水晶龍の洞窟 5
アストリアは豊かな穀倉地帯に恵まれた穏やかな気候の国です。人々は温和で勤勉で強い心を持っていました。アストリア王はそんな民を何よりも大切に思っています。けれどそれより大切なのが、目の前に座っているマーガレット姫でした。
「姫よ、剣の稽古は辛くはないか」
晩餐の後、王の居間に招かれた姫は礼儀正しく答えました。
「辛くなどありません、王。私は勇者になるべくして鍛えています。弱音は吐きません」
シャンデリアのきらびやかな灯りに照らされたマーガレットの顔は誇りに溢れ、堂々として見えました。
「けれど騎士見習いは男子ばかりと聞く。そんな中で馴染めているのか」
「はい。友人もでき、日々、有意義に過ごしております」
「友人というのは、そのう……」
王冠も豪華なローブも脱いでいる王は、気弱な声で尋ねました。
「男子の友人であるな」
「もちろんです。そうだ、お父様」
マーガレットは特別に甘えた声を出します。
「私、騎士見習いの宿舎で寝起きしたいのです」
「なんだって?」
「騎士見習いたちと寝食を共にすることで、よりいっそう精神が鍛えられると……」
「いかん!」
王は大声を出して立ち上がりました。マーガレットはびっくりして目を丸くします。
「男子の住まいに姫が足を踏み入れるなど、あり得ぬ!」
王は顔を真っ赤にして怒っています。マーガレットはそれにも怯まず言い返します。
「私は姫ではなく、勇者になるべき騎士見習いで……」
「ならぬと言ったらならぬ!」
マーガレットは王の剣幕に言葉を引っ込めました。これ以上怒らせて、騎士見習いをやめさせられたらたまりません。しょんぼりしたふりをして下を向きました。王はふう、と息をはいて気持ちを落ち着かせました。
「姫よ、勇者になるという考えを改めぬか。一国の姫が剣を振り回すなど……」
「私は勇者になります。お母様が認めてくださったんですもの。やめません」
「あれもなあ……」
王は王妃のことを思ってため息をつきました。
「言い出したら聞かぬのはお前も妃も一緒だな。なぜそんなに似たものか」
王はまたため息をつきました。
「仕方ない、訓練で怪我をせぬようにだけは気をつけなさい」
「はい!」
マーガレットは優雅にお辞儀をして王の部屋を出ました。
「カイル、私、王から勇者になる許可をいただいたのよ!」
翌朝、訓練前のひととき、マーガレットはカイルのそばに駆けて行って昨夜のことを報告しました。
「許可って……、水晶の龍の洞窟に入る許可か?」
マーガレットは顔をしかめます。
「それは……まだよ」
「まあ、そうだよな。実剣もまだもらってないもんな」
「それでも希望は大きく膨らんだわ。訓練さえ終われば勇者の試練に挑戦できるのよ!」
真っ赤な髪を揺らしながらぴょんぴょんと飛び上がるのをカイルは難しい顔で見ています。
「いくら王はあなたに甘いと言っても、そんなに簡単に……」
「マーガレット!」
練兵場にウォルター兵士長の大きな声が響きました。
「はい!」
マーガレットは元気に返事をして兵士長の元に駆けていきます。ウォルターは手にしていた書状をマーガレットに差し出しました。羊皮紙をくるりと巻いて蝋で封がしてありました。蝋には王の紋章が刻印されています。
「王からの手紙?」
無言のウォルターから書状を受け取り、マーガレットは中身を確認しました。
「まあ! お父様ったら!」
後ろにやってきたカイルが書状を覗き見て「ぷっ」と吹き出しました。書状には、こう書いてありました。
『城下街に隠屯した魔法使いがいる。その者を探しだし、同行を頼めなければ水晶龍の洞窟に入ることはまかりならん』
「昨夜と言っていることが違うわ!」
ウォルター鼻から大きく息を吐くと興味なさげに去っていきました。カイルは愉快そうにマーガレットの表情を眺めています。
「でも、まあいいわ。魔法使いに会えるなら。ねえ、カイル、あなた魔法使いを見たことある?」
「ないよ。噂も聞かない。魔法使いなんて、いれば大騒ぎになるだろう。本当にいるのか?」
「お父様は嘘だけはつかないわ。きっといるわよ。さあ、忙しくなるわ! 私、訓練以外の時間は魔法使いを探しにいくわ」
カイルは小さなため息をつきました。
「わかった。一緒に行くよ」
「あら、私は一人で大丈夫よ」
カイルは半眼でマーガレットを見下ろして何か言おうとしましたが、首を振ると口の中でもごもごと変な声をたてました。
「え? なあに、カイル」
「俺も魔法使いを見てみたいから一緒に行くよ」
「まあ! それじゃあ、今日の訓練の後、一緒に行きましょう! 私、城下街は初めてよ、わくわくするわ」
カイルはマーガレットを連れて街を歩く苦労を思って遠くを見つめました。
姫の初めてのクエスト、開始。