御門
ペチペチと頬を叩かれる感触でアキラは目をさました。
「なっ!」
目の前で静流が腕を組んで立っている。
何で! ここはどこ!?
アキラは周りを見渡し、自分の置かれた状況を確認して愕然とした。
学校の教室程度の広さ、コンクリートがむき出しの何も無い部屋、毎日掃き掃除をしているのかと思うほどゴミ一つ落ちていない。
今この部屋に存在するのは、静流、アキラ、椅子、の三つだけだ。天井には申し訳程度に電球が一つぶら下がり、ぼんやりと室内を照らしている。
そしてアキラは今、両手足を手錠で拘束され、どこにでもある様な背もたれ付きの椅子に座らされている。椅子と体をロープで執拗に巻いてある様は、傍から見たら悪ふざけに見えるはずだ。解釈によっては、この部屋には静流と椅子しかないとも言い得るのではないかと思う。
昼も異常事態だったが、今も負けないくらいの異常事態であった。
「崇岬さん! どういうことですか!」
「能力者は、その存在を一般人に知られてはならない。君は使った、そして見られた」
超能力のことを、知ってる……!?
静流は慈悲も敵意も何もない、物を見るような視線をアキラに向け淡々と語る。アキラの全身に寒気が走る。腕を組み傲然と自分を見下ろす静流は、恐ろしいほど美しかった。
そしてこんな時にも関わらず、組んだ腕に挟まれ、盛り上がった量感のある胸に目がいってしまう自分に軽く凹みつつ言い返す。
「そ、そんな! 何故ですか!? それにあの時はどうしようも――」
「その理由も不可抗力性も今は関係ない」
「それじゃあ、あのまま何もしなければよかったんですか!?」
「そうは言ってない。だが今は関係ない」
取り付く島もない静流の様子にアキラが業を煮やしていると、静流はいつの間にか取り出した銃をアキラに向けた。
ヤバイ!
あの目は本気だ、反撃しないと殺される!
昼間は出来たんだ! まず銃を弾き飛ばすんだ!
静流の右手をブッ叩くイメージで『力』を発現させる。
当たれっ!
そしてその結果を見ないまま、次は弾いた拳銃自体を彼女にぶつけるイメージを作ろうとして、アキラの眼は驚愕に見開かれる。
かわ……された……?
一歩後ろに下がる。彼女の行動はそれだけだった。しかしそれだけでアキラの攻撃は空を切った。
いや偶然だ! もう一度!
再度アキラは『力』を振るう。
今度こそ静流は移動をしなかった。彼女が行ったのは突き出していた右手を下げる、ただそれだけの動作だった。それだけでまたも攻撃をかわされてしまったのだ。再びアキラが目を剥く。
「効果範囲が狭い、無駄だ」
「――っ!」
抑揚の無い声が静かに響く。
偶然ではない、彼女はこの力を知っている。
知っていて、どのような攻撃が、どこを、どのタイミングで襲ってくるのかが分かっている!
「無駄だ、やめておけ」
「~~っ!」
なりふり構っていられない。手加減していたら殺される。アキラは全力でがむしゃらに『力』を発現させる。対象は絞らない。とにかく当てるのだ。
しかし、アキラが座標をイメージするたびに、力を発現させるたびに、アキラの心に焦燥が広がる。静流がその全てを特に苦色も無い様子で回避していくのだ。
アキラが荒い息をついて呻く頃には、アキラの心は諦念に埋め尽くされていた。
静流が、アキラの額に銃口を向けて口を開く。
「さて、それでは君をどうしようか、どうしたらいいと思う?」
「あの、出来たら助けていただけないかと……」
その言葉とは裏腹に、アキラは諦めていた。そしてこの瞬間にも馬鹿な事を考えている自分に少し苦笑した。
「ではもうわかるな?」
静流はまるで
子犬の頭を撫でる時にするような微笑みをうかべ
小さい子供の手を握る時にするような動作で凶器を包み
艶めかしく引き金に添えた指に力を込めようとして、そして……
「……終わりましたか?」
鈴の音の様な透き通った声と共に
少女が部屋に入ってきた。
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アキラは絶句した。息をするのも忘れた。
ありえない……
それが第一印象だった。
腰まで届きそうな長い黒髪、少し吊りあがった大きな目、日本人にしては高目の鼻は、細い顎と相まって芸術的なラインを描き、桜の花弁のような唇が慎ましく自己主張をしている。歳はアキラと同じくらいだろうか。
現実では目にすること能わず。
神話や伝説、又はゲームのCGといった仮想世界でしかあり得ない、その完璧な造型を再現するのは、稀代の名工が生涯を賭して成し得るかどうかという話であろう。
ひどく完璧な美貌を無造作に携えた少女がそこにいた。
そんな美しさとは反対に、少女の存在は今にも消え入りそうに儚かった。歪とも言い得るそのバランスは、何かの違和感となってアキラの肌をザワつかせる。
それでもなお電球一つで、薄暗い部屋の中で、その少女は輝いて見えた。
少女はアキラに一瞥もくれず静流の下へと近付いてゆく。
近くに来た少女の顔を見上げ、アキラは再度絶句する。
目だ。
大きめの黒目は、瞳孔が完全に開き切り、どんよりと暗く濁っている。冷たい目という訳ではない、感情が一カケラすらそこに宿っていないのだ。目が合うと絶望の海に引きずり込まれそうな、そんな目だ。
見たことは無いが、死体の目がこんな感じではないかとアキラは思った。
少女が澱んだ目を静流に向けたまま、全く抑揚のない口調で再び問いかける。
「……終わりましたか?」
「ああ、終わったよ」
静流が銃を懐にしまいながら言った。
終わった? 何が?
「彼はサイキック、レベルは2程度」
事態が飲み込めず、アキラが視線をあちこち巡らせていると、静流が口を開いた。
「申し訳ないが君の能力を試させてもらった。君がどうなるかは次の質問の返答次第だ。いいかな? 御門、YES・NOレベルの表層まででいい、それ以上は潜るな。」
少女がコクリと小さく頷いた、御門という名前らしい。
彼女への指示の内容はよくわからないが、こっちは「いいかな?」と聞かれたところで、頷くしか選択肢はない。
「はい……」
「君のTIの身分履歴を照会した限りでは犯罪歴は無い。そこで質問だ。君は刑法上の構成要件該当事実を故意で行ったことはあるか? なお、違法性阻却事由及び責任要件は加味しない」
意味がわからない……
ポカンとするアキラに静流は続ける。
「まあ簡単に言うと、捕まっていないだけで犯罪行為をしたことがあるか? ということだ」
予想もしない方向からの質問でアキラは一瞬たじろぐ。
だが、自分は真っ当な高校生だ、犯罪行為などしていない。当り前のことだ。
とはいっても年頃の男子である、多少のルール違反はあるかもしれない、18禁とかそういうアレだ。
しかしそれは健全な高校生男子として配慮していただくべき部分でありそもそも人類子孫繁栄のために必要不可欠な崇高な行為を描写したものであって決して邪念や劣情とか邪な気持ちで事にあたってきたわけでは無いと申しますかとにかく決して犯罪とかそういうアレではないのだ。
だからアキラは断言した。
「ありませんッ!」
「……やましいことがあるようです」
間髪入れずに御門が報告する。
静流が目尻を吊り上げ。再び懐から銃を抜き放った。
「どういうことだ? 弁解の機会をやる。死にたくなかったら正直に答えろ」
底冷えするような声に、アキラは小動物のように身を震え上がらせた。
「御門は高レベルのテレパスだ、嘘は通用しない、私は言ったぞ、弁解の機会をやると」
静流が殺気を纏い始める。
アキラは、弁解が可能だということは理解していた、しかしこの期に及んでも同世代の可愛い女の子にそれを聞かれたくない、という思春期の少年特有の羞恥心が素直に弁解することを拒む。口ごもってモジモジするアキラに対して
「わかった、もう終わりだ」
静流が目をすうっと細め、引き金に指をかけた。
「ま、待って! 言います! 言いますから待って下さい!」
静流が、続けろと促す。
「あ、あのっ、その、女性がこう、肌を見せている本というかその、18歳未満はダメとかそういう…… いやっ! そんな言うほど興味はないんですよっ! 本当ですって! そ、そもそもは人類子孫繁栄のために必要不可欠な崇――――」
「エロ本か」
「……」
アキラはサッと目を逸らした。しかし静流は容赦しない。
「エロ本かと聞いている」
「ち、巷ではそういった呼称もまかり通っておりますが……」
「他には?」
アキラはブンブンと首を振った。
御門がフルフルと首を振った。
静流が無言で銃のスライドを引いた。
「たっ多少! というか若干…… ホントにチョットなんですケドっ! ホントなんです! 本当にチョットなんです! いや、そんな目で見ないで下さい!」
「……」
「……」
「違うんです! 興味……そう! あくまで興味の範囲における収集の話であって! 個性と言っても差し支えない程度の趣向の問題というかっ!」
「だから何なんだ?」
イラついたように静流は先を促す。
「あの…… 多少の偏りを、禁じえない、というか……」
「……」
「……」
誰ひとり身動ぎせず静まり返る部屋。
アキラはひとり恥辱にまみれ戦慄いていた。御門が興味なさ気にアキラを見ている。
静流は少し顎を上げて口端を歪め、うっとりと恍惚に潤ませたその眼で先を続けろと促した。
「ニー、ソックス……的な……」
「……」
「……事実です」
アキラは泣き崩れた。