした」
「なんでもねえ」
冷や汗が一筋伝い消えると、バースが助手席から振り返り救急箱をデイズに投げた。治療し、腹をさすってシートに頭を着け流れて行く窓外の街並みを視野に流して行った。
ガルドはパロが引き起こし長椅子に座らせたのを、教会に来たアーネスを腕を掲げ振り来させるとぐったりしたガルドを眉を潜め見下ろした。
「イリノイ州の病院に隔離しろとの事だ。そのままぱくって警官やめさせるつもりだろう」
アーネスは相槌を打ち、引っ張ってきた車にガルドを担ぎ上げ隣街方向へ走らせて行った。マンモス街を抜けその先の他州へ向う為だ。
ガルドは死体の様に座席に転がっていて、腕には酷く注射痕が残っていた。
「自殺するつもりだったようだな」
「ったく、ルシフェル=ガルドのガの字もねえ行動取りやがって。仲間失って単独になればこれかよ」
「勝手な野郎だ」
「ここまで来ると我が侭も堂が入ってやがるな」
19
マンモス街に差し掛かり、ガルドか顔を歪め唸って手にこびりついたままの血が辺りを彷徨い、車内カーテンを掴んで半身を起こし顔を押えた。
激しく開いたドアから転げ落ちて行き、地面に転がって何台かうつぶせに転がったガルドを引きそうになり、急激に避け走って行きクラクションの音でパロが後部座席からガルドが消えている事を見て運転手のハーネスはバックミラーを見て舌を打った。
ガルドは視界が朦朧とし、立ち上がって痛みも無い体をのそままによろよろと歩いて行った。腕を押え、徐々にスピードが上がり駆け抜けていく。
闇しか無い。
金銀の昆虫が飛び交っている。掻き分け走って行く。燐粉が埋め尽くし舞って口に入って来て喉をからからにさせ蝕んで来る。闇の中ブロンズの燐粉を暖色照明が照らし金銀に舞っては飛び交って肺の中にまで粉は入って目を覆ってしまう。
どこまで走っても走っても続く闇と暖色と金銀の蛾の燐粉。ぐらつく視界。真緑の光。ピンクの照明。青の電球。よろめいて、黄色の点滅。暗闇ばかりなのに耳は千切れそうな程騒がしい音が浸蝕し鼓膜を震わせ痛めつける。
ここはどこだ。分からない。何も。まるでアメーバを通して見ている様な世界が細胞分裂して行く。そうなって行ってしまう。バイクを見つけて、乗り込み、切り裂くように全てが分裂して行く。巨大な銀色も肉の塊、違う。人間の肉だ。よく焼かれた血のしたたるワイン。全て粉々にしてこれは自分の声か?怒鳴っている。がなり殴りつけ怒鳴り付け耳がガンガン痛む。とにかく何でもぶち壊したい
「あたし。今何処?」
視界が回る。頭がまともに考えられない。
「逃げ切ったの」
「おいどうした?」
「目が死んでるぜ」
「もしもし?ダリー」
「何かあったのか」
「まあ、」
「こっちに」
「こいよ」
「いい薬」
「ある」
薬から
「こっちだ」
抜けろ
「これキメれば……」
いいな
「あ!おい!!糞!逃げやがった!」
走る。どこまでだって逃げる。ここはどこだ。いつの間に闇の中に沈んだんだ。いつの間に闇の中の蝶は消えたんだ。違う。蛾だ。どうでもいい。
だめだ。眠りたい……「マンモス街に隠れてるの」
風が全てを切り裂いて行く。「ねえあの男素敵」紫色の螺旋を細かく描いて気を掻き乱す「ねえあなた」動くごとに「あら。あっち街のガルドじゃない?ねえあなた」水の流れの様に、いや、濁流に近い渦巻いて「あたしはシャリー」淀む事無く液体のように「あ、ちょっと危ない!!!」
休む事無く動き続ける
「この糞ッ垂れ!!!死にてえのか!!!」
巡る闇、紫、闇闇暖色「待って!!ねえそっちは駄目よ!!!」
ぐいっ
よろめいて足も体中も力が入らない。しっかり歩きたいのに体中が苛付いて今にも切り裂き狂い猛り叫び出しそうだ。
「離せ!!!」
喉が渇く。血が喉の奥から出てきそうだ。カラカラだ。なのに目の前は鮮やかな蝶が世界の闇を埋め尽くしている。ブロンズ、青、紫、水色、ピンク、白、黒、金、全てが飛び交っている。雅に舞っている。
歩いてるのか?歩けてるのか?足は大股で進んでいるのかどうなのか分からない。流れる地面。感覚は分からない。視界だけが動いているのに生ぬるい水の中に浸っていると肌全身が水に犯されているかの様だ。世界全体が。
何かの得たいの知れない物に世界が蝕まれて俺の体を細胞の全てにまで蝕んで溶かして行く。分解するのかアメーバの様に融解してはくっついて行くのか俺の体がおかしい。明らかにおかしい。暴動している。体内で。皮膚の皮の内側全てどろどろに。異物、濁流が血液に流れ込むように。体を引き裂きたい。この身を引き裂きたい。どこをどう爪立てても体の異様ないらつきが消えない。感覚が無い。気が、狂いそうだ……
嫌な汗が出る。世界が、全て醜く見える……変色して茶色に見える。茶色のアメーバの先渦巻いて見える。
全てが醜い。醜い物ばかりで出来上がっている。どんなに逃げたってもう駄目だ。
壊れろ
壊れろ
壊れればいい
壊れれば
体が引き裂かれる前に、鋭い光が飲み込んで来ようとする前に、だめだ、
「おい男が倒れてるぞ!」「ちょっと凄い熱だわ」「あら、いい男じゃないのよ」「ねえ。起きて」
「あんた達何やってるの?」
………、
「! ダリー!」
ぐんっ
「しっかりして」一体どうしたの?「あん」な所で倒「れてるなん」……たのね?……から「じゃないと」っちに来……壊れて……え?何か言っ……「の?ここに座っ」……壊れ……
コワレテシマエ
「ここ、結構いい所でしょう?他の皆はどうなったの?ねえ……本当に大丈夫?水飲むでしょ?」
ジェレー=ネラは驚き、目を見開いた。
「………、」
一体何が起きたのかが分からなくて
ダリーは顔が真っ青になっていて汗が冷たくて、そんな顔ははじめて見て、死んだ様に表情が無く、それでも……
彼女の周りの全てがスローモーションに、なって行った。
「!」
ガルドは息を飲み驚き目を見開き、そのジェレアネルの目にはエメラルドが、揺らめいた。強く。
ダリー
「……ジェレアネル、」
彼の頬に手を当てて、ガルドの移ろう目を見開き震え戦慄く口元に触れた。
あなたは……
まるで艶麗な孔雀の様な幻が彼女の目にかすんだ。美しい。
ああ、何て事……、
ガルドは、泣いていた。
ジェレー=ネラは初めて悟ってしまった気がした。
「彼の姿」を。顔をゆがめ泣く青年を。
彼の破滅的な強さ全てに悪魔的改進を見出したって、彼は悪魔なんかでも無く偶像などでも無くそんなことの前に彼も一人の青年だったのだと言う事をだ。
自分達は本当は分かっていながらも分かっている振りだけをしていたんじゃないかという事。
女の子が大好きで、女の子が悦ぶ顔が大好きで、あたし達は甘えて。
彼の強さを信じて甘えたかっただけだったのだ。屈強なのだと、弱いところなど無いと信じ認めたくなかったのかもしれなかった。
……何で、止めてあげなかったのだろう。彼がこんなになるまで自分達は。
彼も一人の人間だったというのに。悪魔なんかじゃ無い。
そんな彼のことを認めてあげたくて支えてきて全てを自分達は、気付かない振りをして目を瞑っていたのかもしれない。
そんな事の全てが。
悲しみのもと彼が動いていたなんて知らずにいたなんて。
彼女がよろめいて、ガルドは咄嗟にジェレー=ネラが倒れ込んだのを支えて背を抱え彼女の髪に強く頬を付けた。
「なんてことを、俺、」
「ダリー、」
彼女は血を吐くと腹に突き刺さったナイフに震える手を掛け、朦朧とする目でショックを受ける真っ白なガルドの顔を見上げた。何か固いものが腹に縦にある以外感覚は無かった。まだ。
自分が
「ね、ダリーほら。前、こんな事あったわよね」
死ぬんだという
「あたしが駄々こねて……タチウオの化け物、フフ、欲しがって」
感覚が
「妙な事件、留守中に起きてベティーベアを、この街の大手球場から……」
あたしの、体に
「死に物狂いで、ぬいぐるみ……強盗。なつかしいよね……それをヘリで、幼児施設にばらまいて……」
襲って来た。恐怖が
「あれって、本当今だと笑える」
あの時みたいに
「ね、面白いでしょ」
体が熱い
「………笑って、」
激痛、
彼は硬直し青ざめる顔を笑わせる事は無かった。
「お願いよいつもみたいに甘く」
彼の涙で固まる唇に指を当てて、哀しみに暮れ少年の様に困惑したままの表情が、それでも愛おしかった
「ジェレー、」
ダリー、大好きよ
「笑って……、」
お願い
激痛に涙が埋もれて見つづけて来た彼が見えなくなっていく。
「医者、」
そう端を発した様にダリーが言った。もう無理よ。
「待ってろ今、救急車呼ぶから、」
自分の足元にパピヨンドッグがきゃんきゃん鳴いて駆け回っている。ダリーに着いて来たんだろう。足を伝う血をきゅんきゅん言って舐めて心配そうに見上げてきた。これ、幻?
今まで鋼の様な姿しか知らなかったダリーが混乱して怒鳴るように受話器で救急車を呼んでいる。そんな背に始めてダリーじゃ無い彼を見た気がした。
凛とした孔雀の様であって、涼雅過ぎる、造華。一人の青年だ。それは何故だかとても、安心した事実だった。
「今呼んだ、すぐに来る」
そのまま彼女はガルドが頭を抱き寄せた熱い、慣れた体温の中で朦朧として来ていた。血を流しすぎた事で全身が寒くなり始めて顔が冷たい。なのに冷や汗がぬるい。妙な感覚。心臓の音が全身を鼓動させて傷口がどくん、どくんと鼓動する。髪を撫でてくれる手が暖かい。傷口を押えてくれる手が熱い。頭に当ててくれる頬が、冷たい。
「大丈夫よ、ダリー心配しないで……大丈夫」
優しく言ってあげなければ。彼があまりに不安がるから。
「負傷者は何処ですか!」
「刃物はそのままに。抜かないでそっと運んで」
「あなたは旦那さんですか?一緒に来て下さい」
ぼやける。動きたくは無い。体を丸めていた。伸ばしたくない。からだが気だるい。
「大丈夫だジェレアネル。すぐ病院に着く」
「ダリー、」
血がしおれるように体から逃げて行くみたい、頭が痛い……、吐き気が酷い、つわりの吐き気なら良かったのに、体が寒い。
「大丈夫よ、大丈夫、あたしは死なない……」
気が遠のく。目を閉じたくない。
瞼が重い。
「ダリー、ダリー、」
「大丈夫だ。俺も大丈夫だった。お前も、絶対大丈夫だ」
握ってくれる手が暖かい。大丈夫だ。
「大丈夫、愛してるダリー」
喋れるからまだ大丈夫。
まだ……
傍にいたい
「病院が見えてきた。頑張れジェレー、」
微かに頷いた。小さく頷いて、停まらない
「心配しないであたしは大丈夫……、……死なない」
…………
「おい!ジェ……、」
ガルドは一直線の緑を見て彼女を見た。
「……、」
扉が開けられ担架が担ぎこまれていった。
「……ジェレー、」
視界が揺らいだ。
車両から見える玄関口で看護婦の怒鳴り声が響き渡った。
「退いて下さい!!急患です!!」
「心配停止しています!15秒です。腹部に刃物が」
「旦那さんも来て下さい」
腕を引かれ、一瞬で飛ぶように走って行った。
真っ青な顔の彼女は目が開かれていた。虚ろに何も、……映していない。
「ジェレアネル、ジェレー、」
「下がって」
彼女の体が離れて行き、彼女がタチウオの化け物をどうしても欲しがった時の甘い顔つきと妖艶な微笑みが、脳裏に広がった。自分の背に掴まってバイクに跨り、見に行けることを喜んだ顔。
そのまま手術台に移され、医者は八方手を尽くした。
だが時計を確認し、溜息を尽き医者はガルドの顔を振り返った。
「……」
ジェレアネル
自分は、暴れ出していた。怒鳴り散らしていた。押える医者を投げ飛ばしていた。壁を殴り続けていた。ソファーを蹴散らし、怒鳴り叫んでいた、
……俺が、殺したんだ……
「落ち着いて下さい!お静かに気を鎮めて!」
「警備員を呼んで来て!」
警察官に取り押さえられた。
ガルドは車両のシートに額を付け顔を覆っていた。
「聞いていますか?強盗ですか?犯人はどちらに逃亡して」
刑事は顔を見合わせ、うんともすんとも動かないリーデルライズンのごろつき青年の背を見て首を振り諦めた。
「一度署に来て事情を詳しく聴かせてもらいます」
「……俺がやった」
前方を向き直った刑事がガルドを再び見た。
「なんですって?」
「俺が……刺した」
囁くような声に、眉を潜める顔を見合わせ、座りなおした。
「どういう事ですか?とにかく、来てもらいます」
刑事達はリーデルライズンのエリッサ本署に連絡を送り、刑事達は耳を疑った。警官?この男が?]
20
エリッサ署の刑事は署長に話を通し、署長は勤務時間を終え帰る所だったハノスを呼び、相手側マンモス街の刑事に変わった。
「ガルド君はうちの署の警官だが」
「彼が女性を刺殺したと言い、現在署に向っています」
「……」
あのガルドが女性を刺した?信じられない事だった。
「彼がそう言っているのかね」
「ええ。自分が刺したと」
「被害者の女性の名前は?」
「ジェレアネルと呼んでいたと救急隊が言っていました」
「私が今からそちらに向う。きっと、何かの間違いだろう。混乱し錯覚を覚えている筈だ。」
「ええ。お願いします」
ハノスは署長を一度横目で見て頷き受話器を置いた。
「全く。何を小僧は血迷ったのか。そのまま監獄へ入れる方がいいのではないのですか?」
「一度事情を聞いてからだ」
「カトマイヤー警部。あなたは彼を最高司令官からの命令だとしても庇い過ぎるきらいがある」
「私一人の一存では判断を下せ無い物事を長官は吟味して下しているんだ。こちらの捜査範囲に踏み込まぬよう。街を危機に陥らせぬよう私がこれからを見張る」
署長は目を鋭くした。
「身を滅ぼすつもりですか」
「それはまだ分からない事だ」
そう、微笑しハノスは颯爽と署長室を出て行った。署長は憤然と壁を睨み、踵を返した。
ハノスは2人のFBIの部下を引き連れ車両に乗り込み、部下の運転でマンモス街へ向って行った。ジェレアネルという女の身元をFBIの部下に調べさせる。
全く、ガルドには困った物だ。言っている内から犯罪を起こし監視の目も振り切って自宅謹慎処分も聞かずに。
FBIはノート式コンピュータの流れて行くリストを見るが、どこにもジェレアネルという名の女は存在しない結果だった。ハノスは組んだ腕を伸ばし、受け取ったパソコンを捜査するとFBI内部のデータを出す。
それでも見当たらない。
ガルドのチーム仲間には身分がある者が数名いたのだ。レナーザ姉妹の他にも、エジプト王族の妾の娘ジャー=レム。その女の姉は王女だ。取調べではアマゾネスのメイシス共にガルドの15の時にエジプト、南の島でチームに勧誘された。マゼイルの姉は大手ランジェリーメーカー社長であり、共にその旦那は某国大富豪。マゼイルとその姉は元々ハイセントル出身。ズィラードは向う街の出身でパフォーマンサーとしてクラブ島に来始めた頃からガルドにチームに勧誘されていた。他に女は4人いる筈だ。
少なくとも映像の中でも、顔半分に石膏の仮面を付けた黒ボブの女が確認されていない。4年間全てのガルドチームの犯罪映像の中には他にも女の姿が確認されていた。恐ろしく髪の長い不気味な痩せ女、全面を石膏仮面で覆ったホワイトブロンドパーマの女。
だが、ジャー=レムはどの映像にも出ては来なかった。彼女は見るからに激しく動くなど持ってのほかの風だった。マゼイルもその手の女だが、彼女の場合は野蛮な事はご免、と動きたがらないだけの印象で、事実身体能力は悪くは無かった。ただ問題はカナヅチというだけだ。実際、映像の中にマゼイルは稀に出てきて銃器こそは取り扱わなかったが金を運び込む事はしていた。ジャー=レムの様に、まだ映像に出ない女がいた可能性が大きい。
それはそういう行動に適する体では無かった場合もあるのだろうが、ジャー=レムの様に身分があったからとも言える。
ハノスは2時間後マンモス街へ到着し、迎えられ署に入って行った。
ドアを開け促され入ると、ガルドは長い両足を椅子に曲げ両手をだらんと落とし、頬をテーブルに突っ伏し眠っていた。
「何故寝ている」
「大量の麻薬が血液から検出されました」
そう、首をしゃくって彼の横の刑事がガルドの腕を上げさせ、ハノスは渋い顔をして相槌を打った。全く何を考えているんだこいつは。
ハノスは進み入ってガルドの肩を叩くが起きなかった。眉を潜め、脈拍を確認する。5秒しても応答が無かったから顔を上げ刑事を見た。
「何をした」
「いいえ。脈は動いています。リーデルライズンの病院へ問い合わせましたが、元からこうだそうです。最近も一度大学病院に搬送されたと」
「妙な物だな」
これはしばらく起きそうも無かった。このまま昏睡されては困る。
「警察病院へ搬送しますか。まだ検出中ですが、相当の量です。至死量に至るかもしれない程の」
「そうしてくれ。私も後から向う。署長室へ案内してくれ」
「こちらへ」
リカーに話を通されては、すぐに警官を止めさせるように怒鳴り込んで来る筈だ。事実、キャリライが怪我を負わされた時は署長の元に殴り込みに来たのだから。
リカーは昔から傲慢で我が侭で高飛車で何でも融通が利くと疑わずに前地主に取り繕うために生きていた様な物だった。次期当主の座を狙っての事だ。自分の兄と姉を押し切り前地主の弟である自分の父を押し切ってでも前地主に可愛がられ様と模索していた。
そしてハノスを害虫の子でもあるように見て来ては実際そう言って来た。
「HURM HURM」がリカーがハノスにつけた呼称だった。「害。危害。悪害。」と。本来は正式に名付けられたライ・ローガンという名があったというのにだ。それを、「Hurmじゃあなんだから、ハノンかハノスにしよう」などと微笑しては「ハノス」と次から呼び始めたのだ。誰の前ででも。彼はそんなリカーに、ハノスと名付けられたのなら、とことん貴女を滅ぼす悪害にでもなろうじゃありませんかと、彼女の顔を怒らせる様な事をさらりと言い放っては、前地主は毎度そんな澄ました彼に、可笑しそうに呆れ笑ったものだ。リカーは憤然とし、ハノスを睨み見下ろしていた。
カトマイヤー夫妻に彼を紹介した際に彼女は言った。ハノスという名の子だと。その名で正式に役所に届けられてからはそれが彼の本名となってしまった。
今でも彼等は鉢合わせ様ものならリカーは彼を皮肉を込めて見て来ては、彼の消された本名の時の愛称で、「おや。ローガルじゃないか」と白々しくも呼ぶのだ。まるで、ほおら、出てきたよ。とでも言うかの様な表情で。それを毎回ハノスはリカーの態度もろとも一切取り合わずにいた。
「こちらです」
ハノスは促されたドアに部下2人と入っていき、署長が彼等を迎えた。
「今回、彼の身柄を地元警察のこちら側で引き取る為に参りました」
「ええ。窺っておりますよ」
署長は面倒事はさっさと他所に任せて片付けたいと言う様に溜息混じりに言った。
「エリッサの警官であるなら、そちらで処理をなさった方が手間も省けるでしょう。どうやら供述では犯行を本人が認めているのですから、そうと分かった以上はこちらは捜査を打ち切りたい」
「いろいろ迷惑を掛けました。こちらで処罰を下します」
誰もあの質悪い青年ガルドには関わりたくは無いのだ。それをわざわざ引き取ってくれるのならさっさと連れて行ってもらいたい。
ハノスは病院へ向い、6人部屋に入るとカーテンを開けた。
ガルドはケロリと菓子を食っている位普通なら良かった物を、全く違った。昏睡したままだ。
「彼の保護者に連絡は」
「はい。今現在向っているそうで、しばらくすれば到着するでしょう。ダイラン=ガルドは調べによると、13歳の初夏にも急性麻薬中毒の為大学病院に1ヶ月入院し昏睡が続いていた様で。その後、翌年14の年齢でも一度極度の鬱病でリーイン精神病院に入り、拒食のまま1ヶ月を半昏睡状態で入院していた記録があります」
そこまで精神が細かそうにはこの体躯からも我の強い顔つきからも見受けられなかった。
「ダイラン」
ハノスはふと振り返り、長身の老人を振り返った。彼はガルドの所まで来た。
「うちの奴が本当に申し訳なかった。また大きな世話を掛けて」
「いや。息子さんは当分起きる事は出来ない状態だと思う」
保護者にはまだガルドの犯した犯罪については電話口では言わないよう部下に言ってあったのだ。ハノスはその老人、マスターを呼び通路ではなした。
「実は、彼がこのマンモス街で傷害過失死傷罪を。被害者の女性は病院への搬送中に亡くなった」
マスターは瞬きし、信じられないという顔でガルドの入る部屋を見た。
「それは幾らなんでも何かの間違いの筈だ」
「しかし、息子さんが多くの殺人を犯しつづけて来た事はご承知の筈です。確かにそれらのリストの中に女性が含まれた事はありませんでした。ですが、今回の事件は彼自身が自供した事なのですよ」
マスターは額に手を当てうな垂れ、ハノスは彼の気を察しベンチに腰を降ろす様促した。彼は何度か頷きながら重力の様に座った。
「被害者の女性についてお聞きしたいんだが、息子さんの口から「ジェレアネル」という女性の名を聞いた事は」
マスターはしばらくしてから首を横に振った。ダイランはチームの話を一切しない。出しても何々女と名指した。彼は相当疲れていた。いつもどんと構えてはいるが、本当はダイランが心配で心配で仕方が無いのだ。今度は何をしでかすつもりだとひやひやし続けている。
「その女性がダイランに」
「その様です。我々はこれからその女性についての調べを回さなければならないので、この場を離れますが警備の物を2人着けさせます」
ハノスはそう言うと部下2人に目配せし、マスターに一度礼をしてから颯爽と歩いて行った。
「待って欲しい。その被害にあったという女性の事が分かったら、こちらに知らせてもらいたい」
「ええ」
去って行った背を見てからベンチにまたどっしりと座って頭を押えた。なんて事をしてしまったんだ……。
マスターは深い溜息をつきそうになったのを、それを押えて立ち上がり病室へ入って行った。なんともやりきれない心境だった。スツールに腰を下ろした。
ガルドは固く目を閉じたまま、全く動かなかった。彼の手を取ると、手の甲を軽く叩いた。この手でこいつが多くの人間どころか、女の子まで殺しただなんて事は信じられなかった。犯罪を起こしつづけて、引き連れて刑務所に入って、何度も懲りずに麻薬に埋もれて。悪の道に生きようというのか。
だが信じたかった。どうしても信じたかったのだ。これ以上苦しい事はなしにして、しっかりした正当な花道を歩ませたい。
それが出来る筈だった。こいつは俺の息子だ。大丈夫。
冷たい手の甲を温め、傷だらけの手に額を付けた。
ごろつき同士の喧嘩や殺人、強盗殺人、覚せい剤、破滅、そんな物からようやく抜ける事が出来る筈だ。
「………」
ガルドが目を開くとマスターが顔を上げた。
「ダイラン」
そう立ち上がり彼の視野に入り目の色を確認した。
「今、医者を呼ぶ。待ってろ」
「ジェ……」
マスターは声にボタンを押したのを振り返ると、ガルドが頭を抱え体を丸め、ガタガタ痙攣していた。
「おいダイラ」
「ジェレアネル、ジェレアネル、」
そう頭の激痛に頭を抱えて顔を歪めた。
いきなり、目がバッと開き、とんでもない声で彼が声を張り上げたからマスターは驚いてガルドの暴れもがき出した肩に手を置いた。
警官2人が駆けつけてハノスに通信を送ると暴れ足で思い切り空間を蹴るのをうつぶせにさせ2人掛かりで足を押え、マスターは肩を押えた。
それでも激しく暴れつづけ、病室のまだ健全な方の患者は起き上がってカーテンをめくっては狂気としてキャハハハと笑っている。他は死んだ様にやつれきり横たわっている。マスターはそちらから視線をドアに向け、大暴れして苦しがるダイランをどうにか抑えようと必死になった。
自分の殺してしまった女性の名前を叫びつづけ酷い汗が噴出しまるで体を引き裂くように暴れつづけた。
「ダイラン、気をしっかり持つんだ」
いつまで続けるんだ。いつまでこんな事を。繰り返して苦しみつづけて全て忘れたい為にのめり込んで苦しんで、自分は何もしてあげられないのだ。ずっと。そんな歯がゆさが悔しかった。自分が無力であるという事が。ダイランを正す事が出来ない自分が。
ガルドは激しく怒鳴り苦しみ泣き叫んで、医者と看護婦が走って駆けつけ筋肉弛緩剤と鎮静剤を投与した。
看護婦が彼の髪と背を撫で、「大丈夫よ。大丈夫だから」そう優しく声を掛けつづけ、枕に頬を付け苦しそうに歯を剥いて固く閉じる目から涙が滝のように流れて、その背を優しく撫で続けた。背後の看護婦達に頷くと、仰向けにさせ拘束ベルトにしっかり固定させる。
マスターはドアの横に立ち尽くし、医者が彼の所に来て肩を元気付ける様に叩いた。
「しばらくはこれらの禁断症状、フラッシュバックと幻覚幻聴などの症状は繰り返し続く事になります。この病院では一時的に運び込まれた者を看病する他、専門的な権威を持つ医師はいないんです。他州に専門的な医療施設があるので、手続きを取りますか」
マスターは頷いた。マスターと警官に外に出ているように言うと、ドアが閉ざされた。
ハノスが部下2人を先に捜査に向わせ、玄関口から戻って来ると、ドアの所で警官2人から事情を聞きながら、他の患者のベッド天蓋で細長い足首から骨ばった足しか見えないガルドの方向を見てから頷いた。
麻薬などやればこうなる事は必至だ。少しのつもりが何かの日常にマイナスの感情があれば、プラスの時の遊びとはしゃぎ程度の時よりも、量を増やして行く速度が加速する。どうせ抜けられなくなっては破滅する。そこまでこの世の中には麻薬で拍車を掛けずには渡り歩けないのか。そこまでして狂乱し、全てを棒に振るいたいのか。そこまで大人の世界を信じたくは無いのだ。
若者達や世界を批判する者達は己の中や仲間内のみだけで生きるようになり、そして麻薬を常用する。頭の中だけ最高に幸せになる。
それで死んでも別にいいと思っている輩ばかりなのだ。へらへらしたまま死んでしまいたいのだ。望などを持ちたくは無いのだろう。
破滅や死など恐くなど無いと意気込んでは、強気に破道を進んで行く。正当な奴等は腰抜けだと嘲笑い破滅へ向う。
そんな物は暗黒世界の及ぼすただの幻惑だというものを。
それらは内なる争い、戦争とも同じだった。各々の中の激しい戦い、政府への不満、大人の世界への無心、破滅への糸口、麻薬が悪事の強行へと結びつくメカニズムは、誰もが持つ理性を破壊するからだ。人を食べたり殺してはいけない。金は正当に手に入れなければならないなどの、誰しも怨みと欲望に対する薄皮程度の理性を、常人なら保ちつづけても麻薬は粉々に破ってしまう。やれるという自信さえ抱かせる。
はしゃぎたいだけや拍車を掛けてぶっぱなしたいだけ、一時の脱力の為に服用しては苦しむ。苦しんで廃人になる。
理性を無くし壊せば、人間は人間らしくいる事よりも、より猛獣化するだけだ。政治的猛獣達の様に切り抜けたと思った後の残酷な無残死よりも、無力な野性的猛獣と化した人間達のその末路は破滅の一文字しか無い。
苦しみ、後悔し、悔やみ、憐れに恐怖し、死んで行く。再生させる事が必要だ。
ハノスは顔を上げ、人気の無くなった角を曲がった洗面台でマスターの大きな背を見つけた。台に手を掛け顔を片手で覆い俯き、泣いている。
「……」
ハノスは引き下がろうとしたが、マスターは気配に気付いてポケットから布を出すと手を拭いてから、身を向けた。
「ああ、これはどうも」
毅然と背を伸ばしたマスターにハノスは小さく口端を上げると、それでも多少疲れ気味の目元のマスターを見てから言った。
「我々が彼を完全に更正させます。私に彼を任せてもらいたい。何かを正す事に掛けては、自信がある」
力強くそう言った。
「……」
ハノスは穏やかに微笑んでから彼の腕を叩き歩いて行った。その背をマスターは見送り、警官は指示を煽った。
「カトマイヤー警部。我々は引き続き警護をしますか」
マスターは驚いて瞬きし、ハノスが頷きそのまま角を曲がって行った。しばらくマスターはそちらの方向から目が離せずに立ち尽くしていた。
ハノスは警官と共にドアに静かに入って行った。
ガルドは目を開いて虚ろに天井を見つめていた。感情がある様にも見えないが、余りにも哀れな姿でもあった。これを見れば親なら相当ショックを受ける物だ。調べでは血は繋がらずに親の代からの居候とは言え、思い入れはやはり強いのだろう。
ガルドは今は気分は落ち着いていた。だから薬が欲しいが、頭は今はそう虚ろに思うだけだった。今やれば完全に追い討ちになる。
感覚では誰かが来た事は望遠レンズの様な視界で分かっていたが、目を動かす事も誰かが来たという事を処理する頭も、確認はおろか、ただ考えが停止していた。
「3度目の様だな。今回の事に懲りて、もうこれ以上は改めなさい」
「……」
虚ろな目のまま半分閉じたでかい瞼は虚ろに固定したまま、天井を見ていた。
「被害に遭った女性は身元の確認が取れない。どれだけ君は自分を育ててきてくれた彼を心配させるつもりだ。その彼を泣かせる様な事は、もう止めるんだ」
ジジイが泣いていた。ジジが泣いていた。ジェレアネル。
「………、」
瞳が動き、そんな事実に対処できずに頭を抱えたかった。それが大きく心にズシンと落ちたからだ。
ガルドは視線を彷徨わせ、ハノスの声だろう、落ち着いた声音だからだ。肩を叩き気配は歩いて行った。ハノスは警官に頷いてからその後を見張らせ、ドアから出て行った。
虚ろに半分ほど開いたままのでかい瞳から透明な涙が流れ始め、ポロポロと延々と流れつづけた。
ジャンキーの行く末だ。親を泣かせ、身を破滅し、仲間も失い。まともな判断など出来ずに奪われて行く。人の上に立ちたいなら薬などから身を引かなければならないのだ。
華麗な光の裏の誰も知らない影は、こういう悲惨なものだ。廃人に成り下がる。そしてようやく事の重大さに気付こうが、後悔しようが、そうなる事を予測していようが、最も大事な物を失わない限り本当には気付かない。哀れなほどの救いの無さだけだ。もしもそれが、最も大事な物を失った事から始まったのだとしても。
心のありどころが大切なのだ。
大切な物はなんなのか。本当に大切な物だ。悦楽よりも一時の一興よりも大切な物を見出せないから続ける。麻薬よりも大切な物があるだろうと分からせる事が、同じ人に生まれたなら相当心が屈折していない限りは一握りでも同じ心が存在するはずだ。人が苦を乗り切ることが出来る人間もいるから、麻薬に様々を求めるには方法を間違えている。そして失う。
世界も、己も、幸せな過去も、未来も。小さな喜びは脳を駆け巡り巨大な悦楽になりはしても、凶悪な、人間以上に恐ろしい魔物になる。様々に語られる全ての悪魔になる。
闇に閉ざされる。
警官達は深い溜息を付き、顔を渋くし容疑者の警護を続けた。
一方、愛というものは、確かな物でもある。
確実な安心感。巨大な温もり。覗かせる不安。素直すぎる心。100パーセント以上の愛。それらが一つの強い包括の中に込められているからだ。いだきあえるという事。何の損得も無しにだ。
だか麻薬は同じ最強の悦楽に思えて事実は違う。
聖書の悪魔の一つを麻薬に置き換えるとして、この生の身で生きたまま聖書の中の地獄の全てを味わうという事。
強烈な悦楽の神であり確実な悪魔、死神という事。
一番大切な物を失わなければ分からないという事。
一番大切な物を泣かせるという事。
乗り切れた後はこれまで進む事など出来なかったステップ・夢に確実に歩める。
個人の力と心掛けだけでは成しえない。
蔓延し取り締まれないのは麻薬の小ささから来る。兵器じゃあ隠しようが無いから政府レベルで管理されるものだが、麻薬は最も巨大な悦楽を導く小さな悪魔だ。ポケットに入るパケ。手から手に渡りやすい事。それらの元手も同じ事で小さいパケを流すから。
撲滅と根絶には組織的根気と組織力、個々の頭脳、真実をこの目で見つづけること、なれる事、養う事、場に踏み込むこと、教材だけじゃ根気は続かない事、知識、見極める事、長い年月と巨大な組織力が大切。
人々の、法外で行われる麻薬、性質、政府、法律などの権限と領分がある限り水と油の様に踏み込むことが大変で根絶には期間が要する。
上に立つなら麻薬で脳をとろけさせてはいられない事。
古来より悦楽を得るための麻薬はモルヒネなどの医学方面、戦時の場での士気を高めるため、突撃隊などにも使われてきた。戦争も終わって恐慌やその後の世界不安は麻薬を呼んだ。今の世界での麻薬は化学と一緒で進化を続ける。
世界を作り出す欲望、金、権力、力、人々が動くから麻薬が絶えない。麻薬自体が欲望を動かすものだからだ。人々は快楽に溺れては死を覚悟にしようが麻薬に居場所を求める。
医学など人工からの麻薬も、自然界の織り成す麻薬も医学と自然を絶やせない事と同等にそれほど根絶は難しい。
パーティーでお嬢さん達が舐めるような飴玉みたいな麻薬と思っても、実はそれは徐々に溶け出し突如として米粒ほどの劇薬が襲う。それが麻薬の魔力だ。気付いた時には地獄と死が襲う。魔力に騙されて麻薬の本質を知らされ殺される。
麻薬全てに名前があるが、全ては死と悪魔に置き換えたほうが言い物だ。
大切な者を泣かせなければ分からない程に落ちればもう最後だ。
何処までも麻薬を扱う奴等はルートを操り人々を操り依存させ捨てる。この世には次となる人間が多すぎるからだ。
人類と共に麻薬はありつづける。恐ろしさを身で分からせるには、それに対応できる程の説得と真実を一人一人に分からせる事から始めなければならない。
麻薬は割られたガラスに身を変える事。包まれる炎。滅多刺しにされる事。過去全ての逃げて来た苦しみが一度に襲うこと。頭の脳の中だけでそれらは作り出されるがそれは全身に渡る。耐えられない逃げ場の無い抜け道の無い苦。もがき苦しむ事。
豪華を予想した先の真実の闇。それが、麻薬だ。
エンディング
病室で、ジェレアネルはすうっと目を開いた。手術を終え、ただただ頭がぼうっとする。
暗がりで、ここがどこか分からない。
何故ここにいるのだろう……?
婦警が顔を覗かせると、彼女はその婦警を見た。
「あの……ここは」
声が小さくしか出ない。なんだろう。全身が重くて、動くのが気だるい。
フランス語での「あの……ここは」という言葉に、婦警は背後の警官を振り返った。すでにナースコールを呼んであり、しばらくすると医者が来る。
ジェレアネルは自分がアメリカに来たことも、何もかも忘れていた。フランス人で、そしてガルドと出会って連れてこられたことも忘れ、それ以前までの記憶だけ……。
疲れたから、とにかく目を閉じて意識がすぐに眠りの深部へ引っ張られる。体が休息を必要としていると分かる。ただ、今は眠りを欲した。
医者は彼女の様子を見てから、今のところは眠ったらしいと分かり、その事を警官に伝えた。
「しばらくは回復するまで、様子を見ますので」
「はい。よろしくお願いします」
ジェレアネルは深い眠りのなかでだけ、誰か、分からないが誰かとそっと抱き合って眠っていた。柔らかなジェルのマット上、あたたかな体温が、だんだん冷たくなるけれど、心臓の深いところでは確かな心音が響く、それを耳元に感じることが好きだった。遠くでは誰かと誰かの声、どんどん眠くなる、そんな日々の夢を見てはもっと深い眠りへ入って行った。




