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奏でる帽子3



「おかえりなさい!」


 満面の笑顔で一華(いっか)が迎えてくれた。

 あの後、陽奈(ひな)を宿泊している神戸のホテルまで送り、そのホテルのレストランでディナーを食べて帰って来た(れん)だった。

「お風呂湧いてるからね。じゃ、私はもう寝るわ! おやすみなさぁい!」

 敢えて詮索はしない、というようにウィンクをして去って行こうとする。慌てて兄は指を揺らした。


 ―― 今日はありがとう、一華。おまえや(そう)のおかげで凄く楽しかったよ。


「あら! 無料(ただ)じゃないわよ。私は店舗経営者で経理も担当してるんだもの。これは未来への先行投資よ。将来このお代はきっちり倍にして返してもらうから! 私が――」

 一華の黒い瞳が兄の目を真っ直ぐに見つめる。

「私が恋をしたら……心からこの人だって人を見つけたその時は、にいさん、バズーカー級の援護射撃お願いね!」

 漣は踵を鳴らして最敬礼した。


 ―― そのご注文、確かに承りました!


 二人で笑い合った後、


 ―― 颯は? あいつも気を利かしてもう寝ちまったのか?


「まさか! あの子にそんなデリカシーあるもんですか。颯は――ゼミの進級持ち越しレポートに手こずってるらしいわ。夕食もそこそこに部屋に籠って机にかじりついてる。厳しい教授なんだって。


 ―― それは悪いことした。そんな状況なのに、先に僕のデートマニュアル作成につき合わせてしまったのか……


 一言、今日のお礼だけでも、と漣は弟の部屋をノックした。

 すぐにドアが開く。

「お帰り漣にぃ! 安心して、何処でキスしたかは聞いたりしないから!」


 ―― こら、兄をからかうもんじゃない。それより、一華に聞いたよ。勉強が大変だったらしいな。それなのに時間を割いてくれてありがとう。


「気にしないでよ! ちょうどいい気分転換になった! というか――ネタバレしてしまうと、今取り組んでるのが奈良に関したものだったんだ。だから勉強で得た情報を横流ししたまでさ。課題の方は《法隆寺献納宝物、その伝播のルートと時代的背景及び意義について》」

 颯は髪を掻き上げた。

「知ってる? 法隆寺の宝物に八世紀頃伝わったとみられる2点の香木があって……現在は東京国立博物館の所蔵なんだけどさ。この香木の刻銘と焼印から当時の外来品の伝播のルートと日本文化に及ぼした影響、今に残る痕跡までを読み取れって、メッチャ、ハードルが高い……」

 更に詳細に説明を始める。

「あのね、奈良の法隆寺に伝来した香木は2点とも白檀(びゃくだん)で、不思議な銘が刻印されていたんだ。長い間それがどこの文字で何と読むか不明だった。一方、墨書されている漢字からはそれら香木が日本に舶載された年代が読み取れた。天平宝字五年(761年)――これは正倉院の宝物にある香木とほぼ同じ時期なんだ」

 正倉院の香木は蘭奢待(らんじゃたい)と言って有名である。天下一の名香と謳われ織田信長が切り取った逸話が残っている。また蘭奢待の名の中に〈東〉〈大〉〈寺〉が隠されていることも雅な遊び心を今に伝える。

「蘭奢待の方はともかく、今回僕に与えられた課題は、こっち、東京国立博物館の香木。そこに印されてる漢字以外の不可思議な刻銘と焼印は何を意味するか」

 弟はパシッと両手を叩いた。

「僕はたどり着いたよ! 刻銘の文字はサーサン朝ペルシャ時代のペルシャ語のパフラヴィー文字で「ボーフトーイ」(bwtwdy)という人名だった! 焼印の文字はソグド文字のニーム(nym)とスィール(syr)。こちらは重さと貨幣の単位なんだ。――どうしたの、漣にぃ?」

 兄の目はさっきから弟のPC画面に釘付けになっていた。


 ―― おい、颯、これ(・・)は?


 そこに掲げられているのは、楽器を抱えて演奏している美しい女の姿だった。

 たおやかな手足、長い髪。切れ長の澄んだ瞳は何を見つめているのだろう? 遥か砂丘に現れる恋人の影だろうか? その背後の蒼色が凄い。滴り落ちた空の色そのもの……

「ああ、これはソグトの壁画《ハープを奏でる女》さ! さっき言った香木の焼印がこのソグト国の文字なんだ。この絵はその時代の壁画で――レポートの為の資料を漁ってる時に見つけたんだ。美しいでしょ? ソグト人はかつて中央アジアに住んでいたイラン系原住民だってさ」


 ―― ありがとう、颯! おまえはやはり最高の弟だよ! レポートがんばれよ! じや!


「え? あ、漣……にぃ――?」

 兄は駆け去ってしまった。続いて内階段を駆け下りる音が響いて来る。アトリエへ直行する気配。


「なんだよ、一息入れて一緒にお茶にしようと思ったのに……」





 数日後。


 高木陽那(たかきひな)の拠点としている東京のマンションに宅配便が届けられた。

 差し出し人は神戸乙仲(おつなか)通りサトウ帽子屋、その帽子職人・佐藤漣(さとうれん)となっている。


「漣さん?」


 開けてみると、見覚えのある帽子屋の箱。中には蒼い帽子が入っていた!

 添えられたカードには



  ..: ..: ..:..: ..: ..:..: ..: ..:..: ..: ..:..


    遅ればせながら誕生日おめでとうございます。

    僕からの贈り物を受け取ってください。


    〈奏でる帽子〉です。


  ..: ..: ..:..: ..: ..:..: ..: ..:..: ..: ..:..






 時を移さず、漣に送られてきたスマホの画像。

 そこに写っているのは〈奏でる帽子〉をかぶった零れるような微笑の(自撮りの)陽那だった! 

 


 『ありがとうございました!

  〈月の帽子〉同様、大切にかぶらせていただきます!


  どう? 似合いますか? 』


 思った通り、凄く似合った!

 だが、漣がそう告げる前に新しい画像が届く――

 そこには両手を腕いっぱい伸ばして一枚の布を掲げた陽奈が写っていた。


 『漣さん! あなたが奏でて(・・・)くれた歌、確かに受け取りました!』


 ―― あ、気づいたんですね? わからなくてもいいと思ったのに。


  『いつも謎を仕込むのがお好きね!

   でも、今回はだめよ! すぐわかりました。

   気づかないはずないでしょう?

   だってあの時、私はあなたの隣に――

   一番近くにいたのよ?

   私たちは一緒にそれを見たんですもの!』



 古代の筒型印章。

 それは一本の細い棒だが転がすとどこまでも伸びて美しい文様を刻印する。

 〈奏でる帽子〉はソグドの壁画の〈ハープを奏でる乙女〉にイメージをもらった蒼い帽子で、そのターバン型の帽子は解くと一枚の布になり、内側に金の糸で、二人が廻った古都・奈良の1日を封印したような万葉の歌が刺繍してあった。


 一日尓波  千重浪敷尓  雖念  奈何其玉之  手二巻<難>寸

 ひとひには ちへなみしきに おもへども なぞそのたまの てにまきかたき



  『あなたの奏でる言葉、確かに受け取りました!

   これからも、いくつも、

   一緒に見る風景が増えて行きますように!』





 〝奏でる〟の漢字を検索すると、こう書いてある。

 1番目の意味。音楽、楽器を奏でる、音を鳴らす、響かせる、演奏する。

 2番目は、話す、伝える。

 〈奏〉の字の上部は3本の枝を貫く聖なる木。

 その下で両手を広げて天に向けて言葉を発し伝える人を表している――





 二人の刻印よ、転がって行け


 遠く、長く……

 見晴るかす稜線の彼方まで……!



 第十話 《奏でる帽子》 ――― 了 ―――


♠大伴駿河麻呂

一日(ひとひ)には 千重波(ちえなみ)しきに 思へども なぞその玉の 手に巻きかたき 

(意味:一日に千もの波が打ち寄せるようにあなたを思っています。あなたは玉のように手に入れ難い(たえ)なる存在です)

愛しい人を一日に何度も思う恋心を重なる波に、想い人を玉に譬えてその切なさ愛しさをを詠っている歌


♠白檀香(法隆寺献納宝物)

http://proto.harisen.jp/mono/takara/kouboku-byakudan_houryuu-ji.html


♠ソグト壁画〈ハープを奏でる乙女〉

http://isekineko.jp/tajikistan-penjikent.html


☆次は《終わりのない時の帽子》です。



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