2 蒸気の街と煙の対価
「電気代の徴収に伺いました」
街の職員が今週分の電気代が書かれた税金表を渡してくる。
思った以上の額だったが、この街の決まりだ。払っておかなければ出ていかざるを得なくなる。
「確かに受け取りました。今後ともよろしくお願い致します」
軽く頭を下げてから、街の職員は家から出ていった。
振り返れば、食事中の蛍がそこにいた。
「……蛍」
「わかってるわよ。あたしが悪いんでしょ?」
「謝ってもらう気はない。だが、どうしてこうも電気料金を支払わなければならない?」
「さぁ?」
惚けた表情を見せる蛍だが、大体の予想はついている。
「風呂、お湯を流しっぱなしで入ってるだろ」
「あれ? 覗いてたの?」
「覗いてない……税金が多かい理由がわかったよ」
風呂のお湯を沸かすのには、かなり多くの電気量を消費する。
この街の制度では、電気料金を税金として納めるのが決まりとなっている。
まったく、仕事で得られる金と割に合わない事この上ない。
「小さな小さな至福の時なんだから、多めに見てよ」
「……それだけ仕事をこなせばな」
「やってるじゃない。それとも――」
「ああ、悪かった。朝っぱらから喧嘩はやめよう。疲れるだけだ」
「そっちから振ってきた癖に……」
その街その街によって制度や政策も違えば、通貨も違う。
ある街では金貨と銀貨を使い、また違う街では名前の付いた通貨を使う。
この街では「ルピア」という赤い宝石を使っていた。
言葉は全国共通なのに、金に関しては違う。なんとも面倒なシステムだった。
金の為替は街によって違う。今回は金貨の値段が高いこの街に決めて、仕事を始めていた。
いつもの、運び屋としての仕事を。
「五百ルピアになります」
昼食のパンを買い、食べながら街中を探索する。
前の街とは違い、貧富の差は大きくなく、皆ほぼ平等に生活を送っている。
修理屋が多く、如何にこの街が愛されているかわかる。
剥き出しとなっているパイプと、咽返るほどの蒸気。
それによって生まれる電気がこの街の売りだ。
「煙たい街ね」
「ああ。だが、身を隠すにはもってこいだ」
「仕事が少しは楽になるかしら?」
いたる所に置かれた煙突から煙が噴き出す。時間は決まって昼過ぎ。
パイプは路地裏から伸びているが、人の気配は少なく、無闇に入るのは危険だろうか。
身を隠すにはもってこいの場所ではあるが、危ない橋はあまり渡りたくない。
まだいまいち治安を把握していない事が、現状の悩みだ。
「この奥、何があるのかしら?」
蛍が指差す先には小さな路地。
いくつものパイプが伸ばされていて、先は暗く、良く見えない。
「あまり通りたくない道だな」
「でも、気にならない?」
「……行ってみるか?」
「そうこなくっちゃ!」
にっと笑みを見せ、先に蛍が路地に入っていく。後に付いていく形で僕も続く。
パイプの路地は先がまったくと言って良いほど何も見えない。
「まるで洞窟ね」
「一本道だから迷う事はないが――ん?」
暗がりの中、目を凝らせば人影らしきものが見えた。
蛍も気が付いたらしく、その場に立ち止まった。
「……どうする?」
「ここまで来たんだ。先に行ってみるさ」
蛍を後ろに、僕が先に進む。
人影、大男は僕達をじっと見つめていた。その先には小さな扉があった。
「――通行料」
大男は不愛想に言う。
「払わない、と言ったら?」
何も返答はなかった。つまりは帰れ、という事だろう。
扉の先も気になる。隠された場所にある、通行料が必要な扉。
勘ではあるが、仕事の匂いがした。
「いくらだ?」
「三千ルピア」
現在の所持金は五千ルピア。大きな出費となるが、それだけの価値は――
「払おう」
「えっ!? 払うの!?」
「……蛍」
「わ、わかったって。環の好きにしなさいよ……」
大男に金を支払い、扉の先に進む。
大きな音楽と声がいくつも聞こえる。辺り見ればすぐにわかった。
ここはカジノだ。いくら貧富の差が少ないとはいえ、富裕層はどこにでもあるものか。
「いらっしゃいませ、お客様」
唐突に店員に話しかけられ、そしていくらかチップを渡された。
「では、ごゆっくりお楽しみください」
見当違いではあったが、これはこれで楽しみが増えた。
こういう所には、何かしら闇を抱えている人物がいるものだ。
仕事の話まで持ちかけられるかは不明だが、手当たり次第に探していく事にした。
チップさえ持っていれば、そうそう追い出される事もないだろう。早めに事を済ませてしまおう。
「何か賭けるの?」
「いや。商売相手を探す」
「夢がないわね」
「堅実だと言って欲しいね」
賭け場には目もくれず、人の顔色を窺っていると、男性が一人店の奥に連れてかれるところを見かけた。
若い店員を呼んで今の話を聞いてみると、店員は小声で話し始めた。
「あまり大きな声では話せないのですが……あそこは借金を抱えたお客様が入る場所なんですよ」
「借金か。それだけ聞ければ十分だ」
店員にいくらかチップを渡し、口止めをしておく。
「さて。どうするか」
「中に入ってみる?」
「そうだな。どこか入れそうな所は――」
普通に奥へ入るのはおそらく不可能だろう。大男が二人、扉の前に立っている。
他を考えるとなると、通気口か。もしくは店員に変装するか。
「トイレにでも入るか」
「へぇ? 女の子を連れ込むんだ?」
「そんなところだ。行くぞ」
ばれない様に、蛍を連れてトイレに入る。
天井を調べ、パイプに取り付けられた通気のための鉄格子を見つける。
蛍に目配せをしてから、彼女を持ち上げ道を開く。
「ほら、環。手を」
蛍に手を借りて、パイプの中に入る。
中は外見とは違い錆びだらけで、奥で回っているはずの空調は止まっているも同然だった。
「これなら通り抜けられそうね」
意外と声が響く。喋りながら行動する事はまず無理だろう。
ゆっくりと這いずる様に先へ進む。もちろん蛍は錆びだらけのパイプはお気に召していない様子だ。
灯りが漏れている場所を見つけ、静かに近寄ると、そこから下の部屋が覗ける様になっていた。
中では、先ほど連れてかれた男性が椅子に縛り付けられ暴行を受けていた。
彼の目の前には一枚の紙が置かれている。おそらく何らかの契約書。
あの男性がサインをすれば、彼の全てが終わるだろうと、昔の記憶を思い返した。
だからと言って、今は何も出来ないのだが。
(どうする?)
蛍からサインを受ける。
(何も出来ない)
声もなく返答する。仕事柄、こういう事も身についていた。
再び下の部屋を眺める。袋叩きに遭っていた男性が、とうとうサインをしていた。
他の人間がそれを丸め、部屋を出ていった。
部屋の中にはボロボロになった男性と、もう一人見張りがいる。
(入る?)
(メリットがない)
(見過ごす?)
どうするか考える。この場で金になりそうな話と言えば――
(機会を窺う)
頷く蛍。鞄に入れてあったチップをパイプの先に投げる。
カラン、と音を響かせ、それは下の部屋にも聞こえたらしい。辺りを見回す見張り。
やがて仲間を呼びに行ったのか、部屋から出ていった。ずいぶん不用心な事で。
「おい、そこのあんた」
ボロボロの男性に声をかける。辺りを見回す彼にもう一声かける。
「何も聞こえていない振りをしろ」
男性は頷くと、その場で静かに座った。
「あんたをここから出したら、いくらもらえる?」
「い、いくらって……ここから出られるはずがない……」
「質問に答えろ。自分の命にいくら出せる」
男性は少しの間黙ってから、こう返してきた。
「金はもうない……だけど、物なら渡せる」
命の対価は物か。上手く捌けば金にはなるだろうか。
(どうするの?)
(賭けてみる)
僕のサインを見てから小さくため息を吐く蛍。それから諦めた様な顔でOKサインを出した。
「あんたに賭けてみる。交渉成立だ」
僕だけ部屋に降りて、辺りを見回した。
蛍には別の事をやってもらう事とする。
「あなたは一体……?」
「ただの運び屋だ。――何にサインした?」
「それは……契約書です。ここで一生働く……」
街の裏側で、という事だろう。
どんな仕事をさせられるかはわからないし、知りたくもない。
まずはここからどう脱出するか。金にする方法はないか。今はこの二つの事案だけを考える。
パイプを通っても、その先はこのカジノのトイレ。そこから出たとしても見つかる確率が高い。
自分一人ならまだしも、ちゃんと歩けそうもないこの依頼品を、今動かす事は――不可能。
それに、金にもならない。運ぶ意味すらない。
「あんたには一つ、芝居をしてもらう」
「え――」
口を開いた依頼品の鳩尾を殴り、気絶させる。
依頼品のポケットに物を仕込むと、部屋の外から悲鳴が聞こえた。おそらく蛍の仕業だろう、扉の隙間から煙が潜り込んでくる。
本来なら早いうちにここから出た方が良い、が。
「――ちょっと、離しなさいよ!」
目測通り、この部屋に蛍が連れてこられた。相手は男二人。
中にいる僕を見つけ、一人は扉を閉め、もう一人は蛍に付きっ切りだ。
一人が僕に向かって駆け出す。手には警棒らしき物を持って。
「もう良いぞ、蛍」
「その言葉を待ってました!」
蛍を捕まえていた男の腕をすり抜け、腹を殴りつける。
屈した男の顎に蹴りを入れて落とす。
不意を突かれた蛍の行動に隙を見せた男に駆け寄り、脚を払う。
倒れた所を、顔を踏みつけて気絶させた。
「さて、潜るとしよう」
「これ着るの……?」
「他に何かあるか?」
「……汗臭い」
男の服を脱がせ、蛍に投げ渡す。
もう一人の男に歩み寄り、同じく脱がせ、自分も着る。
「行ってみるか。街の裏ってやつに」
部屋の隅にあった隠し扉から梯子を見つけ、街の地下層に向かう。
何かが燃えている音と、きつい匂いが漂う。
下まで降りれば、そこは大きな空洞となっていた。
いくつものパイプと、その先には四つのボイラーの様な物が見える。
ボロボロの服を着た人が、そこへ黒い塊をスコップで投げ込んでいた。
「これが街の蒸気を作る場所?」
「おそらくな」
作業員は上で眠っている依頼品と同じ境遇の者達だろう。補充はいくらでも、という事か。
黒服を着た大男が、ぐったりと倒れている作業員に歩み寄る。
そして、当たり前の様にボイラーに投げ込んだ。
「燃えるなら何でも良いみたいね……」
「これなら仕事も捗るか」
ここで倒れたら最後、待つのは死のみ。
だからと言って、ここから出られなければ、やはり最後は同じ。
上から様子を見ていると、依頼品がここまで運ばれてきた。先ほどよりもボロボロの姿になって。
まだ僕達には気付いていない。このまま下に進んでもらう。
その後ろから付いていく様に、僕達も下に向かった。
「……暑い」
蛍が声を漏らす。周りには真っ赤になったボイラーが配備されている。
――あまり時間はかけられない。
仕事場に着いた依頼品に近寄り、小さく声をかける。
「ポケットを見ろ」
それだけを伝え、他へ歩いていく。
まだ使えそうな人材は……数える程か。
「お、お前達……」
依頼品が声を出した。思ったよりも肝が据わっているらしい。
「ここから出たいか? この街の闇を知らせたいか?」
大男が近寄っていく。最後まで僕が仕込んだメモを読めるか。
「だったら私に付いてこい! お前達はもう、自由の身だ!」
読み終わった。後は他の作業員次第で依頼品の生き死にが決まる。
大男の一人が依頼品に掴みかかる。そのままボイラーの前まで運び――後ろからスコップで頭を殴られた。
突然巻き起こった小さな暴動。作業員達を見張っていた大男達が声を荒げる。
「――生き残りたいか?」
僕が声を上げると、皆静まり返った。空洞に僕の声が響き渡る。
「お前達、自分の命にいくら出せる?」
僕に掴みかかる一人の大男。そいつの顎を狙って拳を打ち込む。
ふらついた所を、蛍がスコップでトドメ刺した。
「お、俺は――!」「僕は――!」
次々と声が上がる。話を一つ一つ聞く気はない。
「――蛍」
「はいはい。ここの風、いつまで持つかわからないわよ」
熱風を纏い、大男達に向かっていく。まずは一人、腹を殴り屈したところをボイラーに顔面を叩きつける。
続いてもう一人。作業員から投げ渡されたスコップで喉元を狙って突く。纏った熱風で赤くなったスコップの先は、受け止められようとも関係ない。
掴まれたスコップを薙ぎ払い、隙を見せた大男の頭を狙い、叩きつける。
「そっちはどうだ、蛍?」
「だいぶ静かになったわよ」
近くにあったレバーを引く。同時に警報が鳴り響いた。
まずは騒ぎを起こし、上から人を集める。
遠くのボイラーに袋を投げ込む。ちょっとした熱や火では燃えない様に、あらかじめ水を入れていた物だ。
水は蒸気として消え、本来の中身は期待しない。
「全員集まれ!」
作業員を集め、蛍に目配せする。
「まったく……あたし、こういうのあんまり好きじゃないんだけど」
一つのボイラーに向けて熱風を流し込む。
少しばかり冷やされた後、一気に熱量が上昇したボイラーは最後、爆発を起こした。煙が蔓延する。
同じく他のボイラーも壊しておく。これだけやれば、上では小さな騒ぎとなっているだろう。
「出口はあの梯子だけか?」
作業員に問えば、皆が頷いた。
やけどしそうな程の熱風を、蛍に任せ、梯子に向けて流してもらう。
上から数人が降ってきた。おそらく増援だろう。
「一人ずつ、そこらに転がった石炭を持て。小さな物で構わない」
僕の声を聞くと、一斉に石炭を拾い始めた。
多くを持って近寄ってきた男を殴り、一つだけ持たせる。
「必ず一人一つだ。次に多く持ってきた者はこの場で消えてもらう」
「こんなもの、どうする気?」
「後でわかるさ。――行くぞ!」
梯子は蛍に任せて正解だった。ちゃんと登れる様に冷やされていた。
蛍が先頭に、僕は最後に上る。
作業員の暴動と共に、煙が蔓延している、誰もいないカジノから脱出した。
大騒ぎとなっている街中へ。
「――これが、今渡せる物です」
依頼品から手渡された物は、緑色の宝石だった。
「確かに受け取った」
「……あの、一つ聞いても?」
他の作業員から受け取っていたリュックサックに詰められた石炭。依頼品はこれが気になるのだろう。
「断る。それが長生きの秘訣だ」
「……はい」
依頼品をその場に、僕達は大騒ぎの中にある街を出る事にした。
「そんな石ころ、どうする気?」
蛍が歩きながら聞いてくる。
「ただ重たいだけじゃない。お金になるの?」
「ああ。何しろこれは、黒い宝石だからな」
ちゃんと捌けば、依頼料以上に儲かるだろう。
緑色の宝石を蛍に投げ渡す。
「今回の報酬だ」
僕の言葉に蛍はクスッと笑い、そして投げ捨てた。元からそのつもりだ。
得体の知れないものは捌かない。危ない橋を渡るくらいなら迷いなく捨てる。
「あたしが環から貰う物は一つだけよ」
「契約料、そろそろ払わないとな」
「先延ばしはダメだからね」
わかっている。そう言って、僕達は歩みを進めた。
煙の重さを感じながら。
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
不定期な更新となりましたが、今後はできるだけ決まった曜日に更新していきたいと思っております。
今後ともよろしくお願い致します。