夢
人質一団を挟んだ向こう側で、リーダーがのたうち回る青年の髪を掴み、こめかみに銃を当て、「殺してやる」と言っている。見張りの男は喚き散らしながら青年を蹴りつける。青年は涙と鼻水を撒き散らし必死に命乞いをしている。
「クソッ! マズイことになったな、動くしかないか……」
騒動から目を離さず女性が呟く。
騒動から目を逸らしてアキラが震える。
何を…… 何をやっているんだ!
こういう時に使うためにこの力はあるんじゃないのか!
困った人を助けられると! そういう冒険が待っていると! それで心躍らせたんじゃないのか!
アキラが屈辱に身を震わせ、涙を滲ませた時
再度、乾いた音と、少し遅れて絶叫がフロアに響き渡る。
その瞬間、アキラの中に何かが奔る。
魔法使いになったのに何も出来ず、ただ震えているだけの自分に対する嫌悪感と、半ば盲目的な正義感が激情となってアキラの体を駆け巡る。
譲れないことがあった。
常に暖かい愛情に包まれ育ってきたアキラは、目の前の人が理不尽に傷つくことに我慢が出来なかった。
何も出来ないからではない。何もしない自分が許せないのだ。
だからアキラは右手を突き出して叫んだ。
「来いっ!」
次の瞬間、リーダーが握っていた拳銃が、弾かれたように吹っ飛んでくる。右手に収まった銃の重さにアキラは一瞬恐怖した。
この後の事を考えてなかったので、若干パニックになりつつも飛び出そうとしたアキラの肩を、さっきの女性が掴み檄を飛ばす。
「よくやった! 君はカウンターを!」
女性は飛び出しながら懐から銃を取り出し、引き金を無造作に四回引いた。
リーダーと見張りの男の、それぞれ右手と左足から血が溢れ、男たちは悲鳴と共に身をよじる様にして床に倒れ込む。
アキラは完全に混乱していたが、女性に従い、カウンターのもう一人に銃を向け「動くな!」と言うところまで何とか出来た。手も足もガクガク震えて、内臓が冷えて行くのがわかる。しかしこの後どうしていいのかがわからない。
撃って当たるとも思えないし、ちゃんと弾が出るかどうかもわからない。そもそも自分には撃てない。だからカウンターで札束を詰めていた男が「ひいぃぃ、撃たないでぇ……!」と投降姿勢でうつ伏せになったのは、運が良かったとしか言いようがない。
未だうつ伏せになっている男に銃を向け、ガタガタ震えているアキラに近付いてきた女性が、アキラの銃を掴みながら優しい声で囁く。
「もう大丈夫だ、よくやったな」
周りを見ると強盗犯達は、何人もの行員と客に圧し掛かられ制圧されていた。
青年は両腿の付け根を縛られ、痛みと安堵を顔に浮かべている。
アキラは、合わない焦点を必死で女性に合わせ、涙で歪む視界にその顔を捉えた瞬間、助かったことを理解する。
アキラはその場で気絶した。
□□□□□□
フロアのベンチで目を覚ましたアキラに待っていたのは、客の賛辞や女性行員の黄色い声ではなく、事情聴取を求める捜査員の野太い声だった。気を失っていたのは少しの間だけだったらしく、大勢の捜査員が慌ただしく動いている。他の客も事情聴取を受けたりしていた。
「君は銃を扱えるのか? 何らかの訓練は?」
「い、いえ、初めて触りました。訓練とかは特にその……」
「ではどうやって銃を奪い取ったんだ?」
「いや、あの、夢中で……」
責めるような語調で続けられる質問にアキラは少し凹む。
魔法でと言ったところで笑ってもらえる雰囲気ではなかった。見せたところで犯人扱いされそうな勢いだ。
僕、頑張ったのに……
もうちょっと優しくしてくれてもいいじゃないかと項垂れていると、さっき助けてくれた女性が来て聴取中にも関わらず声をかけてきた。
「私の名前は崇岬静流。君の名前は? 君はどこに所属して――」
「誰だお前は、事情聴取中だ。邪魔するな!」
捜査員は声を荒げて静流を睨みつける。
静流は怯んだ様子も無く懐から身分証を取り出し捜査員に提示して
「これは我々の管轄だ、彼の身柄は我々が預かる」
TIにより私的な身分証明が出来る現代で、別の身分証を所持しているということは、公務員かそれに準ずる役務に就く者だ。公然と銃を所持していたあたり、公職につく人間だと想像はしていたが、やはりそうだったらしい。
でも「管轄」とはなんだろう……
身柄を預かられるようなことをした覚えもない。清く正しく生きてきたつもりだ。
納得いかないアキラであったが、それ以上に納得がいかないのは目の前の捜査員だったらしい。
「下請風情が出しゃばるんじゃないッ!」
突然の捜査員の怒号に、他の捜査員が一斉にこちらを向く。
それでも気にした様子の無い静流は、吊目を獣のようにギラつかせながら傲然と言い放つ。
「別に上に掛け合っても構わんが?」
その一言だけで勝負はついたようだった。公務員の力関係はよくわからないが、捜査員が悔しそうに顔を歪める。静流は再度アキラに向き直ると口を開いた。
「ここでは何だ、こっちに来てくれ」
釈然としないが、悪いことをしていないのに責めるような事情徴収もまっぴらだ。
アキラは素直に従うことにした。何より助けてもらったことについてちゃんとお礼も言いたい。男達の舌打ちの嵐の中を颯爽と歩いてゆく静流をアキラは無言で追いかける。
「私の名前はわかったな、君の名前は?」
トイレの近く、捜査員がいない所まで移動して静流は言った。
「夏目アキラです。あ、あのっ、さっきは本当にありがとうございましたッ!」
垂直になるまで腰を曲げてお礼を述べるアキラに、静流は面白そうに眼を細める。
「それはいいんだ、仕事でもある。それより君…… 夏目君はどこに所属している? まさか無認可の組織ではないだろうな?」
――所属? 無認可? 組織……?
「あの、いわき第8高校ですケド……」
「……」
「あ、あのっ、進学校ではないですが一応公立ですし、無認可ということは無いと思うんですケド……」
………………。
…………。
……。
「ふざけているのか?」
「えっ!?」
自分より背が低い女性の怒気にアキラは身を竦ませる。はたから見ても自分より小さい肉食獣に怯えている草食動物にしか見えないだろう。
アキラがどうしていいかわからず、しどろもどろしていると、静流はびっくりしたように言った。
「本当にわからないのか…… まさか未登録者か?」
「未登録……? いや、ちゃんと学校には行って――」
「それはもういい」
アキラを遮ってピシャリと言い放った静流は、何やら難しい顔をして、少し考えるような素振りを見せた後
「わかった、とりあえず今日はここまでだ。家まで送ろう」
と、言ってアキラの手首を掴んだ。とても友好的とは言い難いその力加減からは有無を言わせない雰囲気が漂ってくる。
逆らっても怖そうだし、疲れたから送ってもらおうかな……
押しに弱い自分の性格を嘆きながら、アキラは半ば引きずられる様に付いて行った。
静流は、振り返りもせず足早に歩きながら、器用に片手でTIを操作して電話をしている、誰かに指示を飛ばしているようだ。
外はすっかり曇って、冷たい雨が降り始めている。
その雨にも負けず、報道陣が餌を待つ雛のように騒いでいた。
静流はアキラを引っ張りながら、特に気にした様子も無く外に足を踏み出した。
虫のように群がってくる報道陣を蹴散らし、追いすがってくるリポーターを睨み落とし、近くの駐車場に止めてある黒いワゴンタイプの車の後部ドアを開けて、何やらキョロキョロすると
「おやすみなさい」と言った。
アキラは、えっ? と思う間もなく香水のようなものを顔に吹きつけられ、何か最近似たようなことがあったような……、と場違いなことを考えながら気絶した。
本日二度目の気絶であった。
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「はぁ……はぁっ……」
藤枝は走っていた。
車は既に押さえられていた。バスや電車を待っている時間も無い。運悪くタクシーも拾えなかった。
だから藤枝は冷たい雨の中、もう30分近く全力で走り続けていた。
どこだ、どこで俺はしくじった!
脳が酸素を要求する。全身の筋肉が悲鳴を上げる。心臓は攣ってしまうのではないかと思うほど鼓動が痛い。今この瞬間意識を失ってもおかしくない。今この瞬間吐血してのたうち回ってもおかしくない。それでも藤枝は走った。
上着なんて、とっくに脱ぎ捨てた。冬の雨が体を冷やすのに丁度いいくらいだ。
胃の中の物は残らず出してしまった。吐瀉物を吸って変色したシャツが異臭を放っている。
それでも藤枝の顔に浮かぶ表情は「苦悶」ではなく「焦燥」であった。
ああ、そうだろうよ!
俺はクズだ。そんなことはとっくの昔からわかってる。いつ、誰に殺されたって文句が言えないことくらいわかってるんだ!
「それでもっ!」
家族は関係ねえ!
彼女達は愛されて然るべき善人だ、祝福されて然るべき存在だ。不幸が降りかかるなんて許されるわけがない。許されるわけが無いんだ!
藤枝が無事に自身のマンションに辿り着けたのは単なる運であった。もう既に走れるような状態ではないのだ。それでも藤枝は休まず歩を進める。彼を突き動かすのは、人生で初めて手に入れた愛情であり、背中を押すのは守りたいという意思だった。
藤枝はエレベーターに見向きもせず階段を駆け上がり部屋まで走る。手が疲労で痙攣し鍵を開けれない。だから躊躇無く『断裂』でドアを切り飛ばした。
どうせここにはもう戻れない、ドアなんてどうでもいい、そんなことよりッ!
「桃子! 桜!」
土足で廊下に上がりながら絶叫する。
返事が無い。不安が爆発する。
クソッ! クソッ! そんなはずはない! 間に合ったはずだ!
リビングのドアに手をかける。
「桃子!」
藤枝は再度叫んでドアを開けた。
そこには……
「――ッ!」
藤枝は薄汚れたビジネスホテルの一室、床の上で目を覚ました。
窓際のベッドで眠れるわけがない。襲撃をお願いしているようなものだ。 それにそもそも柔らかい布団でなど、地獄の底まで沈みこむような感覚に襲われて眠れやしないのだ。
藤枝は後頭部をボリボリと掻きながら起き上った。
いつもの夢か……
そう、さして驚くことでもない。いつものことだ。
飛び起きて息を荒げるようなものでもない。取り乱すような歳でもない。
藤枝は気だるそうに立ち上がると洗面所に行き顔を洗った。鏡に映った自分と目が合う。
不健康な肌、こけた頬、口は皮肉っぽく右側だけつり上がり、ただ眼だけが鋭く濁った何かを放っていた。
最近、髪だけでなく、時々適当に切るだけの髭にも白いものが混ざってきた気がする。
「だいぶ老けたなぁ……」
と、パサつく髪を後ろで縛りながら自嘲気味につぶやいた。
何とか……
何とか今まで生きのびた。
八年前のあの日から
偽造TIで自分を偽り、這いつくばり、泥をすすって何とか生きのびた。
後ろ指さされるような事など数えるのも面倒くさい。裏切っては逃げ、取り入っては利用した。どうせ地下世界の人間など同じ穴のムジナだ、騙す方も騙される方もクズなのだ。
地下に潜ることについて、特に抵抗はなかった。
元々自分はこちら側で這い回るべき人間だ。腐ったドブ川の空気がお似合いな人間だ。
あの夢のような3年間のほうが不自然だったのだ。自分が触れていい世界ではなかったのだ。
それなのに自分は手を伸ばしてしまった。触れてしまった。
結果報いを受けた。それだけの話だ。
しかし藤枝は一つ疑念を持たざるを得ない。
――なぜ報いを受けるのが自分ではなかったのか。
だから藤枝は耐え続けた。地下の一番奥底で体を掻き毟りながら耐え続けた。
もがき足掻いて、地獄にしか垂れてこない蜘蛛の糸を探し続けた。
そして見つけた。
手繰るには細すぎる糸を。
絶望を煮詰めた釜の中でそれを見つけた。
藤枝は黒いジャケットを羽織って荷物をまとめると窓の外を見遣る。
冬の日没は早い、外はもう真っ暗だ。一つ嘆息して部屋を出る。
「報いを……」
報いを受けさせてやる。藤枝は思う。
道理など無い。大義や名分などあるはずもない。
ただただ自分の中のどす黒いモノが命じるのだ。
藤枝は機械的にチェックアウトを済ませると、無言で外に出た。
目標の家は、ここから歩いて30分。
外はあの日と同じように、冷たい雨が降っている。