五十一話
魔法騎士。
アルトレスタの家系は持っている魔力が多い事で知られている。
魔力は通常体内を循環しているだけで、身体能力、運動能力には影響を及ぼさない。
世界に知られる『英雄』は総じて保有している魔力量が多い。単純に魔法を使うためのエネルギーと考えれば英雄の魔力量が多いのは当然なのだが。
しかし、そんな英雄でさえ身体能力に影響を及ぼすような魔力量を持っていた者はいなかった。
一人を除いては。
相も変わらず、薄暗い教室でセントは一人会議を行っていた。
傍から見れば白髪の少年がが窓際に腰かけ、悩ましげな顔で空を眺めている図、だろうか。
だが内心は悩んでいる、というレベルではない。荒れ果てた大地のような心を持っているセントは近く訪れるフリュ・アルトレスタとの戦いに、それはもう、それはもう焦っていた。
(カナリアやユリの時と違って俺が勝てる要素が少なすぎる。アルトレスタは訳の分からん程多い魔力量でその身体能力すら上昇させる、それだけでチート級なのに加えて無詠唱者ときた。死ねばいいのに)
セントが望んだもの全てを持つ少女に嫉妬が止まらない。無詠唱に関してはセントもやれないことは無いのだが、どうせ無詠唱でもミニサイズの魔法しか放てないのであまり意味がないかもしれない。
魔力量は生まれた時に決まるもの、言ってしまえば運だ。
勿論、家系によってどの代も魔力量が多いという事はある。魔力量の多い者同士が交わえば、その子供も同じように人並み以上の魔力を持っている事が多い。
だが、アルトレスタ家は完全に枠から外れていた。その血を宿す者には必ずあり得ない量の魔力が宿っている。
それこそ、その身に宿した魔力だけで体を強化してしまうほどに。
目を伏せて溜息を漏らす。前髪がうっとおしいのか髪を耳にかけた。
(真っ向勝負……は得策じゃない。確かにこの体ならついていけんことは無いが……なんのトレーニングもしていないのに、仮にも騎士には……まぁあれを騎士と呼べるかはわからんが。さて、どうやってだまくらかそうかなー)
最初から真っ当な勝利など狙わない。
セントは上手く立ち回って背後から相手の背中を突き刺せればそれで良いのだ。
確かに難しいがーーセントの中ではあの魔法騎士さえ倒すセント・ユーラスの姿が見えている。
(いやカナリアの時ももうどうにもならんと思ったんだ。だが結果は俺の思い通りになった。もしかしたらこれが俺のチートなのかもしれない。なんとかなる、というチート。アルトレスタまで倒してしまったら本当に最強になってしまうな……ふふ)
全く案は浮かんでいない、にもかかわらず口元に薄い笑みが浮かんでいる。
カナリアとユリサールの件を乗り切ったセント、自分で気づいてはいないだろうがーーそれは油断というものだ。
実際、あの試合を乗り切れたのは闇の精霊の助けがあったからだ。そうでなければセントはユリサールの魔法でノックアウト、口を動かす暇もなく試合は終了していた。
この時点で、セントはそれに気づくべきだった。自惚れだと、そして相手が『英雄』の血を引いている者だと思い出さなければいけなかった。
絶対に無様を晒さないと、覚悟を決めていればよかった。
(時間はないがーー今回もうまくやろうぜ、俺)
だがそんな事を今言っても仕方がない。
余裕綽々でほほえましい限りだ。
「ねぇ、セント・ユーラス」
絶賛取らぬ狸の皮算用中だったセントに声がかかる。
内心飛び上るほど驚いたセントだったが、なんとか外面には出さずに済んだ。
「……はい?」
セント流、驚いた時の誤魔化し方は動作をゆっくりにすることらしい。
今も声を掛けられてから少し間があったが、動きを急がせない事によって余裕を見せるテクニックだ。
本当に無駄なテクニックだが。
セントに声をかけたのはーー教室の入り口に立っている少女だった。
少なくとも年上、流れるように艶やかな黒髪を持ったーー制服を着ているので生徒だろう。
特徴的なのは鋭い目だろう。見るものによっては目つきが悪いと思わなくもないような、そんな瞳。
だが、それを抜きにしても美人。白い肌に潤った唇、セントにとっては日本を思い出させるような姿。
(和服が似合いそうだな。目は鋭いけどそれもまたいい。てか身長たけぇな)
170と少しはあるだろうか、女性にしては高い。
教室の入り口からセントの近く、窓際の方へ移動したその女性はそのままセントの真正面の椅子に腰を落とした。
真正面から見た顔立ちはやはり美しい。が、若干目に気押されるセントだ。
「僕に何か?」
愛想のいい笑顔で質問する。
美人には反応のいい男だった。
「何かって訳じゃないけど、ただ授業のあるとこに向かってたらあんたが一人でここにいて……」
そこで、あーと照れたように言葉を切る女性。
目を細めながら笑い、続ける。
「私も試合みててさ。当たり前だけど。でも、素直に感動してさ。あ、セントでいい?」
「はい、大丈夫ですよ」
「ん、ありがと。それで、セントを見かけたら一回伝えようと思ってたの」
微笑むその姿は椿のよう。
静かに笑ってセントを見つめながら女性は言った。
「よくやった、ってね。いきなり話しかけて何言ってんだって思ってるかもしれないけどーーよくやったよ、セント。撫でたげよっか」
からかうような仕草で白く細い手をセントの頭上へ。
だがーーどうやら抵抗されると思っていたらしい、伸ばした手がセントの白髪に触れた瞬間、驚いたように女性は固まった。
「え、あ、セント?」
「ありがとうございます。褒められたくてやったわけじゃないですけどーーやっぱりそういって貰えると、凄く嬉しい」
「……!」
少し顔を下げて話す少年のなんと可愛らしい事か。
見返りは確かに求めていなかったのだろう、だが褒められて嬉しいのは、十歳の年相応なのかもしれない。
(か、軽い気持ちで話しかけたけど思った以上にこの子心にクる……!ライクが一応警戒しろって言ってたけど、引き込む力が凄い、重力みたいだよ……ちょっとどんな奴か見ようと思っただけなのに)
自然と自分の手が動いているのが分かる。
絹のような柔らかい白髪を、ゆっくりと撫でていく。その度にセント・ユーラスは小さく身動ぎして、まるで猫みたいだった。
「制服を着てるなら、先輩ですよね?」
「ん?えぇ、そうよ。私は生徒会のーーえ?」
生徒会、と口にした瞬間、頭を撫でていた感触が消えた。
セント。ユーラスは身を引いてこちらを見つめている、その瞳の中にあるのは、警戒の色。
「生徒会、貴方は、生徒会長の話を聞いて僕に声を掛けたんですね?生徒会長に褒めろとでも指示されたんでしょう?」
「なっ、違うよ!確かにライクから話は聞いてたけど、それとは」
「関係ありませんか?僕がどんな人間か見ておこうという気持ちはありませんでしたか?警戒しろと、言われませんでしたか?」
畳みかけるように話すセントの瞳には、警戒とは別に若干の自虐も混じっていた。
警戒されるような立場だと、自分でわかっているように。
「それは……」
思わず言葉に詰まってしまう。最初に告げた言葉は本心だがーー生徒会長に言われたことも頭にはあった。
「……すいません。いきなり訳が分からないですよね。ありがとうございました、凄く嬉しかったです。では、僕はこれで」
一瞬だけ顔を伏せて、次に顔を上げた時には最初に会った時の笑顔に戻っていた。
こうしてこの少年は誰からも警戒されて生きてきたのだろうか。
ユーラスの名は軽くない。周りの人間もいい人ばかりではないだろう。
若干急ぐようなセントの仕草に胸を締め付けられながら、それでもなんとか教室を出る少年の背中に話しかける。
「セント!私の名前はアサギよ。貴方の味方!だからーーいつでも頼っていいんだからね」
教室の入り口を過ぎたところで、セントの足が止まる。
そして、小さく、本当に小さくだがーーありがとう、と声が聞こえた。
そのまま去っていく足音を聞きながら、ライクに文句を言わなければと思った。
「ユーラスだからって何よ。裏も何にもない、ただのちょっと優秀すぎる可愛い後輩なんだから……お姉さんの私がちゃんと味方になってあげるからね、セント」
会って間もない少年に絆されすぎかな、と思ったけど。
あの少年になら、それも悪くないと思えた。
「生徒会なら、味方になってもらいますよ。アサギ先輩」
教室から遠ざかる足音は、どこか楽しげだった。




