五十六話
ボリュームのある髪が跳ねる、跳ねる。
不機嫌そうに細められた瞳は吸い込まれるような新緑。八重歯はまるで牙のようにも見える。
その少女を初めて目にする大多数の者の印象は獣かもしれない。
椅子の上でスカートにも拘わらず器用に胡坐をかいて、ユラユラと落ち着きなく体を揺らす少女がもう何度目かも解らない愚痴を零した。
「おっせーおっせーおっせーなー。なんだ、ユーラスは人を持たせる癖でもあんのか?それとも有名な英雄だから遅れてくるのが当たり前みたいなそういう考えか?」
魔法学園六塔七階、生徒からは通称「六七」と略されて呼ばれている決闘の為に存在する部屋。
ステンドグラスが透けて輝く光に照らされた部屋で、床一面に描かれた魔法陣が大きな存在感を放つ。七階という高さもあって日が良く入る作りになっているのだろう。
少女がここにきて随分と時間が経っている。担任のーールールクスと言ったか、それにここに連れてこられた。
目的は、セント・ユーラスと戦うため。
「なんとなーくあの弱そうな英雄英雄持て囃されてる野郎を叩きのめしたいって言ってみただけなんだがなー……なんか勝手に決闘まで決まってたんだよなー。ま、私はそれで全然いいんだけど」
別に本気で通ると思って言ったわけではなかった。魔法学園の性質上、こんな我儘が通じないことは明白だったから。
いくらこの少女でもそれくらいは理解している。筈だったがーー。
『セント・ユーラスと戦いたい?それは大いに結構!もちろん許可するとも。何をそんなに驚く?いいとも、いいに決まっているさ。生徒が戦いを通じてお互いを高め合う。学園がそれを阻む理由などどこにもないさ』
思い出された言葉。ルールクスがやたらと良い笑顔で言ってきたが。
他の子供達も驚いていた者が多かったのを覚えている。
(どーにもうさんくさいってやつだなー。こちとらあの魔法騎士サマだ、いきなりあの大英雄の血と戦わせるなんてあっりえなーいぞ)
くるくると柔らかな髪をいじくりながら少女は考える。鋭く細められた瞳に虹色の光が反射していた。
ユーラスとの決闘。魔法学園の規律を無視する教師。それはやはり、自分の立場のせいなのか。
自分の望み通りに物事が進んでいるにもかかわらず、拭えない小さな違和感がどうにも気に入らなかった。
(あーあーだから早く来いよひ弱そうなユーラス。考え事は好きじゃないっつーの。どっかに裏があろうが無かろうが正直もうどうでもいい気がするしなー。なんにせよ、魔法が飛んできた時に女の後ろに隠れるようなやつが英雄なんて絶対に認めないね)
燻る戦意が違和感を燃やして膨れ上がる。
魔法騎士のなり損ねの少女ーーフリュ・アルトレスタの口元に小さな笑みが浮かんだ。
魔法騎士。その血に宿した魔力は莫大。一つの体に炉を持っているかのように、無尽蔵と言っても嘘にはならないだろう。
その魔力量は魔法を作り出すだけでは留まらず、その身体さえ強靭なものにしてしまうと。
「魔との戦争の時には魔法一つ使わずに百の魔族を倒したという話も残っている。果たして本当かは知らないがね」
「それデタラメですよ。母様の話だとーー」
五百の魔族が魔法無しで滅ぼされた。
世界に二本と存在しないであろう名剣が舞う度に敵が数を減らしていく光景は今でも忘れられないわ、と。ララ・ユーラスは語っていた。
七階への道を歩きながらセントはそれとなく魔法騎士の事をライクに聞いていた。帰ってきた答えはセントの知っている魔法騎士の情報とあまり変わりないものだったが。
さがそれでも流石は生徒会長、いくつかの新しい情報をライクは知っていた。
「魔法騎士は魔法だけじゃなく、武具の扱いも凄まじいんだよセント君。剣、槍、斧、弓、いろいろな武器を達人以上に使いこなせるようになってからようやく魔法の鍛錬が始まるんだ。その道はとても険しいものだろうね」
(あれ、剣だけじゃねーのか)
セントの知識では魔法騎士の戦闘スタイルは魔法と剣だったが、どうやら剣だけではなく他の武器も扱えるらしい。
それが聞けて果たしてセントに利があるのだろうか。単純に力の差が広がっただけのような気がするが。
セントもそれが分かっているのだろう、憂鬱そうに溜息を吐いて後ろ髪を撫でた。
抜けた一本の髪の毛が窓から差し込む日に当たって輝いていた。
(俺の髪の毛綺麗だなぁ。神が作りし髪ってか?てかストレスで抜けた訳じゃねぇだろうなこれ)
そろそろ切実に胃薬が必要なまでに追い詰められている事が多いセント。ストレスによる髪落ちもあり得るかもしれない。
その様子を見ていたライクが思い出したように笑顔で話し始める。
「そういえば君の髪が綺麗だとクラスメイトの女性達が話していたよ。抜けた髪をプレゼントしてみたらどうだい?」
流石にそれはどうだろうか。
くっくっとからかううように笑うライクにセントも苦笑で応じる。
髪のプレゼントは流石にセントも引き気味のようだ。
(お姉さま方が俺の髪を欲しがっているとか最高か?幾らでも差し上げますわ)
引き気味なのは表情だけだったらしい。髪の毛のプレゼントは若干ホラーじみていないか。
緊張感の抜け落ちた会話だったが、ライクが話を元に戻す。
「まぁそんな憂鬱そうにしなくてもいいんじゃないか?あらゆる武器を使いこなす魔法騎士だが、今から君が戦うフリュ・アルトレスタ君は武器を全く使えない筈だ」




