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君から貰った大切な            ~ 前章 迷走する僕 ~

作者: (two)

 

 君が住み、僕は外から眺めるだけだった町。たまたま外で遊んでいた君と、おつかいを頼まれていた僕は出逢った。

 春の陽気が訪れて、雀たちは元気にさえずる。一本の大きな大きな、桜の木の下で。

 その頃からとても臆病で、人と話すのが苦手だった僕が声をかけた。茶色い髪の女の子が、泣いていたからだ。

「あの……なんで泣いているの?」

 通りかかっただけの公園で、普段の自分であれば無視しただろう。でも、この時だけは違っていた。

 女の子は地べたに座り、顔を両手で覆って俯いていた。いま思えば、顔が見えなかったのになぜ彼女が泣いていると思ったのだろう。

「ひぐっ……あ、あなたは……だれ?」

 嗚咽を漏らしながらも、彼女はそう訊いてきた。まだ、彼女の表情は分からない。

「ぼくは、通りすがりの男の子だよ」

「……ちがうよ、名前」

 僕はこの時、非常に困った。どう答えればいいのか分からなかったから。とりあえず素直に答えてみたけど、いま思えばそれは人生で最高の選択だった筈だ。

「ぼくに、名前はないんだ」

 彼女は顔を覆ったまま、硬直していた。いつの間にか嗚咽も止まり、何も話さない。とうとう声をかけようとした時。

「あははっ、面白いジョークだね、あはははっ!」

 その女の子はお腹を抱えて笑った。目尻に溜まった涙は、笑い泣き……だといいな。本当はジョークではないけれど、その時の僕は黙っていた。

 彼女が笑ってくれたのを、密かに喜んでいたというのもある。

 不意に飛び込んできた彼女の笑顔を見た時、すごくドキッとした。いまでも忘れてはいない。

 そして、その瞬間から僕は──。

 名も知らなかった彼女のことを、好きになっていたんだ。


 ***


 目を覚ますと、正面には眼鏡が立っていた。ただしく言えば友達だけど、高校で出逢った頃から眼鏡をかけていて、僕はその印象のまま呼んでいる。彼は呆れたように目を細め、僕を見て言った。

「……もう昼休みだぞ」

「夢を見ていたよ、昔の頃の夢」

 まだ頭がボーッとしていて、彼の言葉に反応できなかった。眼鏡は一息吐いて、僕の頬を何回も軽く叩く。全然痛くなかったけど、目は覚めた。

「何するのさ、眼鏡」

「まだ夢見てるだろ、優介。……あと、俺の名前は安藤翔也だ」

「あれ、そんなことより。いまって何の時間、ここはどこ?」

「ぅおい! いいかげん目を覚ませ!」

 いや冗談、冗談。と笑ってから、僕は大きく伸びをした。

 とても良い夢を見たから、気分が良かった。普段は嫌になるセミの声も、上昇する一方の気温も気にならない。

「……ったく、そんなんだからお前の成績は平凡なんだよ。もっと“アイツ”と同じ立場になろう、とは思わないのか?」

 気分が良かった──のに、眼鏡の言葉で僕は現実に戻された。セミの声がやかましく感じて、暑い。頬を膨らませ、彼を睨みつけた。

「いま、彼女の話を出さないでくれますか?」

「逃げるのはよくない」

 眼鏡は、かっこつけたみたいにメガネを中指で持ち上げた。頭の悪い人がやると悲しいけど、眼鏡の場合それができるから悔しい。

 僕たち一年生の中で、2番目に頭がいいのだ。

「この学年で一番成績が優秀で、音楽も武道も完璧にマスターしてる」

「うんうん」

 僕は曖昧に頷く。教室にいるクラスメート達を見回していた。

「いわゆる文武両道、才色兼備ってやつか。この学校で狙っていない者などいるのか! って程の美少女」

「う、うん……」

 目は泳いでいた。

「そんな大人気女子の彼氏が──」

 もう、耐えられなかった。だから、勢いよく立ち上がった。さっきまで座っていた椅子が、音を立てて倒れる。

「そうです! 私が優子の──むぐっ!」

 口を思いっきり塞がれた。眼鏡に。

「……俺が悪かった、座ってくれ」

「うん」

 怖くて周りを見れないけど、たぶん皆がこっちを見てる。……同じ教室にいるのが見えた茶髪の彼女も、おそらく。

「場所を変えない?」

 そう提案したのは僕だった。眼鏡も頷いて、二人で屋上に出ることに。

「そうやって、彼女も一緒に誘い出そう。って魂胆だろ?」

 そんなわけないよ。と僕は笑った。


 屋上に出ても、夏の気温が下がるわけではなかった。もしろ扇風機が回ってた教室の方が良かったかもしれない。どっちみちあの空気では、僕は気をおかしくしていただろうけど。

 額に一筋の汗をかき、眼鏡は僕に訊ねた。

「それにしても、さっきのお前はなぜ急に立ち上がったんだ?」

「いや、急に眼鏡がバラそうとしたからでしょ。眼鏡に言われるぐらいだったら自分でカミングアウトするわー、って思ったんじゃない?」

「他人事みたいに話すなよ……あと、眼鏡眼鏡うるさい」

「そんなー。ずっとそう呼んでたじゃないか」

 そうしてぐだぐだと、くだらないやり取りを続けていると、屋上の扉が開いた。

「あ、優子だ」

「えっ?」

 さらっと眼鏡が言った。振り向くと、確かにそこには彼女がいた。肩にかかる程度の茶髪は、生まれつきらしい。

「もー探したよ、優介。こんな所で眼鏡くんと何してたの?」

「いや、特に何もしてないよ」

 探したと言う割には、けっこう早かったと思う。けど、僕達を見つけた時の彼女の笑顔はやっぱり素敵だった。

「俺がいたら邪魔かな? じゃあな、優介……上手くやれよ?」

 それだけを言い残して、眼鏡は屋上から出て行った。良いひとだな、とつくづく思う。

 さっきまではなかった風が、吹き始めた。じっとりしていた肌を乾かしてくれて、気持ちが良い。彼女も同じことを考えているのか、目を瞑っている。僕は声をかけた。付き合い始めて早一ヶ月だけど、まだ緊張してしまう。

「もっと近くに、来てもいいよ…………なんて」

 目は逸らした。普通の会話ならできるけど、こういう恋人っぽい事には慣れない。それでも彼女はわらって、僕の側に来てくれた。

「ははは、優介ったらまだ緊張してるの? ほんと可愛いねぇー」

「からかわないでよ、なんか恥ずかしいんだって」

「誰も見てないよ?」

「いや、君がいるじゃない……」

 優子は愉快そうに笑うけど、僕はなぜだか笑えない。笑おうとはしてるし、楽しいんだけれど、頬が引きつってしまう。

 僕と優子で横に並び、外を眺めた。学校のグラウンド、その奥にある僕らの町。その更に奥にある、たくさんの木々に囲まれた裏山。

「……こうやって見ると綺麗だね、この景色」

「うん、そうだね」

 もっと色々、言えたかもしれない。けれど、僕はここから見えるものが好きじゃなかった。

 それから僕達は無言だった。なんの話題も出ず、ただ外を見下ろしていた。

「もうそろそろ昼休みも終わるね。教室に戻ろう」

 ……一緒に行ったら怪しまれるから、先に行っていいよ。と付け足そうとした時。

「そうだ、優介」

 視線を街から僕に戻した。思いがけず、視線が絡む。

「な、なに?」

「今度、二人で花火大会に行きましょ!」

 ニコッと笑って、唐突にそれだけを告げられた。僕が次の言葉を放つ前には、彼女は屋上を出て行った。

 花火大会……そう言えば、今度の土曜日に隣町であるらしいな。眼鏡に聞いた。

「優子と二人、しかも初デートになる……」

 一ヶ月経ってようやく、と言っても彼女の方から誘われただけだ。告白したのは僕なのに、付き合ってからはどうしても上手くいかない。僕の想いは強い筈なのに、どうしても表面化することはない。

 ──僕は君から貰ったものを、常に大切に持ち続けているんだ。

 今の高校に合格して、高校生になって、初めて君を見た時から分かったよ。君は僕のことを覚えていないだろう。けれど、僕はずっと覚えていたんだ。


 ***


 今日は風が涼しい、屋上に来て正解だった。そこで僕は、いま抱えている悩みを親友に打ち明けた。

「はぁ、デート?」

「そうだよ、あの隣町の花火大会。あした優子と行くんだ」

 眼鏡は母親の手作りだという弁当。そして僕は、売店で購入したパンを食べていた。

「つか、お前ら初デートなんだろ。いきなりそんなトコ行くのか?」

「そんなこと言われたって、僕が知るわけないでしょ……。あれ、眼鏡って付き合ってる女の子いないの?」

「……いや、いないよ。超フリーなんだわ」

「え、そうなの? 少し間があったけど」

「気にするな」

 眼鏡くらいの男なら普通にいると思っていた。優子と競える学力の持ち主で、運動もできる。性格には少し難がある。そうか、これが駄目なのかな。

「……まぁ、話を戻すよ。どうすればいいかな?」

「いや、知るわけないから」

 そうだよね……と落ち込むこともしなかった。そもそも期待していなかったから。

「でも、考え得る展開と可能性ならだいたい予測できるぞ」

「本当に!? さすが眼鏡、逆に期待を裏切ってくれるよ!」

「は、それって期待してなかったってことだろ!」

 彼の鋭いツッコミは無視で、僕はさっさと説明を促した。眼鏡は、自らのメガネを中指で持ち上げ口を開く。

「まずはひとつ……優介。お前が何も喋らないで終始盛り上がらないパターン」

「──いや、ちょっと待ってよ」

 僕は思わず彼の説明を止めると、眼鏡はきょとんとしていた。この人って本当はバカなのかな、と思った。

「さ、さすがに何も喋らないってことはないと思うよ。僕も高校生だ、それなりに人と付き合ってきてるって」

「女子とは?」

 ────全然です。表情だけで答えた、少し涙が出ていたかも。

「だったらどうしろって言うのさ……この前もそうだ、優子の前だと全然言葉が見つからない。何か余計なことを言ってしまいそうで怖いんだよ……」

「それが駄目なんだろ。言葉を探しちゃ駄目だ」

 急に眼鏡の声音が変わった。驚いて横を見ると、彼は空を見ていた。レンズの奥の瞳は、なんだか悲しそうな印象を受ける。

「自分の彼女の前なんだし、かける言葉なんて自然に出てきたものでいい。時には厳しい言葉が出るかもしれないけど、何も伝えないとか、嘘を吐くとかよりはマシだ。……だから、明日は自然体の優介でいけばいいだろ?」

 良い意味で、言葉を失っていた。彼の言葉はなんだか、心に響くものがあった。ぽっかりと空いていた僕の心の穴が、塞がれるようだ。

「そう……だよね。ありがとう、何かが分かったような気がするよ、翔也」

「どうした、いきなり。眼鏡でいいだろ、俺のチャームポイントなんてコレぐらいだからさ」

「ははっ、ほとんど特徴無いじゃん」

 僕と親友は、屋上で笑いあっていた。


 ***


 僕と優子はこっそりと、学校から外に出る。周りに同級生がいないことを確認して、ほっと息をついた。

「ふぅ、緊張したー」

「まさか優介の方から誘ってくるなんてね。しかも今日一緒に帰ろうって! いきなりすぎてわたしドキドキしたよ」

「いやちょっとね。明日の計画とか、聞いておこうかなーって」

 僕は思ったことを全て彼女に伝えた。眼鏡のことも、いまの優子への気持ちも。

 ──ただ、昔のあの事については、さすがに思いついても話さなかった。まだ、タイミングが違うと思った。

「ふふっ、優介なんか変わったね。なんか優介っぽくなった感じだよ」

「そ、そうかな……ありがとう」

 彼女への返しの台詞は、まだちょっと上手くいかない。とっさの反応ができないからだ。あと笑顔もまだぎこちない。眼鏡とかカガミの前だと余裕なのに。

「──じゃあ明日は午後からね。飛びっきり可愛い浴衣着てくるから、お楽しみに!」

 彼女は人差し指を立てて、僕にウィンクした。もちろん嬉しくて、僕は笑顔で返した。

「うん、楽しみにしてる!」

 そのまま手を振って、僕と彼女は別れた。

 そして、気づく。

 ……あれ、僕いま笑ってたな。

 彼女の言葉が嬉しくて、浴衣姿を想像してみて、自然と笑顔ができていた。やっぱり彼女は凄い、僕の優子への想いは尊敬になりつつもあった。

 自宅への帰路を歩きながら、ボーッと考える。イメトレは大事だと、この前読んだネットの記事にあった。

 まずは、隣町の駅で彼女と待ち合わせして……上手く合流できるかな。優子が住んでいるのが隣町だから、僕が電車に乗るだけなんだけど。できなかったらどうしよう、初っぱなから終わるじゃん。

 と、とりあえず花火のシチュエーションかな。人が少なくて見やすい場所を取りたいけど、明日の花火大会は多くの人が行くみたいだし。

 電車すら危ういな、乗れなかったら怖いから、自転車漕ごうかな……。

 そこから僕は、独りだった。


 ***


 結局、隣町へは自転車で向かった。朝起きて、家で独り過ごすことがどうにも耐えられなかった。待ち合わせ時間よりかなり早く駅に到着し、とりあえず“あの場所”に行くことにした。駅の駐輪場に自転車をとめ、歩きで向かう。すぐ側の商店街──の隣にぽつんと存在している公園へと。

「……ここに来るのも久し振りかな。僕と優子が、初めて出逢った場所」

 いまはもう高校生だから、ここのブランコとか滑り台では遊べないだろう。でもあの頃は、僕も彼女もずっとこの遊具で遊んでいたんだ。

 中央に立つ、大きな大きな桜の木。深い緑をまとい、風に吹かれて揺れ動く。綺麗なピンク色をつけるのは、当然まだ先だ。

 それでもこの木を見ていると、やっぱり昔の事を考えてしまう。まだ幼かった、彼女の笑顔も──。


「わたしね、あなたにプレゼントしたいものがあるの!」


 その時の彼女は冗談で言ったのかもしれないけれど、僕は本当に嬉しかった。生きる意味を失っていた僕に、一番大切なものをくれた。

 だから僕は一生懸命生きて、まだまだ弱い部分もあるけれど、やっとあの子と一緒にいることができた。

「……にしても、ちょっとゴミが多いかなぁ」

 あたりには、空き缶やら紙クズやらが散乱していた。遊具だって錆びているし、もしかしてここはもう使われないのだろうか。

 それはイヤだ。そう感じて、僕は公園の清掃を始めた。一人でせっせと、ゴミを拾い集めた。たまに通りすがる人達は、僕の方を見ない。花火大会が近付くにつれて、通りかかる人も増える。だけど、手伝おうとする人は一人もいなかった。

 手首に付けた腕時計を見ると、彼女との約束の時間まであと1時間。真っ赤に染まった空は、時間の経過を告げる。なのにそこまで広くない公園のゴミは、まだ無くなっていない。

 なぜか。──それは、通りかかった人達がみな、ゴミをこの公園に捨てていたからだ。一部の人ではあるものの、その割合は高い。

 今日の気温も最高気温は30℃を超えるといっていた。ここに来る途中で飲み終わったペットボトルの空を、公園に投げるのを何度も見た。挙げ句の果てに、僕が掃除しているのを知った上で投げ捨てる人もいた。凄く腹が立ったし、同時に悲しくなる。

 僕にとっては大事な場所は、この街に来た人にとってはゴミ箱。そう考えると無性に悲しくなって、涙が出そうになった。

 しばらく俯いて、立ち尽くしていた。

「──何を落ち込んだ様子なのかな、優介!」

 だからその声を聞いた時には、思わず目を見開いて顔を上げた。目に飛び込んできたのは、綺麗な花柄の浴衣を着た優子。黄色を基調にしたその姿は、とても彼女らしく明るい。笑顔で手を振る姿も、よく似合う。

「もー、駅で待ち合わせって言ったのに。わたしが気付かなかったらどうするのよ!」

「ごめんごめん……公園の掃除に夢中になってたから」

「ここの掃除? いつから?」

「えーっと、お昼ぐらいからかな」

 すると彼女は両手を腰に当てて、やれやれといった風に息をついた。でも全然、悪いとは思ってないみたい。

「……でも、ここの公園って誰も使わないし。ほら今だってゴミ捨ててる人いるし」

 優子は小声で僕に耳打ちし、目線でその方向を知らせた。高校生くらいの男女グループの一人が、談笑しながら平然と空き缶を捨てていた。

 彼らの中に、マナーは存在しないのだろうか。

「まだまだ人も増えそうだし、僕達だけで解決することは……」

「それは当然ムリだね。──だけど、“やらないよりは”やった方が良いよ!」

 彼女はそう言って笑う。とても眩しかった。……解決することはできなそうだから、もう行こっか。などと言おうとしていた自分が、ひどく惨めに思えた。

 ダメだ、と自分のマイナスを振り払い、彼女に優しく問いかけた。

「……それは嬉しいけど、浴衣姿でしゃがんだりとかできるの?」

「うっ。ま、まぁ着崩れしない程度には頑張るからさ!」

 いっしゅん優子が言葉に詰まったのを見て、やっぱり心配してしまう。諭すように声をかけると、彼女は少し怒ったように僕を見た。

「だって優介にとって、この公園は大事なんでしょう? ゴミがあっちゃ許せないでしょ?」

「あ……うん」

 一言で言うと、心を打たれた。彼女の言葉は心に染みるほど、よく響いた。“優介にとって”という言葉も一緒に、僕の心に残ったわけだけど。

「じゃあ、お願いします。はい袋」

 公園に捨てられていたビニール袋だ。彼女はそれを受け取る。

「よぅし、さっさと終わりにしますか!」

 彼女の一つ一つの言動が、僕に元気を与えてくれた。きっと1日かけても終わらない作業を、本当に終わりにできる気がした。

 僕は本当のことを言うと、周りの目が怖かった。僕達が掃除をしているのを知っててゴミを捨てている人は、僕達のことをどう思っているのかな。

 それでも優子は、周りの目など微塵も気にしていない様子だった。せっせと散らばったゴミを拾い、袋に入れている。

 一人のチャラい青年が、優子に詰め寄った。「これ拾ったんだけど」と言うように、彼女に空き缶を手渡す。優子も笑顔でそれを受け取ったけど、遠目から見ていた僕は知っていた。

 あの青年が自分の缶ジュースを飲み終え、優子に渡すところまでを。あそこに優子がいなければ、どうせ公園に捨てていただろう。じゃなきゃ、「いまから一緒に花火大会行かない?」なんて優子に言わない。

 でも、優子はそれを知らない。彼女の中では“親切な男のヒト”になってしまう。

 なんだかその姿を見ていると、切なかった。

「そもそもさ、この公園の近くを通らなきゃいけない場所で……花火なんかあげなきゃいいんだ。確かこの先にある川の近くだったかな。川なら別の場所でも流れてるじゃないか……」

 ぶつぶつと、独り言をしながらゴミを拾った。なんだかイヤな感情が、胸の中で生まれた。

 自分でも、これがなんなのかは分からない。

 夕焼け空も、徐々に薄暗くなってきた。公園の近くを通る人も少なくなったと思う。

「優子、もうそろそろやめよう」

「みんなもう屋台の方行っちゃったね。おかげで結構片付いたけど」

 彼女に渡した袋はパンパンになっていて、更にもう一つ、ゴミの入った袋を持っていた。本当によく手伝ってくれたと思う。

「ああ、そうか。屋台も出てるんだよね」

「サイフ持ってきたでしょ?」

「うん、ここに…………ってアレ?」

 財布を入れた筈のポケットには、何も無かった。いくらまさぐっても、全然見つからない。

「落としたかもしれない……ない、ポケットにないんです……」

「あはは、優介らしいなぁ。ノドもかわいたし、お腹も減ったでしょ? もう暗くなっちゃったから捜せないし、わたしが奢ってあげる!」

 “優介らしい”。彼女は悪い気など全くない様子でそれを言ったけど、僕はそれを良くない方にうけとった。

「ごめんね……本当に。ありがとう」

 気にしないで。と彼女は言ってくれたけど、僕は本当に気落ちした。──胸の中で渦巻いた感情が、少し大きくなった気がしたんだ。

 公園の先にある道を、屋台を見ながら歩いた。毎年行われている花火大会を知らなかったわけじゃないけど、たくさんある屋台には驚いた。さすがに何も食べないのは無理そうだったから、焼きそばとペットボトルのお茶を買ってもらった。絶対に後で返そうと、僕は誓う。

 優子は途中で買ったかき氷を食べながら、笑う。

「わたしたちの初デート、まさかゴミ拾いから始まるなんてね」

「そうだね……手伝わせちゃって、ごめん」

 すると、横から肘でつつかれた。脇腹に当たって少しだけイタい。

「あやまる必要なんてないよ、わたしがやりたくてやったんだから」

 さっきから彼女を不機嫌にさせてばっかりだ。返事には注意しないと──。

(言葉を探しちゃ駄目だ)

 昨日の眼鏡の言葉を思い出す。そうか、いまの僕は気分が沈んでいるからダメなんだ。

 もっと、気分を上げよう!

「そ、そうだよね! 本当にありがとう!」

 そしたら彼女も、笑ってくれた。 

「うん。どういたしまして! ……ちなみにだけどあの公園にどんな思い出があるの? 優介って、わたしたちの学校がある街に住んでるんでしょ?」

 うっ、その質問か。あんまり、彼女に訊かれたくない質問だ。

 でも、僕は話さなければならないと思った。

 いつか……この話を詳しく彼女に説明しないといけなくなる。その手前の“プロローグ”にしよう。

「それは、僕がこっちの街に住んでた頃の話だよ」

 歩きながら、話をした。

「えっ、優介ってこっちの街にいたの?」

「うん。中学生に入る前までいたよ、この街の近くにね」

 あ~そうなんだ。と、彼女は頷いて納得する。

「で、話は僕がまだ小学生になる前かな。一人の女の子と、偶然あの公園で出逢ったんだ」

「そうなの。わたしもあの公園の近くに住んでるけど、全然分かんなかったよ」

「……一回しか、行かなかったからね。その子と出逢ったのも、その一回だけだよ」

「ふふっ、偶然というより奇跡だね」

 大勢の人混みに入りつつも、話を続けた。どうにも人が多いと、長い列は進まない。そのぶん時間がかかるけど、僕には丁度良かった。

「その子はね、泣いていたんだ。理由は僕にも分からなかったけど、たぶん大した事じゃないと思う」

「さすが子どもね、かわいい」

 君の話、だけどね。

「その子は顔を隠していて、嗚咽混じりで泣いてたんだ。『なぜ泣いてるの』って聞いたら、『あなたは誰?』って言われた」

可笑(おか)しな子どもだねー」

 人の流れに逆らうこともせず、僕らは開けた場所に出た。たくさんの人が集まっていて、恐らくここで花火を見るんだろう。

「もうちょっと、人の少ない場所に行こう」

「はーい」

 そのまま、話を続けつつ歩いた。

「で、なに? 『僕は優介です』って言ったの?」

 彼女は僕の話を面白そうに聞く。

「いーや、僕はジョークで『僕に名前はないよ』って言ったのさ」

「それは面白いジョークだね、あははっ」

 あの頃と同じ笑い方で、僕も笑顔になる。たどり着いた場所は、草木に囲まれた静かな場所。──もうすぐ、花火があがる。

「その女の子も、笑ってくれた。赤く腫らした目で笑顔を作ってくれたんだよ」

「ほぉーそれは可愛い女の子ですなぁ。で、そのお話の続きは?」

「僕はね、彼女から────」

 ヒュゥーーーパァーーン!

 盛大な、花火の音が辺りに響く。

「──を貰ったんだ」

 優子の耳には、届かなかったかもしれない。彼女の表情を見れば、それが分かった。

「ちょっと、聞き取れなかった!」

「ほら、花火が始まったよ。せっかく来たんだからさ、見なきゃ損だって」

 えー……と不満げな顔をした優子だったけど、花火が始まるとすぐに復活した。

「スゴい、めっちゃ綺麗だよ!」

「ほんとだ、久しぶりに見たよ。花火なんて」

 色とりどりの花を咲かせ、すぐに散る。そしたらもう一度上がって、また花が咲く。そんな短い循環が、とても素敵に見えた。

 鳴り止まない、爆発にも似た大きな音。ぜんぜん耳障りなんかじゃなく、体の奥にまで届く。

 隣で見上げている彼女も、同じことを考えているのだろうか。感動していることは間違いないだろうけど、いったい何を想っているのだろう。

 しばらく、無言のまま眺めていた。連射される花火の数々を堪能し、魅了されていた。

「わたし、優介とここに来れて本当に良かったと思ってる。それこそ優介に告白された時から、わたしの人生は変わったと思う。……ありがとね」

 不意にそんなことを言ってきたから、僕の心臓が大きく跳ねた。恐る恐る……といった感じで横を向けば、優子と目が合う。

 ──次は、優介が喋って。と、視線で訴えられた気がした。

「あー……えっと。ぼ、僕も当然、優子とこの場所に来れて良かったと思ってる。一緒に買い物して、花火を見て……こんな風になれたのも、“自分の努力”が報われたからだと考えたら──」

 涙が、溢れた。知らず知らずのうちに、泣いていた。

 正面に立つ優子も困惑したような顔をしている。

「僕は、本当に頑張ったんだ……勉強も、話術も。ぜんぶ、君のことを想い続けて──」

「ね、ねぇ優介? どうしたの?」

 僕の中で渦巻いていた感情。それは──劣等感だった。いま分かった。

 罪の意識を過剰に感じてしまう自分。

 財布を無くして彼女に奢ってもらう自分。

 さらには……そんな優子の言葉も信じられない自分。そんなものに嫌気が差したんだ。

「──でも、もう断ち切るからさ」

 そう言った僕は震える手で、優子を抱きしめた。

「本当にどうしたの、優介。でも……悪くないよ、ありがとう……」

 彼女の体温を感じる。夏だというのに“温かい”と感じた。身長は僕も優子も同じくらいで、どっちも高くはない。

 彼女から貰ったものぜんぶ、時間をかけてでも返したいと思う。そして、優子の彼氏として見合う男をめざしたい。

 彼女から授かった“期待”には、応えられているのかな──?

 いまだ複雑な感情を抱える優介。彼の過去には、いったい何があったのか。

 なんでもできる彼女の優子は、本当は優介のことを何一つわかっていなかった。彼と関わっているはずの過去にも、気付けていない。


『君から貰った大切な 

       ~ 後章 忘れていたわたし ~』

                 に続きます。

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