三十四話
朝の目覚め。
その日一日の始まりとして、割と大事な時間ではないだろうか。朝起きて気分が優れなければ、その一日も憂鬱に考えてしまうというものだ。
しかも朝の精神状況は体に影響を与えやすい。マイナスな気分からくる体調不良というのは存外に治らないのだ。朝は中々薬が効かない、という人は割と精神状況が荒れている者が多い。
そんな状況に自分では気付かないというのも、なんとも恐ろしい。心というのは厄介なものである。
そんなわけで、朝起きてから一番に考えることは勿論楽しい事が良い。天気が悪いとか、寒い暑いとか、昨日嫌なことがあったとか。
そんなものは関係ないとばかりに全力で楽しい事を考えるのだ。気休めのようなものかもしれないが、やらないよりマシだろう。
(あー……最低で最高の気分だぜ……)
ハードロッカーのような事を思っているこの男もーーそんな気休めを試した一人だった。
「ったく夜の事がなけりゃ最高の気分で目覚められたのにな……あのノッポにはいつか目にものみせてやる………見せれたらいいなぁ!!」
ザブザブと、身を切るように冷たい水で顔を洗う。洗面台には捻るとお湯が出る赤いマークのついた水栓などある筈もない。自然豊かな場所に存在している魔法学園の水は新鮮でとにかく冷たいのだった。
まぁこの男は朝から悪態をついているため何も気にしていない。割とマジで冷たいのだが、単純な脳の作りをしているとこういう時に便利である。
昨晩の事だ。突然部屋に生徒会長がやってきて、やたら好戦的な表情でカフェに行かないかとのお誘いを受けた。
後身長高学歴イケメンの夜のお誘いは、女性ならば非常に嬉しい事だろう。しかし同性の、しかも試合後で疲労が溜まっているであろう後輩に対してそれをするとはどういう事か。考えれば考えるほど腹が立つセント・ユーラスである。
更にはそのカフェでやったお話とやらの内容である。いきなり部屋に来たと思えば、こんどはいきなりあの魔法についての事ときた。
セントは焦った。
話せるわけがない。あの魔法のカラクリがバレれば、自分の完璧な勝利は無かったことになってしまうのだから。
せめてセントがいつも通りのクズ力を発揮できていれば。話のペースを掴み、綺麗に落としどころを見つけることも出来たであろう。
しかし昨晩のセントのコンディションは最悪。いや、最高だったために最悪だった。
人間浮かれて油断すればあそこまで能力が落ちるものなのか。
表情作りを忘れ、雰囲気も出せず、揚句には考えなしにブラックコーヒーを飲む始末。
別に飲んでもおかしくはない、おかしくは無いのだがーー多少の違和感はあるだろう。本当ならありえない魔法を気にしてやってきた相手に対して、ほんの少しの違和感も命とり。それがセント・ユーラスの考えだった。
そして肝心の魔法についての質問に対しては『話せません』だ。思い出すだけで気分が重くなる。
生徒会長の追及にも、なんとなくそれっぽい事を言って誤魔化したのだ。確かーー。
『……生徒会長にこの魔法を話しても、僕に害はありません。しかし、あなたに対しては解らない。この魔法は、そういうものです』
嘘というのはいずれ暴かれる物。
そういう言葉をよく聞くが、それは間違いではないし、間違いでもある。
簡単な話、疑問を持たせた時点で嘘はその効果を失くし始める。おかしいと、そんな筈はないと考え始められたらそこで終わりだ。
ようは、疑問を失くせばいいのだ。完膚なきまでに正当な理由を用意した嘘こそが、セント・ユーラスの思う、武器としての意味を持つ嘘。
しかしーー昨晩の嘘はなんだ。思いつくままに言葉を並べ、最後には相手に背を向けて逃げ去るという醜態。
「あれがなけりゃあ文句なしだったんですけどねぇ……」
鏡を見ながらどんよりとした声で呟く。顔を見れば、なんと目の下にクマが出来ているではないか。
セントは昨日の夜、悔しくて悔しくて一睡も出来なかったのだ!!なんて事は全くない。ぐっすり寝た。
悔しくて寝れないなんて主人公のような事を出来る男ではない。むしろ悔しさを忘れるために寝逃げしたセント・ユーラスである。
ならばこのクマは何なのだろうか。
「あぁ具合悪い……クマだけじゃなくて頭痛もするぜ畜生」
精神状況の悪化からくる体調不良。病は気から、である。
どれだけ嘘に対して誠実なのか。是非見習いたいーーいや、見習う必要はなさそうだが。
痛む頭を手で揉み解しながら、ついでに髪も整える。セントの髪は非常に柔らかい。手櫛で撫でればそれで綺麗に纏まってくれる。相変わらず、体のスペックはどれをとっても高い。
そんな体をもくだらない精神で不調にするセントはウイルスか何かなのだろうか。
自分で自分を感染させるあたり、もはや面白さすら感じる。
「にしても……コーヒーは美味かったな……こっちに来てからは初めてだからーー10年ぶり?」
そうなのだ、昨晩の忌々しい戦場となったカフェ。あそこのコーヒーが非常に美味だったらしい。
セントは転生者である。前世でも勿論コーヒーは飲んでいたが、お高いコーヒーをこの男が飲める筈もなくいつもインスタントだった。
だが、この世界にインスタントコーヒーなどあるわけもなく。昨日のカフェでは前世のテレビなどでみたお高いお店のようなコーヒーだったのだ。
丁寧に豆から抽出された輝くコーヒーは、今まで飲んだ中で最高の深さと香りを持っていた。
「また行かなきゃいけないな……ん?なんか体調良くなってきた」
単純極まりない。誰も見ていないととことん悲しい男である。誰か見ていても悲しい事に変わりはないかもしれないが。
コーヒーの思い出で体調をよくしたセント・ユーラス。
今日一日は完全に休み。新入生魔法試合の後半が行われているのだろう。
「昨日一日待たされて結局後半に回された奴らは可哀想に……」
割と本気で気の毒に思うセントである。珍しい、そんなにコーヒーの思い出が素敵だったのだろうか。
だが、確かに気の毒かもしれない。緊張と不安で押しつぶされそうな状態で一日待たされたのだ。まだ十歳である。
南無三、と名前も知らない新入生に合掌するセント・ユーラスであった。
その時ーーコンコン、と。小さくドアがノックされた。
(既視感!!!)
そう、昨日の夜もこんな感じのノックで悪夢に引きずり込まれたのだ。ノックされるドアに最悪の印象をつけてしまっている。
だが無視するわけにもいかない、ドアに近づきーー今度はしっかりと心構えてからーーゆっくりと開ける。そこにはーー。
「あ……」
「みつけた……」
こちらの顔を確認した瞬間、パァと。輝くような笑顔に変わる二人の少女。
カナリア・クルトールと、ユリサール・エンジがそこに立っていた。
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