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異界への帽子1


                  ♠



「お客様、切符を拝見できますか?」

「?」


 いつの間にか眠っていたようだ。ポケットを探って、渡す。――と、突っかえされた。

「ふざけないでください、違いますよ、これ」

 車掌は白い手袋を嵌めた手で制帽を押し上げると、

「この列車は〈富士〉。東京発終点パリ行きの国際連絡鉄道です。三宮には11:55到着の予定。神戸は0:05となっております」

「え」

 青年は立ちあがった。改めて周りを見回す。

 そう言えば、景色が一変している。自分が乗ったのはこんな――旧式でレトロな電車ではなかった。

 乗客たちもどこか変だ。女の人たちはほとんど和服姿だし、丸髷を結っている。男たちは、流石に背広が多いが、羽織袴もチラホラいる。皆、映画で見るような帽子をかぶっていた。それに……

 パリ行だって! こんなバカな! 

 青年は頭を抱えて絶望の叫びを上げた。

「僕はどうしてしまったんだ! 僕が乗ったのは新幹線だった! なんてことだ! 僕は、僕は、異世界へ迷い込んでしまったのかーーー」

「馬鹿野郎! 棒立ちになるな!」

 突然、罵声が飛んだ。

「だいたいその表情(カオ)はなんだ!? おまえは今の自分の立場を理解できているのか? おまえは今、何処にいる? おまえは異世界へ飛んだんだぞ! だめだ! だめだ!

 やり直しだ! もういっぺん、のぞみに乗る、21世紀からやり直せ!」


「えーーーー、そりゃないよ!」




                 ♠





「にいさん!」


 ―― !


 肩に置かれた一華(いっか)の手。

 またやった! 最近、こればっかりだ。

 ハッとして(れん)は顔を上げた。

 作業台の前の壁に取り付けた鏡の中でドアベルがまだ小さく揺れていた。


 ―― ……


 やっぱり、作業台の上にバイオリニスト(あのひと)のCDを立て掛けて置くのはやめるべきだな。ついつい物思いに囚われてしまう。そう思いながら慌てて漣は立ち上がった。


 ―― 紅茶を用意したらすぐ行くから。オーダーメイドのお客さんだね?


 アトリエの小窓から覗くと店内のテーブルコーナーに青年が座っていた。

「ええ、早く来て。ちょっとヘンなのよ、あのお客様……」

 まあ、ちょっとヘンな客は今に始まったことじゃないが。

 共同経営者であり、帽子職人である漣は微苦笑した。

 港町神戸の乙仲(おつなか)通り。サトウ帽子屋のオリーブ色の扉を開けてやって来るお客たちは、皆、少々風変わりな帽子を探してやって来る。


 今日も今日とて……




「異界への帽子を作ってください!」


 帽子屋の反応がないのを見て、更に声を張り上げてその青年は繰り返した。

「僕が欲しいのは異界への帽子ですっ!」

「……」


 ―― ……


 未だ少年っぽさを残す顔。弟の(そう)と同年代くらいだろうか?

「えーと、お客様? そういうご要望は耳のない青い猫型ロボットに頼まれたらいかがでしょう?」

 もちろんこれはジョークだ。凍りついた場を和ませるための。アナウンサー科で徹底的に叩き込まれた。

 同様に習得した完璧な接客用の笑顔で一華はとりあえずお茶を(すす)める。

「どうぞ」

 客は大いに憤慨して、

「ふざけないでください! 僕は真剣なんだ。シェイクスピアが書いたデンマークの王子並みに生きるか死ぬかの大問題、人生の瀬戸際なんですっ」

「はぁ……」

「あ、僕は磯貝隼人(いそがいはやと)と言います。俳優をやってます」

 咳払いをひとつ。

「いえ、そりゃ、まだ今は駆け出しの劇団員に過ぎませんが、そう遠くない未来には、ゼッタイ、大俳優になっている……つもりです」

「若者はそうでなくっちゃ! 夢は大きいに限ります。ウチにも似たようなのが1人います。ウチのは大作家って言ってますが」

 横から兄が肘でつついた。我に返って一華、

「失礼しました。どうぞ、お話をお続けください」

「それで、ですね、僕、この磯貝隼人に初めて大役が付いたんです。主役です!」

「それはおめでとうございます」

「ありがとうございます。でも、喜んでいたのも束の間、イキナリ窮地なんです。ご覧の通り、僕、顔は完璧なんだけど、演技がヘタクソで、監督に怒鳴られっぱなし。このままでは役を下ろされてしまいます」

「それは――お気の毒です」

「その役というのが、超難しいんだ! 経験もしていない状況……つまりね、一瞬で過去の世界、異界へ飛ばされた青年の困惑と悲哀を表現しろって言うんですよ? 何度やっても、どうやっても、監督に『違う!』『そんなんじゃない!』って怒鳴られる。今日なんか、メガホンをぶつけられました」

 紅茶で喉を潤して磯貝隼人は続けた。

「それで(ひらめ)いたんです。小物に(すが)ろう、って! 名案でしょ?

 僕の劇団は衣装なんか持ち込み可で、自由なんです。そして、最も使いやすい小物といえば帽子だ!」

 ここでもう一回、紅茶に口をつける。音を立てて飲み干した。

「僕、この近くに住んでいて、毎日、店の前を通ってるんですよ。ここ、オーダーメードで注文通りの帽子を作ってくれるんですよね? 有名店じゃないから価格もそこそこでしょ? ぜひ、僕に異世界っぽい帽子……異世界へ転生したって見ている観客が一目で納得できる、そんな帽子を作ってください」

「あ、いえ、それはちょっと……」

「大丈夫ですよ! どんな帽子でも僕、かぶりこなす自信はあります。それこそ、僕に似合わない帽子を探すほうが大変だと思いますよ! あはははは……」

「いえ、そういうことじゃなくて」

 辛抱強く一華が言う。

「お客様の望まれるようなお帽子は作れないと思います。だって、あなたがおわかりでないように、私たちだって異界へ通じる? 異界を感じる? そんなお帽子なんて無理です。作れません」

「わかりました。僕の言い方が悪かったかもしれません。完全な(・・・)異界の帽子でなくていいんです。異界風(・・・)でかまいません。僕の演技を2割り増しぐらいカバーして観客を納得させていただけるなら、それで、十分僕は満足です」

「いや、あなた、ちっとも理解してないでしょ、こちらの言ってること。残念ですが、あなたのおっしゃっているようなお帽子は当店では作れないと申し上げているんです。到底無理です。不可能です――」

 隣で兄が身を乗り出す気配。嫌な予感。


 ―― 確認させてください。そのお帽子は、こちらの自由な発想でお作りしてよろしいということでしょうか?


「にいさん!」

「ええ、もちろんです。僕、帽子のことなんて全然詳しくないし、全てお任せします。では、作ってくれるんですね? 僕の異次元への帽子!?」


 ―― 受け賜りました。



   カララン!


 自称未来の大俳優・磯貝隼人は意気揚々と帰って行った。即座に、一華の非難の声が店内に木霊(こだま)する。


「にいさん! 正気なの? こんな厄介な注文を請け負って!」


―― いいじゃないか、一華。最近、僕はスランプというか……著しく集中力が欠けている。だから、このくらい厳しい注文があったほうがいいのさ。


 これで帽子作りに全神経を傾けられるだろう。


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