風を感じる帽子3
『ご注文いただいておりましたお帽子が出来上がりました』
サトウ帽子屋からの連絡を受けた翌日、もう待ちきれずに古市ほのかは銀行の昼休みに店へやって来た。例のごとく制服にコートを羽織った姿だった。
カララン……
期待と不安の入り混じった思いで聞くドアベルの音。
「ずいぶんお待たせして申し訳ありませんでした」
カウンターに出された丸い帽子の箱。ゆっくりと近づく。
―― これが、《風を感じる帽子》というご依頼を受けて僕が作った帽子です。
「……」
その帽子の型はキャベリン。
これは〈つば広帽子〉とも呼ばれる優雅なフォルムで女性に人気がある。
色は、どこまでも明るいイエロー、jaune brillant=ジョンブリアン、喜びの黄色。
この色なら、高い空の上からもよく見えそうだ。この辺りは帽子屋末弟の助言が大いに参考になったのだろう。だが、それだけではない。
よく見ると、模様が浮き上がってくる――
レモンイエローの地布に幾重にもオーガンジーを重ねて、その透き通った層ごとに細かい模様――水玉が散っている。繊細なカットワーク技法の妙。
動くたびに淡い点点が燦ざめき、揺らいでチラチラ、チカチカ……
どこかで見た憶えがある。これは――
目を見張って暫くじっと見つめていた注文主が突然、声を上げた。
「木漏れ日……!」
次の瞬間、ワッと叫んで帽子に飛びつき、泣きだした。
「古市さん――」
「ご、ごめんなさい。でも、嬉しいんです。コレ、おんなじだわ! 思い出しました!」
ペペと並んで駆けまわった道。私たちに降って来た幾千の陽の光。
飛んで行く景色の中で、樹々が騒ぎ、葉が戦いで、影が零れる……
あの日、あの時間、一人と一匹に吹き過ぎた風の形がそこにあった。
「ありがとうございました!」
明るい声と指に見送られてドアを押す。
カララン!
外に出て、空を見上げたとたん我慢できなくなって、紙袋から帽子の箱を取り出した。
職場の制服にこんなお洒落な帽子は似合わない。だが、構うものか。
新しい帽子を被ってほのかは思った。今日は何処までも歩いて行こう。まずは、お昼休みが終わるまでうんと遠回りしてこの道を!
乙仲通りのお洒落でノスタルジックな地面へ一歩踏み出す。続けて二歩三歩。
古着屋さんに、ビストロ、雑貨店、ヘア・サロン……
もっともっと、どんどん先へ!
靴屋、写真屋、カフェ、ギャラリー……
流れる景色、ショーウィンドウに映る影。神戸海岸通り郵便局の前で白髪の老婦人が振り返った。
「素敵なお帽子ね!」
「ありがとうございます! 買ったばかりなの!」
挨拶もそこそこに、もう止まらない。いつしか小走りになっている。揺れるプリム、頬を掠る陽の光、耳朶をくすぐるこのさざめき――
風が……戻って来た!
第四話 《風を感じる帽子》 ――― 了 ―――
☆次は《一華の帽子》です。




