変わるもの、変わらないもの
「おかえり、パパ!」
扉を開けた瞬間、そう言って抱きついてくる娘。愛しの我が子。俺は大事に抱き締めると、そのマシュマロのような頬にキスを落としてやる。
「ただいま」
「あなた、お帰りなさい」
可愛らしい水玉のエプロンを脱ぎながら遅れてやってきた妻にも、同様にする。それが羨ましいようでスーツの裾を引っ張る娘。おどけた顔で、見せびらかすように頬ずりする妻。
ああ、ここが桃源郷か。
無理して組んだ三十五年ローンも、惜しくはないと思えるこの空間よ。
一頻り再会の喜びを分かち合うと、俺のために遅くまで起きていた娘をお姫様だっこしてやる。飯の前に、娘を寝かしつけるのが俺の日課だ。
ベッドにそうっと娘を横たえる。布団を掛けてやって、ついでに明かりも暗くして。自身はベッドの縁に座って、娘の顔を思う存分眺めるのだ。
「パパ。今日の社会の授業でね」
娘はいつも、小学校での出来事を嬉しそうに話してくれる。俺の頃はどうだったかなあ。もう余り思い出せない。セピアの記憶が、娘にカラーで塗り替えられていく。
「おう、今日は何を習ったんだ?」
「世界中にはね、七十億人も人がいるんだって! すごいよね!」
娘の言葉に、はてと首を傾げる。あれ、俺の頃は確か。
「すごいなあ、今はそんなに居るのか。パパが子供の頃は、六十億人って習ったんだよ」
「へー。じゃあお婆ちゃんの頃はもっと少なかったのかな」
「そうだなあ……」
そういえば、俺が小学生の頃に似たことを話したときも、全く同じような台詞を母から返された気がする。数字データだけは更新されているけれど。
親子の会話ってのは、時代の流れの中にあっても、そんなに変わらないものなのかもしれない。箱みたいだった携帯電話がコンパクトな二つ折りになって、ついには板みたいになるくらいの時間が、確かに経っているのに。
「でねえ、さっちゃんが昨日、たまごっち買ってもらったんだって! 私も欲しいな」
たまごっち、まだ存在するんだなあ。あのピコピコゲーム機。俺が高校生の頃はもう、すごいブームだった記憶がある。
「たまごっちかあ。ちっちゃくて画面暗いし、目が悪くなっちゃうぞ」
「ちっちゃくないよぅ。さっちゃんのたまごっち、このくらい」
そういいながら小さい手を頑張って開いて表現する娘。オーバーに言っていないなら、確かにとても大きい。おお、これもジェネレーションギャップ。
「パパの頃のたまごっちはこのくらいだったんだよ。まあでも、目が悪くなることには変わりないからなあ」
「なんで?」
「ほら、ピコピコの暗い画面じゃ見辛いだろ。白黒だし」
「? たまごっちの画面白黒じゃないよ、色ついてるよ。もーパパ、いつの時代なのー」
「……マジか」
俺は素直に唖然とする。
そ、そうか、平成も二十年代後半ともなれば、たまごっちもカラーにくらいなるよな。もう、タッチスクリーン付いてても驚かないぞ。
そんな俺の様子を笑った娘は、好奇心旺盛な目をしながら俺に尋ねる。
「パパの子供の頃って、どんなんだった?」
「ん? 例えば何が」
「んーと、人少なかった?」
娘の質問に、思わず俺は吹き出した。子供の発想だなあ、可愛い。
「いーや。寧ろ多かったんじゃないか? 少なくとも子供は。パパの頃は、一学年五クラスとか普通だったぞ」
娘の入学式に参加したときは、確か二クラスしか無かった。ずいぶん驚いた記憶がある。
「ええ。世界の人の数は増えてるのに、なんで? どこにいっちゃったの?」
「日本から遠く、ずーっと遠くの国にいっぱい人がいるんだよ」
「アメリカ?」
「んー、……まあ、そんなとこ。ちょっとお前には難しかったかな」
そう言いながら頭を撫でてやると、娘は気持ち良さそうに目を瞑った。
「へへ。じゃあ、アメリカに行ったらいっぱい色んな人に会えるね! すごいね!」
変わるもの、変わらないもの。きっとこの子が大人になって、たまごっちがホログラムになったとしても、親子の儚い時間は普遍なんだろう。他愛のない会話が弾むのも、取り留めのないエピソードに笑えるのも、ぎゅんぎゅん回る時間の流れに乗って。
歴史から剥がれ落ちることは、きっと無い。
「そうだね。……ほら、もう寝なさい。明日も学校だろ」
そう言って、俺は明かりのスイッチに手を掛ける。素直に目を閉じた娘は、鼻からゆっくりと息を吐いた。
「はあい。おやすみ、パパ」




